「反社」という言葉は定着したが、詳しい実態まで把握している方は多くないだろう。その基礎知識をおさえておきたい、という向きにうってつけの本が出た。山川光彦著『令和の山口組』(新潮新書)。そこでは、「最大の反社集団」を巡る疑問にどう答えているのか。【山川光彦/フリーライター】
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【写真を見る】今では考えらえれない! 美空ひばりの会見に山口組の田岡一雄氏が同席 Q1.山口組の創始者はどんな人ですか? 山口組の創始者は、その名も山口春吉と言います。

瀬戸内海に浮かぶ兵庫県淡路島で漁師として生計を立てていましたが、貧しい漁師暮らしに見切りをつけ、職を求めて神戸へ移ります。 春吉が神戸に渡った時は25歳。日露戦争の直後で日本有数の貿易港として活況を呈していた神戸には、周辺の農漁村から春吉のように一獲千金を夢見る人々が多数、流入していました。「山菱」の代紋を背負う司組長 港での荷揚げという、当時ほぼすべてが人力の厳しい労働をこなす日雇いの労務者には、彼らを統率する強力なリーダーが必要でした。なにしろ狭くて蒸し暑い船倉から石炭や重機を人力で運び出すのですから、腕力自慢の荒くれ者でないと務まりません。春吉は労働者を束ねる頭領として信用を集め、頭角を現していきます。そして、荷揚げ人足を束ねる「組」として「山口組」を旗揚げします。この「組」は、土木業に端を発する、大林組とかの「組」と同じ意味合いでした。 山口組の始まりは正業の事業であり、最下層の労働者の中から立ち上がった集団だったことは特筆に値します。山口組が「近代ヤクザの典型」といわれるのもそのためです。 以来、山口組はミナト神戸での荷役と市場での運搬、春吉が愛好し庶民の数少ない娯楽として近隣から歓迎された浪曲や相撲の興行という二枚看板の事業を全国にまで拡大、成長させていきます。これが、敗戦後に山口組が急成長する経済基盤となったのです。本家の組員の人数は?Q2.山口組本家の組員とはどんな人たちで、何人いますか? 六代目山口組の組員は準構成員を含め現在8100人(正構成員は3800人、2022年末)いるとされていますが、「山口組本家」の組員は、たった52人しかいません。名刺に六代目山口組の「山菱」の代紋を使用できるのも彼ら一握りのエリートだけです。 本家の組員とは、本家親分(現・司忍組長)と直接、親子、舎弟(弟分)の盃を交わし、擬似的血縁関係で結ばれた直参(じきさん)と呼ばれる、若い衆=直系組長を指します。この直系組長がそれぞれ自分の組に盃を交わした若い衆を引き入れて活動し(2次団体)、さらに2次団体の上級組員はみずからの組を構えて若い衆を抱える。このようにピラミッド式に3次、4次団体と裾野が広がっていき、幾重にも階層をなしているのです。組長の仕事の内容とはQ3.組織の運営はどうなされているのですか? 現在の山口組は取締役会にあたる「執行部」(現在、10人)が組長の承認を得て運営にあたっています。そのなかでも子分の「長男」にあたる「若頭」の権限は絶大で、企業なら、最高経営責任者(CEO)にあたる役回りです。Q4.組長の仕事は何ですか? 組ごとの差配をするのが若頭とそれを補佐するメンバーなのだとしたら、組長は日頃、何をしているのでしょう。 月に1回、総本部である神戸市内の「本家」に全国から直系組長が参集して開かれる「定例会」には組長が一同の前に姿を現します。ですが、会の冒頭だけです。もとよりトップが訓話を垂れることも何かを協議することもなく、「雲の上の人」である親分が「お目見え」することに意義があるとされます。天下の山口組の直参でいられる“栄光”を親分に感謝する場というわけで、組織の結束が目的です。 また、執行部が決めた人事や方針は組長の承諾を得る必要があります。ただし、組長は象徴的な権威であり、身内にあっては「元気で居てくれるだけでありがたい」、組を束ねる精神的な指導者といっていいでしょう。 