―[家族に蝕まれる!]―
可愛らしいフリルがついたワンピースにランドセル。ピンク色に統一されたファッションで、みずき氏(27歳)は筆者のもとに訪れた。一部メディアなどでは“女装家”などと評されるが、本人は「当然のように男性として扱われるのは好かない」と話す。 人気番組『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)への出演経験もあり、YouTubeなどにも活動の場を広げるインフルエンサーだ。
奇抜なファッションもさることながら、学歴にも注目が集まる。神奈川県の名門・聖光学院中高を経て、東京大学卒。両親も東大卒。安易に「サラブレッド」と口をついで出そうになるが、「教育虐待の賜物」と言うだけあって、その禍根は決して無視できる種類のものではないようだ。
◆「母親とは心が通わない」諦めた出来事 「特に母親はかなりの見栄っ張りだと思います。子どもをいい学校へ入れたり尊敬される職業に就かせることが、自分のステータスと信じているように私にはみえました」
あまりにステレオタイプな価値観だが、みずき氏が強くそう感じたエピソードはなかなか興味深い。
「中学校1~2年生の頃の話です。私が変わり者なのは確かですが、母はそれを『学校でいじめられている』と解釈したらしいのです。そんな事実はありません。ところが、ありもしないイジメは彼女の脳内で“真実”になってしまい、私に『いじめられるために私たちは学費を支払ってるんじゃないんだ』と言い放ちました。
仮に子どもがいじめられていたとしたら、通常、親は子どもの精神面を心配したり、学校や加害者に憤るものだと思います。しかし母のなかでは『学校でいじめられるような立ち位置にいることが恥ずかしい』ということのようです。そのときに、彼女とは心が通わないと諦めました」
◆教育虐待は主に母から…その理由は?
みずき氏の母親は、中学受験界隈では知らぬ者のいない、日本中の才女をかき集めたような名門校を卒業している。それだけにプライドも高かった。そもそも結婚までの経緯に不満があったのではないか、とみずき氏は推測する。
「母が私を身ごもったとき、父は学部4年生だったらしいのです。父も母も研究職を志していましたが、母は『子どもを生むなら大学院は諦めて』と伝えたと言います。ところが、父は大学院へ進学し、現在は教授職です。母は公務員になりました。出産直後から、2人の間には諍いが絶えなかったらしいですね。
また、母は東京の超エリート校出身ですが、父は地方の出身です。教育虐待は主に母からのもので、父は子どもの教育そのものにあまり関心がなかったのかもしれません」
◆父は父で厳しかった記憶が…
だとすれば、父親のそばは居心地が良かったのではないか。しかし、みずき氏は横に首を振る。
「学歴や勉強に関する母のような熱狂はなかったものの、父には生活面をかなり厳しく躾けられました。今でも覚えているのは、小学校入学前から、『言われたことは、すぐにやる! 言われなくても、すぐにやる!』と何度も復唱させられたことです。
父と歩くときはその速度についていけず、何度も『どんくさい』と怒られました。優しい人だと思ったことはなく、安らげる存在でもありませんでした」
◆19歳までは自分で洋服を買ったことがなかった
みずき氏が現在のようにファッションで自分を表現できるようになったのは、親から解放された時期と重なる。

父と母は私の高校入学前後に離婚していて、母は私のファッションを嫌がってはいましたが、自分の新たな恋愛などで忙しくしていたのでしょう。あまり口出しはしてきませんでした。ただ、それは私が母の前で着たい洋服を着ていなかったこともあるかもしれません。出掛けるときはバッグに外で着る洋服を入れて、公衆トイレで着替えるなどをして、極力摩擦がないようにしていました」
◆「公務員試験を受けなかった」ため、家を追い出された
「私が大学4年生のころ、母が『公務員試験を受けなさい』と言ってきました。ところが興味が持てなくて、勉強にも身が入りませんでした。すると、家を追い出されたのです。私は大学や親戚の家に寝泊まりする日々を過ごすことになりました。
母は、考えの相容れない私を、頭がおかしいと信じて疑わなかったようです。そのため、民間企業への就職は無理だから、公務員か研究者になるしかないと考えていたようです。その提案を拒否した私をみて、『養育できないから出ていけ』というロジックで迫ったわけですね」
放浪生活ののち、みずき氏は母親の「大学院に進学するなら出戻りを許す」という条件を呑んだ。だが、間もなく本格的な決裂を迎える。
「アパレルに興味のあった私は、色彩検定などを受験していました。それを知った母が『こんな検定は公務員や研究者になるのに必要ない!』とヒステリーを起こしました。
私は小学生のころから、衣食住のために親の顔色をうかがって生きてきました。ヒステリーを起こす母をみて、もう限界だなと感じました。それを最後に母とは会っていません。賃貸を借りて、現在まで自活しています」
◆結婚自体に否定的な感情はないものの…
窮屈な子ども時代を過ごしたみずき氏は、結婚についてこんな考え方を持っている。
「個人的には、結婚はメリットが多いとは言えないものの、すること自体に否定的な感情を持ちません。ただ、子どもを生むのは、どうしても親の都合なのではないかと思えてしまうんです。
極論を言えば、子どもを作る親は、〇劼匹發鵬燭させたいこと、自分の代わりに叶えてほしいことがあるケース、∋劼匹發いることで得られるステータスを期待しているケース、自分の人生をかけた使命が特にない人が子育てに没頭することで満足しようとしているケース、のどれかに集約されるように感じるんです」
◆「親という個人が子どもを育てる」のは難しい
さらに育児について、“元子ども”の視点からこんな提案もする。
「親という、1人ないし2人の個人が子どもを育てるのは難しいのではないかと思うんです。親が備えていなければならないものは、愛情、財力、注意深さ、安心感を与える包容力など多岐にわたりますが、すべてがある人はかなり稀です。子どもは、親のエゴで作られたのに、顔色を伺いながら生きていかなければならない。それなのに親は『育ててあげている』と思っているケースが多く、自らの加害性に気づいていなかったりするんです。
究極の理想を言えば、すべての子どもを政府が養育したらいいのではないかと。もちろん現実には難しいので、個人ではなく、ある程度の共同体で育てるシステムがあってもいいのかなとも思っています」
冴え渡る頭脳に自らの経験を重ね、親子問題の核心をえぐる。活字にすればぎょっとする発言も飛び出すが、みずき氏の物腰は柔和で、終始にこやかだ。何かに遠慮するような、繊細そうな笑顔が印象的でさえある。それだけに、語調の強まるその瞬間だけは、これまで閉じ込められていた家庭という魔物の存在に思いを馳せずにはいられない。
<取材・文/黒島暁生>
―[家族に蝕まれる!]―