前編【妻と不倫相手、どちらとも家庭を築く…「これが自分の誠意の示し方だった」という50歳夫の末路】からのつづき
飯田尊仁さん(50歳・仮名=以下同)は、妻と不倫相手、「どちらとも家庭を築く」という選択をした。田舎から高校進学を機に上京し、結婚したのが会社の同僚だった真希子さんである。その後、尊仁さんは企業。妻の妊娠がわかったのと時を同じくして出会ったのが、同郷の文佳さんだった。故郷に良い思い出のない尊仁さんだが、それを上書きするかのような思いで、文佳さんに惹かれていった。
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結婚して1年足らずで、尊仁さんは文佳さんと「不倫」した。だが、問題だったのは彼自身が文佳さんとの関係を「運命だと思っていたこと」、そして自分が既婚だと彼女に告げなかったことだった。
「特に既婚だと言わなかったのは、聞かれなかったからということもあるし、言えなかったのもある……。いや、ずるいですよね、一般的には。でも彼女とは運命だと思っていたから、僕が結婚しているかどうかは関係なかったんです」
関係なかったのは尊仁さんの意見であって、関係があるかないかを決めるのは独身である彼女のほうだろう。言わなかった、言えなかったは理由にはならない。この国では、ひとりしか結婚できない。それが法だ。
家庭では、日に日に大きくなっていく妻のお腹をさすりながら、一方で文佳さんの部屋で関係を続けていた。それを「ずるい」と言わずして何をずるいというのか。
「わかってはいたんです。いつか問題になると。仕事もがんばらなくてはいけないし、妻にも気を配りたいし、文佳には嫌われたくないし。あのころは必死でした。誰かを裏切りたかったわけじゃないんです」
前のめりになってそう釈明する尊仁さんを、私が裁くわけにはいかない。そんな資格はない。彼は起こった事実を率直に話してくれているだけなのだから。
個人事業主の彼は時間の融通が利く。特に当時はまだ仕事をどんどん増やしていきたい時期だったから、ツテを頼って営業にもいそしんだし、つきあい酒も多かった。あちこちに顔を出し、仕事を得るためなら何でもしようとしていた。
「お腹の大きな妻には申し訳なかったけど、夜遅くなることもありました。文佳にも会いたい。3回は本当に仕事で遅くなったけど、次の1回は文佳との逢瀬で遅くなった。そういうことも多々ありました」
週末だからといって休めるとは限らないと妻に言って、文佳さんと映画を観に行ったり美術館デートをしていたこともある。ふたりのどちらも失いたくなかったし、どちらからも嫌われたくなかった。そして仕事もフルでがんばったと彼は言う。
妻の臨月が近づいてきたころ、文佳さんの部屋に行くと、「ねえ」と彼女がベタベタ甘えてきた。珍しいことではなかったが、なんとなくいつもと違うとは感じていた。
「妊娠した、と。さすがに『えっ』と声が出てしまいました。彼女、ちょうど責任ある立場に就任したばかりで、当分、結婚も出産も考えられないと言っていたんです。『私、ピル飲むからね』と一方的に言われてもいた。僕は彼女を信頼していたんです。ところが数ヶ月前から彼女はピルをやめていたんです。あのときは血の気が引きました」
正直に言うしかない。彼は覚悟を決めた。ごめん、結婚はできない。頭を下げた。文佳さんは黙ったままだ。頭を上げられなくなった。
「離婚はしないよねと彼女が言いました。えっと顔を見たら、『やっぱり結婚してるのね』と。確認しなかった私も悪いんだけどねと、彼女は自身に言い聞かせるように言って。知っていたのかと力が抜けました。『でも子どもは生んでほしい』と思わず言ったんです。だって子どもに罪はないから。すると彼女は『わかった』って」
妻の出産に立ち会い、彼は命の誕生に涙した。ありがとう、大変だったねと妻をねぎらった。一方で、つわりに苦しむ文佳さんのもとに駆けつけて食事の世話をした。仕事にも手を抜かず、疲弊してふらふらになったこともある。だが、「すべて自分で責任をとるしかない」と彼は考えた。
「文佳は、離婚してと迫ってくることはありませんでした。認知はしてねと言っていましたが、僕はそれに対して明確には答えられなかった。認知となると戸籍に記載されてしまう。いくら僕が非常識でも、意味なく妻を傷つけたくはなかったから」
妻との間に娘が生まれてから約7ヶ月後、文佳さんとの間に息子が生まれた。ここが尊仁さんの興味深いところなのだが、彼は「妻にバレたらどうしよう」と考える前に、「かわいい子どもがふたりも僕のところにやってきてくれた」とうれしくなったと言う。少なくとも文佳さんにはすべて知られている。妻は周りに「姐さん」と呼ばれるような器の大きな女性だ。そこに彼の甘えがあったのかもしれない。
それ以降、彼はふたつの家庭を行ったり来たりすることが日常となった。その間に会社は少しずつ大きくなっていった。
「ボロもうけできるような事業ではありませんが、人並みの生活はできるようになりました。妻も文佳も仕事に復帰し、妻の両親も協力してくれていました。文佳のほうは時間的にどうしようもないときはベビーシッターを頼んだこともあった。ふたりとも仕事が大好きで、子どもを大事にしていて……。僕は何も文句を言えないくらい幸せだと思っていました」