対外的には、組織の代表者ですから、外交儀礼の場で雲の上の組長が「降りてきて」客人の応接にあたれば、最上級のもてなしとなります。なぜこれほどの大組織に?Q5.「ヤクザの2人に1人が山口組」といわれるほど組織が大きくなったのはなぜですか? 中興の祖とされる三代目の田岡一雄といえば、高倉健が田岡役を演じて大ヒットした東映任侠映画「山口組三代目」(1973年)でご記憶の方もいるでしょう。 田岡が組織原理として打ち出したのは「事業と軍団の分離」でした。これが敵対する警察当局からも「先見的」な戦略と称されたのは、配下の「企業舎弟」に港湾労務者を管理させる一方で、これら実業部門で稼いだ資金を抗争部門に惜しみなく「投資」することで、山口組が進出する先の地元勢力の度肝を抜く、組員の「大量動員」方式を確立することに寄与したからです。 田岡が三代目を襲名した46年以降、山口組は「全国制覇」へとひた走り、60年代には日本最大の暴力団組織へと駆け上がるに至ります。主に昭和年間に業界の内外に印象付けられた好戦的な「山菱」ブランドが、今でも固有の経営資源となっているのです。主な資金源はQ6.主な資金源は何でしょうか? 山口組は、64年の東京オリンピックを機に本格化する警察の「第1次頂上作戦」のあおりを受け、正業分野である港湾と興行において傘下企業の大半を失います。ただ、組の息のかかった者が実質的に経営する倒産整理、金融、不動産、土建、解体業など「フロント企業」という形態により首都圏を含めた列島各地への進出はむしろ加速したのです。 バブル景気華やかなりし頃は、「地上げ」を含めた土地開発や入札調整、仕手筋と手を携えての株価操作など、大型の「民暴」(民事介入暴力)が盛行しました。この分野でも、全国区の山口組の暴力イメージが、取引の障壁となる相手を黙らせるのに多大な威力を発揮したのです。 もとより、恐喝、博打(ノミ行為も)、用心棒代(みかじめ料)、薬物取引など、伝統的な食い扶持も維持されてきたことは言うまでもありません。芸能界との関係Q7.芸能界との関係はどうなっているのですか? 山口組は戦前より、吉本興業の創業者吉本せいを後援するなど、興行の世界にその名をなしていましたが、戦後に「神戸芸能社」を設立し、興行界の大立者として君臨したのが、三代目の田岡でした。田岡は、親交を深めた相手とは愛人の住所まで知らされるほど深く付き合ったとされます。 81年に田岡が死去した際、一般人向けの葬儀に参列した中には、「後見人」として庇護下においた美空ひばりをはじめ、勝新太郎、鶴田浩二、菅原文太らの姿がありました。芸能人とのこうした人脈は、田岡亡き後も多かれ少なかれ、その部下たちに受け継がれていきましたが、2008年に山口組傘下の大物組長として知られた後藤忠政組長の誕生パーティー・ゴルフコンペに、小林旭、細川たかし、角川博、松原のぶえ、中条きよしら芸能人が参加していたことが「週刊新潮」のスクープで発覚。これを受けてNHKが番組への出演自粛を申し渡した騒動が、一つの転機となりました。「蜜月」にとどめを刺したのは、その3年後、山口組最高幹部との交際を理由に、吉本興業の人気タレント島田紳助が芸能界から引退した一件でしょう。山口組とは戦前から因縁浅からぬものがあった吉本興業の稼ぎ頭といえども、ヤクザとの交際を断ち切らなければテレビ出演から弾き出される時代の到来を告げました。「民主党を応援せよ」Q8.政治家との関係はどうなっていますか? 戦前、ヤクザあがりの代議士が帝国議会でにらみを利かせる光景は当たり前でした。山口組二代目組長の山口登は政友会の大物・田中義一とは首相官邸への出入りを許される仲で、のちに首相となる犬養毅も後援。神戸の顔役として存在感を示します。 三代目の田岡は神戸港の復興に向けて運輸省をはじめ中央官庁との折衝に奔走しますが、その過程で、安倍首相の祖父である岸信介や後に首相となった佐藤栄作、建設相等を歴任した河野一郎ら有力政治家と親交を持ちます。