北九州市小倉北区魚町で3日に発生した大規模な火災で、魚町銀天街に面した1883(明治16)年創業の老舗陶器店「陶器の戸田」も全焼した。火元とみられる飲食店街「鳥町食道街」に消防が重機を入れて活動するため、その入り口付近に位置する店は翌4日に取り壊された。4代目の戸田和雄社長(74)は、がれきの山と化した店舗を前に「先祖が守ってきた店をこんな形でなくしてしまい、情けない」と目を潤ませた。【成松秋穂】
【写真】黒煙が上がる北九州市小倉北区の中心部 火災発生当時、自宅にいた戸田さんは、店舗にいた従業員から連絡を受け、テレビの中継で消火活動を見守っていた。火の手が店の方角へ広がっているのが気になり、現場近くへ。規制線の外から見える光景に「もう燃えているかもしれない」と肩を落とした。 4日朝、消防から「店を解体したい」と電話が入った。夜通しの消火活動で既に火勢は鎮圧していたが、狭い通路に飲食店が建ち並ぶ食道街に、重機を入れて放水を続け鎮火を確認するためだった。 「見てから返事したい」と答え、消防職員の付き添いで規制線の中へ。骨組みを残して屋根が落ちた店を前に「無理だ」と感じた戸田さんは、解体を許可。かつて自宅を兼ねていた店の最後を見届けた。解体後に掘り起こされた金庫から、溶けた印鑑と棒状の塊になった硬貨が見つかった。それらは火災の猛烈な熱さを雄弁に語っていた。 解体前、焼け跡からわずかに回収できたものがあった。2024年の干支(えと)「辰(たつ)」にちなんだ竜の置物だ。店頭に商品として並べていたもので、手の届く場所に埋もれているのを長男の圭輔さん(47)が見つけ、許可を得て回収した。白かった竜は熱で黒く変色していたが、辰年生まれの圭輔さんは特別な思いで抱え「同じ場所に店を建て直したい。この置物もお守りとして、大切に飾ろうと思う」と再起を誓った。
火災発生当時、自宅にいた戸田さんは、店舗にいた従業員から連絡を受け、テレビの中継で消火活動を見守っていた。火の手が店の方角へ広がっているのが気になり、現場近くへ。規制線の外から見える光景に「もう燃えているかもしれない」と肩を落とした。
4日朝、消防から「店を解体したい」と電話が入った。夜通しの消火活動で既に火勢は鎮圧していたが、狭い通路に飲食店が建ち並ぶ食道街に、重機を入れて放水を続け鎮火を確認するためだった。
「見てから返事したい」と答え、消防職員の付き添いで規制線の中へ。骨組みを残して屋根が落ちた店を前に「無理だ」と感じた戸田さんは、解体を許可。かつて自宅を兼ねていた店の最後を見届けた。解体後に掘り起こされた金庫から、溶けた印鑑と棒状の塊になった硬貨が見つかった。それらは火災の猛烈な熱さを雄弁に語っていた。
解体前、焼け跡からわずかに回収できたものがあった。2024年の干支(えと)「辰(たつ)」にちなんだ竜の置物だ。店頭に商品として並べていたもので、手の届く場所に埋もれているのを長男の圭輔さん(47)が見つけ、許可を得て回収した。白かった竜は熱で黒く変色していたが、辰年生まれの圭輔さんは特別な思いで抱え「同じ場所に店を建て直したい。この置物もお守りとして、大切に飾ろうと思う」と再起を誓った。