インバウンド需要の回復で、日本を訪れる外国人観光客の数もコロナ前の水準に戻りつつあるが、最近、そんな彼らに人気を博しているのが日本の“ディープスポット巡り”という。なかでも大人気アニメの影響で注目を集めるのが、「江戸の花街」として知られる東京・吉原なのだとか――。
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【写真】「オーマイガー!」スウェーデン美女も驚いた“吉原ディープスポット巡り”密着撮 都内・台東区にある吉原はかつて江戸幕府公認の遊廓街として栄えたことで知られる。その吉原をめぐる外国人観光客向けのツアーガイドを昨年から「試験的に」始めたのが、元アイドルの渡辺まいりさん(32)だ。その渡辺さんがこう話す。

「アニメ化もされた漫画『鬼滅の刃』は日本だけでなく、海外でも大人気で、〈遊郭編〉という吉原遊廓が舞台となるパートが出てきます。その影響もあって私自身、これまで海外の友達などから“遊廓って、どんな場所なの?”と質問されることがよくありました」吉原を案内する渡辺さん 外国人たちの吉原への興味が想像以上だったため、渡辺さんは昨年、“吉原ツアー”の企画を構想。そして昨冬、知人のスウェーデン人女性・Mikanさん(23)とアメリカ人のトーマス(31)、台湾国籍のワン氏(23)の3人を吉原へ案内することになったという。 実際にそのツアーに同行してみると、外国人の意外な反応に驚く結果になった。小林一茶が詠んだ「柳」 ツアーは浅草の雷門からスタートしたが、渡辺さんは最初に歌川国芳の浮世絵などを見せながら「江戸時代から続く吉原の軌跡」を解説。興味津々の様子で浮世絵を食い入るように眺めていたツアー客らとともに、次に一行が向かったのは吉原大門交差点(台東区千束)だった。 交差点のそばには1本の柳の木が天に向かって伸びているが、これは京都の島原遊廓の門口にあった柳を真似たものと伝えられる。「吉原大門の柳は、俳人・小林一茶も歌を詠んだほど有名で、吉原から帰る客が名残惜しげに振り返る様子から『見返り柳』との名がついたそうです。いま立っている柳の木は江戸時代からのものでなく、のちの関東大震災や戦災などを経て植え替えられた“6代目”に当たり、道路や区画整理に伴って現在の場所に移されたといいます」(渡辺さん)「見返り柳」の目の前にはガソリンスタンドがあり、当時はその脇道が吉原遊廓の入り口へとつながる「五十間道」だったという。S字カーブを描いているのが特徴で、「表通りから遊廓の街並みが覗けない」(同)ようにするためだったとされる。遊女とインフルエンサー 五十間道の先に見えてきたのが吉原大門跡であり、その両脇には柱が立っていた。いまからは想像もつかないが、江戸時代には黒塗りの木造アーチの門構えだったという。「大門周辺の通りには、客を案内する茶屋――いまで言う“風俗案内所”的な役割を果たした『引手茶屋』が並んでいました。さらに通りの左右には『貸座敷』があって、格式ごとに〈大見世〉〈中見世〉〈小見世〉の3種類に分けられ、3000~5000人の遊女が在籍していたと伝えられます」(渡辺さん) 吉原には遊女だけでなく、芸者もいたが、「芸者たちは〈伝統芸能の担い手〉として修練を積み、“ここでしか見ることのできない”珍しい芸を披露していたといいます。実は吉原は“大人の遊び場”といった面だけでなく、〈文化の発信地〉でもありました。遊女たちの髷や衣装などを通じて“流行の最先端”を市井の人々に伝える場でもあったんです」(渡辺さん) その説明を聞いていたMikanさんが目を丸くしながら「遊女はイマの“女性インフルエンサー”だったのね」と驚きの声を上げると、トーマスやワン氏も感心したように深く頷いた。「放火」頻発の暗い歴史 さらに渡辺さんは、吉原の「負の歴史」についても語り始める。「吉原も江戸時代後期になると、当初の“富裕層の遊び場”から大衆化路線へと舵を切り、それによって各遊廓の経営も次第に厳しくなっていきました。『遊女大安売り』を打ち出す店も現れ始め、遊女たちの置かれた環境も劣悪になっていった。実際、“腐ったご飯しか食べさせてもらえない”や“瀕死になるほどの折檻を受けた”という記録が残っています」(渡辺さん) 待遇面に不満を募らせ、反発した遊女による「放火」なども頻発したという。 ツアーの終盤、一行は現在の「吉原公園」に立ち寄った。ここは昔、「角海老楼」「稲本楼」と並ぶ〈三大妓楼〉の一つに謳われた「大文字楼」があった場所だ。吉原公園は階段を上がった少し高い場所に位置するが、これは「かつて妓楼が道よりも高い場所にあった」(同)ことの名残りという。秘密の“パワースポット” そして、ついにツアーは最後のスポットである吉原神社へと――。「神社入り口の左側には『逢初桜』と呼ばれるシダレザクラが植えられています。“逢初”とは、恋い焦がれる相手との出会いを意味し、かつて男性客はこの逢初桜に『よき遊女との出会い』を祈願して遊廓に入って行ったといいます。しかし逢初桜は1911年に起きた周辺一帯を焼き尽くす“吉原大火”で焼失しました。遊女らの信仰の対象だった吉原神社は、いまでは“女子の願いを叶えてくれる”隠れたパワースポットとして、多くの女性たちが参拝に訪れています」(渡辺さん) ツアー途中から外国人たちも神妙な顔つきを見せる機会が多くなり、アニメやマンガでは得られないディープな情報に接し、戸惑いを隠さない場面もしばしば。それでも最後に「やっぱり吉原はアメージングだ!」と感に堪えない様子でトーマスが叫び、みな満足気な面持ちで吉原を後にしたのだった。デイリー新潮編集部
