成績がいい子どもは「頭がいいから」ではなく、「がんばって勉強をしている」から成績がよいのです(写真:IYO/PIXTA)
「私の成績が悪いのは頭が悪いから」。もし子どもにこんなふうに言われたら、多くの親は怒り出すか、うろたえるに違いない。成績が悪い子どもが言う「頭が悪いから」には、どんな隠れた意図があるのだろうか。
大人でも誤解している人は多いが、成績がいい子どもは「頭がいいから」ではなく、「がんばって勉強をしている」から成績がよいのである。そう意識の上ではわかってはいるものの、「頭の善し悪しは遺伝で決まっている」――この神話は意外にも根強い。アメリカ教育界のカリスマ的存在である氏は、その著書『勉強脳』で、自信を保ちながら努力を続ける方法を伝授している。
映画を観ていると、「不良」が先生やまわりの人たちの支援を受け、実は頭がよかったことに世間――そして彼自身―が気づく……というシナリオがありませんか。
こうした映画は、主人公が自分の力をひどく誤解している――要は「頭がいいのにそれに気づいていない」という前提を観客が受け入れるかどうかにかかっています。ところが、たいていの人は自分も主人公と同じだとは思いません。「私の場合は単純で、勉強ができないのは頭が悪いせいだから。映画みたいになったことなんてないよ。だって成績が悪いんだもん」自信のなさは、学校の勉強がうまくいくかどうかに影響していきます。1つには、それによって失敗のとらえ方が変わること。自分のことをデキる学習者だと思っている大学生は、試験で失敗しても、今回は勉強が十分でなかったんだろう、次はがんばっていい成績をとろうと考えます。一方、自分はこの大学にふさわしくないと思っているような学生は、成績を落とすと「やっぱりね……」と思ってしまうかもしれません。自信は、将来の志望にも影響します。たとえば、看護師になるのが昔からの夢だという人が、自分は出来の悪い学生だと思い込んだために、看護学校の卒業は無理だと判断して他の職業を選ぶということもあるかもしれません。「頭が悪い」は勉強をしない人の言い訳「頭のよさは遺伝によってほぼ決まっており、後から変えることはまず不可能だ」と多くの人が思っています。かしこい人はがんばって勉強したからかしこいのではなく、いい遺伝子を持っているからかしこいのだと。したがって、勉強に必死になるのは、自分があまりかしこくないからだということになります。ならば、勉強をがんばったのに試験に落ちたら、目も当てられなくなる……。勉強したのに悪い成績を取ってしまったら、まずいこと(頭の悪さ)が暴かれてしまうから、「忙しすぎて試験勉強をやる時間がなかった!」という言い訳を用意するのです。たしかに、頭のよさは遺伝で決まる部分もありますが、何をやるかによっても左右されます。頭のよさは改善できるのであり、だからこそ学習をするのです。「頭がよければ勉強する必要はない」も「試験に落ちたのはバカだから」も間違いです。「たいていの人は批判によって救われるよりも、褒め言葉によってダメになるほうを選ぶ」と、アメリカの作家ノーマン・ヴィンセント・ピールも言っています。失敗したテストから自虐的な結論を導き出す人は、学校教育や頭の良さに対して、このような見方をしています。 頭がいいか悪いかは生まれつきで決まっており、変えることができない 頭のいい人は間違いをしない頭のよさを変えることができるかどうかについて、研究ではどう言われているでしょうか。頭のよさは「知識の量」と「情報をどれだけ容易かつ素早く処理できるか」という2つの要素によって決まります。この2つ目の要素――「頭の回転の速さ」と言ってもいいでしょう――は、おそらく変えられません。これまでも頭の回転を改善する訓練プログラムを開発しようとする人はいたのですが、今のところ成功した例はありません。もう1つの要素である知識量については、簡単に変えることができます。情報を多く学べば、それだけ頭もよくなるのです。ただ、頭の回転の速い人が新しい課題を難なくやってのけるのを目の当たりにすると、そうでない私たちは落ち込んでしまうこともあるでしょう。どんな科目も勉強すれば、成績は伸びるたとえば、チェスのやり方を覚える場合、頭の回転の速い人のほうが習得は早く、簡単に試合で勝てるでしょう。しかし、後者が練習を重ね、チェスの知識(序盤の定石など)を得たら、知識を持たない前者をすぐに打ち負かすようになります。どんな教科であっても、望みさえすれば成績を伸ばすことができます。ただ、その教科について学ぶ必要があるということなのです。また、「頭のいい人は間違いをしない」という2つ目の仮定は大間違いです。この世界のどこに間違いをしない人がいるというのでしょう? おそらく、頭がよく見える人は自分よりも間違いが少ないだけで、それも、その人ががんばって学習したからなのです。