お代替わりで皇位は将来秋篠宮家に移ることがはっきりしたが、国民的な人気に後押しされて、宮さまと長男の悠仁さまを支えてきた宮家の女性陣にいま元気がない。さらに7月に秋篠宮妃紀子さま、9月末には次女の佳子さまが相次いでコロナに感染するなど、不運としか言いようがない。なぜこんなことになったのか。宮家のプリンセス方の歩みを振り返ると、見えてきたのは……。
【独占入手 写真46枚】「パーティーにお出かけ?」色気あふれるドレッシーな眞子さんと、笑顔で手をつなぐ圭さん 小室夫妻NY生活の現在のようすを見る佳子さまが取材の主役になった日 その瞬間「お~」という地響きのようなうなり声とどよめきが周囲を包んだ。

「努力をした経験はさまざまなところで生きる」 2007年2月3日、秋篠宮ご一家が葉山御用邸(神奈川県葉山町)に滞在中、隣接する葉山しおさい公園をご散策。生後5カ月の長男・悠仁さまにとって初の御用邸ご訪問で“公園デビュー”の日ということで、公園には新聞・テレビなどのカメラマンが大勢かけつけ待機していた。 うなり声はそのカメラマン席から上がったものだった。原因は佳子さま。取材陣の前に現れると、どよめきの後にカメラマンの間から、「ずいぶん可愛くなったなぁ……」 という感嘆の声ももれた。敬語ではないところに、図らずも漏れ出たリアルな本音だと感じられた。はにかんだ笑顔と、はつらつとした健康的な膝上丈のスカート姿が、映像のプロたちの心を一気につかんだようだった。「辛く、悲しい思いをいたしました」 そもそも公園デビューに大挙してカメラマンが集まったのは理由がある。天皇皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)の長女・愛子さまが03年5月13日に雅子皇后に連れられて赤坂御用地近くの新宿・みなみもと町公園で公園デビューを果たされた際は“お忍び”だったために撮影できなかったからだ。愛子さまでかなわなかったご成長記録の撮影を、悠仁さまでリベンジしようというのである。 しかし、それだけ注目されたこの日の写真取材の主役は、佳子さまにとって代わられた。佳子さまを“アイドル視”する傾向はこの時が始まりだった印象だ。 小学2年でフィギュアスケートを始め、ご自宅に程近い明治神宮外苑アイススケート場で練習を積まれると、07年4月には競技大会で部門優勝。さわやかなブルーの衣装で氷上を舞われるお姿が愛くるしいと評判を呼んだ。当時は浅田真央さんがまだ現役スケーターとして大活躍していてフィギュア人気が高まっており、佳子さまにも一層注目が集まった。高校でダンスを始め、大学でも続けられたことでネット上には短めのトップス姿でダンスをする佳子さまの華やかなプライベート写真や動画が時折アップされ、「ダンスはプロ級で笑顔はアイドル並み」「長女の気持ちをできる限り尊重したい」「表現力がすごい」 などと好評を博した。発表した文書でイメージが……「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」 19年3月22日、国際基督教大(ICU)の卒業に当たって発表した文書には、当時姉の小室眞子さんの結婚が延期されていたことについて、こう思いを綴られた。 眞子さんの結婚はSNS(交流サイト)上でも賛否が真二つに分かれたことは振り返るに及ばないが、この文書をきっかけに、佳子さまへのフォローウインドはアゲンストに変化。「佳子さまは皇室の一員なのに、公より私を重んじるのか」と反発を買い、イメージもアイドルから一変した。 その流れは眞子さんの結婚後も続き、今年に入ってからは赤坂御用地内で1人暮らしを始められたことを「なぜ隠していたのか」などという声があがっている。 元宮内庁幹部は、こう感想を吐露した。「2015年に静岡で行われた馬術大会で20歳の佳子さまは『努力をした経験はさまざまなところで生きる』と述べられました。これはご公務での初のお言葉です。馬術は陸軍騎兵学校教官だった竹田宮恒徳王が五輪出場を目指し、上皇陛下が高校で部の主将を務められた皇室伝統のもの。