能登半島地震の発生により、被災した多くの方々が不自由な避難生活を余儀なくされている。いまだ安否不明者も多いなか、大学生時代に東日本大震災を経験したササミ(@sasamichan625)さんがX(旧Twitter)に投稿した一連のポストに大きな注目が集まった。
【共感よんだ体験談】大丈夫だった…?聞かない方がいい理由とは「大丈夫だったよ~」と答えた、大丈夫じゃないのに「実家、大丈夫だった? ご家族、大丈夫だった? 皆さんの周りにも北陸にゆかりのある方がいらっしゃるかもしれません。顔を合わせた時に『大丈夫だった?』と声をかける方も多いはず。でも、東日本大震災で地元が被災地となった私は、この質問、結構辛かったんです。

『心配していることを伝えたい』という気持ちで質問する方が多い気がします。『大丈夫だった?』と質問したら『大丈夫だったよ~!』と返ってくると思っている方が多いのでは。『家族全員逃げ遅れて…』『家が流されて…』と答えが返ってくる覚悟を持って質問してる人はどれくらいいるのだろう?質問を受けた側は、家族が亡くなったかもしれない、家が全壊したかもしれない。『大丈夫だった?』と聞かれるたびにフラッシュバックするし、相手を困らせないようになんて答えようか迷う。そして『大丈夫だったよ~』と答える、大丈夫じゃないけど。あと、何がどうなっていれば大丈夫なんだろう?と考えて、混乱してしまう。怪我していても家族の命があれば大丈夫?家がダメでも避難できていれば大丈夫?家が全壊じゃなくて物がぐちゃぐちゃに散乱した程度なら大丈夫?『大丈夫かどうかなんて、私が判断できることではありません!!』って結論」心配してくれているのはわかってるけど…「私個人の考えですが、もし、北陸にゆかりのある方に心配しているよという気持ちを伝えたいのであれば『心配したよ、大変だったね』と素直に言ってもらえると嬉しいです。『そうそう!本当に大変でさー!』『案外そうでもなくてさ!』と話し出すかもしれないし『うん』とだけ言って去るかもしれない。でも『実家大丈夫?』と質問を受けるよりだいぶ楽だと思います。みんなが心配してくれているのわかってるから、こんなこと思うのは失礼だなと、ずっと言えずにいました。今でも南相馬出身ですというと『地元大丈夫だった?』と聞かれるから。今はいろいろ考えずに『はい~』とだけ言っておしまいにするけど、当時私はこの質問が辛くて、人と話すのが怖くなって、しばらく心理カウンセリングに通っていました。それくらいダメージ大きかった…疾患児・障害児育児も同じですね、全然大丈夫じゃないけど大丈夫です!といって暮らしてます」◇ ◇投稿者のササミさんは、医療的ケア児を育児中の言語聴覚士。小児専門のオンライン相談サービスを運営し、「疾患児・障がい児家族の毎日を楽しく」をモットーにした「ファミケア」のメンバーとしても活動している。そんなササミさんの一連の投稿に対して、まさに今同じような状況に対峙している方々から多くの悲痛な声が寄せられた。話せるまで待って…「今現在、本当にコレがいちばんツライです。善意だと理解してるけど、そっとしておいてほしい。心の中で破裂しそうなほど戦ってる。話せるようになるまで待ってほしい」「まさに今その状況です。今は『ウチだけ無事でごめんなさい』という気持ちでいっぱいなんです。友人、知人が、近隣の環境が…。そして現在進行中の地震と津波の心配。うしろ髪を引かれながら帰宅し勤務している自分。『大変だった』じゃない、今も大変なんです」「今日職場で同じ様なことがありました。心が痛んでいることは明らかだし。聞かれて涙目になってたし。大変な時なのにいちばん元気そうに入浴介助してくれていて。頑張りすぎないでねって、のど飴渡した。こんなことくらいしか出来ないな」◇ ◇なぜみんな、家族や地元が大丈夫だったか聞くの?寄せられた多くの反響に対して、「みんな悪気ないの知ってるから、こんなこと書いていいのか迷ったけど、書いて良かった!」と、投稿していたササミさん。