「警察がある組事務所を家宅捜索したとき、その事務所から内閣が二つできるくらいの政治家の名刺が出てきた」といわれるほど、裏社会のドンとして密かに政財界と良好な関係を築いていたのです。 もとより、全国各地で地域に根を張る有力幹部や系列右翼団体が集票の取りまとめ、あるいはライバル候補への選挙妨害の面で政治家に重宝されたという事実もあります。近年においてもそうしたことがわずかに続いている片鱗をうかがわせたのが、民主党政権が誕生した総選挙で、「民主党を応援せよ」との内示があったと山口組大物組長が一部マスコミに漏らしたことでしょう。「半グレ」との力関係Q9.山口組と「半グレ」は敵対しているのですか? ヤクザ組織を向こうに回して隆盛を誇った「関東連合」など半グレ集団の多くは、「準暴力団」として当局から集中摘発を受け、いったん壊滅するのですが、その後に、彼らが忌み嫌っていたはずのヤクザ組織と奇妙な共存共栄の関係を結ぶに至ります。両者の関係について、ある山口組幹部はこう解説してくれました。「半グレの連中と山口組が盛り場のキャッチやぼったくりバー、飲食店の面倒見などでバッティングしていた時期もあるけど、いまは力関係次第かな。大都市でいえば、東京は最近摘発を受けた大規模キャッチグループも含めて住吉会系の有力組織が彼らを手なずけているし、名古屋や大阪は山口組の系列だね。力のある組織はカネ儲けに長けた半グレを大なり小なり後押しして、見込みのある者には『個人的な舎弟盃』を与えることもあるけど、正式な親子盃は交わしてないから(警察に暴力団員として)登録もされないし、互いにメリットがあるわけだ」 かつての暴走族あがりに代わって、元半グレが有力系列組織の人材供給源にもなっているようです。福利厚生Q10.山口組の2次団体である名古屋の弘道会の本部事務所にはプール付きのジムが設けられているというのは本当ですか? 業界では有名な話です。それはスポーツ万能の司組長のためであると同時に、刺青などで一般の施設を利用できない組員のためにも開放されます。福利厚生については同会のOBもこう解説しています。「弘道会では、組織の面子を懸けたけんかで服役した組員には、懲役と同じ年数は『面倒見』する暗黙のしきたりがあります。20年の長期服役なら、その間の家族の生活の面倒は言うに及ばず、当人が出所した際に住居と組を持たせて、その労に報います。亭主が服役中の極妻たちを集めてハワイだかグアムだかへ慰安旅行に連れていったことも。福利厚生がしっかりしているから、組員も安心して懲役に行ける道理です」Q11.弘道会が「福利厚生」を重視するのはなぜですか? 細やかな福利厚生は、もとより慈善事業でやっているわけではありません。 民間企業なら、取引相手に信頼され、会社の信用と利益を向上させた社員が評価されるでしょうが、ヤクザの世界では当該組織の暴力的威力を維持、向上させる「戦闘員」が重宝されます。 弘道会の組員が「山口組のため」ではなく「弘道会のため」に尽くすのは、前項で説明したように組員の家族まで対象となる、徹底した「報恩システム」があるがためです。いまも抗争が終わらない理由Q12.山口組が分裂し、いまも抗争が終わらない理由は何ですか? 15年夏、「六代目」でかつて執行部メンバーとして運営に携わっていた重鎮たちが古巣を割って出て「神戸山口組」を旗揚げします。当初、彼らからよく聞かれた本音のひとつに「去るも地獄、残るも地獄」という名言(?)がありました。彼らのいうところの「弘道会支配」という悪政に耐えるのも苦痛なら、自分たちの(子が親を捨てるのに等しい)非を承知で組を出ていくのも苦痛、と言いたかったようです。 造反の首謀者たちから聞こえてきたのは「(高山氏の政治は)斬り捨て御免だ」という義憤ともつかぬ恨みつらみでした。司組長から政治の舵取りを任された高山清司若頭の組織運営は、五代目時代までの政治とはうってかわって、「選択と集中」が基本方針となりました。