佳子さまはこれからご公務に励むという意思表明をされたと受け止めた人も多かったでしょう。ですがICUご卒業後も就職されず、これに厳しい意見が続々と出た。どうすれば佳子さまへの逆風が止むのか」国民的アイドルだった眞子さん「早くして!」 秋篠宮さまが眞子さん結婚直後の自身の誕生日会見で1番の思い出と述べられた07年8月のマダガスカル2人旅。15歳の眞子さんは現地で同行中の女官を、こう叱られた。 おっとりしたイメージだったものの、意外な一面が初めて垣間見えた。通常、皇族の映像に音声はつかないが、実はチェックミスで声が残り、テレビで放送されてしまったのだ。朝5時台の早朝番組のため全く話題にはならなかったが、筆者も驚いたものだ。 1991年10月に上皇ご夫妻(当時は天皇皇后両陛下)の“待望の初孫”として誕生した眞子さんは、当時はまさしく国民的アイドルだった。2017年9月に小室圭氏と婚約内定会見に臨むと「どうぞお幸せに」といった祝福の声がSNSで相次ぐ。まさに幸福の絶頂にあったが、眞子さん自身も自らの結婚騒動を契機に厳しい状況に直面する。「誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、辛く、悲しい思いをいたしました」 婚約者だった小室圭氏の母親の借金疑惑浮上で口火が切られた結婚騒動は、婚約内定会見から4年余となる21年10月26日、ようやく結婚を実現させて終止符が打たれた。紆余曲折の経緯は今さら述べるまでもない。婚姻届が提出されたこの日、2人は記者会見に臨み、眞子さんは複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されたことを明かした上で、SNS上の声に本音をぶつけられた。 だが、その局面が変わることはなかった。国民的アイドルだった幼少期からはあまりにも隔世の感があった。全国に広まった「紀子さんスマイル」だが……「お導きを賜りながら、自らの責務に向けて一層努めて参りたい」 1990年1月12日、一般の結納に当たる皇室の伝統行事・納采の儀を終えた紀子さまは正式に婚約者となったことを受け、こうコメントを発表された。この日からさかのぼること半年。昭和天皇の崩御で国全体がふさぎ込む中、皇室に明るい話題がもたらされた。89年9月12日、皇室会議で秋篠宮ご夫妻(当時は礼宮さまと川嶋紀子さん)のご婚約が決まったのだ。 川嶋家は故辰彦氏が学習院大で教鞭を執っていた関係から同大教職員用共同住宅で暮らしていたため、質素なお暮らしぶりをたたえ「3LDKのプリンセス」と呼ばれた。 これを境に90年6月の結婚の儀まで、紀子さまをテレビで見ない日はほぼなかった。当時はワイドショー全盛期。まるで芸能人扱いで、日課だったジョギングのご様子が連日のように放送された。時折お見せになる、恥じらうような笑顔は「紀子さんスマイル」と名付けられた。ご結婚後も順風満帆の日々だった。だがその紀子さまにも様々な意見が出ている。きっかけはやはり眞子さんの結婚騒動だった。「長女の気持ちをできる限り尊重したい」 2020年9月、紀子さまは自身の誕生日に際して発表した文書で、眞子さんの結婚についてこう言及された。“尊重”というキーワードにSNSの“住人”たちは敏感に反応した。「結婚を許すのか」「国民の血税を使ってわがままに育てたのは母親だ」 などという声が拡散されたのだ。とばっちりとも言える反応は、それだけ眞子さんの結婚に否定的な意見が多かったことを意味した。 平成期、羨望の眼差しが向けられた秋篠宮家のプリンセス3人は、令和となり思わぬ状況に直面している。前出の元宮内庁幹部はこう指摘する。「お三方が一転して逆風下にあるのは、批判に対する小室夫婦の木で鼻をくくったような姿勢が反感を買ったことが原因でしょう。一宮家から皇嗣家となり、責任も注目度も高まったことも影響したはず。佳子さまは最近ではご公務に励まれていますが、ご公務への姿勢の変化も1人暮らしで自立しようとされているのも、様々な理由で結婚に4年も費やした姉のケースを意識してのことではないでしょうか」 逆風が宮家全体に及び、若者を中心に広がる皇室への無関心や悠仁さまと愛子さまを比較するような議論を助長する結果になれば、残念なことだ。大島真生(おおしま・まなぶ)1968(昭和43)年東京都生まれ。新聞記者。産経新聞東京本社社会部で警視庁捜査一課担当、警視庁サブキャップ、同キャップ、警察庁担当、宮内庁キャップ等を歴任。著書に『公安は誰をマークしているか』『愛子さまと悠仁さま』(いずれも新潮新書)等。デイリー新潮編集部
