〈「ムショで生活した方がマシ」“前科11犯の70代”に会ってわかった「高齢犯罪者の更生」がなかなか進まない理由〉から続く
「前科4犯の61歳男性」と「前科15犯の67歳男性」のインタビューをお届け。知的障害でも精神疾患でもないのに、彼らが「犯罪をやめられない」理由とは……?
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ノンフィクション作家・石井光太氏の新刊『無縁老人~高齢者福祉の最前線~』(潮出版社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
彼らはなぜ犯罪をやめられないのか…? 写真はイメージ getty
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【森篤弘(仮名、61歳、前科4犯)】
九州で建設会社を経営する父のもとで、篤弘は長男として生まれ育った。地方の私大を中退後に、専門学校を経て、地元のガソリンスタンドに就職した。
彼は若い頃から何をするにも不真面目で中途半端なタイプだった。そのくせその場限りの調子の良いことばかり口にするので、職場でも、プライベートでも誰からも信頼を得られない。
ガソリンスタンドの仕事を数年で辞めた後、彼は親族の紹介で何度か転職したが、どれもつづかず数カ月から数年で辞めてしまった。
安定した収入がないのに、篤弘はスナックやキャバクラが好きで通ってばかりいた。店へ行くと、見栄を張って高額な酒を注文し、ホステスに気前良くプレゼントを贈る。金を貸してくれと言われれば、いくらでも貸す。実家暮らしでも、そんな生活がいつまでもつづくわけがない。
最初の逮捕は、20代の終わりだった。ある日、篤弘は昔の職場の女性に連絡をすると、彼女からうつ病で仕事ができず生活に困っていると相談を受けた。彼は良いところを見せようとして、その女性に金を貢みつぎはじめた。女性が喜ぶと、頼まれてもいないのにどんどん金を渡すので、あっという間に貯金が底をついた。それでも彼は貢ぐことをやめず、勤めていた会社の機材を盗んで転売したところ、それが露見して逮捕されたのである。
この時は初犯だったために執行猶予がついた。だが、その後も性懲りもなく同じようなことをする。盗みが癖になったのだろう。そうして彼は刑務所と一般社会を行き来する生活に突入するのだ。
篤弘は話す。
「僕は女の人がいるとダメになるんですよ。普段は趣味も何もない静かな人間なんです。女の人の前じゃなければ、酒も飲まないし、ギャンブルもやらないので、まったくお金を使わない。けど、女の人を前にすると、どうしても格好つけたくなって、たくさんお金を浪費して、最後には困って会社の物を盗んじゃう。やっちゃいけないってわかっていても、自分を抑えられずくり返してしまうんです」
金のためと言いながら、彼が行う窃盗は無思慮で浅はかだ。
たとえば、ある日、彼はキャバクラで知り合った女性に入れ揚げ、会社にあったトランジット(道路工事などで角度を調べる測量機器)を盗んだことがあった。この時、彼は「地元で売ったらバレる」と考えてレンタカーを借り、九州から山口県まで行って、それを数万円で売った。
だが、レンタカー代、ガソリン代、高速代を払えば、窃盗と転売で得られる額など雀の涙だ。つまり、思いつきで犯罪をしているだけなのだ。
こうした人生は四半世紀以上もつづき、複数回にわたって刑務所に入ることになった。そんな彼も61歳。出所後に就職することは簡単ではないだろう。どうするつもりなのか。その問いに対する答えも篤弘らしい。
「今僕が信用できるのは、逮捕時にお世話になった山口県の警察官です。調書を取られている時、僕の将来を心配してくれたんですよ。立派な人です。だから、ここを出たら、その人のところへ行こうと思っています」
この警官とは逮捕と取り調べの時に話しただけだという。その警官にしたって、出所した彼にいきなり訪ねてこられても困るだけだろう。だが、彼はそのことすらわかっていないのである。
【広岡一郎(仮名、67歳、前科15犯)】
一郎は端整な顔をしており、体格もスマートだ。頭の回転も悪くなく、受け答えもはっきりしている。塀の外で、「スポーツ好きで会社の役員です」と言われれば、信じてしまいそうな雰囲気がある。