東日本大震災発生時、大学2年生だったこともあり、「周りの友達から、大丈夫だった?と聞かれることが多かった」と、当時を振り返る。「30名ほどの専攻で、福島県出身は私しかいなかったため『唯一の震災関連者』でした。その時は漠然とした辛さしか感じておらず、投稿のように気持ちを整理することはできていませんでした。当時は大学にカウンセリングルームがあったので、そこを利用していました。自分の気持ちがはっきりわかるようになったのは社会人になってからです。初対面で自己紹介の回数が増えてくると、『出身は?』『福島です』『え、震災は大丈夫だったの?』と、みんな同じ流れの会話を繰り広げるのです。なんでみんな、家族や地元が大丈夫だったかを聞くのだろう?それを知って何になるのだろう?と疑問に思い始めました。今でも新しい出会いがある度、自己紹介の場面で出身地の話になると同じ会話が展開されます。今回の私の投稿に対して、『この会話が嫌だから出身地は隠してる/偽っている』という方が何人かいて、その手があったか!と思いましたね」(ササミさん)「話題にしてほしくない」受け流すこともできる「心配したよ、大変だったね」という声がけは楽だった、とXに投稿していたササミさん。しかし、辛いことを思い出すトリガーになったことには変わりなく、「やはり震災のことを考えていない方が楽だったので、話題に触れてほしくなかった、というのが正直な気持ちですね」と、ササミさん。大変な状況を経験した方に対する最善の接し方について聞いた。かけられて嬉しかった言葉は…思い当たらないササミさんの一連の投稿に対して、「知ってよかった!心から。大丈夫?って結構心ない声かけだと再認識できました」と、安易な声がけの残酷さを省みるコメントも多く見受けられた。また、「具合はいかがですか? お怪我はありませんか? 大変でしたね、などと聞くようにしている」「何かあったらいつでも声かけてと言っている」といった意見に加えて、「かけられて嬉しかった言葉があったら教えて」と、ササミさんに問いかける人もいた。これに対して、「正直、思い当たりませんでした」「『力になれることがあれば言ってね』が最上位ですが、嬉しい言葉というより心がざわつかない言葉という感じです」と、返信していたササミさん。「ただ、震災のことに触れてほしくないというのは私の場合であって、『心配したよと寄り添ってもらえて救われた』『何も言われないのはちょっと…』という意見も散見されたので、被害状況や個人の性格、相手との関係性、震災からの年月など、本当にいろんな要因が絡んでいると思います」(ササミさん)『お互い様の気持ち』『相手への配慮』『楽しい会話』のバランス「相手を配慮した言葉はとても大事ですが、100%人を傷つけないのは無理だと思うんです。例えばよく使う『ちょっとトイレ行ってくるね~』というセリフも、世の中には『ちょっとトイレに行くこと』が難しい人もいますよね。身体的なハンディキャップがあったり、利用できるトイレが限られる性的マイノリティの方もいる。だいぶ状況は異なりますが、私自身も子供を連れていると気軽にトイレに行けません。そんな時に夫が、『ちょっとトイレ行ってくる!』なんて言うと、『自分は1人で気軽にトイレに行けていいよね!』と、少しイラッとしてしまいます…。『お父さんへ誕生日プレゼント悩んでてさ~』という話をお父さんを亡くした方が聞いたらどう思うか?『予定外の妊娠で~』という話を不妊治療中の方が聞いたらどう思うか? 考え出したらキリがないかもしれません。私だってきっと今までに多くの方を傷つけたし、これからもたくさんの人を傷つけてしまうと思います。『傷つけてしまうのはお互い様』であり、『そんな中でも相手への配慮を持って』『楽しい会話を』の3点のバランスを保ちながら過ごすのが大事だと感じています」(ササミさん)◇ ◇「かける言葉が見当たらない」なら、そっとしておいて「災害でなくても、『大丈夫ですか?』