※本稿は、宮口幸治、神島裕子『逆境に克つ力 親ガチャを乗り越える哲学』(小学館新書)の一部を再編集したものです。
2021年、「『現代用語の基礎知識』選 ユーキャン新語・流行語大賞」に「親ガチャ」がノミネートされ、トップ10入りしました。また、「大辞泉が選ぶ新語大賞2021」では大賞を受賞し、「子供がどんな親のもとに生まれるのかは運任せであり、家庭環境によって人生を左右されることを、カプセルトイのランダム性に例えた言葉」と定義されました。
カプセルトイのガチャは楽しい。でも「親ガチャ」は楽しいものではありません。親ガチャの結果によって子どもの生活環境も人生の見通しも、大きく左右されてしまうからです。実際のところ、子どもには親を選ぶことができませんし、そもそもこの世に生まれてくること自体も選べません。多くの場合、気が付いたらこの世にいて、特定の親の元にいた、というようなことになります。そのため、親ガチャの結果を憂えている人がいるとしても、なんら不思議ではありません。
とはいえ、子どもに対して「食わせてもらってるだけありがたく思え」とか、「誰のおかげで生活できてると思ってるんだ」とか、「子どもは親の従物」とか、「親を批判してはいけない」という価値観をもっている人は、親ガチャという言葉に違和感をもつことでしょう。しかし、「子どもの権利」が承認されつつある今日、子どもにとって親は選べないものであり、また親がもたらす生活環境によって人生の見通しが違ってくるということ、つまり「子どもは親ガチャのメリット・デメリットを一身に受けて成長する」という事実から、もはや目を背けることはできないのです。
現代は、SNSの発達によって、以前は見ることがあまりなかった、他者の生活環境や人生の見通しに、子どもたちは容易に触れることができるようになっています。SNSにアップされた写真やストーリーは「盛られている」ことが多いかもしれませんが、それでも羨望(せんぼう)はかき立てられます。あの人にもこの人にもお金がありそう、親が優しそう、家が広くてきれい、食事が豪華、習い事もさせてもらっている、家族で仲よく旅行に行っている。それに比べて自分は……と、自分の境遇を悲しむこともあるかもしれません。
特に、平等化への意識が高まっている現代社会では、子どもたちが親ガチャの結果に不満や不公平感を覚えるのは当然です。他者と比較されがちな学校の成績やスポーツの記録、進学先や就職先、職業や給料、結婚相手、子どもの有無、老後資金の大小、そして葬式の大きさまでもが、親ガチャの影響下にあります。さらには、今度は自分の子どもが生まれたら、その子どもの生活環境や人生の見通しも、自分の親あるいは自分による親ガチャのせいだと思うかもしれません。貧困の連鎖があるように、親ガチャの連鎖も否定できないのです。
ここで一つ問題が生じます。いったいどこまでが親ガチャのハズレガチャに相当するのかということです。恐らくほとんどのみなさんは、「自分がハズレガチャに相当するかどうか」が分からないのではないでしょうか。「ヤングケアラー」と呼ばれている子どもたちは、自身にその自覚がないことが多いということが厚生労働省などの調査で明らかになりましたが、第三者から見るとハズレガチャなのに、本人がそれに気づいていないことも多いのです。
そこで、まずは自分が親ガチャのハズレガチャに相当するかどうかを知るところから始めたいと思います。これまでの研究を基に、8名のモデルケースを作成しました。3回連続記事で8名のケースを紹介しますので、誰がハズレガチャに当たるのか、ハズレガチャだとするとどこがハズレなのかを考えてみましょう。
タケシは大阪市内に住む小学4年生です。両親はコンビニエンスストアを経営。経営者とはいえ、コンビニチェーンのオーナーにはほぼ休みがなく、薄利で生活はけっして楽ではありません。
タケシには中学2年生になる兄と小学1年生の妹がいます。兄は小学生の頃から勉強が得意で、私立の中学校に通っています。