ときどき「自分は課題図書を読んでないし、試験勉強もしていない」などとアピールする人がいますが、なぜそんなことをするのかと言うと「かしこい人は生まれつきなのであって、自分はがんばったって仕方がない」と信じているからです。人生のまさにすべてを学生または教師として学校で過ごしてきた私から言わせてもらえば、勉強ができる学生は、ほぼ例外なくがんばって学んでいます。そこには、よくできていない箇所を見つけて、必要なところにエネルギーを集中させられるようにすることも含まれます。オールAを取る人は、自分の間違いから学ぶことを恐れない人です。試験の間違いを直視すると自分はバカだと思うかもしれませんが、実際、頭のいい人も同じことをやっています。忘れないように、親もそのことを指摘してください。また、自分がどれだけのことを成し遂げたのかも、心に刻んでおきましょう。たしかに目標達成のために必要なことを甘く見積もっていたかもしれませんが、ここまで成し遂げたことが否定されるわけではありません。そして、あなたの夢は、その小さな試験でAをとることではなく、目標はもっと大きく、長い道のりの先にあるはずです。1回のつまずきであきらめている場合ではありません。間違えてもすぐに何が正解かを調べないそれでも、失敗したテストに向き合うのにひどく抵抗があるようなら、次に紹介する方法を試してください。最初の抵抗感を減らすため、まずは間違いの分類だけをやろうと決めてください。次の8つに分類します。 その問題が試験に出たことに驚いた (選択式問題の)選択肢がどれも正解と思えない それが正解であることはよくわかっているけれど、思い出せなかった この問題はある概念を問うものだと言うが、自分もその概念については勉強していたのに、そのときにはどう関連するのかがわからなかった バカな間違いをした なぜ自分の答えが間違いなのか? 理由がわからない 考えすぎていた 引っかけ問題だったすぐに正解を調べると自分の解答を正当化したくなりますので、やめましょう。間違った問題を分類することだけに徹します。情けなくなって自分を責め始めたら、「私がやっているのは、勉強のできる人が試験の後にやることと同じことなんだ。気分はよくないけれど、やるべきことだ」と声に出して言いましょう。それから時間を置いて、今度は自分がなぜその問題を間違ったのかを正確に把握するために、課題図書や(必要に応じて)自分のノートに書かれた内容を見ましょう。このときに、先ほど行った問題の分類を変更してもかまいません。その後また時間を置いて、自分の間違いに共通点があるかどうかを確認しましょう。さっさと終わらせてしまいたいのに、作業をこうして別々の時間に分けるのは気が滅入るかもしれませんが、作業を細かく分けると、それだけ怖さも減ります。(ダニエル・T・ウィリンガム : 心理学者)
こうした映画は、主人公が自分の力をひどく誤解している――要は「頭がいいのにそれに気づいていない」という前提を観客が受け入れるかどうかにかかっています。ところが、たいていの人は自分も主人公と同じだとは思いません。
「私の場合は単純で、勉強ができないのは頭が悪いせいだから。映画みたいになったことなんてないよ。だって成績が悪いんだもん」
自信のなさは、学校の勉強がうまくいくかどうかに影響していきます。1つには、それによって失敗のとらえ方が変わること。
自分のことをデキる学習者だと思っている大学生は、試験で失敗しても、今回は勉強が十分でなかったんだろう、次はがんばっていい成績をとろうと考えます。一方、自分はこの大学にふさわしくないと思っているような学生は、成績を落とすと「やっぱりね……」と思ってしまうかもしれません。
自信は、将来の志望にも影響します。たとえば、看護師になるのが昔からの夢だという人が、自分は出来の悪い学生だと思い込んだために、看護学校の卒業は無理だと判断して他の職業を選ぶということもあるかもしれません。
「頭のよさは遺伝によってほぼ決まっており、後から変えることはまず不可能だ」と多くの人が思っています。かしこい人はがんばって勉強したからかしこいのではなく、いい遺伝子を持っているからかしこいのだと。
したがって、勉強に必死になるのは、自分があまりかしこくないからだということになります。ならば、勉強をがんばったのに試験に落ちたら、目も当てられなくなる……。
勉強したのに悪い成績を取ってしまったら、まずいこと(頭の悪さ)が暴かれてしまうから、「忙しすぎて試験勉強をやる時間がなかった!」という言い訳を用意するのです。
たしかに、頭のよさは遺伝で決まる部分もありますが、何をやるかによっても左右されます。頭のよさは改善できるのであり、だからこそ学習をするのです。「頭がよければ勉強する必要はない」も「試験に落ちたのはバカだから」も間違いです。
