湯畑や湯もみショーなどで知られる群馬県有数の温泉街、草津町。2019年11月、「町長室で町長と肉体関係を持った」などの元町議からの告白文書を掲載した電子書籍が出版されたことで、町は日本国内のみならず海外からも注目を集めることとなった。だがのちに、前橋地裁で開かれた刑事裁判・民事裁判で、「町議による町長からの性被害告発」が虚偽だったことが判明したのだ。刑事・民事ともにいまも進行中の裁判の現在地をリポートする。
【写真】会見では必ず白ジャケットを着用していた新井元町議
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全てのはじまりは2019年11月。『草津温泉 漆黒の闇5』というタイトルの電子書籍の発表からだった。飯塚玲児というペンネームで活動するフリーライターによるこの電子書籍には、草津町元町議(当時は現職)である新井祥子氏が町長である黒岩信忠氏と性的関係を持ったという告発が掲載されていた(現在は非公開)。
同年12月、新井氏は町議会で性被害を訴えたが、その発言が「議会の品位を傷つける」として除名処分を受けた。その後県に対して不服を申し立て、県は翌年8月に処分を取り消したものの、次は町議らが中心となり新井氏の解職を求めてリコール運動を展開。2020年12月の住民投票の結果、過半数が賛成し、新井氏は失職することとなった。国内外のメディアが経緯を疑問視する記事を発信し、“性暴力の告発をした女性に対するセカンドレイプ”だとする声が高まった。
当時から町長は一貫して新井氏の告発を否定しており、新井氏と飯塚被告に対する告訴状を提出。2022年11月、飯塚被告は名誉毀損罪で、そして新井氏は同罪と虚偽告訴罪でそれぞれ在宅起訴された。飯塚被告の名誉毀損罪での刑事裁判は2023年2月から開かれ、今年1月22日に懲役1年執行猶予3年の判決が言い渡されている。
まず、この飯塚氏に対する刑事裁判の初公判で、新井氏による「町長からの性暴力」が虚偽だったと明らかになる証拠が検察側から提出された。新井氏が性被害を受けたと主張していた2015年1月8日10時からの町長との面談時の録音が存在したのだ。この録音データについて当初、新井氏は「15分しか存在しない」と支援者らに語っていたというが、公判で証拠として出てきたのは1時間分だった。法廷で再生されたデータは「特に変わったこともなく、町長と議員との普通の会話で、肉体関係を示唆するような内容は一切含まれていませんでした」(傍聴人)という。以降、刑事裁判は“新井氏が町長と肉体関係を持ったという告発は虚偽”であることが検察・弁護側ともに争いのない事実として進んだ。
2023年11月1日に前橋地裁で開かれた民事裁判の第二回口頭弁論の本人尋問においても、新井氏は“性暴力の告発は嘘だった”とみずから認めた。この民事裁判は、黒岩町長が新井氏のほか電子書籍を発行した飯塚被告、そして「新井祥子元草津町町議を支援する会」の会長を務めていた中澤康治町議を相手取り計4400万円の損害賠償を求めている訴訟だ。
尋問で原告代理人が、2019年の電子書籍発表後に渋川市役所で行われた記者会見のことを問いただした際、新井氏は次のように答えている。
原告代理人「記者会見で『私は平成27年1月8日、町長と強要されて肉体関係を持ちました』とあなたが発言している映像が流れているのは知っていますか」新井氏「はい」原告代理人「あなたがそう発言したんですよね」新井氏「はい」原告代理人「肉体関係はなかったですよね」新井氏「はい」原告代理人「強要もされてなかったですよね」新井氏「なかった。強要。まあ」原告代理人「それから会見の映像では『町長は私を抱き寄せてキスされて押し倒されて』とあなたが発言している場面が映ってますが、覚えていますか」新井氏「記者会見のことはずいぶん前のことなので覚えていませんが、そちらが把握しているのであればそうだと思います」原告代理人「今のあなたの発言内容はすべて虚偽ですよね」新井氏「はい」
同じ日、新井氏に続いて尋問に臨んだ黒岩町長は「事実無根も甚だしいと思います。全くのうそです。天地神明に誓って指一本触れていません」と改めて潔白を主張。新井氏が性被害を受けたと主張していた当日の町長との面談時の録音データが15分ではなく、1時間分あったことを知った町長は、それを聞いた上で無実を証明すべく、検証を行なった。