と聞かれれば反射的に、『大丈夫です』と答えてしまうのが大半だと思う」というコメントも寄せられていたが、回答が限定されるような質問は、返答する側の心に大きな負担をかけることを忘れてはならない。心配する気持ちを相手に押し付けてはいないか? 今はそっとして置くべきではないか? 声をかける前にそう省みる心の余裕を持ちたいものだ。※令和6年能登半島地震でお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げます。一日も早い復旧復興と、被災された皆さまに平穏な日々が戻りますことをお祈り申し上げます。「大丈夫?」で傷つけてしまった体験談「めちゃくちゃ分かります。神戸の震災の後、どうやった?とか大丈夫やった?と聞かれるのが嫌でたまりませんでした。あの時そっちにいたんだ~大丈夫だった?と、まるで天気の話でもするようで辛かった」「当方、死産での休職明けにこのセリフが本当に辛かったのを思い出しました。全然なんにも大丈夫じゃないのに大丈夫と答えて、急いでトイレに逃げて号泣…こんな毎日でした。大丈夫なわけないんですよね」「大変共感します。東日本大地震の時に、私はやってしまい、被災者さんを泣かせてしまいました。地震後に訪れた仙台の明るく元気なショップ店員さんに、大好きな街仙台の方々が、ずっと心配だったので、大丈夫でしたか~?と聞いてしまったら、大変辛い思いをされたようで、みるみる顔が曇り…」「私はこれで一度友達を泣かせてしまったことがある。ニュージーランドの地震を経験した19歳の男の子が、当時どんなだったかを語ってくれたことがあって。その時に本当に悪気なく、むしろ心配する気持ちから『家族とか友達は大丈夫やったん?』って聞いた。そしたらポロポロと目から涙が」「大丈夫」と言えないことが辛かった体験談「私も地元が3.11の被災地でした。地元に住んでいる幼馴染には、本人から連絡が来るまで大丈夫か聞けなかった。生きているかもわからなかったし、もし無事だったとしても子供や家族を亡くしているかもしれないと思うと軽はずみに連絡できませんでした」「震災後こればっかりでうんざりして、家族亡くしたと事実を答えたら場が凍りついて、以降大丈夫だよとしか答えられなくなりました。ずーっと思ってたこと発信してくれてありがとうございます」「わい、3.11の津波でじいちゃん亡くしたけど、友人から『大丈夫だった?』て聞かれてもそんなこと正直に答えるわけがない。雑談のノリでする質問じゃないと思うの」「東日本大震災から2年後に宮城から上京して、初めて会う人に絶対、初めましてと同じノリで大丈夫だった?と聞かれるたびに、傷ついた心に土足で踏み込まれた思いになってつらかったです。大丈夫以外の返答を受け止める覚悟があって聞いてないよねっていつも思ってました」「父が亡くなった時、『そろそろ落ち着いたかな?大丈夫?』という質問が本当に辛かったです。多分気を使って心配しての言葉だろうけど、落ち着くって何なの?気持ちはずっと落ち着かないよ。大丈夫って何?何がどうなったら『大丈夫』になるんだろう…って」「心配してくれてるからこそ、『大丈夫』って何もなかったって返せないことがつらかった。同じように思う方がいて当時、心狭いなぁ、余裕なさすぎるだろって自分を責めてたけどしょうがなかったんだなって思えました」(まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・はやかわ かな)
「実家、大丈夫だった? ご家族、大丈夫だった? 皆さんの周りにも北陸にゆかりのある方がいらっしゃるかもしれません。顔を合わせた時に『大丈夫だった?』と声をかける方も多いはず。でも、東日本大震災で地元が被災地となった私は、この質問、結構辛かったんです。
『心配していることを伝えたい』という気持ちで質問する方が多い気がします。『大丈夫だった?』と質問したら『大丈夫だったよ~!』と返ってくると思っている方が多いのでは。『家族全員逃げ遅れて…』『家が流されて…』と答えが返ってくる覚悟を持って質問してる人はどれくらいいるのだろう?