警察当局に付け込まれないために、しっかりした組織だけを残して、組の会費が滞るような弱小組織は容赦なくお取り潰しの憂き目に遭うのです。これが、五代目時代までのぬるま湯につかっていた直参にとってはカルチャーショックを通り越して、高山氏が「独裁者」然と映ったのは無理もありません。高山氏が引退しない限り… 一方、高山氏の組織改革の真の狙いは権力構造の刷新にありました。渡辺芳則五代目の旧政権で横行した組長側近=「組長秘書グループ」による「政治の私物化」を一掃すること。歪んだ「二重権力」状態の復活を阻止するために、自分以外の執行部メンバーと組長との接触を禁じます。が、「われらこそ存分に運営に力を振るえる」と意気込んでいた執行部の重鎮メンバーからは大いなる不興を買います。組長を動かすのは高山氏ひとりの専権事項となり、他の重鎮は「顧問」など形ばかりの窓際に追いやられ、遅かれ早かれお役御免となり、放り出される。かつての栄耀栄華の時代へのノスタルジーさりがたき守旧派の頭目たちが感じた不安は想像に余りあります。 いまも反六代目の旗を掲げ続けている分裂の首謀者は、「高山若頭がやめれば(離反騒動は)終わる」、つまり、不倶戴天の敵となった高山氏が引退して「六代目」から去れば、われわれも引退して、分裂抗争は終わると言っており、裏を返せば、高山氏が「専制」の非を認めて引退しない限り、あるいは反六代目の首領が生きている限り、分裂抗争はいつまでたっても終わらないことになります。なぜ潰さないのか?Q13.金ピカイメージがある山口組系の組長までが困窮しているというのは本当ですか? バブル崩壊後の1991年に暴力団対策法がつくられ、暴力団排除条例が全国的に実施された2011年以降、彼らの存在は一般社会から切り離されていくようになりました。山口組も例外ではなく、シノギ厳冬の時代を象徴する事件が相次ぎます。 19年に、息子が経営する尼崎市の鉄板焼き店を手伝っていた神戸山口組の幹部が、「六代目」系元組員に自動小銃で射殺されましたが、この幹部はシノギに困り、借金でもあったのか組織から脱退することも許されず、実質的に店の経営で生計を立てていたようです。「六代目」にしても事情は同じで、近年、関西地方を荒らし回っていた高級車窃盗団が摘発を受けましたが、主犯格は「六代目」傘下組織の組長でした。その組織は名門テキヤの系譜を継ぐ名跡の傘下だったのですが、「暴排」で祭礼からテキヤ系組織が排除されたこともあり、組織ごと窃盗団に鞍替えした模様です。 困窮に陥っているのはなにも正業の不振によるだけではなく、最近では、組員の生活に直結する電気・ガス・水道などライフラインにも規制が及ぼうとしているからでもあります。Q14.いっそのこと警察が山口組を潰さないのは、なぜですか? ふりかえれば、山口組は先述した当局の「頂上作戦」の発動時に、全国のヤクザ団体が解散に追い込まれるなかで、ほぼ唯一解散を固辞したことで知られます。 最近では、当局からテロ集団と見なされ、「壊滅作戦」の集中砲火を浴びて大打撃を受けた「工藤會」の例がありますが、それに続いて山口組が壊滅作戦のターゲットになる可能性もあるでしょう。 ですが、「半グレ」集団と違って登録会員や指揮系統のはっきりした「目に見える集団」である結社を残したほうが、治安維持を担う警察にとってもコントロールしやすく、メリットのほうが優ると判断されるなら、そうはならないかもしれません。 それ以前に、シノギの大半を失った組織とその構成員が「沈みゆく船」から逃げ出してしまう未来図のほうがリアルではないでしょうか。山川光彦(やまかわみつひこ)フリーライター。本誌(「週刊新潮」)で連載した「異端のマネジメント研究 山口組ナンバー2『高山清司』若頭の組織運営術」が話題に。『令和の山口組』(新潮新書)が初の単著「週刊新潮」2023年12月28日号 掲載
Q1.山口組の創始者はどんな人ですか?
