―[奈落からの再起~寄り道してたどり着いた現在地~]―
キレイごとに聞こえるかもしれないが、再起のきっかけさえあれば、人は変わる。 間違った方向へ人生が流れそうになったとき、自らの手にある“踏み止まれるもの”を自覚する者は幸福である。自分の人生をどう設計していくか。すなわち、私たちはどう生きたいか。一度道を外れて尚、現在は仕事で社会貢献する者たちの軌跡を追いかける。腫れ物だった彼らが這い上がるまでのドラマに迫った。
東京都台東区に事務所を構える諸橋法律事務所。代表弁護士の諸橋仁智氏は、ヤクザから弁護士へ転身した異色の法曹だ。覚せい剤にまみれ、精神病院への措置入院まで体験した氏が弁護士になるまでの道程を振り返る。
◆覚せい剤は「予備校の先輩にもらった」 「もともと私は勉強が好きで、故郷ではちょっとした神童扱いだったと思います。学生時代の成績もよく、大学は東京大学を本気で狙える位置にいました。結果的に届かず、私は浪人することを決めました」
だが大学受験のために通うはずの予備校が、覚せい剤に手を出すきっかけになってしまう。
「覚せい剤は、仲の良かった予備校の先輩にもらいました。東大に行けなかった時点で少し投げやりになっていたところがあって、『こんな人生に何の意味もないな』と感じていたころです。私は昔から思い切りがよくて、やると決めたらどんどん突き進むタイプです。だから覚せい剤も、そこまで躊躇せずに手を出しました」
◆“商才”を活かして売人として頭角を現す
明晰で判断が早く、思い切ったらすぐに行動を起こす。ヤクザになるまでも、そこまでの時間を要さなかった。
「不良界隈にとってヤクザは権威があって、一目置かれた存在です。すでに実際にヤクザにかかわる機会も多くあった不良時代の私は、メリットとデメリットをすべて理解したうえで、ヤクザになることを選択しました。」
盃を交わした諸橋氏は、その頭脳によって覚せい剤の売人としての頭角をすぐに現した。
「非合法なものは利幅も大きいですから、すぐに儲けることはできました。子供のころから利に聡いところがあって、故郷で虫を捕まえてきて『これ、いくらで売れるかな?』とか母親に聞いて呆れられていました。実家には家業があって広大な土地がありましたが、私の商才のようなものは親から受け継いだものではないような気がします」
◆親分から「シャブを抜け」と指示されるも…
覚せい剤が身近な存在になると、自身で試す機会が増える。抗いがたい薬物への欲求との戦いが始まった。覚せい剤は神経を興奮させる反面、抜けると虚脱感から日常生活もままならないことがある。
「親分のカバン持ちの仕事があるのに時間を守れなかったり、迎えに行っても身なりが整っていなくて心配される始末でした。とうとう親分から『シャブを抜け』と言われて1週間近く事務所で過ごしましたが、その間にも仲間にこっそりもらったりするような、駄目なヤクザに成り下がっていました。
あくる日には、渋谷のスクランブル交差点では服を脱ぎ、傘を振り回して“交通整理”をやっていたそうです。まったく記憶にありません。そこから、精神病院への措置入院が決まりました」
◆ヤクザを破門され、資格試験の勉強を開始
東京の精神病院を退院したあとも、諸橋氏はさまざまな問題を起こして地元の精神病院に措置入院することになった。その間に、慕っていた親分から破門を突きつけられてしまう。ヤクザで成功する夢は潰えた。

また、極妻から弁護士になった大平光代先生の存在を知り、彼女もまた宅建の勉強から始めたことに縁を感じました。大平先生の著書『だから、あなたも生きぬいて』(講談社)はバイブルです。自分も本気で勉強して、司法試験に挑戦しようと思いました」
◆「アンチのおかげ」で頑張り抜けた
だが、世間は冷たい。元覚せい剤使用者が司法試験を目指すことをブログで発表すると、瞬く間にアンチからのコメントにさらされた。
「結構叩かれましたよ。『シャブ中毒が受かるわけない』みたいなコメントはたくさん来ました。そんななかで私が奮起するきっかけになったのは、『こいつはまたシャブをやる』という趣旨の書き込みです。覚せい剤の誘惑は容易には断ち切り難く、確かに何度も『やりたい』と思ったことはあります。けれど、それをせずに絶対頑張り抜くんだと思えたのは、アンチのおかげかもしれません」
◆ネットの辛辣なコメントに対して思うこと
とはいえ、過去に過ちを犯した人間が更生した際、あまりにも世間が過剰に反応する現代の風潮には、諸橋氏も疑義を呈する。
「人にたくさん迷惑をかけてきた人間が更生してある分野で成功すると、必ずそれを良しとしない人たちからのコメントに晒されますよね。『過去のことは消えない』『更生したふりをしている』『美談にするな』など、辛辣なものが多い。
ネット社会において私が問題だと思うのは、その書き込みを当人が見てしまうことですよね。まったく傷つかない人はほとんどいないと思います。本人の知らないところで悪口を言っているのとは次元が違いますから。
それから、今はくすぶっているけれども『これから頑張ろう』と思っている人がそのコメントを見たときに、『成功したとしても吊るし上げられるのではないか』と萎縮してしまう可能性もあります。
確かに私たちは多くの人に迷惑を掛けました。過去の行動を正当化なんてできません。しかし、“出る杭”を徹底して打ち、その人の人生がどんなふうになっても容赦しないネット言論のあり方は、見直していく必要があると思います」
這い上がろうとする人を過去に縛り付けたがる者たちの悪意は根深い。だが諸橋氏は、その悪意が追いつかないほど努力に徹した。「あなたも生き直せる」。相談者に向き合う弁護士の言葉として、これほどの説得力はあるまい。
<取材・文/黒島暁生>
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