熊による人的被害が過去最悪を記録している2023年度、今年も十分に警戒する必要がありそうだ。熊の行動に影響大なのが、生息域を広げるあの愛らしき動物の存在。猛獣との遭遇が常態化しつつある日本の現状を、ジビエにも通じるプロの現役猟師が解説する。【華川富士也/ライター】
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【写真を見る】年間400頭も捕獲したことがある「スゴ腕ハンター」望月さん
ツキノワグマやヒグマによってケガを負うなどした人は2023年度、12月までの時点ですでに過去最多の217人に達した。22年度の実に約3倍だ。冬眠時期の12月半ばになってからも、石川県白山市の市街地で男女3人が襲われ重軽傷を負っている。さらには“冬眠しない熊”の存在も取り沙汰されるなど、熊は日々ますますわれわれを悩ませる。
なぜ熊はこうも人里に近づき、人に危害を加えるようになったのか。
これまでさまざまに理屈が語られてきたが、山をよく知る望月秀樹さん(56)なら誰よりも実際のところを語ってくれると考えた。
山梨県南西部、南アルプスの山々に囲まれた――面積約370平方キロの96%を森林が占めるという――自然豊かな町、南巨摩郡早川町。望月さんはこの町の猟師の家に4代目として生まれた。幼い頃から父親と一緒に山に入って狩猟を目と体で覚え、21歳で狩猟免許を取得し、猟師歴は35年に及ぶ。
かつて駆除と狩猟とで年間400頭を捕獲したことがあり、その腕を見込んだ環境省からの依頼を受け、他県でも害獣駆除に取り組んできた。秋になると北海道に遠征しての熊猟も行っている。
つまりは山を知り、鹿や猪、熊など捕獲対象となる動物のクセや動きにも通じた“スゴ腕”ハンターだ。
現在は早川町のジビエ処理施設も運営。捕獲した鹿などを自分の手で解体し、肉を瞬間冷凍した上でジビエレストランや個人に販売してもいる。
そんな望月さんに昨今の異常な規模の熊被害について尋ねると「地域によって事情がいろいろと違うから、一概にはいえない」としつつ、
「北海道でいうと1990年から春熊の駆除を禁止したことが大きいと思う」
と話してくれた。
「春先、熊の動きが良くない時期に撃っていたんだけど、やめてからの30年ほどのうちに頭数が大きく増えたんだ」
北海道ではヒグマによる被害を減らすために66年以降、冬眠から目覚めたばかりの熊を春先に駆除する策が取られていた。ところが熊の頭数が減りすぎて、89年を最後に取りやめた。その成果か、道内のヒグマの個体数は90年度の推定5200頭から2020年度には推定1万1700頭と倍増。しかし熊が増えるのに合わせて農作物への被害も増え、北海道庁のデータによれば01年からは毎年のように1億円以上の、18年からは毎年2億円以上の被害が出ている。
ここで考えなければならないのは、個体数が増えれば山の限られた食料は取り合いになること。食事にありつけない熊が食べ物を探し、人里へと出てくるのは自明の理だ。
「あと、林業が衰退したのが理由という地域もあるんじゃないかな」
どういうことか。
「働いている人たちは山に入りっぱなしだったから、肉を食うためにワナを仕掛けて熊を捕って、みんなで食べていた地域もあったんだよ。それが、外材が安く入って林業が成り立たなくなって、結果的に熊を捕る人たちがいなくなったんだね」
林野庁のデータによれば、林業従事者数は1980年には14万6000人いたが、2020年には4万4000人にまで減った。高齢化も進んでいる。
さらにこう続けた。
「昨年の東北については、熊がよく食べるブナの実が大凶作だったというのが、熊が里に来る大きな原因になっているみたい。岩手にいる(猟師の)仲間に聞いたら、『家の近くの柿の木に4匹も5匹も熊が群がっているから、山の中に入らなくても簡単に捕れるよ』と言っていたよ」
2023年の大凶作は、データが公開されている1989年以降で最悪の記録だ。
林野庁の東北森林管理局が発表している「ブナ開花・結実調査」によれば、2023年の東北5県はすべて「大凶作」。中でも岩手県と宮城県は豊凶指数が0.0。計30の調査地点のうち一つを除いてすべて「非結実=まったく種子がならない」状態だった。
残りの青森、秋田、山形3県は豊凶指数0.1だ。豊凶指数1にあたる「一部=ごくわずかな種子がつく」状態の地点がいくつかあっただけで、昨秋は東北5県から熊の主食の一つがほぼ消え去ったことがわかる。
とはいえ、大凶作の年は過去に何度もあった。2016年も昨年に近い豊凶指数を記録しており、岩手、宮城が0.0。秋田、山形が0.1、青森は0.5だった。
ではその年、2016年の人的被害はどうだったのだろうか?
