いつか死ぬとはわかっていながら、人はその現実を見ようとせず、漫然と日々を過ごしてしまう。いっそ終わりを意識したほうが、充実した日々を生きられるのでは―。
難病にかかった教授の提言。
前編記事『「余命10年を告げられて毎日が楽しくなった」元経産官僚・岸博幸さん(61歳)が「多発性骨髄腫」になって悟ったこと』より続く。
人はいくつになっても変化を恐れなくていい―そう感じる出来事が、闘病中にあったという。
抗がん剤治療の結果、髪の毛がガンガン抜け始め、完全になくなってしまいました。抗がん剤の副作用は知っていましたから、ショックを受けるかな……と思っていたんですが、そんなことはまったくなかった。
見た目の変化は5分もすれば慣れるものです。60を超えたおじさんの髪型なんて、誰も気にしないですよ(笑)。「自分はこの髪型であるべきだ」なんて自分が勝手に思っているだけで、むしろそんな思い込みが、新しい髪型やスタイルを楽しむ可能性を阻害している。
そう考えると、髪型も人生も同じだなと思うようになりました。60を超えた人の生き方なんて、誰も気にしていない。あるのは「こんなことをすれば誰かに笑われるんじゃないか」という恥じらいと見栄だけ。
退院してから日が浅く、具体的にどうするかはまだ考えている最中ですが、もう一度日本経済の最前線に戻ろうと思っています。この数年、自分は教授・評論家という立場でメディアでエラそうにものを言ってきましたが、実際に自分の手を動かすことはあまりなかった。
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だから、もう一度プレイヤーとして、日本経済や社会に関わりたい。日本にはいまだにたくさんの規制や慣習が根づいていますが、それらを取り除くようなことに時間を使いたい。
退院後から早速動き出しているので、近いうちにそれがどういうことなのか、発表できると思います。
もう一つの目標は、死ぬまでにおカネをしっかりと使うこと。私には中学生と小学生の子供がいますが、彼らに残すためのおカネを稼ごうという気持ちはありません。もちろん、学校を卒業するまでは面倒を見ますが、彼らが卒業するのが早いか、自分が死ぬのが早いかという状況。必要以上のおカネを残すつもりはありません。
どこかで「子供のために」と思ってセーブしていた時間とおカネを、できるだけ自分の楽しみのために使っていくつもりです。
先行き不透明な時代ということもあるのでしょうが、いまの時代、「老後、どうやっておカネを大きく取り崩さずに生きていくか」「どれだけ多くの資産を子供たちに残せるか」の話ばかり。大げさではなく、そのマインドが日本社会を停滞させている根本原因だと思っています。
高齢者が自分の楽しみと変化のためにしっかりおカネを使えば、社会も明るくなっていくはず。残りの10年間、私は自分の楽しみのためにおカネを使います。
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もしも10年で死ななかったら?おカネが尽きていて、苦しい老後を迎えるかもしれません。でも、そんな状態なら結局長生きはできませんから、思い悩む時間も短いですよ。漠とした不安を抱えながら細々と生きながらえるよりも、これからの10年間を悔いなく過ごしたいのです。
病気であるかどうかに関係なく、人生には必ず終わりが来る。それを見越して、逆算して人生を楽しむ方法を考えること。そうすれば、いま思い悩んでいることがバカバカしくなり、生き方がガラリと変わると思いますよ。
私のこれからの生き方を見ていてください。「最高の人生だったな」と言って旅立てるように、皆さんが羨むような「余生」を送りますから。
きし・ひろゆき/’62年生まれ。大学を卒業後、通産省(現・経産省)に入省。’06年に退官後は教授となり、評論家としても活動している
「週刊現代」2023年9月23日号より