〈「2年間で800万円貯まった」「新人記者は黒塗りのハイヤーでサツ回り」…それでも朝日新聞記者をやめて探検家に転職した角幡唯介(47)の超痛快人生〉から続く
「これもう100回ぐらい、そうじゃないって説明したんですけど、みんなもう面白おかしく言ってるだけです」
《写真を見る》「みんなもう面白おかしく言ってるだけ」日本経済の破壊者と言われたことも…竹中平蔵さん(72)の今
元パソナ会長の竹中平蔵氏が辟易する「ワイドショー的な議論」とはいったい? 100万人超え登録YouTubeチャンネル「日経テレ東大学」(※2023年5月末で動画視聴終了)の人気トーク番組を書籍化した『なんで会社辞めたんですか?』(編著:高橋弘樹、日経テレ東大学/発行:東京ニュース通信社/発売:講談社)より一部抜粋してお届けする。
元パソナ会長・竹中平蔵氏が悩む「ワイドショー的な議論」とは? getty
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高橋弘樹(以下、高橋) 竹中さんはパソナグループの会長を2022年8月にお辞めになられたということで、ささやかですが、ご卒業おめでとうございますの花束をどうぞ!
竹中平蔵(以下、竹中) ありがとうございます。
高橋 何年間勤められたんですか?
竹中 13年間ですね。
高橋 会長職としては、結構長いですね。今回、「なんで会社辞めたんですか?」というテーマでいろいろお聞きしていきたいんですけど、その前にまずはパソナでどういうことをなさっていたのかを教えてください。
竹中 最初、南部靖之代表から「パソナで会長をやっていただけませんか」と言われた時、「私は公共事業を減らしたり、郵政を民営化したり、一部の既得権益者にすごく恨まれています。そんな私が会長をやると、謂れのない批判が会社にいって、パソナにご迷惑がかかりますよ」と申し上げたんです。
南部さんは非常に立派な経営者ですから、「そんなの構わないから、一緒に労働市場を良くしていきましょう」とおっしゃいました。その言葉に感銘を受けてお受けしました。私はこれまでに政府や大学関係の仕事も経験しましたから、取締役会に出席して、経済や社会の動向について提案を行いました。
高橋 会社の具体的な事業というよりは、もう少しマクロな政府の方向性とかについて議論していったという感じですか?
竹中 いえ、会社自体の方向性もそうですし、今、社会はこんな方向に動いてるから、その方向に合わせて事業もこうしていったらどうかとか、そういうことですね。
高橋 具体的にはどんなことされていらしたんですか?
竹中 私は、ビジネスの現場に詳しいわけではないですけれど、これからはより一層、デジタル化を進めなければいけません。今までは人と人とが対面してやっていたことをいかにデジタル化していくか。それが一番大きかったかもしれませんね。
それと、今後、労働市場はどんな風に変わっていくだろうかということで、労働市場の変化に合わせていろんなことをやらなければいけないと。基本的には「同一労働同一賃金」――これを実現できるかどうかですよね。日本の労働市場というのは明らかに二重構造になっているわけです。
はっきり言いますと、正社員は特権を持っていて、その特権は1979年の東洋酸素(現・日本酸素)事件における東京高等裁判所の判例によって守られていて、正社員というのは首をほとんど切れないことになっています。
そうすると企業にとってみると、これは固定費になります。固定費が大きくなるのは耐えられないので、その高裁の判例が適用されないような部分について非正規社員を増やしてきたという意味で、二重構造になってるわけです。でも、やはり二重構造はおかしいんです。一緒に働いているのだから同一条件にしないといけません。同一労働条件を目指す法律もできてきたわけで、そこが大きな変化の方向です。
高橋 竹中さんがされてきた派遣の拡大とかですね。
竹中 いえ、そこが間違ってるんですよ。厚生労働省がやったんです。私は1990年くらいからずっとやってるし、小泉(純一郎)内閣の10年以上前からやっているし、現実にそういう働き方をしたいという人が多い。ついでに言うと、派遣は全労働者のわずか2%です。 ワイドショー的な議論だと、「派遣は悪いことである、それをやったのが竹中である」みたいなことを平気で言いますけども。これもう100回ぐらい、そうじゃないって説明したんですけど、みんなもう面白おかしく言ってるだけです。 もう一つ、やはり地方創生はすごく重要なテーマになってきています。ご存じのように、パソナは2020年9月から本社機能の一部を淡路島に置いていますけれど、そうした地方創生の基本的な方向について意見を言っていました。