上智大学の日本史の入試問題は、「攻めた」問題です(写真:Fast&Slow/PIXTA)
大学入試の問題は、いつの時代も同じというわけではありません。問題の形式面での流行もさることながら、出題されるテーマが時代の影響を受けていることも少なくないのです。大学入試問題を作成するその大学の教授の世相を捉えた問題意識が反映される、世の中に対するメッセージでもあると考えられます。
このような東大日本史を長年にわたり研究し、『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史 傑作選』を上梓した予備校講師の相澤理氏が、面白すぎる東大日本史を解説します。
※本記事は『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史 傑作選』の内容を抜粋し、加筆修正を施して再構成したものです。
東京大学の日本史の入試問題(以下、東大日本史)では、受験生の答案にダメ出ししてもう一度出題したり、歴史学において完全な答えを見出していない問いを投げかけたりといった挑戦的な出題もたびたびあります(「東大日本史『同じ問題』が数年越しに再出題の衝撃 いつどんな問題を出してくるかわからない」参照)。
それらは「攻めた」問題ですが、受験生に「考える」ことを求める良問であると、私は予備校講師として確信しています。そしてそれは現代に山積する諸問題に対処するための糧とするためであるのでしょう。だから、世相とリンクする部分が生じるのです。
近年の東大日本史は丸くなった感がありますが、入れ替わるかのように、また違った角度から「攻めた」問題を出題する大学が現れました。それは、上智大学の入試問題(TEAP利用型)です。
私は毎年見ているので慣れてきましたが、今年度の問題文の冒頭をお読みになるだけでも度肝を抜かれるのではないかと思います。
〈問題文〉
2025(令和7)年開催予定の日本国際博覧会(大阪・関西万博)では、海外パビリオンの建設が遅れているという。ウクライナ戦争等に由来する建築資材の高騰や人手不足のために、日本国内の建設業者と契約が進まないのが原因らしい。しかしそもそも、オリンピックや万博といったメガ・イベントで都市を宣伝し、各種の奇抜かつ大規模な建築物を配置、国内外からの観光客を呼び込むという経済活性化の方法自体、もはや前世紀の遺物なのではないか。(以下略)
(2024年・上智大)
問題文はこのあと古代の旧都、近世の城郭といった権力者が行った巨大土木事業とそれに使役される民衆の様子を詳述し、それに沿った形で設問が用意されています。このように現代的なテーマに沿って日本史を概観するというのが上智大日本史の定番であり、例えば、昨年度は移民の歴史、一昨年度はジェンダーの視点から見る歴史でした。
政治にも絡む内容を入試問題として取り上げることには賛否両論あるでしょう。しかし、過去があるからこそ今があるのであって、歴史と現代とを結びつける試みは検討するに値すると私は考えています。例えば、今年度は最後に次のような問題が用意されていました。
〈問題〉
〈祝祭型資本主義〉の意味するところを理解したうえで、問題文を参考に下記 銑いら1つを選び、どのような〈祝祭〉を目くらましにどのような政治目的が果たされようとしたのか、200字程度で説明しなさい(事例によっては、「資本主義」は「専制政治」などへ置き換えて理解してもよい)。
仝殿紊砲ける東大寺大仏の造営◆ー娉源函Ψ腸貉箸覆瀕圧綮叛瓩旅掌容り 大日本帝国憲法の発布ぁ1964年オリンピック東京大会の開催
〈祝祭型資本主義〉については、問題文に「商業五輪と新自由主義の結託した再開発」と説明がありました。たしかに、オリンピックや万博といった国家的イベントの裏には政治目的があります。人々が〈祝祭〉空間に目を奪われている間に、その目的も達成されているのです。
そのような事例は、歴史上にも見受けられます。聖武天皇は、民衆の協力を得ながら大仏を造営することで、自らの威勢を誇示するとともに、鎮護国家の仏教の力で疫病や政争などの不安を一掃しようとしました。江戸幕府は、琉球からの使節に異国風の服装や髪型を強制することで、将軍が異国人を入貢させているという構図を演出しました。大日本帝国憲法の発布や、1964年の東京オリンピックの開催にも、日本が近代国家の一員であり、平和国家として戦後の復興を果たしたことをアピールする狙いがありました。
こうして見ると、「歴史は繰り返される」ということの意味がよく分かります。見かけは違えども、同じ図式が繰り返されているのです。それは、一つの視点を設定することで見えてきます。その意味で、この問題は現代的な視点から歴史を見る良問であると思います。
ところで、上智大日本史のようにあからさまではありませんが、東大日本史にも現代的な関心から出題されたと思われる問題が見受けられます。例えば次の問題です。
〈問題〉
9世紀後半になると、奈良時代以来くり返された皇位継承をめぐるクーデターや争いはみられなくなり、安定した体制になった。その背景にはどのような変化があったか。5行以内で述べなさい。
(2021年度・第1問)
本問の趣旨は、「摂関政治において、藤原氏が外戚の立場から政治の実権を握ったことで、天皇の嫡子への皇位継承が安定した」ということです。
皇位が父(天皇)から嫡子(皇太子)に継がれるというのは、現代人からすると当然(それ以外の方がイレギュラー)のように見えますが、はじめから嫡子継承が確立していたわけではありません。7世紀後半には壬申の乱という皇位継承争いがありましたし(天智天皇の弟の大海人皇子が、天智天皇の子の大友皇子の即位を阻止したとも見て取れます)、奈良時代の8世紀には長屋王一族が滅ぼされるなど血生臭い政争も見られました。

問題は、天皇が政務を行っていたということにあります。そこで、摂関政治では藤原氏が外戚の立場から、摂政・関白として政治の実権を握りました。一方で、天皇家としては藤原氏に政務を委ねることで、幼少のまま嫡子を皇太子に立て、即位させることが可能となったことが、問題で与えられた資料文から読み取れました。
つまり、皇位継承を安定させたい天皇家と、政治の実権を握りたい藤原氏のウィン‐ウィン関係によって、摂関政治は成立したのです(なお、本問だけでなく、問題で資料文が与えられ、それを踏まえて考えるというのが東大日本史の特色であり醍醐味でもあります)。
本問は、平成から令和への改元にあたり、皇位継承のあり方が国民的な議論となる中で出題されたものでした。そのことを、出題された東大の先生が意識されていなかったとは思えません。歴史を知ることで、この国の〈しくみ〉を理解し、現代に山積する諸問題に対処するための糧とする。東大日本史もまた、歴史を通じて現代を問い、そして、歴史を現代に活かす方法を指し示しているのです。
(相澤 理 : 厚胤塾)