能登半島の沿岸には1日、最大震度7の地震が発生した直後に津波が押し寄せた。住民は、津波の高さや、到達時刻の早さに驚きを隠せない。太平洋側で発生する海溝型地震と違い、避難する時間が極めて短い、日本海側の津波防災の難しさが露呈した。
【写真まとめ】消波ブロックが砂上に…上空から撮影 国土交通省によると、石川県珠洲(すず)市、能登町、志賀町で計約120ヘクタールの浸水が確認された。中でも珠洲市宝立町春日野・鵜飼地区は約30ヘクタールと最も浸水範囲が広かった。海岸線から400メートル付近まで津波が押し寄せたとみられる。一帯では1人が流されて行方不明との情報があり、複数の家屋が流失したとみられる。

しかし、気象庁が珠洲市に設置した津波観測計は地震直後に測定不能となり、記録は全く残っていない。この地域には、どのような津波が押し寄せてきたのか。住民の証言で迫りたい。 「津波が来るぞー」 能登半島で最大震度7の地震が発生した1日午後4時10分。春日野地区に帰省中だった中山昇さん(73)は、倒壊した実家の下敷きになった。わずかに光が見えた方向に窓ガラスを見つけ、たたき割って外にはい出ると、近所の人が叫ぶ声が聞こえてきた。 すぐに近くの高台にある親族の家に様子を見に行くと、背後から「津波が来たぞー」と大きな声が聞こえた。振り返ると、低くうなるような音とともに川を茶色く濁った水が逆流してくるのが目に入った。 気象庁は震度7の地震直後に津波注意報を、2分後には津波警報を発表した。 同じ頃、近くに住む浜塚力夫さん(74)は、近所の高齢の女性の手を引きながら、約800メートル先の高台にある避難場所を目指していた。地震の揺れで外に飛び出したまま避難を始めた浜塚さんは当時、津波警報が出ていることを知らなかったという。 避難場所に続く川沿いの道を歩いていると、背後から茶色い水がしぶきを上げながら川を逆流し、浜塚さんたちを追い越した。「避難を始めてから5分ぐらいだったと思う。太平洋側と違って日本海は津波が早く来ると聞いていたけど、こんなに早いとは」 避難所に着いてから川の方を見下ろすと、普段は水量が少ない川の水位が見る間に増して、川底から高さ約2メートルある土手の一部からあふれ出していた。 大きな揺れの直後に避難を始めた春日野地区の岡田豊史さん(69)と妻寿美子さん(66)は、約5分後には別の避難場所に着いた。屋上に上がるとすぐ、誰かが「津波が来たぞ」と叫ぶ声が聞こえた。「津波は黒く帯状に盛り上がっているようで、遠目ではそれほど高くは見えなかった」 複数の住民によると、大きな揺れから約5分後には、春日野地区に津波が押し寄せたとみられる。津波警報が大津波警報に切り替わったのは、最大震度7の揺れから12分後の午後4時22分だった。 「地震には慣れていたけど、まさかこんな大きな津波が来るとは思わなかった」。4日午前、春日野地区にある自宅を片付けていた梶山勉さん(72)はうなだれた。自宅には、高さ1・5メートルくらいまで津波につかった跡が残っていた。 浜塚さんも自宅の周辺を確認した。近所にはコンクリートの基礎しか残っていない家が複数あり、自宅の駐車場にはがれきと共にどこからか軽トラックが流れ着いていた。「避難したときの光景とは全く違っていた。あと少し避難が遅れていたら、津波にさらわれていただろう」 今回の地震では、津波観測計が相次いで計測不能になり、観測網の整備にも課題が浮かび上がった。 気象庁によると、津波警報や注意報は地震計で観測したデータを使うため、津波観測計が動かなくなっても、警報発表自体に影響はない。しかし、各地の津波の到達時間や高さなどが十分に観測できなかった。 気象庁が珠洲市に設置している津波観測計は、地震による大きな地盤隆起で海底が露出したことが原因で、地震直後から観測不能となった。さらに国交省が管理する輪島港(石川県輪島市)の津波観測計も、1日午後4時21分に1・2メートル以上の津波を観測して以降、データが入っていない。【柴山雄太、柳楽未来】
