「セーラー服と機関銃」や「犬神家の一族」など、小説と映画を組み合わせる手法で数々の大ヒット作を飛ばし、「メディアミックスの生みの親」と呼ばれる角川春樹氏(81)が新たな“闘争”を開始した。裁判資料から見えてきた、その意外な「真相」とは――。
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【写真】「カ・イ・カ・ン…」 角川映画の代表作といえばコレ! 9月1日、角川春樹氏が「角川家の精神を象徴する家宝」の返還を求めて東京地裁に提訴した裁判が波紋を呼んでいる。被告となったのが弟・歴彦氏が名誉会長を務める公益財団法人「角川文化振興財団」という、いわば“身内”に対する訴訟だったためだ。

「角川春樹事務所」代表取締役として、いまも出版界の第一線に立つ春樹氏が訴訟の目的に挙げるのは、財団が保管している「角川家に代々伝わる天秤棒」の引き渡しという。訴状にはこう記されている。いまも“現役バリバリ”(角川春樹氏)〈本訴の目的物である天秤棒は、角川書店を創業した角川源義がその父である角川源三郎から承継し、源義の長男である原告が源義から承継して、現在、原告が所有している〉 角川書店(2013年の吸収合併に伴い、現在の商号はKADOKAWA)は1945年、国文学研究者であった角川源義が興した出版社だが、その父である源三郎は行商人などを経て、のちに米問屋として大成をおさめた人物。家宝の由来は、この祖父の生業と深く関係しているという。父から「死因贈与」 天秤棒は源三郎が魚の行商人として苦労を重ねていた時代に棒がデコボコになるまで使い続けたものとされ、訴状には〈角川家栄を築いた、角川家精神のあり方を指し示す象徴として、源三郎から源義が承継し、大切に座右に置き続けて〉きたとある。 その家宝を春樹氏が譲り受けるに至った経緯についても、こう記されている。1975年9月、肝臓がんを患って入院していた父・源義から、春樹氏は次のような言葉をかけられたという。〈「自分が亡くなったら、春樹が天秤棒を大切に大切に持ち続けてもらいたい。この天秤棒を見ては源三郎が築いた角川家の原点、その精神を常に思い出しなさい」と申し渡し(中略)これによって、源義から原告に天秤棒が死因贈与された〉 しかし93年、春樹氏がコカインを部下に指示して米国から密輸させたとして麻薬取締法違反で逮捕・起訴されたことがキッカケで、天秤棒は春樹氏の手を離れることに。当時、天秤棒は角川書店の社長室に置かれていたが、逮捕によって同社社長を辞任したことなどから、取り戻す機会も失ったという。 99年に一度、春樹氏は角川書店に天秤棒の返還を求めたが、春樹氏に代わって社長に就任した歴彦氏との対立関係から実現せず、そのまま月日は流れた……。五輪汚職事件で“再燃” 天秤棒が単なる「家宝」でなく、〈角川家祖先の祭祀、礼拝に供される位牌や仏具などと同等の祭具〉でもあったため、春樹氏にとって返還は悲願だったとされる。 事態が動いたのは昨年9月、東京五輪のスポンサー契約をめぐる汚職事件にからみ、歴彦氏が贈賄容疑で逮捕されたことだった。翌10月、春樹氏は改めてKADOKAWAに天秤棒の引き渡しを求めたが、天秤棒は同社でなく、財団が所持していることが判明したため、財団側に返還を要請。 財団は今年7月の回答書で、そもそも天秤棒は春樹氏の主張するような祭具(祭祀財産)ではなく、「商売道具」に当たると主張。そして春樹氏が父・源義から祭祀承継者に指定されたと認めるに足る、具体的な事実も提示されていないとして〈返還請求には応じかねます〉と門前払い。この対応を受け、春樹氏は今回の提訴に踏み切ったという。 春樹氏側の代理人弁護士に話を聞くと、「源義さんから春樹氏に譲渡がなされ、天秤棒が春樹氏の所有物であるのは動かしがたい事実。一方、財団および歴彦氏が天秤棒の承継を受けた事実はなく、財団が天秤棒を所持することに法的根拠が全くないのは明らかです。本提訴は所有者のもとに所有物を返してもらうという、極めてシンプルな訴えに過ぎません」 と話した。 一方、被告となった角川文化振興財団にも、提訴に対する見解や天秤棒を所持するに至った経緯などについて訊ねたが、「現在、係争中のため、回答は控えさせていただきます」 と答えるにとどまった。 80歳を越えてなお、闘争本能の衰えぬ「風雲児」が仕掛けた“最後のお家騒動”の結末やいかに――。デイリー新潮編集部
