衆議院議員の米山隆一です。
昨年の11月11日に収録し、11月19日に前編が、11月25日に後編が公開されたYouTube番組「ReHacQs」(リハック)でのひろゆき氏との対談は、大いに反響を呼びました。様々なインターネットメディアで紹介され、YouTubeに切り抜き動画・解説動画がいまも溢れています。
あれ以来、国会、議員会館や議員宿舎のエレベーターで、野党のみならず自民党の議員・大臣と乗り合わせた時も、地元のイベントの来賓席で隣に座った自治体議員や担当の職員の方とお話しする時も、「ReHacQs見たよ!」と言われます。
そればかりか、なんと地元のコンビニでの会計時や、モスバーガーでの注文時に店員さんから「ファンです!」といわれ、果ては東京の地下鉄で、見ず知らずの男子中学生(私は男女同権論者ですが、実際に私にこう言ってくる方々は、皆さん男性です)から握手を求められるという、驚きの事態となっています
この件についての解説は、机の上に置くには少々勇気がいる表紙の他誌にすでに寄稿していて被るところもあるのですが、本稿では、もう少し堅く「論破と論理」ということで論じさせていただきます。
なぜReHacQsの動画がこれほどの反響を呼んだのか? 動画自体が面白かったこともありますが、そこは正直にひろゆき氏が現在、非常に世の中から注目されている、いわゆる「ひろゆき現象」「ひろゆきブーム」と言われる状況があったからだと思います。
地上波では見る機会は減ったものの、ひろゆき氏はいまだAbemaTVではレギュラー番組に出演しており、ネットにはひろゆき氏の動画や「ひろゆき氏がXでこういった」という類の「こたつ記事」が溢れています。
本屋に立ち寄れば、おそらくひろゆき氏が執筆にさほど時間をかけているようには
感じられない、どれも似た内容の「ひろゆき本」が平積みになっています。何ならお宅のお子さんが「ひろゆキッズ」となって「それってあなたの感想ですよね?」と言っていたりするでしょうから、皆さんも「ひろゆき現象」の広がりを実感されていることでしょう。
ではこの「ひろゆき現象」「ひろゆきブーム」はなぜ生じているのでしょうか? とりあえずググってみると、「ひろゆきブーム徹底解剖」とか「ひろゆきは何故人気になったのか?」とかと言う記事がヒットし、「知識人の無根拠な言論を打ち破る力がある」とか、「言説に見えるものを音楽にすることに成功した」などと、もっともらしい解説がなされています。
しかし、それらを読んでみると、「そうか?」と思ったり、逆に「いや、そんなこと、他の人もやっているでしょう」思ったりする内容で、私には特段説得力のあるものには思えません。
私は端的に、「ひろゆき氏が『偉そうな人(政治家や専門家)を負かして馬鹿にするのは楽しい』という人々の薄暗い欲求を具現化したから」だと思います。
前述の通りいったんブームになって成功してしまえば、あれこれ理屈をつけて「成功した理由」を探すことはいくらでも可能ですが、そんなものはしょせん後付けです。
冷静に見てひろゆき氏は、何ほども新しい「ものの見方」を提示している訳ではなく、世の中の問題に鋭い視点で切り込んでいる訳でもなければ、何か専門的な知識を教えてくれる訳でも、他人から有意義な議論を引き出している訳でもありません。
ただ単に眼の前の偉そうな人の言をまぜっかえして馬鹿にし、冷笑して楽しんでいるだけかと私には見えるのです。
しかし、率直に言ってそれは、面白いのです。大体もって人は、人の争いごとを見るのが好きです。プロレスがその典型ですが、多くの格闘技もスポーツも、実はあれは「人が闘っているのを見る」のが楽しいんだと思います。こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、私は、政治に対する無関心が広がっているなどと言われながら、相変わらず政治のニュースがトップを飾り、世間に政治好きが多いのは、「他人の権力闘争」を見るのは実は結構面白いからだろうと思います。
そしてその中で最も面白いのが「権威の失墜」であり、「偉そうだった人の没落」です。今国会では私も予算委員会で岸田総理を相手に自民党二階元幹事長の政治と金の問題を追及し、なかなかの好評を博しました。応援メッセージのうち少なくない割合が「偉そうな自民党にズバッと言ってくれてすっきりした!」「あんな奴ら、もっとやっつけてくれ!」との内容です。
ひろゆき氏が普段偉そうにしている(少なくとも私にはそう見える)専門家や政治家を、口先一つで「論破」する姿は、世の方々の欲求に見事にマッチしていた訳です。
ではなぜ、ひろゆき氏はそんなことが出来たのでしょうか? その名の通りひろゆき氏は、特別な頭脳と能力に恵まれた「論破王」だったからでしょうか?
