厚生年金の支給開始年齢引き上げや、少子化による人手不足の影響で、定年後も再雇用で働くのが当たり前になった昨今。とはいえ、退職前よりも給与は下がるのが一般的だ。仕事は変わらないのに、給与だけ下がるのは法的に問題ないのか? 何パーセントダウンまでなら許容範囲内なのか? 特定社会保険労務士の土井裕介氏が、「名古屋自動車学校事件」「長澤運輸事件」などの判例をまじえながら解説する。
「定年後の給料どうなるのかな」
製造業で品質管理の業務に従事するAさんは、半年後に定年を迎えます。
Aさんの会社では半年前に再雇用の希望を出すスケジュールとなっているのですが、会社から具体的な労働条件は提示されず、再雇用にあたり不安を抱えていたそうです。
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同年代で今年1月に定年を迎えた営業部のBさんが、「全然割に合わないよ。給料半分で担当する顧客数変わらないから。今年なんて去年働いた分の税金であまり手元に残らないんじゃないかな」とぼやいていたのを聞いて、自身の再雇用後の仕事、給料についていよいよ他人事ではなくなってきたというのです。
また、「名古屋自動車学校事件」の最高裁判決のニュースを見て、うちの会社も違法なんじゃないかと気になり出したのです。
名古屋自動車学校事件とは、名古屋自動車学校に教習指導員として勤めていた男性2人が、定年後、嘱託職員として再雇用後、基本給などの賃金が大幅に減額されたのは不当な待遇差だとして、学校側に定年前との差額分の支給を求めた事件のことです。
再雇用後も教習指導員として勤務し、仕事内容や仕事の変更範囲に相違がないにもかかわらず、正社員と比較して基本給が50%以下、基本給以外の賞与等を含めた総額でも60%前後にとどまるという労働条件でした。結果として、名古屋地裁、名古屋高裁とも「不合理」だという判断をしていました。
ところが、今回の最高裁の判断は「差戻し」、つまり名古屋地裁、名古屋高裁において審理が不十分だという理由で名古屋高裁でやり直せという判断がされたのです。
とはいえ、仕事内容が変わらない中で基本給が50%以下になっているのも事実であるため、今後の動向を見ていく必要があるでしょう。
そもそも高年齢者の再雇用について、法律上どのようなルールがあるのでしょうか。
まず、高年齢者雇用安定法という法律では、定年を定める場合は60歳以上にするよう義務付けられています。
また、定年年齢を65歳未満に定めている場合は、
(1) 65歳まで定年を引き上げる
(2) 65歳まで継続雇用制度を導入する
(3) 定年を廃止する
のうち、いずれかの措置を取って65歳までの雇用を確保するよう義務付けられています。
高年齢者雇用安定法上は、65歳までの雇用を義務付けているだけで「仕事内容は大きく変えてはいけない」「賃金は60%以下に下げてはいけない」など、再雇用後の労働条件について特段決められているわけではありません。
また、筆者が担当するクライアントも、(2)の継続雇用制度を導入しているところが大半です。それは、60歳で定年とし、嘱託等で再雇用することにより、賃金を見直すことができるからです。
令和4年の厚生労働省の統計では、(1)を実施している企業は22.8%、(2)を実施している企業は70.6%、(3)を実施している企業は4.2%といったように、全体の7割が継続雇用制度を導入して賃金の見直しをしていることが分かります。
筆者のところには、「再雇用後、何割くらい賃金を下げることが妥当ですか」といったような質問が寄せられます。
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法律上は、恣意的に極端に給料を下げてしまう場合は、不合理だと言われてしまう可能性があります。例えば、今まで第一線で活躍してきた年収800万円の営業マンに対して、再雇用後、オフィスの清掃や雑務などを行う業務に最低賃金で配置するといった場合には、認められなくなる可能性が高くなるわけです。
つまり、最低賃金に抵触せず公序良俗に反しない限り、会社のルールで賃金を設定することが可能となるのです。
当然、何割下げられるか、もしくは事例を教えてほしいといった質問を受けることもありますが、正直、業界や業種、再雇用後どのような仕事をするかによっても異なるため、一律で答えられるわけではありません。
筆者が見てきた中では、実態として全く下げない会社もあれば、定年時の30%程度まで下げている事例もあるなど、対応は会社によって様々です。
また、雇用保険から再雇用後の賃金を補填する趣旨で支給される高年齢雇用継続給付という給付金があります。この制度は、再雇用後の賃金が60歳到達時と比べて75%未満に下がった場合に雇用保険から給付金が支給される制度で、61%以下に下がれば再雇用後の賃金の15%が支給(上限あり)されます。
例えば、定年前に40万円の給料だったが、再雇用後に50%である20万円に下がってしまったというケースでは、20万円の15%である3万円が支給されるということです。