国土交通省によると、石川県珠洲(すず)市、能登町、志賀町で計約120ヘクタールの浸水が確認された。中でも珠洲市宝立町春日野・鵜飼地区は約30ヘクタールと最も浸水範囲が広かった。海岸線から400メートル付近まで津波が押し寄せたとみられる。一帯では1人が流されて行方不明との情報があり、複数の家屋が流失したとみられる。
しかし、気象庁が珠洲市に設置した津波観測計は地震直後に測定不能となり、記録は全く残っていない。この地域には、どのような津波が押し寄せてきたのか。住民の証言で迫りたい。
「津波が来るぞー」
能登半島で最大震度7の地震が発生した1日午後4時10分。春日野地区に帰省中だった中山昇さん(73)は、倒壊した実家の下敷きになった。わずかに光が見えた方向に窓ガラスを見つけ、たたき割って外にはい出ると、近所の人が叫ぶ声が聞こえてきた。
すぐに近くの高台にある親族の家に様子を見に行くと、背後から「津波が来たぞー」と大きな声が聞こえた。振り返ると、低くうなるような音とともに川を茶色く濁った水が逆流してくるのが目に入った。
気象庁は震度7の地震直後に津波注意報を、2分後には津波警報を発表した。
同じ頃、近くに住む浜塚力夫さん(74)は、近所の高齢の女性の手を引きながら、約800メートル先の高台にある避難場所を目指していた。地震の揺れで外に飛び出したまま避難を始めた浜塚さんは当時、津波警報が出ていることを知らなかったという。
避難場所に続く川沿いの道を歩いていると、背後から茶色い水がしぶきを上げながら川を逆流し、浜塚さんたちを追い越した。「避難を始めてから5分ぐらいだったと思う。太平洋側と違って日本海は津波が早く来ると聞いていたけど、こんなに早いとは」
避難所に着いてから川の方を見下ろすと、普段は水量が少ない川の水位が見る間に増して、川底から高さ約2メートルある土手の一部からあふれ出していた。
大きな揺れの直後に避難を始めた春日野地区の岡田豊史さん(69)と妻寿美子さん(66)は、約5分後には別の避難場所に着いた。屋上に上がるとすぐ、誰かが「津波が来たぞ」と叫ぶ声が聞こえた。「津波は黒く帯状に盛り上がっているようで、遠目ではそれほど高くは見えなかった」
複数の住民によると、大きな揺れから約5分後には、春日野地区に津波が押し寄せたとみられる。津波警報が大津波警報に切り替わったのは、最大震度7の揺れから12分後の午後4時22分だった。
「地震には慣れていたけど、まさかこんな大きな津波が来るとは思わなかった」。4日午前、春日野地区にある自宅を片付けていた梶山勉さん(72)はうなだれた。自宅には、高さ1・5メートルくらいまで津波につかった跡が残っていた。
浜塚さんも自宅の周辺を確認した。近所にはコンクリートの基礎しか残っていない家が複数あり、自宅の駐車場にはがれきと共にどこからか軽トラックが流れ着いていた。「避難したときの光景とは全く違っていた。あと少し避難が遅れていたら、津波にさらわれていただろう」
今回の地震では、津波観測計が相次いで計測不能になり、観測網の整備にも課題が浮かび上がった。
気象庁によると、津波警報や注意報は地震計で観測したデータを使うため、津波観測計が動かなくなっても、警報発表自体に影響はない。しかし、各地の津波の到達時間や高さなどが十分に観測できなかった。
気象庁が珠洲市に設置している津波観測計は、地震による大きな地盤隆起で海底が露出したことが原因で、地震直後から観測不能となった。さらに国交省が管理する輪島港(石川県輪島市)の津波観測計も、1日午後4時21分に1・2メートル以上の津波を観測して以降、データが入っていない。【柴山雄太、柳楽未来】