「お兄ちゃん、ひとりでトイレ行ってきて」
家族で買い物に出かけた際、そんな声がけをして子どもをトイレに行かせることは珍しくない光景です。しかし、実はトイレには思わぬリスクが潜んでいることもあるのだとか。
ここからは、精神保健福祉士・社会福祉士として長年、依存症の治療に取り組む斉藤章佳さんの著書『子どもへの性加害 性的グルーミングとは何か』(幻冬舎新書)より一部抜粋し、グルーミングの手口を紹介していきます。
◆事例:ショッピングモールのトイレにひとりで入った男児に…
会社員のE(30代男性)は、休日になると決まって大型ショッピングモールのトイレを訪れていた。そこでEは、ひとりでトイレに入ってくる小学校低学年の男児に自らのスマホ画面を見せ、個室に誘い込み、男児の陰部を触っていたという。
行為は数分に及び、最後には「僕たちだけの秘密だよ」「お母さんに言うと、悲しむよね」「学校にバレたらまずいよね」と口止めをしていた。ときに男児のズボンを下ろした状態をスマホのカメラで撮影していたこともあった。
しかしある日、トイレの個室に連れ込んだ男児が大声を出したことで加害行為が発覚、その場でEは現行犯逮捕された。さらにほかの男児への性加害や盗撮や痴漢行為が発覚し、Eは起訴され、裁判では実刑判決を受けた。現在もEは刑務所で受刑している。
グルーミングはSNSなどのオンライン上や顔見知りによって行われるものではありません。性加害者の中には、初対面の子どもを手なずける者もいます。
面識がない間柄でもグルーミングは行われ、「ゲームアプリで一緒に遊ぼう」と誘ったり、「背中に虫がついてるよ」「あ、服の中に入っていっちゃった」と言いながら洋服の中に手を入れる……というケースもあります。ごく短時間で加害行為を終わらせるため、かなりの「高等テクニック」といえます。
◆加害者は“あやしい”ではない
なぜ、子どもは初めて会った大人についていってしまうのでしょうか。
まず加害者には、世間でイメージされるような“性犯罪者らしい雰囲気”がないことが大きな特徴です。身なりも清潔で、ニコニコしたやさしそうな出で立ちのために、街の風景に馴染んでいます。
黒いサングラスにマスク、深くかぶった帽子にロングコート……といった明らかにあやしい格好の加害者はいません。そのため子どもも警戒心が緩み、声をかけられると思わず口をきいてしまうのです。
そして加害者は、逮捕されやすい場所では絶対に加害行為に及びません。死角になりやすい、人目につかない環境をリサーチして、そこで犯行を重ねるのです。
具体的には、商業施設のバリアフリートイレや公園のトイレです。映画館のトイレもとても広いので、奥の個室におびき出した、ということを加害者からヒアリングしたこともあります。トイレ内には防犯カメラはないので、彼らにとっては「やりたい放題」なわけです。
◆ゲームアプリで誘い出す……巧妙な手口
事例のようにゲームを用いて個室に誘い出すほか、スマホの画面をタッチするだけで電源がオフになるような特殊なアプリをインストールしておき、子どもにスマホを触らせているうちに故障したように思わせて罪悪感を植えつける……という悪質な手口もあります。
いきなり見ず知らずの人のスマホやタブレットを自分が壊してしまったとしたら、子どもは動揺してしまいます。
すると加害者は「君が壊したんだ」「ママに知られたくなかったら、ズボンを下ろしてよ」などと巧妙に迫るわけです。

◆「男児のほうが警戒心が薄い」を逆手に取る性加害者
男児を狙う加害者も多くいます。
それは何も同性愛者だからではなく、男児のほうが無抵抗、無警戒だからという理由です。多くの小児性犯罪者はこの傾向を把握しており、子どもがひとりになるタイミングを狙っているのです。
親としては、ときに「トイレ行っておいで」と子どもをひとりでトイレに行かせることもあると思いますが、残念ながら性加害者の前には「男児だから大丈夫」は通用しない現実があります。
◆犯罪が起きやすいのは「入りやすく見えにくい場所」
立正大学教授で社会学博士の小宮信夫さんによれば、犯罪が起きやすいのは「入りやすく見えにくい場所」だといいます(*)。
たとえば駐車場には誰がいてもあやしまれませんが、車の陰など死角も多い場所です。高い建物に囲まれた道は、人目がありそうですが建物が高層になればなるほど監視性は低くなり、住人も外で何が起こっているか気づきません。建物が壁になり、周囲を行き交う人から見えづらくなることもあるでしょう。
なかでも日本の公衆トイレは「誰もが入りやすく」「誰からも見えにくい場所」の代表例だといいます。というのも日本の公衆トイレは男性用と女性用の入口が近く、万が一男性の性加害者が女性を尾行しても周囲に誰もいなければ一緒に入れたり、入口にある壁が邪魔をして買い物客や従業員の視線が届きにくいことも少なくないからです。
しかし、海外の公衆トイレは事情が異なります。男性用と女性用の入口が離れて設けられていたり、建物の表と裏に分かれているなど、犯罪者が犯行に及ばないようにデザインされているものが多いのだといいます。たとえ犯罪者に「犯罪をしたい」という動機があっても、成功しなさそうなら「ここは無理か」とその場から退散します。
「子どもに性加害をする」といった動機を持った人が、犯罪をする機会に巡り合って初めて犯罪が起きる。たとえ動機をなくせなくても、その機会さえ与えなければ犯罪は起きない――この考えを「犯罪機会論」といいます。
◆避けるべきは不審者だけでなく「危ない場所」
日本ではまだまだ「不審者に気をつけましょう」「あやしい人にはついていかない」「防犯ブザーを鳴らそう」など、子どもが犯罪者にどう対処するかを念頭において注意喚起することが多いです。
しかし、前述のとおり小児性犯罪者は街の風景に溶け込んでいるので、見た目だけではどんな人かわかるはずはありません。「不審者」だけでなく「危ない場所」を避ける視点も、子どものための防犯面ではとても重要になってきます。
社会全体で小児性犯罪を含む犯罪者の犯行の機会を奪うためにも、「入りにくく見えやすい」場所をつくることは社会全体の喫緊の課題だといえます。
*小宮信夫「『危険なトイレ』と『安全なトイレ』は何が違う? 女性専用トイレ廃止問題を『犯罪機会論』から考える」Yahoo!ニュース、2023年4月18日