会長を辞めたのは企業の新陳代謝を促すため高橋 そこで番組のテーマですけれど、どうしてパソナを辞められたんですか?竹中 タイミング的に最初は5年だけと言ってたんです。でも、5年やったときに、もうちょっと頑張って10年やろうかと。それで10年やって68歳でしたから、じゃあキリのいいところで70歳まであと2年ということで12年になり、それが13年になって、ようやく区切りがつけられたということです。 理由としては、企業も新陳代謝が大事ですから、次の若い人が育ってきてほしいというのが一つあります。私のように外から入る人間は、やはり新陳代謝しなければいけないと思っています。たとえば社外取締役の場合、一定期間長くいると独立した社外取締役と認められなくなってきます。だから、新陳代謝することに意味があって、他の取締役と入れ替わって初めてその企業の活力が出てくると思うんです。 今回、コロナ禍の中でようやく業績も回復してきて、それなりに足腰も強くなった。だから若い人たちに引き継げると思って踏み切りました。高橋 普通の人は、一度会長をやると辞めたくなくなるじゃないですか? なのにサクッと辞められたから、すごいなと思いました。竹中 私はね、若い頃からたくさんの老害を見てきたんですよ。老害って本人は分かってないと思うんですけれどね。人間は年齢とともにいろいろと経験値が上がって、どんどん能力が備わってきます。でも、その一方で硬直性も出てきて、別の意味で能力が下がってくるところがありますよね。自分ではそれは気づきにくいんですよ。“老害”になりたくないから議員も早期辞職した竹中 自分1人でできる仕事はいくつになっても続ければいいと思うんです。たとえば芸術家とか、音楽家とか、作家とか、そういう1人でやる仕事はいいんですけれど、組織をまとめてたくさんの人を巻き込むような仕事は、一定の年齢になったら退くべきだと思います。自分はまだやれると思っていても、周囲から見ると老害だということになる。それをね、やはり自分で早めに判断しなきゃいけないと考えていたんです。 もう70歳を超えましたから、早めに判断しようと。それが今回の機会になったわけです。ただし、その一方で成田悠輔(経済学者、イェール大学助教授)さんみたいに、「一定の年代になったらみんな老害だから辞めろ」というのは暴論ですよ。これは年齢による差別ですから、“女性だからダメだ”というのと同じ論理です。人によってすごく差が出ますからね。高橋 元気か、元気じゃないかとか。竹中 能力が落ちた分、よく勉強しているか、していないかでその差が出る。そこは組織のトップになった人ならば自分で判断しなきゃダメです。政治家も同じで、「出処進退は自分で決める」って小泉さんが言ってたでしょ。私も同感で、これまでたくさんの老害を見てきたから、早めに判断したいとずっと考えていました。「政治の世界は老害が多い」高橋 参議院議員も任期の途中でお辞めになりましたよね。あのときはどうして2年で辞められたんですか?竹中 政治の世界というのはやはり怖いと思うんです、権力があるから。それともう一つはたくさん貸し借りがある。政治の世界に長くいると、貸し借りに縛られてしまうと思ったんです。 もともと私は、職業政治家になりたいと思ってなったわけではありません。小泉さんという非常に異色の総理に「一緒に手伝ってくれ」と言われたので、サッカーのレンタル選手みたいな立場で政治の世界に行きました。だから、一つの目的が終わったら元の学者に戻るというだけのことです。高橋 でもその決断はなかなか難しいですよね? まだやれると思ってしまうから。竹中 だから老害が多いんだと思います。私は、若い人も育ってきているし、自分で老害は避けたいと思ってましたから、ハッピーなタイミングだったと思いますよ。(高橋 弘樹,日経テレ東大学/Webオリジナル(外部転載))
竹中 いえ、そこが間違ってるんですよ。厚生労働省がやったんです。私は1990年くらいからずっとやってるし、小泉(純一郎)内閣の10年以上前からやっているし、現実にそういう働き方をしたいという人が多い。ついでに言うと、派遣は全労働者のわずか2%です。
ワイドショー的な議論だと、「派遣は悪いことである、それをやったのが竹中である」みたいなことを平気で言いますけども。これもう100回ぐらい、そうじゃないって説明したんですけど、みんなもう面白おかしく言ってるだけです。
もう一つ、やはり地方創生はすごく重要なテーマになってきています。ご存じのように、パソナは2020年9月から本社機能の一部を淡路島に置いていますけれど、そうした地方創生の基本的な方向について意見を言っていました。
高橋 そこで番組のテーマですけれど、どうしてパソナを辞められたんですか?