その瞬間「お~」という地響きのようなうなり声とどよめきが周囲を包んだ。
2007年2月3日、秋篠宮ご一家が葉山御用邸(神奈川県葉山町)に滞在中、隣接する葉山しおさい公園をご散策。生後5カ月の長男・悠仁さまにとって初の御用邸ご訪問で“公園デビュー”の日ということで、公園には新聞・テレビなどのカメラマンが大勢かけつけ待機していた。
うなり声はそのカメラマン席から上がったものだった。原因は佳子さま。取材陣の前に現れると、どよめきの後にカメラマンの間から、
「ずいぶん可愛くなったなぁ……」
という感嘆の声ももれた。敬語ではないところに、図らずも漏れ出たリアルな本音だと感じられた。はにかんだ笑顔と、はつらつとした健康的な膝上丈のスカート姿が、映像のプロたちの心を一気につかんだようだった。
そもそも公園デビューに大挙してカメラマンが集まったのは理由がある。天皇皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)の長女・愛子さまが03年5月13日に雅子皇后に連れられて赤坂御用地近くの新宿・みなみもと町公園で公園デビューを果たされた際は“お忍び”だったために撮影できなかったからだ。愛子さまでかなわなかったご成長記録の撮影を、悠仁さまでリベンジしようというのである。
しかし、それだけ注目されたこの日の写真取材の主役は、佳子さまにとって代わられた。佳子さまを“アイドル視”する傾向はこの時が始まりだった印象だ。
小学2年でフィギュアスケートを始め、ご自宅に程近い明治神宮外苑アイススケート場で練習を積まれると、07年4月には競技大会で部門優勝。さわやかなブルーの衣装で氷上を舞われるお姿が愛くるしいと評判を呼んだ。当時は浅田真央さんがまだ現役スケーターとして大活躍していてフィギュア人気が高まっており、佳子さまにも一層注目が集まった。高校でダンスを始め、大学でも続けられたことでネット上には短めのトップス姿でダンスをする佳子さまの華やかなプライベート写真や動画が時折アップされ、
「ダンスはプロ級で笑顔はアイドル並み」
「表現力がすごい」
などと好評を博した。
「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」
19年3月22日、国際基督教大(ICU)の卒業に当たって発表した文書には、当時姉の小室眞子さんの結婚が延期されていたことについて、こう思いを綴られた。
眞子さんの結婚はSNS(交流サイト)上でも賛否が真二つに分かれたことは振り返るに及ばないが、この文書をきっかけに、佳子さまへのフォローウインドはアゲンストに変化。「佳子さまは皇室の一員なのに、公より私を重んじるのか」と反発を買い、イメージもアイドルから一変した。
その流れは眞子さんの結婚後も続き、今年に入ってからは赤坂御用地内で1人暮らしを始められたことを「なぜ隠していたのか」などという声があがっている。
元宮内庁幹部は、こう感想を吐露した。
「2015年に静岡で行われた馬術大会で20歳の佳子さまは『努力をした経験はさまざまなところで生きる』と述べられました。これはご公務での初のお言葉です。馬術は陸軍騎兵学校教官だった竹田宮恒徳王が五輪出場を目指し、上皇陛下が高校で部の主将を務められた皇室伝統のもの。佳子さまはこれからご公務に励むという意思表明をされたと受け止めた人も多かったでしょう。ですがICUご卒業後も就職されず、これに厳しい意見が続々と出た。どうすれば佳子さまへの逆風が止むのか」
「早くして!」
秋篠宮さまが眞子さん結婚直後の自身の誕生日会見で1番の思い出と述べられた07年8月のマダガスカル2人旅。15歳の眞子さんは現地で同行中の女官を、こう叱られた。