二重生活は多忙だったが、慣れればそれもルーティンになるのかもしれない。だが何年経っても、文佳さんへの情熱はおさまらなかった。真希子さんとの家庭は「くつろげる場所」であり、文佳さんとのそれは「ワクワクする場所」だったという。
「うまくやっていたんですよ。というか、うまくいっていたんですよ、すべてが。それなのに何かが狂い始めたのが昨年秋のことでした」
高校の卒業旅行で友人と海外に行くことを計画した息子が自分の戸籍をとった。そして父親の欄が空欄だと知ったのだ。
「息子は賢い子ですから、僕に直接連絡をしてきました。もしかしたらと思っていたけど、母とは結婚してないんだねと言われて……。僕は彼の学費などをすべて出していたから、婚姻届は出せなかったけど、僕がきみの父親であることは確かだと告げました。でも息子は、『おとうさんに何かがあっても、僕に何かがあっても、ふたりの間の親子関係は証明されないわけだよね』と。この言葉が胸に刺さりました。実態がきちんとしていればいいと思っていたけど、そうではなかったんだと。このことが息子を傷つけると考えたら、いても立ってもいられなくなった。文佳と3人で話し、すぐに認知しました。息子には今まで申し訳なかったと謝りました」
すると1ヶ月ほどたったころ今度は、娘が戸籍をとってきたと、真希子さんから聞かされた。すでに息子を認知したことが戸籍に反映されていた。
「しまった、時期を逆にすべきだったと思いましたが、もう遅い。妻にどういうことなのと聞かれて、今まで黙っていて申し訳ないと言うしかありませんでした」
真希子さんは戸籍謄本を手にしたまま、黙り込んだ。いや、オレたち今までうまくやってきたよね、仲のいい家族だよねと尊仁さんは焦りながら妻に迫る。
「今まではねと妻は言いました。『あなたのどこか常識外れなところがおもしろいと思っていたし、常識でないところで勝負するからこそ事業もうまくいったのだろうと感じていた。でもこういう方面でも常識から外れていたとは……。私が甘かったのかな』と。いや、オレが悪い。ただ、早く言えばいいことだったのだろうか。どうしてもきみと娘を失いたくなかった。同じようにあちらの彼女と息子も失いたくなかった。それが間違っていたんだろうか。妻にとってはわけのわからないことを言っていたと思います」
妻と結婚してから数ヶ月後に知り合った人が、実は運命の人だと思ったとは、さすがの尊仁さんも言えなかった。だが息子の年齢を見れば、結婚前後にもうひとりの女性が妊娠していたことはすぐにわかる。
「どう考えたらいいかわからないと妻は言いました。そうだよねと僕も言った。あなた、頭がおかしいわと妻に冷静に言われて、うん、わかってると答えました。『しばらくひとりで考えたい。ただ、娘はショックを受けているから、あなたが何か言ってやって』と。でも娘は部屋にこもったままで僕の呼びかけには応じてくれなかった」
そうなることはわかっていただろうと言いたいでしょと彼はつぶやいた。そうですよねと答えたが、彼は「こんなことで家庭が壊れるとは思っていなかった」と真顔で言った。本気でそう思っているようだった。世の中にはオープンマリッジとかポリアモリーとか、いろいろな関係があるから、お互いに納得しているなら問題は起こらなかったはず。尊仁さんが妻に隠したまま18年近くもきてしまった。そして妻は一夫一婦制を疑わない生活を送っていた。だから問題として捉えているのではないだろうか。
「そうですよね……」
そう言ったまま、彼はしばし黙り込んだ。
自宅を追い出されてから、彼は事務所で寝泊まりしていたが、様子がおかしいと思った文佳さんに詰問され、真希子さんとのやりとりを白状した。
「そういうことなら、うちに泊めるわけにもいかないのが本音。ただ、事務所に寝泊まりしつづけるのは従業員にとっても印象がよくない。どこかアパートを借りたらどうかなと言われました。ただこのご時世、倹約できるところはしたい。そうしたら文佳が、『私の知り合いが古いアパートを持ってるの。そこでよければ部屋代負けてもらえるけど』って。6畳一間で風呂もないけど、昔はこういうところに住んでいたよなあ、もう一度、原点に戻るにはいいかもしれないと思って、半年近くそこに住んでいます」
文佳さんと息子は彼を受け入れてくれている。だからこそ一緒に食事をしたあと、息子の「泊まっていけば」という言葉に甘えたくなるのだが、それは文佳さんが許してくれない。文佳さんはシングルマザーとして子どもを育ててきたことで、若いときよりずっとたくましくなった。逆に真希子さんは、昔の大胆さが消えて思慮深い女性になっている。
「ふたりとも仕事上では、勤務先に信用され、立派な肩書きを持っています。僕になんか頼らなくても生きていける」
真希子さんはどういう判断を下すのか。それを受けて文佳さんはどうするのか。ふたりの子どもたちは父親にどんな言葉をかけるのか。いつになったら真希子さんが「ひとりで考える時間」を終えるのか。
判決を待つ重罪人の気分だと彼は言った。はたから見たら「当然の報い」なのだが、そう片づけてしまうにはどこか不憫な気がしてならなかった。
前編【妻と不倫相手、どちらとも家庭を築く…「これが自分の誠意の示し方だった」という50歳夫の末路】からのつづき
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部