質問を受けた側は、家族が亡くなったかもしれない、家が全壊したかもしれない。『大丈夫だった?』と聞かれるたびにフラッシュバックするし、相手を困らせないようになんて答えようか迷う。そして『大丈夫だったよ~』と答える、大丈夫じゃないけど。
あと、何がどうなっていれば大丈夫なんだろう?と考えて、混乱してしまう。怪我していても家族の命があれば大丈夫?家がダメでも避難できていれば大丈夫?家が全壊じゃなくて物がぐちゃぐちゃに散乱した程度なら大丈夫?『大丈夫かどうかなんて、私が判断できることではありません!!』って結論」
「私個人の考えですが、もし、北陸にゆかりのある方に心配しているよという気持ちを伝えたいのであれば『心配したよ、大変だったね』と素直に言ってもらえると嬉しいです。『そうそう!本当に大変でさー!』『案外そうでもなくてさ!』と話し出すかもしれないし『うん』とだけ言って去るかもしれない。
でも『実家大丈夫?』と質問を受けるよりだいぶ楽だと思います。みんなが心配してくれているのわかってるから、こんなこと思うのは失礼だなと、ずっと言えずにいました。今でも南相馬出身ですというと『地元大丈夫だった?』と聞かれるから。
今はいろいろ考えずに『はい~』とだけ言っておしまいにするけど、当時私はこの質問が辛くて、人と話すのが怖くなって、しばらく心理カウンセリングに通っていました。それくらいダメージ大きかった…疾患児・障害児育児も同じですね、全然大丈夫じゃないけど大丈夫です!といって暮らしてます」
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投稿者のササミさんは、医療的ケア児を育児中の言語聴覚士。小児専門のオンライン相談サービスを運営し、「疾患児・障がい児家族の毎日を楽しく」をモットーにした「ファミケア」のメンバーとしても活動している。
そんなササミさんの一連の投稿に対して、まさに今同じような状況に対峙している方々から多くの悲痛な声が寄せられた。
「今現在、本当にコレがいちばんツライです。善意だと理解してるけど、そっとしておいてほしい。心の中で破裂しそうなほど戦ってる。話せるようになるまで待ってほしい」
「まさに今その状況です。今は『ウチだけ無事でごめんなさい』という気持ちでいっぱいなんです。友人、知人が、近隣の環境が…。そして現在進行中の地震と津波の心配。うしろ髪を引かれながら帰宅し勤務している自分。『大変だった』じゃない、今も大変なんです」
「今日職場で同じ様なことがありました。心が痛んでいることは明らかだし。聞かれて涙目になってたし。大変な時なのにいちばん元気そうに入浴介助してくれていて。頑張りすぎないでねって、のど飴渡した。こんなことくらいしか出来ないな」
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寄せられた多くの反響に対して、「みんな悪気ないの知ってるから、こんなこと書いていいのか迷ったけど、書いて良かった!」と、投稿していたササミさん。東日本大震災発生時、大学2年生だったこともあり、「周りの友達から、大丈夫だった?と聞かれることが多かった」と、当時を振り返る。
「30名ほどの専攻で、福島県出身は私しかいなかったため『唯一の震災関連者』でした。その時は漠然とした辛さしか感じておらず、投稿のように気持ちを整理することはできていませんでした。当時は大学にカウンセリングルームがあったので、そこを利用していました。
自分の気持ちがはっきりわかるようになったのは社会人になってからです。初対面で自己紹介の回数が増えてくると、『出身は?』『福島です』『え、震災は大丈夫だったの?』と、みんな同じ流れの会話を繰り広げるのです。なんでみんな、家族や地元が大丈夫だったかを聞くのだろう?それを知って何になるのだろう?と疑問に思い始めました。今でも新しい出会いがある度、自己紹介の場面で出身地の話になると同じ会話が展開されます。今回の私の投稿に対して、『この会話が嫌だから出身地は隠してる/偽っている』という方が何人かいて、その手があったか!と思いましたね」(ササミさん)
受け流すこともできる「心配したよ、大変だったね」という声がけは楽だった、とXに投稿していたササミさん。しかし、辛いことを思い出すトリガーになったことには変わりなく、「やはり震災のことを考えていない方が楽だったので、話題に触れてほしくなかった、というのが正直な気持ちですね」と、ササミさん。大変な状況を経験した方に対する最善の接し方について聞いた。
ササミさんの一連の投稿に対して、「知ってよかった!心から。大丈夫?って結構心ない声かけだと再認識できました」と、安易な声がけの残酷さを省みるコメントも多く見受けられた。
また、「具合はいかがですか? お怪我はありませんか? 大変でしたね、などと聞くようにしている」「何かあったらいつでも声かけてと言っている」といった意見に加えて、「かけられて嬉しかった言葉があったら教えて」と、ササミさんに問いかける人もいた。
これに対して、「正直、思い当たりませんでした」「『力になれることがあれば言ってね』が最上位ですが、嬉しい言葉というより心がざわつかない言葉という感じです」と、返信していたササミさん。