山口組の創始者は、その名も山口春吉と言います。
瀬戸内海に浮かぶ兵庫県淡路島で漁師として生計を立てていましたが、貧しい漁師暮らしに見切りをつけ、職を求めて神戸へ移ります。
春吉が神戸に渡った時は25歳。日露戦争の直後で日本有数の貿易港として活況を呈していた神戸には、周辺の農漁村から春吉のように一獲千金を夢見る人々が多数、流入していました。
港での荷揚げという、当時ほぼすべてが人力の厳しい労働をこなす日雇いの労務者には、彼らを統率する強力なリーダーが必要でした。なにしろ狭くて蒸し暑い船倉から石炭や重機を人力で運び出すのですから、腕力自慢の荒くれ者でないと務まりません。春吉は労働者を束ねる頭領として信用を集め、頭角を現していきます。そして、荷揚げ人足を束ねる「組」として「山口組」を旗揚げします。この「組」は、土木業に端を発する、大林組とかの「組」と同じ意味合いでした。
山口組の始まりは正業の事業であり、最下層の労働者の中から立ち上がった集団だったことは特筆に値します。山口組が「近代ヤクザの典型」といわれるのもそのためです。
以来、山口組はミナト神戸での荷役と市場での運搬、春吉が愛好し庶民の数少ない娯楽として近隣から歓迎された浪曲や相撲の興行という二枚看板の事業を全国にまで拡大、成長させていきます。これが、敗戦後に山口組が急成長する経済基盤となったのです。
Q2.山口組本家の組員とはどんな人たちで、何人いますか?
六代目山口組の組員は準構成員を含め現在8100人(正構成員は3800人、2022年末)いるとされていますが、「山口組本家」の組員は、たった52人しかいません。名刺に六代目山口組の「山菱」の代紋を使用できるのも彼ら一握りのエリートだけです。
本家の組員とは、本家親分(現・司忍組長)と直接、親子、舎弟(弟分)の盃を交わし、擬似的血縁関係で結ばれた直参(じきさん)と呼ばれる、若い衆=直系組長を指します。この直系組長がそれぞれ自分の組に盃を交わした若い衆を引き入れて活動し(2次団体)、さらに2次団体の上級組員はみずからの組を構えて若い衆を抱える。このようにピラミッド式に3次、4次団体と裾野が広がっていき、幾重にも階層をなしているのです。
Q3.組織の運営はどうなされているのですか?
現在の山口組は取締役会にあたる「執行部」(現在、10人)が組長の承認を得て運営にあたっています。そのなかでも子分の「長男」にあたる「若頭」の権限は絶大で、企業なら、最高経営責任者(CEO)にあたる役回りです。
Q4.組長の仕事は何ですか?
組ごとの差配をするのが若頭とそれを補佐するメンバーなのだとしたら、組長は日頃、何をしているのでしょう。
月に1回、総本部である神戸市内の「本家」に全国から直系組長が参集して開かれる「定例会」には組長が一同の前に姿を現します。ですが、会の冒頭だけです。もとよりトップが訓話を垂れることも何かを協議することもなく、「雲の上の人」である親分が「お目見え」することに意義があるとされます。天下の山口組の直参でいられる“栄光”を親分に感謝する場というわけで、組織の結束が目的です。
また、執行部が決めた人事や方針は組長の承諾を得る必要があります。ただし、組長は象徴的な権威であり、身内にあっては「元気で居てくれるだけでありがたい」、組を束ねる精神的な指導者といっていいでしょう。
対外的には、組織の代表者ですから、外交儀礼の場で雲の上の組長が「降りてきて」客人の応接にあたれば、最上級のもてなしとなります。
Q5.「ヤクザの2人に1人が山口組」といわれるほど組織が大きくなったのはなぜですか?
