日本人は世界に類を見ないほどの“お風呂好き”の民族だと言われている。ところが人生の終盤ともなるとそうはいかなくなる。病気も進行し、当たり前だったお風呂に入る体力も無くなり、多くの人たちは死んでいく。死ぬ前にもう一度、お風呂に入りたい――。
そんな患者の願いに、全力で寄り添ってきた看護師がいる。茨城県つくば市で、訪問入浴・湯灌サービスを提供している『ウィズ』の代表看護師、武藤直子さんだ。
彼女はこれまで、末期の間質性肺炎患者や、末期のがん患者、あるいは重度のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者など、他の事業者が様々な事情で尻込みしてしまう患者も積極的に受け入れ、1万人以上の「人生最期のお風呂」に立ち会ってきた――。
田嶋せつ子さん(仮名・享年75)は68歳の時に脳梗塞を患い、手足が不自由になった。在宅支援サービスを受けることで、独り暮らしを持続している女性だったという。
「彼女は、かなり年季の入った木造の平屋にひとりで住んでいました。月々5万円ほどの国民年金だけで暮らしていて、部屋の家具は少なく、『ムダかもしれないモノ』が一切ありませんでした。一方で室内の掃除は隅々まで行き届いていて、居間にはきれいに畳まれた清潔な衣類が並んでいました」
photo by iStock
せつ子さんの介護サービスは、彼女の生活費、約5万円を元に地域のケアマネジャーが設計したものだった。
「彼女が自宅で生活を続けるためには、5万円の中から月々の食費や光熱費を確保しながら、食事や掃除、洗濯を担うヘルパーを入れる必要があります。そこで介護サービスはヘルパーを最優先で入れ、訪問診療は最低限に抑えて組み立てられていました」
近年、老後資金は2000万円必要という論調で埋め尽くされている。そればかりか、〈最近では単身者で約3000万円以上、夫婦で約5000万円以上の金額が必要ともされている〉と報じる大手新聞社のニュースサイトもある。不安に駆られている方もいるだろう。
「せつ子さんは、新しい服も買えないし、旅行にも出かけられませんでした。でも、月々5万円の生活費しかなくても、介護サービスは入れられます。ヘルパーを入れる事によって、長年彼女がしてきたように、部屋を清潔に保ち、栄養バランスが整った食事と、清潔な着替えは毎日用意できます。彼女の生活の楽しみである、熱いお風呂の用意と、晩酌用のお湯割りの焼酎とアテも予算内に収まっていました。
お金で豊かさを買い始めたらきりがありませんが、老後資金2000万円がなくても、ささやかな楽しみのある生活は成り立つ。それを彼女から学びました」
彼女はお湯割りとお風呂に並々ならぬこだわりを持っていたという。
焼酎とお湯の比率は「ロクヨン」。お湯を沸騰させず、ぐつぐつと気泡が出る直前まで沸かしたお湯を、陶器の焼酎カップに4割ほど先に入れ、そこに焼酎をなみなみと注ぎ込む。お湯と焼酎の温度差で起こる対流によって、かき混ぜなくても、自然と混じり合うらしい。それを彼女は好んだ。
photo by iStock
お風呂については、夏場でも42~43度、冬場は44~45度の設定を好み、湯舟に入るときに肌がぴりっとくる熱さにこだわっていた。
「彼女の生命線である訪問介護は減らすことができず、毎日のお湯割りの焼酎も欠かせませんので、月5万円の生活費で捻出できる訪問入浴の回数は、月2回が限度。普段はタオル清拭で我慢するしかありません。だからこそ、彼女はお風呂に入れる日を物凄く楽しみにされていて、私たちもその期待に応えられるように精一杯、応える努力をしました」
熱いお湯を張ってから、せつ子さんを湯舟に入れると、
「そうなのよ。これなのよ。お風呂はこれくらいじゃないと入った気にならない。ずっと濡れタオルで我慢してきたから、武藤さんが来てくれて今日は本当にうれしい。とても幸せ」
と、喜んでくれたという。そしてお風呂のあとは決まってお湯割りの焼酎を飲み、体をポカポカの状態にして、そのまま気持ちよく寝ることにしていたそうだ。
「お湯割りとお風呂。どちらも彼女にとっては、毎日を幸せに過ごすための大切な“行事”でした。ながら作業でしようものなら、『今日のヘルパーは、ぞんざいな仕事をした』と、すぐに苦情が入る。掃除や洗濯の仕方も指示が細かくて、介護従事者からしたら、手のかかる利用者さんだったと思います。
ただ、クレーマーと違って間違ったことは言わない。良い仕事をした時は『今日が幸せなのは、あなたのおかげよ。ありがとう』と喜んで、感謝してくれました」
せつ子さんさんは、足元にある日常の小さな幸せひとつひとつに気づいて、心から幸せをみしめることができる方だったのかもしれないーー。
そんな彼女の最後のお風呂は、亡くなる10日前だった。いつものように訪問すると、随分と体重が減っており、呼吸や血色などから「せつ子さんの、残された時間が少なくなっていることを感じた」という。
「いつものように熱いお湯を張り、風呂に入れ、彼女好みの力加減でゴシゴシと体を洗っていると、気持ちよさそうな顔をしながら思い出話をしはじめて、なんだか改まった顔をされたと思ったら『体が不自由になってからの人生がまんざらでもなかったのは、あなたと出会えたからだと思う。本当よ。今までありがとうね』とお礼を言われました。少し寂しくて、『またお風呂に入りましょうね』と言うと、『そうね』と笑っていました。それが私にとっての最後のお別れになりました」
せつ子さんは万が一の時のために、遠方で暮らす弟にお金を預けていたようで、生活費を切り詰め続けた人生だったが、最後の2週間ほどは、自宅で十分な緩和ケアを受けて旅立ったという。医師は弟から「姉さんから十分なお金を預かっています。安らかに逝けるようお願いします」と頼まれたそうだ。
老後資金2000万円を否定することはできない。人によっては、医療費がかさむ状態や、介護タクシーが必要な状況が続くなどして、月々の出費がかさむ場合があるからだ。最先端医療を望むのであれば、さらに費用は増すだろう。お金はあるに越したことはない。
ただ、足元にある日常の幸せに気づき、知足安分の精神で、欲をかかず、自身の境遇の分相応に満足できる心根を持つことができれば、その限りではないのかも知れない。
※ プライバシー保護のため、内容の一部を変更しております(取材・文/『週刊現代』記者 後藤宰人)
ひきつづき武藤直子さんの連載「ベテラン看護師が語る。気管切開して家に戻ってきたALS患者の父親と、5歳のヤングケアラーを見守った11年【人生最期のお風呂】」につづく
「立ち会った看護師と夫は号泣…余命数時間で命がけ…82歳妻の「人生最後のお風呂」で起こった奇跡」もあわせてお読みください。