だが、彼はこれまで社会で真っ当な仕事をしたことがなく、17歳の頃から空き巣をして生きてきた。前科は15犯。人生の大半を刑務所で過ごしてきた、自称「プロの空き巣」である。
関西の田舎町で、一郎は育った。父親は製材所で働きながら、自宅の土地で農業を営んでいた。経済的にはそこそこ裕福だったが、14歳の時に母親が他界。そこから家族がバラバラになった。
一郎は中学を卒業して間もなく、ギャンブルにのめり込んだ。競輪やオートレースに足繁く通いはじめたのだ。最初に逮捕されたのは、ギャンブルをする金欲しさにした空き巣だった。
少年院に1年間収容され、18歳で出たものの、ギャンブル癖が治らず、保護観察中に再び窃盗をして逮捕。次は少年刑務所へ送られた。
20歳で社会復帰したが、実家の親からは勘当された。一郎は家族からも見捨てられたことで、誰に気を遣うわけでもなく自堕落な生活をはじめる。空き巣で稼いではサウナやビジネスホテルに泊まり、ギャンブルで散財する。驚くことに、その生活は67歳になる今に至るまでつづくことになる。全国を転々としながら窃盗をしていたため、アパートなど一つの場所に住居を持ったことは一度もないそうだ。
一郎の言葉である。
「この年になるまでギャンブルから離れることができませんでした。各地を回って民家や店に入って盗みをして生きてきたので、職に就いたことがありません。金がない時は、ホームレスみたいに公園で野宿をして過ごしていました。
こんな生活をしてきたので、昔から親しくしている友人もいませんし、結婚したこともありません。話をする相手は、サウナや競輪場なんかで出会う人です。何度も顔を合わせているうちに言葉を交わすようになって、一緒にお酒を飲みに行ったり、パチンコに行ったりするんです」
30年以上の刑務所生活については、次のように語る。
「ちゃんと生きていこうと思ったことはありますよ。でも、僕の意志が弱かったんでしょうね、うまくいきませんでした。ギャンブルから離れられなかったんです。全部ギャンブルのせいですよ」
頭の中がギャンブルでいっぱいだったので、働こうという意思が生まれなかったらしい。さらに、十代から刑務所生活がつづいていたので、それに対する抵抗感がなくなっていたという。そのことが長きにわたる刑務所生活につながったのである。

将来的に一郎はどうしたいと思っているのか。彼は次のように答えた。
「次にここを出る時は、70歳くらいになっています。生活保護を受けてNPOが運営している施設に入ろうかなと思っています。施設に入っていろんな人に支えてもらえば、ギャンブルも窃盗もしなくなるかもしれません」
彼は前回逮捕された時もまったく同じことを語っていたらしい。いったんはNPOに身を寄せたものの、また窃盗で逮捕されて懲役刑を受けたのだ。それを聞く限り、更生の道はほど遠いだろう。
鳥取刑務所で篤弘と一郎へのインタビューを終えた後、私は何とも言えない複雑な気持ちになった。2人の人生をいくら聞いても、そこに反省の気持ちも見られなければ、更生への意思も感じられない。当たり前のように犯罪をし、刑務所に入るという生活を送っているだけなのだ。
庶務課長の梶山氏は、そんな私の気持ちを読んでか、次のように言った。
「篤弘にしても、一郎にしても、決して極悪人ではないんです。でも、女性やギャンブルを前にすると、自分の力では犯罪への衝動が止められなくなってしまう。欲望を制御できないのです。そして彼らには、それを止めてくれるような環境や支援者がいなかった。それでずっと犯罪をくり返し、高齢者と呼ばれる年齢に差し掛かってしまっているんです」
2人が自分を律する気持ちを持っていないのは明らかだ。実を言えば、インタビューの最中、彼らは知的障害や精神疾患があるのではないかと思った。だが、裁判や刑務所で調べた限り、そうした事実はなかったという。
梶山氏は言う。
「彼らは若い時は、もう少しうまく逃げ回っていたと思います。けど、年を取ると、逮捕されることも増え、だんだんと刑務所が居場所になってしまう。そして認知症になったり、車椅子生活になったりする。累犯者の高齢化問題は非常に深刻です。鳥取刑務所では介護福祉士が1名いますが、他の刑務所では募集をかけても集まらないと聞いています。介護福祉士は売り手市場なので、なかなか刑務所に来たがらないのが現状なのです」
梶山氏はそう言って、鳥取刑務所に勤める介護福祉士の佐藤絵理沙氏(仮名、26歳)を紹介してくれた。
(石井 光太/Webオリジナル(外部転載))