おっとりしたイメージだったものの、意外な一面が初めて垣間見えた。通常、皇族の映像に音声はつかないが、実はチェックミスで声が残り、テレビで放送されてしまったのだ。朝5時台の早朝番組のため全く話題にはならなかったが、筆者も驚いたものだ。
1991年10月に上皇ご夫妻(当時は天皇皇后両陛下)の“待望の初孫”として誕生した眞子さんは、当時はまさしく国民的アイドルだった。2017年9月に小室圭氏と婚約内定会見に臨むと「どうぞお幸せに」といった祝福の声がSNSで相次ぐ。まさに幸福の絶頂にあったが、眞子さん自身も自らの結婚騒動を契機に厳しい状況に直面する。
「誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、辛く、悲しい思いをいたしました」
婚約者だった小室圭氏の母親の借金疑惑浮上で口火が切られた結婚騒動は、婚約内定会見から4年余となる21年10月26日、ようやく結婚を実現させて終止符が打たれた。紆余曲折の経緯は今さら述べるまでもない。婚姻届が提出されたこの日、2人は記者会見に臨み、眞子さんは複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されたことを明かした上で、SNS上の声に本音をぶつけられた。
だが、その局面が変わることはなかった。国民的アイドルだった幼少期からはあまりにも隔世の感があった。
「お導きを賜りながら、自らの責務に向けて一層努めて参りたい」
1990年1月12日、一般の結納に当たる皇室の伝統行事・納采の儀を終えた紀子さまは正式に婚約者となったことを受け、こうコメントを発表された。この日からさかのぼること半年。昭和天皇の崩御で国全体がふさぎ込む中、皇室に明るい話題がもたらされた。89年9月12日、皇室会議で秋篠宮ご夫妻(当時は礼宮さまと川嶋紀子さん)のご婚約が決まったのだ。
川嶋家は故辰彦氏が学習院大で教鞭を執っていた関係から同大教職員用共同住宅で暮らしていたため、質素なお暮らしぶりをたたえ「3LDKのプリンセス」と呼ばれた。
これを境に90年6月の結婚の儀まで、紀子さまをテレビで見ない日はほぼなかった。当時はワイドショー全盛期。まるで芸能人扱いで、日課だったジョギングのご様子が連日のように放送された。時折お見せになる、恥じらうような笑顔は「紀子さんスマイル」と名付けられた。ご結婚後も順風満帆の日々だった。だがその紀子さまにも様々な意見が出ている。きっかけはやはり眞子さんの結婚騒動だった。
「長女の気持ちをできる限り尊重したい」
2020年9月、紀子さまは自身の誕生日に際して発表した文書で、眞子さんの結婚についてこう言及された。“尊重”というキーワードにSNSの“住人”たちは敏感に反応した。
「結婚を許すのか」
「国民の血税を使ってわがままに育てたのは母親だ」
などという声が拡散されたのだ。とばっちりとも言える反応は、それだけ眞子さんの結婚に否定的な意見が多かったことを意味した。
平成期、羨望の眼差しが向けられた秋篠宮家のプリンセス3人は、令和となり思わぬ状況に直面している。前出の元宮内庁幹部はこう指摘する。
「お三方が一転して逆風下にあるのは、批判に対する小室夫婦の木で鼻をくくったような姿勢が反感を買ったことが原因でしょう。一宮家から皇嗣家となり、責任も注目度も高まったことも影響したはず。佳子さまは最近ではご公務に励まれていますが、ご公務への姿勢の変化も1人暮らしで自立しようとされているのも、様々な理由で結婚に4年も費やした姉のケースを意識してのことではないでしょうか」
逆風が宮家全体に及び、若者を中心に広がる皇室への無関心や悠仁さまと愛子さまを比較するような議論を助長する結果になれば、残念なことだ。
大島真生(おおしま・まなぶ)1968(昭和43)年東京都生まれ。新聞記者。産経新聞東京本社社会部で警視庁捜査一課担当、警視庁サブキャップ、同キャップ、警察庁担当、宮内庁キャップ等を歴任。著書に『公安は誰をマークしているか』『愛子さまと悠仁さま』(いずれも新潮新書)等。
デイリー新潮編集部