「私も職員を立ち合わせ、実験を何度もしてみました。新井氏の音声テープを聞くとわかりますが、(はじめは)ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、とすごい音がします。町長室に入って座るとその音が消える。つまりあれは衣摺れの音です。私もポケットに入れたりしてボイレコや携帯の録音機能を使ってやりましたら、それがすごい音で入ります。ですからもし私がどこかで話の最中にでも胸なりを触ったとするならば、必ずそれが雑音として入るわけです。それがない」
町長によればつまり、問題の録音データには町長室に入ってから衣摺れの音がなかったのだという。
この民事裁判での本人尋問から2か月後の今年1月22日、刑事裁判ではフリーライターの飯塚被告に対する判決が言い渡された。飯塚被告はそれまでの公判において「新井氏の告発を真実と信じ、信じるに足る相当な理由があった」として名誉毀損は成立しないと主張していたが、橋本健裁判長はこの主張を退け、「新井氏と相互に通じ合い名誉毀損に及んだ」と認め、懲役1年執行猶予3年の判決を言い渡した(求刑懲役1年)。
「被告人が新井氏と共謀のうえ、虚偽のスキャンダルを電子書籍に掲示し、町長の名誉を毀損した。この結果、虚偽が流布され、町長の名誉は著しく毀損された。犯情は悪く、軽く見ることはできない」(判決より)
新井氏の虚偽告訴と名誉毀損の刑事裁判は、2024年2月現在もまだ開かれていない。そんな新井氏は、前述したやり取りの通り2023年11月の民事裁判の本人尋問で「町長との肉体関係はなかった」ことは認めているものの、同じ日の本人尋問のなかでは、また別の主張を繰り出しているのだ。以下のように述べている。
「最初は町長の話を、アドバイスを含め聞いていたんですけれども、だんだん私の体を触ってくるようになって上着の中に手を入れて胸を触られたりですとか、スカートから太ももを触られて、体を色々ベタベタ触られたということがありました」
新たに“ボディタッチがあった”と証言した新井氏に対して、黒岩町長の代理人は「嘘のことを会見で発言し、町長に辞任を求めるあなたの態度について、今ここで反省しているということはないんですか」と追及。すると新井氏は「私が被害にあったことは間違いがないので反省はしておりません」と回答し、あくまでも“被害はあった”と主張した。
この騒動の背景には、草津の伝統的な入浴法「時間湯」を巡る争いがあるとされている。時間湯とは、江戸時代の末期ごろから始まったとされる草津の伝統的入浴法。高温の湯に短時間、複数回入るといった流れが特徴だ。特定の公衆浴場では、入浴を指導する「湯長」が置かれ、湯治客らが湯長の号令などに従って入浴してきた。草津町はこの湯長制度について、入浴前に湯長が湯治客の体調を聞き取る問診が医師法違反に抵触する可能性があるとして、2019年に廃止。48度だった湯温も42度となった。
飯塚被告は「時間湯」の湯治客だったこともあり、湯長制度廃止には反対の立場である。彼の著書、『草津温泉 漆黒の闇5』には新井氏の告発が掲載されているが、それ以前の『漆黒の闇』1~4までは湯長制度廃止をめぐる内幕が、飯塚被告の視点で綴られている。刑事裁判では、湯長制度廃止を決めた草津町、黒岩町長に対する批判が飯塚被告の口から聞かれた。
「町長がしばしば嘘をつく人物だと、これまでの取材で感じていました。湯長制度の廃止時期を、2019年6月時点では『翌年3月末』と言っていたのに、その2か月後の7月末に廃止してしまった」
元湯治客としての愛ゆえか、時折「時間湯」についての発言が止まらず、裁判長に「はいっ、そこまで!」と静止されることもあった。
検察官は、飯塚被告が電子書籍に新井氏の告発を掲載したのは、その「時間湯」存続のためだったとみていた。論告で「被告人は『時間湯』で湯治をしていたこともあり(時間湯を廃止する)町長の政策には反対の立場だった。新井氏の告発が真実でないかもしれないと認識し、かつそれを認容していた」と指摘。また、飯塚被告は電子書籍の発表前、山本一太群馬県知事にメールを送り、書籍刊行の取り下げと引き換えに、黒岩町長に時間湯存続について提言してほしいと求めたと、自ら電子書籍に記している。
飯塚被告にとって、黒岩町長からの性被害告発を掲載した電子書籍は、町長に自身の要求をのませるための切り札だったようだ。
町長室での町長からの性被害を告発し、それが虚偽であると認めたのちに「体を触られた」と主張するなど、根幹となる内容を変遷させながら被害を訴え続ける新井氏。町長との民事裁判の判決は4月に言い渡される予定だが、刑事裁判のほうはいまだ始まっていない。ひとりの町議の虚偽告発から始まった草津町の騒動は、しばらく収まりそうにない。
◆取材・文/高橋ユキ(フリーライター)