中興の祖とされる三代目の田岡一雄といえば、高倉健が田岡役を演じて大ヒットした東映任侠映画「山口組三代目」(1973年)でご記憶の方もいるでしょう。
田岡が組織原理として打ち出したのは「事業と軍団の分離」でした。これが敵対する警察当局からも「先見的」な戦略と称されたのは、配下の「企業舎弟」に港湾労務者を管理させる一方で、これら実業部門で稼いだ資金を抗争部門に惜しみなく「投資」することで、山口組が進出する先の地元勢力の度肝を抜く、組員の「大量動員」方式を確立することに寄与したからです。
田岡が三代目を襲名した46年以降、山口組は「全国制覇」へとひた走り、60年代には日本最大の暴力団組織へと駆け上がるに至ります。主に昭和年間に業界の内外に印象付けられた好戦的な「山菱」ブランドが、今でも固有の経営資源となっているのです。
Q6.主な資金源は何でしょうか?
山口組は、64年の東京オリンピックを機に本格化する警察の「第1次頂上作戦」のあおりを受け、正業分野である港湾と興行において傘下企業の大半を失います。ただ、組の息のかかった者が実質的に経営する倒産整理、金融、不動産、土建、解体業など「フロント企業」という形態により首都圏を含めた列島各地への進出はむしろ加速したのです。
バブル景気華やかなりし頃は、「地上げ」を含めた土地開発や入札調整、仕手筋と手を携えての株価操作など、大型の「民暴」(民事介入暴力)が盛行しました。この分野でも、全国区の山口組の暴力イメージが、取引の障壁となる相手を黙らせるのに多大な威力を発揮したのです。
もとより、恐喝、博打(ノミ行為も)、用心棒代(みかじめ料)、薬物取引など、伝統的な食い扶持も維持されてきたことは言うまでもありません。
Q7.芸能界との関係はどうなっているのですか?
山口組は戦前より、吉本興業の創業者吉本せいを後援するなど、興行の世界にその名をなしていましたが、戦後に「神戸芸能社」を設立し、興行界の大立者として君臨したのが、三代目の田岡でした。田岡は、親交を深めた相手とは愛人の住所まで知らされるほど深く付き合ったとされます。
81年に田岡が死去した際、一般人向けの葬儀に参列した中には、「後見人」として庇護下においた美空ひばりをはじめ、勝新太郎、鶴田浩二、菅原文太らの姿がありました。芸能人とのこうした人脈は、田岡亡き後も多かれ少なかれ、その部下たちに受け継がれていきましたが、2008年に山口組傘下の大物組長として知られた後藤忠政組長の誕生パーティー・ゴルフコンペに、小林旭、細川たかし、角川博、松原のぶえ、中条きよしら芸能人が参加していたことが「週刊新潮」のスクープで発覚。これを受けてNHKが番組への出演自粛を申し渡した騒動が、一つの転機となりました。
「蜜月」にとどめを刺したのは、その3年後、山口組最高幹部との交際を理由に、吉本興業の人気タレント島田紳助が芸能界から引退した一件でしょう。山口組とは戦前から因縁浅からぬものがあった吉本興業の稼ぎ頭といえども、ヤクザとの交際を断ち切らなければテレビ出演から弾き出される時代の到来を告げました。
Q8.政治家との関係はどうなっていますか?