ここで興味深いことが明らかになる。
環境省が発表する「クマ類による人身被害について[速報値]」というデータによれば、2016年度の被害人数は青森0、岩手19、宮城6、秋田19、山形2、全国で計105人。死亡者は全国で秋田の4人のみだった。
これが2023年度は12月末時点で青森11、岩手49、宮城3、秋田70、山形5、全国で計217人の被害。死亡者数は岩手が2で東北の残り4県は0。全国で計6人となっている。
16年と23年を比べると、ともに東北でブナの実は大凶作、豊凶指数も近い数字だったのに、後者では人の被害が3倍、全国でもほぼ倍に増えているのである。
16年と23年で何が違うのか?
いったい何が熊を山から人の住む場所へと向かわせているのか?
望月さんは「鹿がどんどん生息域を広げている。それが問題だよ」と自身の体験を交えて語った。
「たとえば、俺が小さい頃は、早川町には鹿はいなかったよ。当時、この辺の猪は脂がこんなにあった」
そう言って親指と人差し指を広げた。その間隔は6、7センチくらいだ。
「本当にうまくてさ。で、小学校6年生の時、1979年だね、親父が初めて鹿を捕ってきた。俺が猟を始めた1988年ごろはまだ鹿を見ることはほとんどなかったけど、1990年代後半には普通にこの辺でも鹿が捕れるようになった。そこから鹿が急激に増えたよ。そしたらさ、猪の脂が昔の半分以下になったんだ。鹿は食欲旺盛だから、そこら中の草や芽や木の実を、猪のぶんまで食い尽くしてしまう」
望月さんは「ちょっとこれ見て」と言い、3枚の写真を私に示した。
「これ、俺が解体した時に撮った熊、鹿、猪の胃袋の写真ね。比較のために置いたナイフは刃渡り16センチほど。熊は体重120キロある大きい個体だったな。鹿は70キロで大きめ、猪は65キロでやや小ぶり。並べると一目瞭然だけど、鹿は胃袋がこんなに大きいの」
写真を見比べると、猪の胃袋が意外に小さい一方で、鹿の胃袋の大きさが際立つ。熊と鹿を比較しても、鹿のほうがやや大きく見えるほどだ。
鹿は山のものだけでなく、人間が育てた農作物も食い荒らす。農林水産省が発表している「全国の野生鳥獣による農作物被害状況」というデータを見ると、2022年度の被害額約156億円のうち、鹿による被害が65億円と最も多く、次に被害額が多い猪の36億円に倍近い大差をつけている。ちなみに熊は4億円ほどだ。
鹿は食欲のみならず、繁殖力も強い。
「熊って雑食でさ、木の実だけでなく草や葉っぱも食べるんだけど、そういうのまで鹿が食べ尽くすんだよ。鹿は繁殖力もあって、早ければ2歳のメスでも妊娠してどんどん子が増える。だからそれまで労せずエサにありつけていた他の動物がよそへ追いやられてしまうんだ」
望月さんは「それにさ」と言葉を継ぎ、東北で熊を山から追いやった“ブナ大凶作”の原因とも考えられる鹿の問題行動を指摘するのだった。
「落ち葉や、木の根元に生えた草や芽も全部食っちまうんだ。これが木に悪い。本来なら落ち葉や草が水分を含んで根や土壌を守っていたのに、こいつが無くなることで土が流れやすくなり、根っこがどんどん露出し、乾燥して、木が弱っていく。土と一緒に土壌の栄養分も流れていくから山がダメになる」
森を守っている「下層植生」を鹿が食い尽くし、森が衰退する問題は、じつは全国で起こっており、林野庁も対策に取り組んでいる。
2023年10月には、九州大学と岡山大学の共同研究グループが「椎葉(筆者注・宮崎県椎葉村)の奥山では、シカ増加に伴う土壌侵食により、ブナが衰退している」と、鹿こそがブナを弱らせている“犯人”だとする研究結果を発表した。
そのプレスリリースにはこうある。
〈山岳ブナ林が広がる九州大学宮崎演習林(椎葉村)において、土壌侵食の指標である根の露出程度とブナの成長量との関係を調べたところ、根の露出程度が大きいブナほど成長が低いことが明らかになりました〉
