全国各地でクマによる被害が相次いだ2023年。被害に遭った人は19道府県で200人以上に及び、6人が犠牲となった(同年11月末時点)。しかし、元NHK自然番組ディレクターで、昨年早期退職して猟師になった黒田未来雄氏によれば、本来クマは臆病で、“無益な戦いは絶対にしない”生き物だという。話題の狩猟ノンフィクション『獲る 食べる 生きる 狩猟と先住民から学ぶ“いのち”の巡り』の著者でもある黒田氏が解説する“ヒグマのリアル”とは? 【全3回の第2回。第1回から続く】
【写真】ヒグマの胃から出てきた大量のサルナシ
* * * 昨年10月、北海道南部の大千軒岳(だいせんげんだけ)で3歳の雄グマが登山中の大学生と消防署員3名に襲いかかった事件は、今まで私が培ってきたヒグマの概念からは、想像できない“事件”だった。
大千軒岳のヒグマだけでなく、2023年はクマが世間を大いに騒がせた。被害者は環境省の速報によると11月末時点で212人(内、死亡6名)となっており、過去最悪の数値で推移している。
街中に現れるヒグマが増え、「アーバンベア」という言葉が流行語大賞のトップテン入りを果たし、街中に現れるヒグマが急増した。その大きな原因として指摘されているのが、ドングリなど、クマの主要な食べものである果実が不作だったことだ。
私は学術的な調査を行なっているわけではなく、猟師として、自分が猟場としている山を歩いた実感でしか語ることはできないが、確かに2023年の山の果実の実り具合は非常に悪いと感じている。
私が住んでいる地域はミズナラの林が多いのだが、地面に落ちているドングリは本当に少ない。集落の生き字引である、御年90歳ながらも現役で山に入って木を伐採されているご老人にお話を伺ったが、「こんなにナンもなってねぇ年は、90年生きてきて初めてだ」とおっしゃっていた。ドングリだけではない。ヤマブドウも木はたくさんあるのだが、実がなっているものは一握りだけだった。
そして何と言っても、ヒグマが最も好むのはサルナシ(北海道ではコクワと呼ばれる)だ。
ヒグマを撃つにあたって、私はまずその山のどこにサルナシが実っているかを詳細に把握するようにしている。それくらい、ヒグマにとって大切な果実だ。
実際、以前私が撃ったヒグマの胃を開けたところ、中身はほぼ100%サルナシだった。ムッとした甘い香りが周囲に立ち込め、よくここまでサルナシばかりを食べ歩いたものだと驚いた。
サルナシはキウイの近縁種で、大きさは3センチほど。緑色の果肉の中に黒い種の粒々が入っている様子から爽やかな風味まで、キウイにそっくりだ。北海道に自生する果実の中では最も甘いだろう。冬眠を前にして脂肪をたっぷりと蓄えなくてはならないヒグマにとって、またとない食べものだ。
そのサルナシが、実っていない。私が普段歩いている範囲には数百本のサルナシがあるが、2023年に実がなっているのを確認できたのは、たったの3本だけだった。もちろん、私の知らない場所もあるだろうし、実がなっていても気付かなかった可能性もある。それにしても、3本だけというのはあまりに少ない。
山の果実の不作について、原因は明確ではない。ただ、2023年の夏は異常に暑かったことは確かだ。エアコン無しで過ごすのが当たり前の北海道に於いて、気温が下がる夜中に扇風機を回し続けてもまだ寝苦しかった。この異常気象により、森の木々が影響を受けた可能性は高いだろう。
昨夏の高気温は、ヒグマにも大いに堪えたと思われる。
ヒグマは暑さが大の苦手。猛暑の折には山を登り、万年雪をたたえた雪渓付近で暮らすものもいる。2000メートル級の山が連なる大雪山系で私が見たヒグマは、気持ちよさそうに雪の上を転げ回り、雪をムシャムシャと頬張っていた。
意外に思えるかもしれないが、ヒグマにとって最も厳しい季節が夏だ。春に柔らかい新芽を出していた植物も夏には硬くなってしまい、果実が実ったりサケが遡上したりする秋はまだ先だ。見る影も無く痩せ細り、餓死する個体も出る程だ。
食料が欠乏している上に、容赦なく襲いかかる酷暑。未曾有の夏をなんとか生き延び、心待ちにしていた秋を迎えたにもかかわらず、例年ならたわわに実るはずの果実は山にない。ヒグマにとっては手痛いダブルパンチだ。彼らの受難は、夏から既に始まっていたと、私は考えている。
そうして極限にまで追い詰められたヒグマが、都市部まで出てくるようになったり、時に人を襲うようになったりした可能性は否めない。その根本的な原因は、地球温暖化を超え、「地球沸騰化」と称されるに至った異常気象にあるのではないか。クマが人間を襲う事例が増えてしまった現在の不幸な状況の、本当の責任は誰にあるのだろう。
世間を騒がせたヒグマといえば、次々と牛を殺し、駆除に尽力するベテランハンターの裏をかき続けた挙句、昨年7月に釧路町役場の職員によって駆除されたOSO18も記憶に新しい。
食べものの殆どが植物性のものだと考えられていたヒグマが、自ら牛を襲うのは異例の事態とされ、昨今はヒグマの肉食化が懸念されるようになってきた。手塩にかけて育てた牛が襲われるのは酪農家にとって大打撃であろうが、肉の味を覚えたヒグマが牛以外の哺乳類、つまりは人間をターゲットにし始めたら、と考えると更に恐ろしい。大千軒岳で登山者を襲ったヒグマも、そうした肉食化が進んだ結果と考えられないこともない。
ヒグマが肉の味を覚えるきっかけとして指摘されているのが、ハンターが山に放置するエゾシカの残滓だ。
捕獲した獲物は全て持ち帰るのが原則であり、やむを得ない場合は、適切に埋設することが義務付けられている。にもかかわらず、2022年には国有林内で100頭を超えるエゾシカの不法投棄が発見されるという事態も発生した。この場所はOSO18の出没地域とも重なっていたという。
本来は人に危害を加えるヒグマを駆除する立場にありながら、一部の心無きハンターが逆に危険なヒグマを生む環境を作り出しているのは、由々しき事態で、決して許されない。私を含むハンターの全てが襟を正し、法律の遵守やモラルの向上に努める必要性を強く感じている。
(第3回に続く)
【プロフィール】黒田未来雄(くろだ・みきお)/1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、三菱商事に入社。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤をきっかけに自らも狩猟を始める。2023年に早期退職。狩猟体験、講演会や授業、執筆などを通じ、狩猟採集生活の魅力を伝えている。著書に、『獲る 食べる 生きる 狩猟と先住民から学ぶ“いのち”の巡り』(小学館)。