都内・台東区にある吉原はかつて江戸幕府公認の遊廓街として栄えたことで知られる。その吉原をめぐる外国人観光客向けのツアーガイドを昨年から「試験的に」始めたのが、元アイドルの渡辺まいりさん(32)だ。その渡辺さんがこう話す。
「アニメ化もされた漫画『鬼滅の刃』は日本だけでなく、海外でも大人気で、〈遊郭編〉という吉原遊廓が舞台となるパートが出てきます。その影響もあって私自身、これまで海外の友達などから“遊廓って、どんな場所なの?”と質問されることがよくありました」
外国人たちの吉原への興味が想像以上だったため、渡辺さんは昨年、“吉原ツアー”の企画を構想。そして昨冬、知人のスウェーデン人女性・Mikanさん(23)とアメリカ人のトーマス(31)、台湾国籍のワン氏(23)の3人を吉原へ案内することになったという。
実際にそのツアーに同行してみると、外国人の意外な反応に驚く結果になった。
ツアーは浅草の雷門からスタートしたが、渡辺さんは最初に歌川国芳の浮世絵などを見せながら「江戸時代から続く吉原の軌跡」を解説。興味津々の様子で浮世絵を食い入るように眺めていたツアー客らとともに、次に一行が向かったのは吉原大門交差点(台東区千束)だった。
交差点のそばには1本の柳の木が天に向かって伸びているが、これは京都の島原遊廓の門口にあった柳を真似たものと伝えられる。
「吉原大門の柳は、俳人・小林一茶も歌を詠んだほど有名で、吉原から帰る客が名残惜しげに振り返る様子から『見返り柳』との名がついたそうです。いま立っている柳の木は江戸時代からのものでなく、のちの関東大震災や戦災などを経て植え替えられた“6代目”に当たり、道路や区画整理に伴って現在の場所に移されたといいます」(渡辺さん)
「見返り柳」の目の前にはガソリンスタンドがあり、当時はその脇道が吉原遊廓の入り口へとつながる「五十間道」だったという。S字カーブを描いているのが特徴で、「表通りから遊廓の街並みが覗けない」(同)ようにするためだったとされる。
五十間道の先に見えてきたのが吉原大門跡であり、その両脇には柱が立っていた。いまからは想像もつかないが、江戸時代には黒塗りの木造アーチの門構えだったという。
「大門周辺の通りには、客を案内する茶屋――いまで言う“風俗案内所”的な役割を果たした『引手茶屋』が並んでいました。さらに通りの左右には『貸座敷』があって、格式ごとに〈大見世〉〈中見世〉〈小見世〉の3種類に分けられ、3000~5000人の遊女が在籍していたと伝えられます」(渡辺さん)
吉原には遊女だけでなく、芸者もいたが、
「芸者たちは〈伝統芸能の担い手〉として修練を積み、“ここでしか見ることのできない”珍しい芸を披露していたといいます。実は吉原は“大人の遊び場”といった面だけでなく、〈文化の発信地〉でもありました。遊女たちの髷や衣装などを通じて“流行の最先端”を市井の人々に伝える場でもあったんです」(渡辺さん)
その説明を聞いていたMikanさんが目を丸くしながら「遊女はイマの“女性インフルエンサー”だったのね」と驚きの声を上げると、トーマスやワン氏も感心したように深く頷いた。
さらに渡辺さんは、吉原の「負の歴史」についても語り始める。
「吉原も江戸時代後期になると、当初の“富裕層の遊び場”から大衆化路線へと舵を切り、それによって各遊廓の経営も次第に厳しくなっていきました。『遊女大安売り』を打ち出す店も現れ始め、遊女たちの置かれた環境も劣悪になっていった。実際、“腐ったご飯しか食べさせてもらえない”や“瀕死になるほどの折檻を受けた”という記録が残っています」(渡辺さん)
待遇面に不満を募らせ、反発した遊女による「放火」なども頻発したという。
ツアーの終盤、一行は現在の「吉原公園」に立ち寄った。ここは昔、「角海老楼」「稲本楼」と並ぶ〈三大妓楼〉の一つに謳われた「大文字楼」があった場所だ。吉原公園は階段を上がった少し高い場所に位置するが、これは「かつて妓楼が道よりも高い場所にあった」(同)ことの名残りという。
そして、ついにツアーは最後のスポットである吉原神社へと――。
「神社入り口の左側には『逢初桜』と呼ばれるシダレザクラが植えられています。“逢初”とは、恋い焦がれる相手との出会いを意味し、かつて男性客はこの逢初桜に『よき遊女との出会い』を祈願して遊廓に入って行ったといいます。しかし逢初桜は1911年に起きた周辺一帯を焼き尽くす“吉原大火”で焼失しました。遊女らの信仰の対象だった吉原神社は、いまでは“女子の願いを叶えてくれる”隠れたパワースポットとして、多くの女性たちが参拝に訪れています」(渡辺さん)
ツアー途中から外国人たちも神妙な顔つきを見せる機会が多くなり、アニメやマンガでは得られないディープな情報に接し、戸惑いを隠さない場面もしばしば。それでも最後に「やっぱり吉原はアメージングだ!」と感に堪えない様子でトーマスが叫び、みな満足気な面持ちで吉原を後にしたのだった。
デイリー新潮編集部