私は、まったくそうではないと思います。実のところ私はひろゆき氏とちょっと似たところがあり、格好の良い言い方をすると「剣術の達人は剣術の達人の強さが分かる」的に、以前Twitter(現X)でバトルしたり、AbemaTVで議論した時から、ひろゆき氏の「強さの秘密」は見えていました。
私が見たひろゆき氏の特徴は以下の通りです。
(1) どんな相手に対してもまったく怯まない(ほとんどリスペクトを感じていない)。
(2) 話題をずらして誤魔化したり、人身攻撃をして相手を動揺させたりする口喧嘩(議論ではない)のテクニックが豊富。
(3) (2)のテクニックをちょうどいいタイミングで繰り出す回転の速さがある。
(4) 一方で議論の前提となる事実や論理構造の理解は平凡。
この最後の(4)をみて、「え? そんな事で『論破王』になれるの?」と思う方もおられると思いますが、正直なれます。
議論と言うものは、本来事実に基づいて論理を追って行くものです。同じ前提事実から始めたら、同じ結論に帰着して、論争にならない以前に結論が分かれません。
もちろん、人によって前提とする事実や、評価の方法がところどころで異なるので結論が異なることはあり得ます。ただその場合も、双方が議論と論理と言うものを分かっていれば、それぞれの前提や評価の方法の妥当性を論じ合うことにはなっても、やはり論「争」にはなりません。
最終的に「論破」に至るような議論と言うのは、そもそも本来的な意味での議論ではなく、本質的には議論の名を借りた単なる口喧嘩なのであり、そうであれば、(4)の状態で(議論の前提となる事実や論理構造をさして理解することなく)、「勝った!」と言い張ることは可能なのです。
ただしここで注意しなければならないのは、口喧嘩の勝敗と言うのは、性質上論理的に決まるものではなく、しょせんは印象論だということです。そして人の印象に大きな影響を及ぼすのは、議論(若しくは口喧嘩)の中身それ自体よりも、そこにいる第三者的立場の人がどういう反応を示すかです。
上述の通りひろゆき氏は今なお複数の番組に出演していますが、ひろゆき氏がMCやレギュラーである事が「売り」の番組では、番組の司会やスタッフ、他のレギュラーの共演者はどうしてもひろゆき氏に加担することが多いようです。本当は泥仕合的口喧嘩に過ぎないのに、彼らが陰に陽にひろゆき氏の味方をする事で、ひろゆき氏の「勝利」が印象付けられてきたのです。
そういったいくつもの要素が積み重なって、常勝の「論破王」ひろゆき氏のイメージが創り上げられて来たのだと、私は思います。
では何故、私が冒頭に記載したReHacQsの番組で、ひろゆき氏を論破したと多くの人に印象付けることが出来たのでしょうか? その理由の一つには、番組のスタッフである高橋弘樹氏、ゲストの西田亮介氏が公平だったという部分も大きく、そこは率直に感謝したいと思います。
そのうえで、勝利の最大の原因を、ひろゆき氏の「論破」の正体を上述の(1)~(4)と分析した上で述べましょう。
実のところ私も子供の頃からふてぶてしくて減らず口、お陰で婚期を逃しました。そして、50を超えて結婚した、妻(作家・室井佑月)が銀座で磨き上げた口喧嘩で日々、切磋琢磨しました。(1)~(3)には正直自信がありました。
仮に(1)~(3)で互角でも、自分のホームグラウンドのテーマ、政治・政策分野で戦えば(4)で勝てると見定めてそれを実行できたことだと思います。
まさに、「知彼知己者、百戰不殆(彼を知り己を知る者は、百戰殆うからず)であり、2000年以上の時を経て、孫氏の兵法は流石であると思います。
さて結論として、「論破」に至るような議論はそもそも議論ではなく、議論に名を借りた口喧嘩に過ぎません。「現代ビジネス」の読者の皆さんはそんなことはされていないと思いますが、まかり間違っても、ビジネスや社会の現場で「ひろゆき論法(ひろゆき氏的議論)」を真似してはいけません。
そういった議論で一見相手を「論破」したように見えても、相手は納得していないどころか高確率で貴方を嫌いになります。そこで得られた結論の論理的正しさも、まったく保証されません。
事実を踏まえ、論理を追った冷静な本来の議論をしてこそ、論理的に正しい結論が得られます。仮に相手と最終的に合意できなくても、どの前提、どの評価の方法の違いが、結論の違いを生んだかを相互に理解し合うことが可能になります。
私のあのReHacQsの番組への出演と本稿が、「議論の名を借りた口喧嘩」ではなく、そういう「本来の議論」が世に広がることに少しでも役に立てたなら、この上なく光栄です。
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