タケシは勉強が得意ではありません。じっと机に向かって決められたことを覚えるのが好きではないのです。しかし、家事は小学生とは思えないくらいこなしています。ただし、これも好きでやっているわけではありません。タケシが小学生になった頃から兄が塾に通い始め、塾への送迎などで両親は兄につきっきりで、加えて、24時間体制のコンビニの仕事もあるので、当然のなりゆきのように、タケシは低学年の頃から掃除や洗濯、妹の世話などを「させられて」きたために、家事や気遣いのスキルが身についてしまったのです。
タケシはスポーツも得意ではありません。ですが、野球と阪神タイガースは好きで、テレビで応援をしたりしています。いつか、甲子園球場に試合を見に行きたいと思っています。野球だったらやってみたいなと思っていますが、親の付き添いが必要なリトルリーグに入るのは、どうせ無理だろうと思っています。
友達関係はどうでしょうか。休み時間に他の子とドッジボールをしますが、クラスで仲間はずれになりたくないからやっているだけで、特に仲のよい友達もいません。どちらかというと引っ込み思案のタケシは、そういった輪の中に入っていくことができません。
毎日、特に何かしたいこともなく、小学校には休まず通っていますが、勉強もスポーツもパッとせず、仲のよい友達がいるでもなく、家に帰れば家事と妹の世話をする日々です。この前、学校の作文で「将来の夢」というのがありましたが、タケシは原稿用紙に何も書くことができませんでした。気づくと真っ白の原稿用紙を前に涙ぐんでいました。
タケシは勉強もスポーツも得意ではありませんが、家事をこなし、妹の面倒も見ています。引っ込み思案なため、今のところ友達と呼べる相手ができずにいますが、攻撃的なところもなく、協調性もある優しい、普通の子です。そんなタケシが「将来の夢」を書けずに、涙ぐんでしまいました。
タケシは何がつらいのでしょうか。将来の夢がないことでしょうか。でも、タケシの年齢ならまだまだ自分の将来について現実的に考えられないという子どものほうが普通でしょう。
むしろタケシの場合は、自分の「好き」を将来に投影しようとしたときに、現実的な選択肢が何もないことや、その理由として、自分の願いや「好き」が親によって叶えられたことが一度もないことに、寂しさや悲しみを覚えたのではないでしょうか。あるいは、常日頃から感じていた寂しさや悲しみが、改めて押し寄せたのかもしれません。
タケシは身近な大人から、あまり関心をもたれずに育ちました。挑戦してみたいことも、させてもらえませんでした。家事や妹の面倒を見させられてきたので、放課後や週末に児童館や公園で遊ぶこともできませんでした。タケシに関心を寄せる大人や同世代とのコミュニケーションが限定的であったため、タケシの現在や未来について積極的なフィードバックをくれる人がいなかったのです。タケシは進むことも戻ることもできず、心にポッカリ大きな穴を抱えていました。
もし、タケシの生活環境が違っていたら、どうだったでしょうか。放課後自由に遊べていれば、塾に行かせてもらえていれば、リトルリーグに入らせてもらえていれば、自分は大切にされているという自信や安心感が芽生え、引っ込み思案のタケシでも、仲間や友達ができたかもしれません。
勉強やスポーツの成績がアップしていたかは分かりませんが、少なくとも「将来の夢」に「プロ野球選手」と書いたかもしれません。自分の願いや「好き」を認め、そのために少しでも自分のために時間やお金を割いてくれる親に恵まれなかったことが、タケシにとってのハズレガチャだったと言えます。
ツトムはタケシの兄です。中学2年生で、関西圏では偏差値が高いことで有名な私立中学校に通っています。小学生の頃は勉強が得意でした。ただし、九九を暗記したり漢字を覚えたりすることは得意でしたが、決して勉強が好きだったわけではありません。
テストで100点を取ると親が褒めてくれるのが嬉しくてがんばっていただけでしたが、おじいちゃんがツトムの両親に「ツトムは勉強できるみたいやから、私立の中学校をめざしたらええんちゃう? 塾代なら出したるわ」と提案しました。その鶴の一声で、ツトムは小学3年生の2月から塾に通い始めました。本当はカードバトルやゲームが好きで、友達と遊びたかったのですが、両親から受験が終わるまでゲームを禁じられてしまいました。