戦前、ヤクザあがりの代議士が帝国議会でにらみを利かせる光景は当たり前でした。山口組二代目組長の山口登は政友会の大物・田中義一とは首相官邸への出入りを許される仲で、のちに首相となる犬養毅も後援。神戸の顔役として存在感を示します。
三代目の田岡は神戸港の復興に向けて運輸省をはじめ中央官庁との折衝に奔走しますが、その過程で、安倍首相の祖父である岸信介や後に首相となった佐藤栄作、建設相等を歴任した河野一郎ら有力政治家と親交を持ちます。「警察がある組事務所を家宅捜索したとき、その事務所から内閣が二つできるくらいの政治家の名刺が出てきた」といわれるほど、裏社会のドンとして密かに政財界と良好な関係を築いていたのです。
もとより、全国各地で地域に根を張る有力幹部や系列右翼団体が集票の取りまとめ、あるいはライバル候補への選挙妨害の面で政治家に重宝されたという事実もあります。近年においてもそうしたことがわずかに続いている片鱗をうかがわせたのが、民主党政権が誕生した総選挙で、「民主党を応援せよ」との内示があったと山口組大物組長が一部マスコミに漏らしたことでしょう。
Q9.山口組と「半グレ」は敵対しているのですか?
ヤクザ組織を向こうに回して隆盛を誇った「関東連合」など半グレ集団の多くは、「準暴力団」として当局から集中摘発を受け、いったん壊滅するのですが、その後に、彼らが忌み嫌っていたはずのヤクザ組織と奇妙な共存共栄の関係を結ぶに至ります。両者の関係について、ある山口組幹部はこう解説してくれました。
「半グレの連中と山口組が盛り場のキャッチやぼったくりバー、飲食店の面倒見などでバッティングしていた時期もあるけど、いまは力関係次第かな。大都市でいえば、東京は最近摘発を受けた大規模キャッチグループも含めて住吉会系の有力組織が彼らを手なずけているし、名古屋や大阪は山口組の系列だね。力のある組織はカネ儲けに長けた半グレを大なり小なり後押しして、見込みのある者には『個人的な舎弟盃』を与えることもあるけど、正式な親子盃は交わしてないから(警察に暴力団員として)登録もされないし、互いにメリットがあるわけだ」
かつての暴走族あがりに代わって、元半グレが有力系列組織の人材供給源にもなっているようです。
Q10.山口組の2次団体である名古屋の弘道会の本部事務所にはプール付きのジムが設けられているというのは本当ですか?
業界では有名な話です。それはスポーツ万能の司組長のためであると同時に、刺青などで一般の施設を利用できない組員のためにも開放されます。福利厚生については同会のOBもこう解説しています。
「弘道会では、組織の面子を懸けたけんかで服役した組員には、懲役と同じ年数は『面倒見』する暗黙のしきたりがあります。20年の長期服役なら、その間の家族の生活の面倒は言うに及ばず、当人が出所した際に住居と組を持たせて、その労に報います。亭主が服役中の極妻たちを集めてハワイだかグアムだかへ慰安旅行に連れていったことも。福利厚生がしっかりしているから、組員も安心して懲役に行ける道理です」
Q11.弘道会が「福利厚生」を重視するのはなぜですか?
細やかな福利厚生は、もとより慈善事業でやっているわけではありません。
民間企業なら、取引相手に信頼され、会社の信用と利益を向上させた社員が評価されるでしょうが、ヤクザの世界では当該組織の暴力的威力を維持、向上させる「戦闘員」が重宝されます。
弘道会の組員が「山口組のため」ではなく「弘道会のため」に尽くすのは、前項で説明したように組員の家族まで対象となる、徹底した「報恩システム」があるがためです。
Q12.山口組が分裂し、いまも抗争が終わらない理由は何ですか?