つまり、賃金が60%まで下がって最大の給付金が支給される仕組みになっていることを考えると、60%程度までであれば許容されるのではないかという考え方もあり、そこまで下げている会社も実態として数多くあるわけです。
ただし、全く仕事内容や仕事の変更範囲が変わらないとなると、当然のように60%にするということは不合理だと判断される可能性も高くなります。
実際、名古屋自動車学校事件において名古屋地裁は、「高年齢雇用継続給付制度では、定年後再雇用時の賃金が60歳時の賃金の61%以下になる事態も想定されている。しかし、そのことで定年後再雇用時の賃金が61%以下となる労働条件の設定が常に許容されるというものではない」という判決を出しています。
また、定年後再雇用の賃金について、大きな影響を与えたものに「長澤運輸事件」の最高裁判決があります。
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長澤運輸事件は、セメントなどの輸送会社を営む長澤運輸において定年後に嘱託乗務員として再雇用されたトラック運転手の男性3人が、定年前と同様の業務内容であるにもかかわらず、賃金を下げられたのは違法だとして、定年前と同じ賃金を支払うよう会社に求めた訴訟です。
再雇用後、仕事内容や仕事の変更範囲について相違はなかったにもかかわらず、年収ベースで79%になった事案です。
具体的には能率給、職務給、精勤手当等が支払われなかったこと、時間外手当の金額が低かったことや、賞与が支給されなかったことについて争われたのです。
裁判の結果、精勤手当や時間外手当については不合理だとしたものの、賃金の引き下げは不合理にはあたらないと概ね会社が勝訴した形となりました。
この裁判のポイントは、不合理かどうかを判断するにあたり賃金の総額を比較することのみによるのではなく、賃金項目の趣旨を個別に考慮することが挙げられています。
例えば、精勤手当が支給されないことが不合理かどうかを判断するにあたっては、精勤手当は休まずに出勤した場合に支給される手当となるため、「休まずに出勤したのであれば正社員、嘱託社員にかかわらず支給されないとおかしい」といった具合です。
また、もう一つのポイントとして、定年前と定年後は事情が異なるから賃金に対する考え方も異なるという点です。つまり、再雇用後は長く雇用することは想定していないし、老齢年金も受給する予定があることを考えると、賃金について定年前の正社員と同様に考えることはできないという点です。
このように、単純に約80%程度であれば下げてもいいと安易に判断するのではなく、それぞれの手当がどのような目的で支給されるのか、また、どのような背景で決定したのかなどを総合的に考えて不合理かどうかを判断することになるわけです。
定年前は再雇用後の収入がどうなるのか、年金がいつからいくら支給されて教育費や住宅ローンなど支出はどうなるのか等、ライフプランを具体的に考える時期となります。Aさんのように、自分の処遇がどうなるのか心配になるケースも少なくありません。
そして、労使双方でコミュニケーションを取っておらず、再雇用後の労働条件を提示したらトラブルになったというケースもまた少なくないのです。
パートタイム・有期雇用労働法上、会社は労働者から再雇用後の処遇について説明を求められた際には説明する義務が課されています(パートタイム・有期雇用労働法第14条第2項)。
したがって処遇に差を設ける場合は、なぜ差があるのか説明できるように準備しておく必要があります。「定年前の役職がなくなったから」「異動がなくなるから」「担当するエリアが限定されるから」等、合理的に説明できるようにしておくことで、「同じ仕事なのになぜ違うの?」といった意見も減る可能性があるでしょう。
もし会社からの説明が、ただ単に「嘱託だからこうなります」といったような説明の場合には法律上の説明義務が果たされたとはいえないですし、納得もできないでしょう。
その他にも、再雇用後の仕事内容や労働条件等で気になることがあれば、事前に確認しておくことで想定と違ったということもなくなるでしょう。なお、再雇用後の契約更新も同様にケアは必要といえるでしょう。
令和3年4月から、70歳までの就業機会確保も努力義務として課されている中で、週3勤務や短時間勤務など多様な働き方も見られています。フルタイムだけにとらわれず、高齢者のニーズにも応えた働き方は労働力不足を考えるうえでも重要な位置づけといえるでしょう。
働き方が多様化する中で、労働条件の説明もより重要度が上がります。就業規則の記載についても工夫するとよいでしょう。
例えば、給料の各手当について今までのように支給要件だけ記載するのではなく、どんな目的で支給されるものなのかまで落とし込むことによって、労働者がより理解しやすくなります。また、パートタイム・有期雇用労働法上の義務も果たしやすくなります。
説明することはもちろんのこと、手当の目的まで「見える化」することでミスマッチをなくす取組みの一つとなります。今後、長く気持ちよく働ける職場づくりの第一歩となるでしょう。