〈「虐待を暴いた結果、生活が破綻することもある」“高齢者虐待”が児童虐待よりも解決しづらいワケ〉から続く
「娘のところには二度と帰りたくない。ここにいさせてほしい」
【写真あり】「知的障害の娘」に介護放棄された76歳女性も…「無縁老人」たちをもっと見る
娘に介護放棄され、体重は29キロにまで減少…最終的には老人ホームに行き着いた76歳女性のエピソードを紹介。彼女が苦境に陥った原因とは? ノンフィクション作家・石井光太氏の新刊『無縁老人~高齢者福祉の最前線~』(潮出版社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
76歳女性が「娘のところには二度と帰りたくない」と嘆くワケとは…。写真はイメージ(写真:アフロ)
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奥州市には二つの養護老人ホームがある。そのうちの一つが、「寿水荘」だ。
そもそもどういうプロセスで、養護老人ホームは虐待被害に遭った高齢者を受け入れるのだろう。
すでに見たように、高齢者虐待に対応するのは各自治体の地域包括支援センターだ。通報を受けて担当者が駆けつけ、虐待が深刻なものであると判断した場合は、被害者を家庭から引き離して保護する処置を取ることになる。
児童虐待の場合は、この役割を児童相談所が担い、一時保護所や児童養護施設に預けるのだが、高齢者虐待では専用の保護施設が存在しない。そのため、高年齢で心身に問題がある人の預け先は養護老人ホームになる。
養護老人ホームは、心身はそれなりに元気であっても、経済困窮などで自立が難しい高齢者を受け入れる施設である。したがって経済力があって一人で生きられる人や、重度の認知症患者や寝たきりのような人は対象外だ。
寿水荘で施設長を務めるのが小田代将正氏(73歳)だ。彼は次のように語る。
「養護老人ホームでの生活にかかる費用は、税金で賄われます。そのため、私たちの判断で受け入れを行うことはできません。まず市に設置されている老人ホーム入所判定委員会が、その人が抱えている問題や、周辺の状況を調べて、入所に必要な条件を満たしているかどうかを判定します。そこで認められて初めて、うちに入ることができるのです。
高齢者虐待のケースでは、委員会の中で被害状況や家庭環境を踏まえ、身柄を保護するべきかどうかが話し合われます。そこで保護の必要性が認められたら、うちに連絡が来る。そしてうちの担当者が被害者と面会し承認すれば、入所の手続きがはじまります。本人が財産を持っていれば入所や生活に必要な費用は自己負担になりますが、そうでなければ市から一人当たり月に17万円くらいの措置費が出ることになっています」
小田代氏は、寿水荘に入所している2人の虐待された高齢者を紹介してくれた。彼らが保護された流れを示そう。
〇及川光子(仮名、76歳)
光子は生活保護を受けながら、娘と2人の孫と共に4人で暮らしていた。娘と孫2人は知的障害があって就労が困難だったため、全員で身を寄せ合うように暮らしていた。
家庭の生活費は生活保護費で成り立っていたが常に火の車だった。原因は、光子の娘がギャンブルとアルコールの依存症だったことだ。毎月、生活保護のお金が入ると、娘がそれを持ち出して、1、2週間のうちにギャンブルとアルコールに費やしてしまう。無一文で1週間以上暮らさなければならなかったことも多々あり、月末には一家全員が食事もままならなくなっていた。
市の担当者はそうしたことを考慮して、生活保護費を月ごとではなく、週ごとに分けて払うようにした。そうすれば、娘の浪費を抑えられ、食べていくことができるはずだと判断したのだ。最初はなんとかうまくやっていたが、光子が高齢になるにつれ、娘が実権を握るようになり、浪費がエスカレートしていった。
ある日、デイサービスの事業所の職員が、光子が急激にやせたのに気がついた。調べると、32キロあった体重が、たった1カ月で29キロにまで落ちている。あまりにも急激な体重減少だ。
この職員は家庭内で何か問題が起きているのだろうと考え、市の相談窓口に通報した。担当者が自宅に赴いて調べたところ、娘がギャンブルとアルコールに費やす金欲しさに、光子に食事を与えていなかったことが判明した。
職員は会議にかけ、光子が家庭内でネグレクトを受けていると判断。娘にも改善の意思が見られないことから、光子を寿水荘に預けて保護することにした。