そして、こう記す。
〈本研究成果は日本の森林で深刻化するシカの下層植生採食が樹木衰退を招く一因となることを初めて示し、今後のシカの食害対策を考えるうえで役立つことが期待されます〉
つまり、東北のブナ大凶作も増えすぎた鹿が原因である可能性が高いのだ。
環境省の発表による「全国のニホンジカ及びイノシシの生息分布調査」の結果を見ると、東北が鹿に“侵略”されていく様子が驚くほどよく分かる。
2003年の東北地方、鹿は岩手の太平洋側南半分に生息しているが、青森と秋田は空白。宮城と山形はポツポツといる程度。これが2014年になると、岩手で生息域は全県に広がり、青森、秋田でも生息確認地点が現れ、宮城、山形でも増加している。
そして2020年、岩手、青森、秋田のほとんどの地域で生息が確認されるようになり、宮城、山形でも着実に増えている。
東北のブナは凶作の年が元々多かったが、鹿が増えてブナを取り巻く環境が悪化することで、これからますます凶作の年が増えていくことが予想される。
鹿が増え過ぎて起こる問題について、望月さんはさらに別の角度から次のような話をしてくれた。
「鹿が熊のエサになるんだよ。北海道の仲間に聞いた話だけど、鉄砲の音がしたら熊が出てくるっていうんだ」
熊が鉄砲の音に反応して姿を現す!? 鉄砲を恐れていないのか。いったいどういうことだろう。
「鹿を駆除すると、地域によって金額に差はあるけど報奨金がもらえる。鹿を撃ったら、自治体に提出する証拠写真などを撮り、あとは穴を掘って埋めるといった処理をする必要がある。けれど、大変だから処理をやらない人もいる。その時に遺棄された鹿を見つけて食べた熊が、鉄砲の音がすると鹿にありつけると学習して、近寄ってくるようになったんだ。もちろんその仲間は熊も撃ったそうだけど」
似たような話では、ワナにかかった鹿も熊の捕食対象になっているという。
こうして冬場でも楽にごちそうにありつけると分かると、冬眠しない熊が出てくる可能性がある。
増え過ぎた鹿は、熊を山から追い出す要因になる一方で、食料として熊が増えたり、熊が活動する時期を延ばしたりする要因にもなっているわけだ。
「熊の被害が増えたからといって熊を駆除するだけじゃ意味がない。鹿も含め、自然のバランスを良くする対応をしていかなければ、熊被害の問題は解決しないですよ」(望月さん)
こうした事情を考えずに熊や鹿の駆除に対し“動物がかわいそうだ”と抗議する人もおり、望月さんによると、
「最近はそういうのに嫌気が差して、駆除しても役場に申告しない人がいるみたい」
駆除、狩猟を巡っては、弾薬の値上がり、自治体による支払額が上限に達すると報奨金が打ち切られるなどの問題もまた、ハンターの活動にネガティブな影響を与えている。望月さんは言う。
「狩猟を趣味でやっていると思って抗議している人もいるかもしれないけど、生態系のバランスが崩れた状態を放置すると山も畑も大変なことになってしまう。それに俺らは常に“人を撃ってしまったら大変なものを背負う”という思いを持ちながら山に入っている。後輩にも『慌てて撃つな。本当に鹿か、熊か、人じゃないか、周りに跳弾するものはないか、確認してから引き金を引け』と常に言っている」
その緊張感はわれわれの想像を超えたものに違いない。
熊被害は残念ながら、今年も発生するだろう。これを減らすためには総合的な知見にもとづく多方面からの取り組み以外に、情緒や感傷に流されない人間の側の意識変革も必要なのかもしれない。
華川富士也(かがわふじや)ライター、構成作家、フォトグラファー、記録屋。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町、昭和ネタなどを得意とする。シリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。
「週刊新潮」2024年2月15日号 掲載