9月1日、角川春樹氏が「角川家の精神を象徴する家宝」の返還を求めて東京地裁に提訴した裁判が波紋を呼んでいる。被告となったのが弟・歴彦氏が名誉会長を務める公益財団法人「角川文化振興財団」という、いわば“身内”に対する訴訟だったためだ。
「角川春樹事務所」代表取締役として、いまも出版界の第一線に立つ春樹氏が訴訟の目的に挙げるのは、財団が保管している「角川家に代々伝わる天秤棒」の引き渡しという。訴状にはこう記されている。
〈本訴の目的物である天秤棒は、角川書店を創業した角川源義がその父である角川源三郎から承継し、源義の長男である原告が源義から承継して、現在、原告が所有している〉
角川書店(2013年の吸収合併に伴い、現在の商号はKADOKAWA)は1945年、国文学研究者であった角川源義が興した出版社だが、その父である源三郎は行商人などを経て、のちに米問屋として大成をおさめた人物。家宝の由来は、この祖父の生業と深く関係しているという。
天秤棒は源三郎が魚の行商人として苦労を重ねていた時代に棒がデコボコになるまで使い続けたものとされ、訴状には〈角川家栄を築いた、角川家精神のあり方を指し示す象徴として、源三郎から源義が承継し、大切に座右に置き続けて〉きたとある。
その家宝を春樹氏が譲り受けるに至った経緯についても、こう記されている。1975年9月、肝臓がんを患って入院していた父・源義から、春樹氏は次のような言葉をかけられたという。
〈「自分が亡くなったら、春樹が天秤棒を大切に大切に持ち続けてもらいたい。この天秤棒を見ては源三郎が築いた角川家の原点、その精神を常に思い出しなさい」と申し渡し(中略)これによって、源義から原告に天秤棒が死因贈与された〉
しかし93年、春樹氏がコカインを部下に指示して米国から密輸させたとして麻薬取締法違反で逮捕・起訴されたことがキッカケで、天秤棒は春樹氏の手を離れることに。当時、天秤棒は角川書店の社長室に置かれていたが、逮捕によって同社社長を辞任したことなどから、取り戻す機会も失ったという。
99年に一度、春樹氏は角川書店に天秤棒の返還を求めたが、春樹氏に代わって社長に就任した歴彦氏との対立関係から実現せず、そのまま月日は流れた……。
天秤棒が単なる「家宝」でなく、〈角川家祖先の祭祀、礼拝に供される位牌や仏具などと同等の祭具〉でもあったため、春樹氏にとって返還は悲願だったとされる。
事態が動いたのは昨年9月、東京五輪のスポンサー契約をめぐる汚職事件にからみ、歴彦氏が贈賄容疑で逮捕されたことだった。翌10月、春樹氏は改めてKADOKAWAに天秤棒の引き渡しを求めたが、天秤棒は同社でなく、財団が所持していることが判明したため、財団側に返還を要請。
財団は今年7月の回答書で、そもそも天秤棒は春樹氏の主張するような祭具(祭祀財産)ではなく、「商売道具」に当たると主張。そして春樹氏が父・源義から祭祀承継者に指定されたと認めるに足る、具体的な事実も提示されていないとして〈返還請求には応じかねます〉と門前払い。この対応を受け、春樹氏は今回の提訴に踏み切ったという。
春樹氏側の代理人弁護士に話を聞くと、
「源義さんから春樹氏に譲渡がなされ、天秤棒が春樹氏の所有物であるのは動かしがたい事実。一方、財団および歴彦氏が天秤棒の承継を受けた事実はなく、財団が天秤棒を所持することに法的根拠が全くないのは明らかです。本提訴は所有者のもとに所有物を返してもらうという、極めてシンプルな訴えに過ぎません」
と話した。
一方、被告となった角川文化振興財団にも、提訴に対する見解や天秤棒を所持するに至った経緯などについて訊ねたが、
「現在、係争中のため、回答は控えさせていただきます」
と答えるにとどまった。
80歳を越えてなお、闘争本能の衰えぬ「風雲児」が仕掛けた“最後のお家騒動”の結末やいかに――。
デイリー新潮編集部