当初、娘は光子を寿水荘に行かせれば、生活保護が止められるのではないかと抵抗した。だが、職員が新たに娘が生活保護を受けるように手配すると話すと、態度を一変させて何も言わなくなった。娘の頭には、どうやってギャンブルやアルコールの金を作るかということしかなかったのだろう。
寿水荘で暮らしはじめた光子は見違えるように体力が回復し、体重も50キロを超した。光子は次のように話しているという。
「娘のところには二度と帰りたくない。ここにいさせてほしい」
〇高橋秋江(仮名、72歳)
秋江は20歳の頃に統合失調症と診断され、それ以降ずっと病気と闘ってきた。統合失調症は、幻覚に襲われたり、感情が極度に沈んだりする完治の難しい精神疾患だ。
その後、彼女は結婚して娘を一人もうけた。だが、統合失調症のせいで、育児や家事は困難を極めた。夫にも娘にも様々な負担をかけ、家庭崩壊の危機に瀕したことも数えきれなかった。
秋江が60歳くらいの時、長年連れ添った夫が他界した。すでに自立していた娘は秋江の面倒をみるために、実家で同居をして介護をはじめたものの、統合失調症に加えて身体的な介護を要する母親の世話は想像以上に大変だった。
娘はだんだんと精神的に追いつめられ、その鬱憤を秋江にぶつけるようになった。
「私は人生をお母さんに台無しにされた」と考え、ちょっとしたことで暴言を吐いたり、八つ当たりしたりしたのだ。徐々に身の回りの世話もしなくなっていった。
そんなある日、家に保健所の職員が訪れたところ、秋江が廊下で倒れているのを見つけた。娘が介護放棄したため、秋江は統合失調症の薬を飲めなくなり、意識障害を起こしたのだ。秋江はすぐに病院に搬送され、入院させられた。
数週間後、市の職員が家を訪れ、娘と秋江の退院後の生活について話し合った。娘は次のように言った。
「もうお母さんと暮らしたくありません。顔も見たくない。私は引き取らないのでお母さんをずっと病院に預けてください。これ以上一緒にいたら私も壊れてしまいます」

虐待をせずに一緒に暮らす自信がなくなったのだろう。
市の職員はやむをえないと判断し、秋江を寿水荘で生活させることにした。秋江は「娘に会いたい」「家に帰りたい」と言っているが、娘は家の鍵を換えるなど拒否する姿勢を変えていない。見舞いにも一度も来ていないそうだ。
2つの事例を見る限り、虐待の原因は介護以前の家庭環境にあるように感じるのは私だけではないだろう。障害、精神疾患、依存症などいろんなことが原因になって、昔から親子関係がこじれていた。そこに介護問題が加わったことで虐待につながったという印象だ。このことは施設長の小田代氏も同意する。彼は次のように語る。
「高齢者虐待は、加害者だけが悪いわけじゃないんです。被害者が長年にわたって、病気や障害や依存症などで散々迷惑をかけたため、家族関係がものすごく複雑になっていることが大半なのです。子供たちもなんとかそれに耐えてきたものの、親が年を取って力関係がひっくり返ったり、介護などの負担がかかったりすることが引き金になって高齢者虐待が起こる。
つまり、介護負担が増えたというだけで虐待が起こることは稀まれで、それまでの何十年にわたる家庭のトラブルが根底にあるのです。そうしてみると、高齢者虐待が起きないようにするには、若い時から家族関係を良好に保っておく必要があるといえるでしょう」
このような話を聞くと、親子関係を良好に保つことが老後の生活にまで大きな影響を及ぼすことがわかる。親が年を取れば、どこかで子供と力関係が逆転するし、誰かの世話にならなければならなくなる。その時に望むような生活ができるかどうかは、その人がどれだけ家族と丁寧に接してきたかにかかっているのだ。
ちなみに、寿水荘は定員77人で運営している。高齢者虐待の被害者はこのうちの一部だが、家族や親戚が定期的に面会に来るのは5人ほどだそうだ。それだけ、物理的にも、精神的にも、家族とのつながりが途切れている高齢者が多いということなのだろう。
小田代氏はつづける。
「養護老人ホームには、様々な事情から家庭で暮らせなくなった高齢者を受け入れるという役割があります。そういう意味では、家族と疎遠な高齢者が比較的多いのは仕方のないことです。ただしそれとは逆に、養護老人ホームに入ることで、家族の負担が大幅に軽減されて、親子関係が改善することがあります。それまでは仲違いしていたのに、子供の心に余裕ができたことで、誕生日に連絡をしてきたり、面会に来たりするようになる。それは私たち職員にとっても喜ばしいことです」
入所者すべての親子関係が改善されるわけではないが、職員としては一件でもそうなってほしいという願いを持って働いているのだろう。
(石井 光太/Webオリジナル(外部転載))