「たいていの人は批判によって救われるよりも、褒め言葉によってダメになるほうを選ぶ」と、アメリカの作家ノーマン・ヴィンセント・ピールも言っています。失敗したテストから自虐的な結論を導き出す人は、学校教育や頭の良さに対して、このような見方をしています。
頭がいいか悪いかは生まれつきで決まっており、変えることができない 頭のいい人は間違いをしない
頭のよさを変えることができるかどうかについて、研究ではどう言われているでしょうか。頭のよさは「知識の量」と「情報をどれだけ容易かつ素早く処理できるか」という2つの要素によって決まります。
この2つ目の要素――「頭の回転の速さ」と言ってもいいでしょう――は、おそらく変えられません。
これまでも頭の回転を改善する訓練プログラムを開発しようとする人はいたのですが、今のところ成功した例はありません。
もう1つの要素である知識量については、簡単に変えることができます。情報を多く学べば、それだけ頭もよくなるのです。ただ、頭の回転の速い人が新しい課題を難なくやってのけるのを目の当たりにすると、そうでない私たちは落ち込んでしまうこともあるでしょう。
たとえば、チェスのやり方を覚える場合、頭の回転の速い人のほうが習得は早く、簡単に試合で勝てるでしょう。しかし、後者が練習を重ね、チェスの知識(序盤の定石など)を得たら、知識を持たない前者をすぐに打ち負かすようになります。
どんな教科であっても、望みさえすれば成績を伸ばすことができます。ただ、その教科について学ぶ必要があるということなのです。
また、「頭のいい人は間違いをしない」という2つ目の仮定は大間違いです。この世界のどこに間違いをしない人がいるというのでしょう? おそらく、頭がよく見える人は自分よりも間違いが少ないだけで、それも、その人ががんばって学習したからなのです。
ときどき「自分は課題図書を読んでないし、試験勉強もしていない」などとアピールする人がいますが、なぜそんなことをするのかと言うと「かしこい人は生まれつきなのであって、自分はがんばったって仕方がない」と信じているからです。
人生のまさにすべてを学生または教師として学校で過ごしてきた私から言わせてもらえば、勉強ができる学生は、ほぼ例外なくがんばって学んでいます。そこには、よくできていない箇所を見つけて、必要なところにエネルギーを集中させられるようにすることも含まれます。
オールAを取る人は、自分の間違いから学ぶことを恐れない人です。試験の間違いを直視すると自分はバカだと思うかもしれませんが、実際、頭のいい人も同じことをやっています。忘れないように、親もそのことを指摘してください。
また、自分がどれだけのことを成し遂げたのかも、心に刻んでおきましょう。
たしかに目標達成のために必要なことを甘く見積もっていたかもしれませんが、ここまで成し遂げたことが否定されるわけではありません。
そして、あなたの夢は、その小さな試験でAをとることではなく、目標はもっと大きく、長い道のりの先にあるはずです。1回のつまずきであきらめている場合ではありません。
それでも、失敗したテストに向き合うのにひどく抵抗があるようなら、次に紹介する方法を試してください。
最初の抵抗感を減らすため、まずは間違いの分類だけをやろうと決めてください。次の8つに分類します。
その問題が試験に出たことに驚いた (選択式問題の)選択肢がどれも正解と思えない それが正解であることはよくわかっているけれど、思い出せなかった この問題はある概念を問うものだと言うが、自分もその概念については勉強していたのに、そのときにはどう関連するのかがわからなかった バカな間違いをした なぜ自分の答えが間違いなのか? 理由がわからない 考えすぎていた 引っかけ問題だった
すぐに正解を調べると自分の解答を正当化したくなりますので、やめましょう。間違った問題を分類することだけに徹します。
情けなくなって自分を責め始めたら、「私がやっているのは、勉強のできる人が試験の後にやることと同じことなんだ。気分はよくないけれど、やるべきことだ」と声に出して言いましょう。
それから時間を置いて、今度は自分がなぜその問題を間違ったのかを正確に把握するために、課題図書や(必要に応じて)自分のノートに書かれた内容を見ましょう。このときに、先ほど行った問題の分類を変更してもかまいません。その後また時間を置いて、自分の間違いに共通点があるかどうかを確認しましょう。
さっさと終わらせてしまいたいのに、作業をこうして別々の時間に分けるのは気が滅入るかもしれませんが、作業を細かく分けると、それだけ怖さも減ります。
(ダニエル・T・ウィリンガム : 心理学者)