京都駅にてXユーザーのまほ子(@mahoccco)さんが慌てて乗車したのは修学旅行専用列車でした。席を埋める中学生を視線を浴び、名古屋で特別に降車するまでの決まり悪さといったら…。行楽シーズン、駆け込み乗車の悲劇にご注意ください。
【写真】修学旅行専用!「京都から間違えて修学旅行専用車両に乗ってしまい(中略)もう駆け込み乗車はしません」。自戒を込めて恥ずかしい話を披露したまほ子さんに聞きました。

ーー京都からどちらに行く予定だったのですか「都内の矯正歯科に行くために品川まで行くつもりでした」ーー予定とは違う列車に乗ってしまったのは「45分発に乗ろうとしたら発車ベルが鳴り、『えまだ時間あるのに』と焦って駆け込み乗車したのが経緯です。修学旅行専用列車の場合はドアを塞ぐ場合があると後でお聞きしたのですが、私が誤った乗った列車は塞がっていませんでした」ーー悲劇の始まり「中学生ばかりで席に座ろうとしたら、修学旅行専用車両ですよと引率の教員に言われて気付きました。車掌さんにどうしたらいいか聞いた方がいいと言われ、車掌室まで行き事情を説明しました。東京駅までノンストップと聞きました」ーー名古屋で降ろしてもらえてよかったですね「東京まで立ちっぱなしは辛いと思っていたら、止まるけどドアの開かない名古屋で急遽手動でドアを開けていただきました」「そもそも修学旅行専用という貸切列車が存在することを知りませんでした。ホームの確認はしてたものの、これからは行き先を確認してから乗ろうと思いました。車掌さんにはお手間を、修学旅行生には不審者になってしまい申し訳なかったです」と反省しきりのまほ子さん。行楽シーズンですが、慌てていても行き先表示の確認をお忘れなく。国土交通省のサイトにある「鉄道主要年表」をひもとくと、「昭和34年4月20日 東海道線に運行開始」とあり、これが修学旅行専用車両の始まりのようです。全国修学旅行研究協会のサイト「修学旅行ドットコム」は、その歴史を詳述。一部を紹介します。昭和34年、東京都中学校連合の「ひので号」、京阪神三市中学校連合の「きぼう号」が誕生した。これが計画輸送の修学旅行専用の車両を新造した最初である。この修学旅行専用電車は、海側6人、山側4人のボックスで、飲料水タンクを搭載し、トイレなども完備した画期的な設備を持っていた。 スピードは特急並みで、東海道本線を往路昼行、復路夜行のパターンで、春、夏、秋にかけてフル運転を行った。続いて東海三県中学校連合の「こまどり号」、近鉄では小学校連合の「あおぞら号」、東海道本線には関東中学校連合の「わかくさ号」、近畿地区中学校連合の「わかば号」、山陽本線の電化に伴って、中国地区の「わこうど号(高校)」、「ゆうじょう号(中学)」、「なかよし号(小学)」に加えて、九州中学校連合の気動車「とびうめ号」、東北中学校連合の「おもいで号」、さらに関西汽船では、修学旅行専用船「わかば丸」「ふたば丸」等、各地で修学旅行専用の車両や船が昭和40年代前半にかけて続々と誕生した。しかし、新幹線の利用を機に、専用車両、専用船は次々にその姿を消していった。修学旅行がその姿を変えた今も、欠かせない輸送手段となっている新幹線。JR東京駅から関西方面に行く東海道新幹線の専用臨時列車は例年10月まで運行され約7万人の中学生が旅立っているそうです。(まいどなニュース・竹内 章)
「京都から間違えて修学旅行専用車両に乗ってしまい(中略)もう駆け込み乗車はしません」。自戒を込めて恥ずかしい話を披露したまほ子さんに聞きました。
ーー京都からどちらに行く予定だったのですか
「都内の矯正歯科に行くために品川まで行くつもりでした」
ーー予定とは違う列車に乗ってしまったのは
「45分発に乗ろうとしたら発車ベルが鳴り、『えまだ時間あるのに』と焦って駆け込み乗車したのが経緯です。修学旅行専用列車の場合はドアを塞ぐ場合があると後でお聞きしたのですが、私が誤った乗った列車は塞がっていませんでした」
ーー悲劇の始まり
「中学生ばかりで席に座ろうとしたら、修学旅行専用車両ですよと引率の教員に言われて気付きました。車掌さんにどうしたらいいか聞いた方がいいと言われ、車掌室まで行き事情を説明しました。東京駅までノンストップと聞きました」
ーー名古屋で降ろしてもらえてよかったですね
「東京まで立ちっぱなしは辛いと思っていたら、止まるけどドアの開かない名古屋で急遽手動でドアを開けていただきました」
「そもそも修学旅行専用という貸切列車が存在することを知りませんでした。ホームの確認はしてたものの、これからは行き先を確認してから乗ろうと思いました。車掌さんにはお手間を、修学旅行生には不審者になってしまい申し訳なかったです」と反省しきりのまほ子さん。
行楽シーズンですが、慌てていても行き先表示の確認をお忘れなく。
国土交通省のサイトにある「鉄道主要年表」をひもとくと、「昭和34年4月20日 東海道線に運行開始」とあり、これが修学旅行専用車両の始まりのようです。
全国修学旅行研究協会のサイト「修学旅行ドットコム」は、その歴史を詳述。一部を紹介します。
昭和34年、東京都中学校連合の「ひので号」、京阪神三市中学校連合の「きぼう号」が誕生した。これが計画輸送の修学旅行専用の車両を新造した最初である。この修学旅行専用電車は、海側6人、山側4人のボックスで、飲料水タンクを搭載し、トイレなども完備した画期的な設備を持っていた。 スピードは特急並みで、東海道本線を往路昼行、復路夜行のパターンで、春、夏、秋にかけてフル運転を行った。続いて東海三県中学校連合の「こまどり号」、近鉄では小学校連合の「あおぞら号」、東海道本線には関東中学校連合の「わかくさ号」、近畿地区中学校連合の「わかば号」、山陽本線の電化に伴って、中国地区の「わこうど号(高校)」、「ゆうじょう号(中学)」、「なかよし号(小学)」に加えて、九州中学校連合の気動車「とびうめ号」、東北中学校連合の「おもいで号」、さらに関西汽船では、修学旅行専用船「わかば丸」「ふたば丸」等、各地で修学旅行専用の車両や船が昭和40年代前半にかけて続々と誕生した。
しかし、新幹線の利用を機に、専用車両、専用船は次々にその姿を消していった。
修学旅行がその姿を変えた今も、欠かせない輸送手段となっている新幹線。JR東京駅から関西方面に行く東海道新幹線の専用臨時列車は例年10月まで運行され約7万人の中学生が旅立っているそうです。
(まいどなニュース・竹内 章)