「ただ、震災のことに触れてほしくないというのは私の場合であって、『心配したよと寄り添ってもらえて救われた』『何も言われないのはちょっと…』という意見も散見されたので、被害状況や個人の性格、相手との関係性、震災からの年月など、本当にいろんな要因が絡んでいると思います」(ササミさん)
「相手を配慮した言葉はとても大事ですが、100%人を傷つけないのは無理だと思うんです。例えばよく使う『ちょっとトイレ行ってくるね~』というセリフも、世の中には『ちょっとトイレに行くこと』が難しい人もいますよね。身体的なハンディキャップがあったり、利用できるトイレが限られる性的マイノリティの方もいる。だいぶ状況は異なりますが、私自身も子供を連れていると気軽にトイレに行けません。そんな時に夫が、『ちょっとトイレ行ってくる!』なんて言うと、『自分は1人で気軽にトイレに行けていいよね!』と、少しイラッとしてしまいます…。
『お父さんへ誕生日プレゼント悩んでてさ~』という話をお父さんを亡くした方が聞いたらどう思うか?『予定外の妊娠で~』という話を不妊治療中の方が聞いたらどう思うか? 考え出したらキリがないかもしれません。私だってきっと今までに多くの方を傷つけたし、これからもたくさんの人を傷つけてしまうと思います。『傷つけてしまうのはお互い様』であり、『そんな中でも相手への配慮を持って』『楽しい会話を』の3点のバランスを保ちながら過ごすのが大事だと感じています」(ササミさん)
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「災害でなくても、『大丈夫ですか?』と聞かれれば反射的に、『大丈夫です』と答えてしまうのが大半だと思う」というコメントも寄せられていたが、回答が限定されるような質問は、返答する側の心に大きな負担をかけることを忘れてはならない。
心配する気持ちを相手に押し付けてはいないか? 今はそっとして置くべきではないか? 声をかける前にそう省みる心の余裕を持ちたいものだ。
※令和6年能登半島地震でお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げます。一日も早い復旧復興と、被災された皆さまに平穏な日々が戻りますことをお祈り申し上げます。
「めちゃくちゃ分かります。神戸の震災の後、どうやった?とか大丈夫やった?と聞かれるのが嫌でたまりませんでした。あの時そっちにいたんだ~大丈夫だった?と、まるで天気の話でもするようで辛かった」
「当方、死産での休職明けにこのセリフが本当に辛かったのを思い出しました。全然なんにも大丈夫じゃないのに大丈夫と答えて、急いでトイレに逃げて号泣…こんな毎日でした。大丈夫なわけないんですよね」
「大変共感します。東日本大地震の時に、私はやってしまい、被災者さんを泣かせてしまいました。地震後に訪れた仙台の明るく元気なショップ店員さんに、大好きな街仙台の方々が、ずっと心配だったので、大丈夫でしたか~?と聞いてしまったら、大変辛い思いをされたようで、みるみる顔が曇り…」
「私はこれで一度友達を泣かせてしまったことがある。ニュージーランドの地震を経験した19歳の男の子が、当時どんなだったかを語ってくれたことがあって。その時に本当に悪気なく、むしろ心配する気持ちから『家族とか友達は大丈夫やったん?』って聞いた。そしたらポロポロと目から涙が」
「私も地元が3.11の被災地でした。地元に住んでいる幼馴染には、本人から連絡が来るまで大丈夫か聞けなかった。生きているかもわからなかったし、もし無事だったとしても子供や家族を亡くしているかもしれないと思うと軽はずみに連絡できませんでした」
「震災後こればっかりでうんざりして、家族亡くしたと事実を答えたら場が凍りついて、以降大丈夫だよとしか答えられなくなりました。ずーっと思ってたこと発信してくれてありがとうございます」
「わい、3.11の津波でじいちゃん亡くしたけど、友人から『大丈夫だった?』て聞かれてもそんなこと正直に答えるわけがない。雑談のノリでする質問じゃないと思うの」
「東日本大震災から2年後に宮城から上京して、初めて会う人に絶対、初めましてと同じノリで大丈夫だった?と聞かれるたびに、傷ついた心に土足で踏み込まれた思いになってつらかったです。大丈夫以外の返答を受け止める覚悟があって聞いてないよねっていつも思ってました」
「父が亡くなった時、『そろそろ落ち着いたかな?大丈夫?』という質問が本当に辛かったです。多分気を使って心配しての言葉だろうけど、落ち着くって何なの?気持ちはずっと落ち着かないよ。大丈夫って何?何がどうなったら『大丈夫』になるんだろう…って」
「心配してくれてるからこそ、『大丈夫』って何もなかったって返せないことがつらかった。同じように思う方がいて当時、心狭いなぁ、余裕なさすぎるだろって自分を責めてたけどしょうがなかったんだなって思えました」
(まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・はやかわ かな)