捨てられずに人生を詰まらせているものに向き合い、手放していけたとき、人生はすごい速さで自分でも思いがけない方向に進んでいく。1000枚の服を溜め込んだファッション雑誌編集者の人生を変えた「服捨て」体験と、誰でもできるその方法を綴った新刊から、スーツの夫の大変化について紹介する。
*本記事は昼田祥子『1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話』(講談社)の内容を一部抜粋・再編集したものです。
私のクローゼットに他人がいっぱい「服捨て」とは自分のための行為。私が捨てたいのか、どうなのか。問うべきは私の心であって、他人が入り込む余地はありません。けれども服を買うときは、他人の目を意識していました。「きちんとした人と見られたい」「できる人に見られたい」「おしゃれな人と思われたい」「あの人素敵よねって思われたい」……他人にダメ出しされないように、他人にいいね! と言ってもらうための服がほとんどだったのです。photo by iStockつまり、自分でお金を出して「他人のための服」を買っていたことになります。他人とは、親や家族、友人、仕事関係者のような顔が思い浮かぶ存在もいれば、社会の目なども含まれています。 私のクローゼットに、他人がいっぱい!そんなクローゼットを前にして“自分らしいおしゃれ”が見つからないのは当然の話なんですよね。「他人のための服」を追い出したいのに、またしても「他人に植え付けられた観念」に引っ張られ、手放せない。どれほどクローゼットを他人に乗っ取られていることでしょう。自分が変わると家族も「本当の自分」を生きだす私のクローゼットが1000枚の服でごった返していた頃、対照的だったのが夫のクローゼットです。メーカーの営業マンとして働く夫は、仕事着であるスーツとワイシャツがビシッと並んだ美しいクローゼットの持ち主でした。毎週クリーニングに出すのが習慣で、乱れた状態を見たことは一度もありません。photo by iStockところが私が服を捨て、本来の自分を生きはじめた頃、夫のクローゼットに違和感を覚えるようになりました。きれいに整頓され、愛されている服が入っているのに何かが違う。手をかけられている状態であるにもかかわらず、服が輝いて見えない。これは持ち主と服が合っていない!本当はスーツを着たくないのかな。夫が仕事を辞めると言いだすのも、時間の問題だと覚悟しました。そもそもなぜ夫は、スーツを着るような仕事を選んだのだろう。それは両親を安心させられる人間でありたかったからだと思います。まともな人間でいなければいけないと、親の思いを察し、新卒で入ったのが安定性のある企業でした。親への思いが作り上げたクローゼット10年以上も毎日スーツ出勤をしてきたけれど、本当に憧れていたのは、服装に縛りのない自由な働き方。営業の数字を追いかけるのではなくて、自分の楽しさを追いかけていける仕事。夫のクローゼットに入っていたのは、スーツに姿を変えた「親」でした。圧力をかけられたわけではないけれど、子供であれば無意識のうちに抱いてしまう「親をがっかりさせたくない」という思い。実際のところ親にしてみれば、いい企業で働いてくれることよりも、どんな仕事であってもいいから健康で幸せに暮らしてくれたらそれでいい、というのが本音だったりします。夫は料理が得意で、誰に対しても垣根がなく、悪口もグチも聞いたことがなく、みんなに助けてもらえるキャラクター。我が子に光るものがあることを一番よく知っているのも親なのだと思います。あるとき夫は腹を決め、私よりも先に両親に会社を辞める報告をしていました。photo by iStock私たちは夫の退職を機に、山形へ移住。スーツを手放してひとまず主夫になった夫は、今までになくすっきりした表情をしていました。クローゼットにあった重たい空気も消え、晴れ晴れして見えました。そう、もっとも手放せないと思っているものこそが、人生を詰まらせている太い栓。これが抜けると、人は想像もできないほどに大きく変容していくのは私も体験済み。必要なものは必ず入ってきます。本来の夫とクローゼットがつながった!夫の場合は、仕事を手放し、たくさんの「ご縁」を手に入れてきました。そのひとつがアシュタンガヨガとの出会い。そのスタジオ、その先生、その仲間たちがいなければ続かなかったかもしれません。だから引き合わせてくれた「ご縁」こそが、手放して入ってきた「目に見えないもの」。毎朝プラクティスに通うこと1年半。思いもしなかったのが、運動量のおかげで食事制限をすることなく15キロも減量。子供の頃から肥満体型だった夫が、人生ではじめて引き締まった体を手に入れていました。服のサイズも変わり、好きな服を選べる楽しさも経験し、世界が一変していました。photo by iStockアシュタンガヨガという人生をかけて大事にしたいものを手にしただけでなく、そこから広がっていく無限のご縁。スーツを捨てたからやってきたのです。今の夫のクローゼットは、きれいとは言い難いけれど好きな服が並んでいます。でも、これが本来の姿。持っている服の数や見た目の美しさははっきり言ってどうだっていいのです。大切なのは、本来の自分とクローゼットがつながること。自分自身を生きること。自分以外の人を変えようとする必要はありません。本当の自分を生きはじめると、そのさざなみは必ず広がっていくのだと思っています。
「服捨て」とは自分のための行為。私が捨てたいのか、どうなのか。問うべきは私の心であって、他人が入り込む余地はありません。けれども服を買うときは、他人の目を意識していました。
「きちんとした人と見られたい」「できる人に見られたい」「おしゃれな人と思われたい」「あの人素敵よねって思われたい」……他人にダメ出しされないように、他人にいいね! と言ってもらうための服がほとんどだったのです。
photo by iStock
つまり、自分でお金を出して「他人のための服」を買っていたことになります。他人とは、親や家族、友人、仕事関係者のような顔が思い浮かぶ存在もいれば、社会の目なども含まれています。 私のクローゼットに、他人がいっぱい!
