東京・羽田空港の滑走路上で日本航空と海上保安庁の航空機が衝突した死傷事故で、札幌市内の実家から東京都三鷹市の自宅に戻る途中に日航機に乗り合わせた会社役員の男性(63)が、当時の様子を語った。
日航機は2日午後4時15分頃、乗客367人と乗員12人を乗せて新千歳空港を飛び立った。男性の座席は前から8番目の右窓側。午後5時47分頃、羽田空港C滑走路に着陸したと思った瞬間、「ドン」という衝撃音と強い振動があり、「これは普通の着陸じゃない。ちゃんと止まればいいが」と思ったという。
機体は間もなく停止したが、主翼のエンジン部分が発火しているのが窓から見え、「やばい」と感じた。客室乗務員(CA)が冷静に対応し、取り乱しているような乗客は周辺にはいなかったという。
数分後に避難誘導があり、パソコンや財布などが入ったリュックを置いて前方右側の脱出用シューターに向かった。座席から近かったため、比較的早めに脱出できたが、シューターを滑り降りる際、途中で止まる乗客もいて避難の流れはやや詰まった。「機首が傾いていたからか、シューターの角度が緩くなっていた」という。
脱出後は、人数把握のため、10人ずつ手をつないで円陣を組むようCAから指示された。その後、機体への放水をいったん終えた消防車の後ろについて滑走路を横断するなどし、午後7時頃、ターミナルビルの出発ロビーに到着した。ここで、日航社員から住所や氏名などを書く連絡用の紙を渡された。
さらに、空港内のホテルの宴会場のような場所に移動後、クリームパンやおにぎり、毛布などの提供を受け、男性は午後9時半に退出できた。「そこに宿泊せざるを得なかった人もいたようだ」と話す。
「飛行機があそこまで焼け落ちるとは思いもしなかった。本当に恐ろしかった」と男性。ただ、「荷物を取り出そうとする人は、少なくとも自分の周りにはいなかったし、落ち着いて避難していた。(緊急時の対応策などを映像化した)機内安全ビデオを普段から何げなく見ていたので、本当に大切なのだと実感した」と話していた。