ツトムは自分の平均偏差値よりかなり高い学校に合格しました。しかし、中学校に入ってからのツトムは、実力以上の学校に入ってしまったためか、どんなにがんばっても授業についていくのがやっとでした。両親や祖父母を落胆させたくなくて、ツトムは必死に勉強していますが、クラスでの順位は常に下から数えて1桁圏内です。
弟のタケシは塾に行かず、地元の公立中学に進むようです。妹とも仲よしで、なんとなく弟のことを羨ましく思ってしまいます。この前、ちょっとした言い争いから弟を拳で殴ってしまいました。鼻血を出して泣く弟を見ながら、自分も泣いていることに気づくのです。それからツトムは、自分の部屋に引きこもるようになって、学校にも行っていません。
中学受験をする子どもは一定数います。私立、国公立にかかわらず、中学校を受験する理由は様々です。ツトムの場合は、本人の希望ではなく、小学校の成績がよかったことに目をつけた祖父と、その意を酌んだ両親の意向でした。ツトムのように、偏差値の高い上位校を受験対象とする子どもたちは、数年間、長ければ小学1年生の頃から、塾通いをします。受験期が近づくと、プラスで個別指導教室に通ったり家庭教師がついたりすることもあり、遊ぶ時間がとれないどころか、睡眠時間が削られることさえあります。
友達と過ごす時間もなく、大好きなゲームを禁じられていても、祖父母や両親の期待に応えたい、落胆させたくないと思い、必死で勉強してきました。多くを犠牲にしたにもかかわらず、学校の成績が振るわなくなったとすれば、つらいはずです。両親や祖父母は、ツトムが有名私立中学校に通っていることにしか気が向いておらず、実際のツトムの状況や気持ちに関心がなかったことも、真面目なツトムにとって、相当なプレッシャーになっていたと思われます。
誰もツトムの好きなことや将来を考えずに、ツトムに偏差値の高い私立学校を目指させた点で、ツトムはハズレガチャと言えるでしょう。もしツトムに好きなことや将来の目標があり、そのために中学受験をしたとすれば、背伸びして入った学校で成績が振るわなくても、タケシのことを羨ましく思ってしまうことはなかったでしょう。親の価値観で進路を決められたところが、ハズレガチャに相当しそうです。
それでも、もし他の親元で生まれ育っていたら、タケシたちの未来は今よりもよい方向に進みそうだと、思わずにはいられません。タケシとツトムの親がもっと子どもの好きなことに関心を寄せて、少しでも時間を割いてあげることができる人たちだったら。タケシは甲子園にタイガースの試合を見に行けなくても、お父さんと公園で一度でもキャッチボールができれば、それだけで「将来の夢」に「プロ野球選手」と書けたかもしれません。あるいはそれで満足して、「料理研究家」や「ヘルパー」と書けたかもしれません。
兄ツトムは高校卒業後の進路について両親に尋ねられたら、今の学校で成績が振るわないままでもいいやと思えたかもしれませんし、高校から公立に転校する選択肢も得られたと思います。余裕ができて、きょうだいと過ごす時間も増え、家の中に居場所を見つけられたのではないでしょうか。
———-神島 裕子(かみしま・ゆうこ)立命館大学教授博士(学術、東京大学大学院総合文化研究科)。早稲田大学国際教養学部、中央大学商学部を経て現職。専門分野は哲学・倫理学。著書に『正義とは何か 現代政治哲学の6つの視点』、共訳書にジョン・ロールズ『正義論 改訂版』など。———-
———-宮口 幸治(みやぐち・こうじ)立命館大学教授日本COG-TR学会代表理事。京都大学工学部を卒業。会社勤務後、神戸大学医学部を卒業。精神科病院、医療少年院勤務を経て、2016年より現職。医学博士、子どものこころ専門医、日本精神神経学会精神科専門医、臨床心理士。著書『ケーキの切れない非行少年たち』が大ベストセラーになる。———-
(立命館大学教授 神島 裕子、立命館大学教授 宮口 幸治)