そんなクローゼットを前にして“自分らしいおしゃれ”が見つからないのは当然の話なんですよね。
「他人のための服」を追い出したいのに、またしても「他人に植え付けられた観念」に引っ張られ、手放せない。どれほどクローゼットを他人に乗っ取られていることでしょう。
私のクローゼットが1000枚の服でごった返していた頃、対照的だったのが夫のクローゼットです。メーカーの営業マンとして働く夫は、仕事着であるスーツとワイシャツがビシッと並んだ美しいクローゼットの持ち主でした。毎週クリーニングに出すのが習慣で、乱れた状態を見たことは一度もありません。
photo by iStock
ところが私が服を捨て、本来の自分を生きはじめた頃、夫のクローゼットに違和感を覚えるようになりました。きれいに整頓され、愛されている服が入っているのに何かが違う。手をかけられている状態であるにもかかわらず、服が輝いて見えない。
これは持ち主と服が合っていない!
本当はスーツを着たくないのかな。夫が仕事を辞めると言いだすのも、時間の問題だと覚悟しました。そもそもなぜ夫は、スーツを着るような仕事を選んだのだろう。それは両親を安心させられる人間でありたかったからだと思います。まともな人間でいなければいけないと、親の思いを察し、新卒で入ったのが安定性のある企業でした。
10年以上も毎日スーツ出勤をしてきたけれど、本当に憧れていたのは、服装に縛りのない自由な働き方。営業の数字を追いかけるのではなくて、自分の楽しさを追いかけていける仕事。夫のクローゼットに入っていたのは、スーツに姿を変えた「親」でした。
圧力をかけられたわけではないけれど、子供であれば無意識のうちに抱いてしまう「親をがっかりさせたくない」という思い。実際のところ親にしてみれば、いい企業で働いてくれることよりも、どんな仕事であってもいいから健康で幸せに暮らしてくれたらそれでいい、というのが本音だったりします。
夫は料理が得意で、誰に対しても垣根がなく、悪口もグチも聞いたことがなく、みんなに助けてもらえるキャラクター。我が子に光るものがあることを一番よく知っているのも親なのだと思います。
あるとき夫は腹を決め、私よりも先に両親に会社を辞める報告をしていました。
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私たちは夫の退職を機に、山形へ移住。スーツを手放してひとまず主夫になった夫は、今までになくすっきりした表情をしていました。クローゼットにあった重たい空気も消え、晴れ晴れして見えました。
そう、もっとも手放せないと思っているものこそが、人生を詰まらせている太い栓。これが抜けると、人は想像もできないほどに大きく変容していくのは私も体験済み。必要なものは必ず入ってきます。
夫の場合は、仕事を手放し、たくさんの「ご縁」を手に入れてきました。そのひとつがアシュタンガヨガとの出会い。そのスタジオ、その先生、その仲間たちがいなければ続かなかったかもしれません。だから引き合わせてくれた「ご縁」こそが、手放して入ってきた「目に見えないもの」。
毎朝プラクティスに通うこと1年半。思いもしなかったのが、運動量のおかげで食事制限をすることなく15キロも減量。子供の頃から肥満体型だった夫が、人生ではじめて引き締まった体を手に入れていました。服のサイズも変わり、好きな服を選べる楽しさも経験し、世界が一変していました。
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アシュタンガヨガという人生をかけて大事にしたいものを手にしただけでなく、そこから広がっていく無限のご縁。スーツを捨てたからやってきたのです。
今の夫のクローゼットは、きれいとは言い難いけれど好きな服が並んでいます。でも、これが本来の姿。持っている服の数や見た目の美しさははっきり言ってどうだっていいのです。
大切なのは、本来の自分とクローゼットがつながること。自分自身を生きること。自分以外の人を変えようとする必要はありません。本当の自分を生きはじめると、そのさざなみは必ず広がっていくのだと思っています。