15年夏、「六代目」でかつて執行部メンバーとして運営に携わっていた重鎮たちが古巣を割って出て「神戸山口組」を旗揚げします。当初、彼らからよく聞かれた本音のひとつに「去るも地獄、残るも地獄」という名言(?)がありました。彼らのいうところの「弘道会支配」という悪政に耐えるのも苦痛なら、自分たちの(子が親を捨てるのに等しい)非を承知で組を出ていくのも苦痛、と言いたかったようです。
造反の首謀者たちから聞こえてきたのは「(高山氏の政治は)斬り捨て御免だ」という義憤ともつかぬ恨みつらみでした。司組長から政治の舵取りを任された高山清司若頭の組織運営は、五代目時代までの政治とはうってかわって、「選択と集中」が基本方針となりました。警察当局に付け込まれないために、しっかりした組織だけを残して、組の会費が滞るような弱小組織は容赦なくお取り潰しの憂き目に遭うのです。これが、五代目時代までのぬるま湯につかっていた直参にとってはカルチャーショックを通り越して、高山氏が「独裁者」然と映ったのは無理もありません。
一方、高山氏の組織改革の真の狙いは権力構造の刷新にありました。渡辺芳則五代目の旧政権で横行した組長側近=「組長秘書グループ」による「政治の私物化」を一掃すること。歪んだ「二重権力」状態の復活を阻止するために、自分以外の執行部メンバーと組長との接触を禁じます。が、「われらこそ存分に運営に力を振るえる」と意気込んでいた執行部の重鎮メンバーからは大いなる不興を買います。組長を動かすのは高山氏ひとりの専権事項となり、他の重鎮は「顧問」など形ばかりの窓際に追いやられ、遅かれ早かれお役御免となり、放り出される。かつての栄耀栄華の時代へのノスタルジーさりがたき守旧派の頭目たちが感じた不安は想像に余りあります。
いまも反六代目の旗を掲げ続けている分裂の首謀者は、「高山若頭がやめれば(離反騒動は)終わる」、つまり、不倶戴天の敵となった高山氏が引退して「六代目」から去れば、われわれも引退して、分裂抗争は終わると言っており、裏を返せば、高山氏が「専制」の非を認めて引退しない限り、あるいは反六代目の首領が生きている限り、分裂抗争はいつまでたっても終わらないことになります。
Q13.金ピカイメージがある山口組系の組長までが困窮しているというのは本当ですか?
バブル崩壊後の1991年に暴力団対策法がつくられ、暴力団排除条例が全国的に実施された2011年以降、彼らの存在は一般社会から切り離されていくようになりました。山口組も例外ではなく、シノギ厳冬の時代を象徴する事件が相次ぎます。
19年に、息子が経営する尼崎市の鉄板焼き店を手伝っていた神戸山口組の幹部が、「六代目」系元組員に自動小銃で射殺されましたが、この幹部はシノギに困り、借金でもあったのか組織から脱退することも許されず、実質的に店の経営で生計を立てていたようです。
「六代目」にしても事情は同じで、近年、関西地方を荒らし回っていた高級車窃盗団が摘発を受けましたが、主犯格は「六代目」傘下組織の組長でした。その組織は名門テキヤの系譜を継ぐ名跡の傘下だったのですが、「暴排」で祭礼からテキヤ系組織が排除されたこともあり、組織ごと窃盗団に鞍替えした模様です。
困窮に陥っているのはなにも正業の不振によるだけではなく、最近では、組員の生活に直結する電気・ガス・水道などライフラインにも規制が及ぼうとしているからでもあります。
Q14.いっそのこと警察が山口組を潰さないのは、なぜですか?
ふりかえれば、山口組は先述した当局の「頂上作戦」の発動時に、全国のヤクザ団体が解散に追い込まれるなかで、ほぼ唯一解散を固辞したことで知られます。
最近では、当局からテロ集団と見なされ、「壊滅作戦」の集中砲火を浴びて大打撃を受けた「工藤會」の例がありますが、それに続いて山口組が壊滅作戦のターゲットになる可能性もあるでしょう。
ですが、「半グレ」集団と違って登録会員や指揮系統のはっきりした「目に見える集団」である結社を残したほうが、治安維持を担う警察にとってもコントロールしやすく、メリットのほうが優ると判断されるなら、そうはならないかもしれません。
それ以前に、シノギの大半を失った組織とその構成員が「沈みゆく船」から逃げ出してしまう未来図のほうがリアルではないでしょうか。
山川光彦(やまかわみつひこ)フリーライター。本誌(「週刊新潮」)で連載した「異端のマネジメント研究 山口組ナンバー2『高山清司』若頭の組織運営術」が話題に。『令和の山口組』(新潮新書)が初の単著
「週刊新潮」2023年12月28日号 掲載