竹中 タイミング的に最初は5年だけと言ってたんです。でも、5年やったときに、もうちょっと頑張って10年やろうかと。それで10年やって68歳でしたから、じゃあキリのいいところで70歳まであと2年ということで12年になり、それが13年になって、ようやく区切りがつけられたということです。
理由としては、企業も新陳代謝が大事ですから、次の若い人が育ってきてほしいというのが一つあります。私のように外から入る人間は、やはり新陳代謝しなければいけないと思っています。たとえば社外取締役の場合、一定期間長くいると独立した社外取締役と認められなくなってきます。だから、新陳代謝することに意味があって、他の取締役と入れ替わって初めてその企業の活力が出てくると思うんです。
今回、コロナ禍の中でようやく業績も回復してきて、それなりに足腰も強くなった。だから若い人たちに引き継げると思って踏み切りました。
高橋 普通の人は、一度会長をやると辞めたくなくなるじゃないですか? なのにサクッと辞められたから、すごいなと思いました。
竹中 私はね、若い頃からたくさんの老害を見てきたんですよ。老害って本人は分かってないと思うんですけれどね。人間は年齢とともにいろいろと経験値が上がって、どんどん能力が備わってきます。でも、その一方で硬直性も出てきて、別の意味で能力が下がってくるところがありますよね。自分ではそれは気づきにくいんですよ。
竹中 自分1人でできる仕事はいくつになっても続ければいいと思うんです。たとえば芸術家とか、音楽家とか、作家とか、そういう1人でやる仕事はいいんですけれど、組織をまとめてたくさんの人を巻き込むような仕事は、一定の年齢になったら退くべきだと思います。自分はまだやれると思っていても、周囲から見ると老害だということになる。それをね、やはり自分で早めに判断しなきゃいけないと考えていたんです。
もう70歳を超えましたから、早めに判断しようと。それが今回の機会になったわけです。ただし、その一方で成田悠輔(経済学者、イェール大学助教授)さんみたいに、「一定の年代になったらみんな老害だから辞めろ」というのは暴論ですよ。これは年齢による差別ですから、“女性だからダメだ”というのと同じ論理です。人によってすごく差が出ますからね。
高橋 元気か、元気じゃないかとか。
竹中 能力が落ちた分、よく勉強しているか、していないかでその差が出る。そこは組織のトップになった人ならば自分で判断しなきゃダメです。政治家も同じで、「出処進退は自分で決める」って小泉さんが言ってたでしょ。私も同感で、これまでたくさんの老害を見てきたから、早めに判断したいとずっと考えていました。
高橋 参議院議員も任期の途中でお辞めになりましたよね。あのときはどうして2年で辞められたんですか?
竹中 政治の世界というのはやはり怖いと思うんです、権力があるから。それともう一つはたくさん貸し借りがある。政治の世界に長くいると、貸し借りに縛られてしまうと思ったんです。
もともと私は、職業政治家になりたいと思ってなったわけではありません。小泉さんという非常に異色の総理に「一緒に手伝ってくれ」と言われたので、サッカーのレンタル選手みたいな立場で政治の世界に行きました。だから、一つの目的が終わったら元の学者に戻るというだけのことです。
高橋 でもその決断はなかなか難しいですよね? まだやれると思ってしまうから。
竹中 だから老害が多いんだと思います。私は、若い人も育ってきているし、自分で老害は避けたいと思ってましたから、ハッピーなタイミングだったと思いますよ。
(高橋 弘樹,日経テレ東大学/Webオリジナル(外部転載))