ロングセラー商品はどのようにして生まれ、どのようにヒットをつづけてきたのか。その道のりをたどる「ロングセラー物語」。今回は発売から62年となる、湖池屋の「湖池屋ポテトチップス」にスポットを当てる。現在のブランド担当者が商品の歴史と今を語る。
〔撮影:西崎進也〕
【語る人】新井美彩さんあらい・みさ/’73年、東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業後、キリンビバレッジ入社。’17年、湖池屋入社。’22年、マーケティング部部長。’24年1月、マーケティング本部副本部長。
湖池屋の創業は’53年で、当初はおつまみ菓子を製造販売していました。当時はまだポテトチップスは一般的なスナック菓子ではなく、一部でしか食べられない高級おつまみでした。
創業者の小池和夫は、仕事仲間と飲みに行った店で初めてポテトチップスを食べて「こんなおいしいものが世の中にあったのか」と感動するんです。これをぜひ多くの人に食べてもらいたい、と考えたんですね。
しかし、当時はノウハウがありません。そこで、じゃがいもを買ってきては台所で揚げ、試行錯誤を繰り返しましたがうまくいかない。それこそトラック一杯分、失敗したという言葉も残っています。
そして、日本食の天ぷらからヒントを得て、高温かつ短時間でサクッとカリッと揚げる製法を追求していくんです。
当時の一般的なフレーバーは塩でしたが、小池がこだわったのは日本人向けの味。そこで、のりを使うことにしました。そして、たまたま台所にあった唐辛子をちょっとかけてみたら、いい組み合わせだとわかったんです。
実は「のり塩」には、ほんのちょっと唐辛子が入っています。パッケージの写真のチップスにも小さな赤がのっている。ほとんどの人は辛さを感じませんが、これが後味のキレを生んでいます。スッキリして、食べ飽きない。絶妙な味わいになるんです。
納得いくものができたのが、’62年。こうして「湖池屋ポテトチップス のり塩」が発売されました。当初は手で揚げて量り売りしていましたが、量産化に挑戦し、5年かけて日本で初めてオートフライヤーを用いて成功しました。
量産化にあたっては、アメリカに視察に渡っています。どんな製造ラインで、どんな機械を使って量産をしているかを実際に見せてもらって勉強したんですね。そのときのメモも残っています。
これには私もびっくりしたんですが、持ち帰ったメモをもとに、国内の機械メーカーに「こういうものが作りたいんだ」と自分で説明して、作ってしまうんです。
機械の専門家だったわけでもなんでもない。絶対に量産化を成功させるんだという情熱が、それを可能にしたんでしょうね。こうして、「ポテトチップス」がより広く普及していくんです。
そして生産にあたっては、たくさんのこだわりを持っていました。日本産じゃがいもにこだわり、北海道でのじゃがいもの契約栽培を始めました。また、製法にもこだわりました。例えば、じゃがいもの旨みは皮の近くに凝縮しているんです。
じゃがいもを水洗いして皮を剥いていくとき、旨みを逃さぬよう、できる限り薄く剥く。さらに季節や産地によって、じゃがいもは微妙に変化するので、それに合わせて揚げ方も微調整する。
テストで揚げてみて特徴を理解して、どうすれば最高の状態に揚げられるか、模索したんです。創業者が挑んだのは、最高品質のものを届けること。それこそが、湖池屋の原点なんです。
創業者もそうですが、当時の日本人の多くが、戦争を経験していました。食べるものがなくなっていく中、多くの日本人が口にすることになったのが、さつまいもや、じゃがいもでした。
戦争中に食べ過ぎて、「もう見るのも嫌だ」というイメージの食べ物だったんです。また、じゃがいもを見ると戦争を思い出す、という人もいた。言ってみれば、ネガティブなイメージの食べ物だったわけですね。
ところが、そのじゃがいもが、薄くスライスして天ぷらのように揚げて、塩で味付けしただけで、こんなにおいしいものになるのか、という初めて口にしたときの感動が、やはり小池のスタートラインだったんです。
じゃがいもが、こんなおつまみに生まれ変わる、この素晴らしさをみんなに知ってほしい、このおいしさをみんなに味わってほしい。
ただ、そのギャップが大きいだけに、簡単にはいかない、という思いがあったようです。だから、徹底してこだわり抜いた。生半可なものを作っていけないと覚悟した。大きなイノベーションを実現しないといけない、と思ったんだと思います。ポテトチップス文化を日本につくっていくんだという強いモチベーションです。
最初は「のり塩」に始まり、’70年代から「バーベキュー」「ガーリック」とフレーバーが拡大していきます。当時は、西洋への憧れがまだ強かった。食の欧米化が進んでいく時期に、西洋の食文化の先駆けというニュアンスで、消費者からは捉えられていたところもあったのだと思います。急速に商品は受け入れられていったんです。
私は転職して入社しましたが、驚いたのは、若手社員が会長や社長と気さくに会話していることでした。会議や新商品の決裁を得る場で議論したりもする。こんな会社もあるんだ、と思いました。
コーンブランドの担当から新市場創造の担当になり、プレミアム路線のポテトチップス「ピュアポテト」を開発。マーケティング部の部長になってからは、湖池屋の全ブランドを見ています。そしてブランド60周年の’23年には、「湖池屋ポテトチップス」をダイナミックにリニューアルするプロジェクトを推し進めました。
パッケージを大胆に変え、「のり塩」以外のメインフレーバーはネーミングも思い切って変え、味も進化させました。
ファンの方も多いので、大きく変えるのはリスクがあります。しかし、今や高付加価値の市場を作ろうとしている湖池屋としては、あるべきレギュラーラインのポテトチップスを提案したかったんです。
またブランド60周年ということで、「これほど長い期間、愛してくださってありがとうございます」という感謝の気持ちを込めて、テレビCMを展開しました。ご覧いただいた方もいらっしゃるかもしれませんが、懐かしい’70年代を舞台に、子どもとお母さんによる遠足とお菓子のエピソードを綴りました。MISIAさんに歌を作っていただいたんですが、これがまた心に沁みて、もう1本のケンカから仲直りする姉妹編も合わせて、とても好評を得ました。
若い方や、これまで召し上がっていなかった方も含めて、改めて「湖池屋ポテトチップス」をお求めくださる方が大きく増えたんです。おかげさまで、想像以上の結果になっています。
ロングセラーブランドこそ、アップデートはとても大事だと思います。それを今までもやってきたから、ロングセラーになっているんです。
そして大事なことは、競合を見るのではなく、お客さまを、時代をしっかりと見て、自分たちに何が求められているのかを真摯に見つめることだと考えています。
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