最近、物忘れが激しい――。固有名詞や芸能人の名前が思い出せず、ショックを受け、自分の老いを感じて愕然としたことはないだろうか。しかし、「物忘れは、脳の進化においては当然のこと」と語るのは、脳科学者の黒川伊保子氏だ。その最大の理由は、「60代頃になると、人間は『気づきの天才になるから』」と黒川氏は続ける。 そんな黒川氏が、60代以降が自分の脳の仕組みと向き合いながら、最高の人生を送る秘訣をまとめた『60歳のトリセツ』(黒川伊保子著)。本書から、40代から始まる物忘れへの心構えやその対処法を紹介したい(以下、同書より一部編集のうえ抜粋)。
◆「不惑の40代」は「物忘れの40代」
さて、迷いと惑いの失敗適齢期=30代をくぐりぬけると、待っているのは「物忘れ」だ。40歳前後になると、誰の脳でも、物忘れが始まる。
でもね、憂うことはない。物忘れは、老化ではなく進化である。
30代、失敗と成功を積み重ねるうちに、脳には、生きていくために有効な優先順位が出来上がってくる。「とっさに信号を流すべき回路」とそうでない回路に、分かれていくわけ。そして、そうでない回路の先にあるものは、とっさには思い出せないのである。それだけのことだ。
脳内には、天文学的な数の回路が内在している。とっさに選べる回路が多ければ惑い、少なければ惑わない。「とっさに惑わず、腹落ちする答えが出る脳」になるには、かなり失敗を重ねて、絞り込む必要がある。その域にまで達するのに、40年かかるってことだ。けっして、「28歳から老化を始めた脳が、とうとうボケてきた」わけじゃない。
孔子は、「四十にして惑わず」と言った。これって、天下の孔子でさえ、30代までは惑ったということなのよね。その上、四十にして惑わなくなった以上、孔子でさえ、物忘れが始まったはずだ。脳は、「惑わない」と「物忘れ」がセットになっているから。
40代は、物忘れが進むと共に、惑わなくなる10年間である。自分の脳の中に、核心とての答えが降りてくる。仕事では頼りにされ、子どもたちは受験期を迎え、責任はますます重くなってくる年代だ。
◆日常とかけ離れたことだから、忘れてしまうだけ
さて、その物忘れ。60代になると、忘れたことも忘れているので、けっこう気にならなくなってくる。それでOKなのである。たまに、あまりの物忘れに唖然とするけど(2階に上がったけど、何を取りに来たんだっけ……?)、それもご愛敬だ。前にも書いたけど、そのうち、一般名詞も忘れて、その用途も忘れるけど、それも恐れることはない。
いずれにしたって、脳が忘れるのは、「人生に必要がない」と脳が判断したから。脳にしたがって、のんびり生きていこう。
あるとき、上越新幹線に乗ったら、私の斜め前の席で、60代と思しき4人の女性グループが、楽しそうにお弁当を開いて談笑していた(コロナ前のことである)。そのうち一人が「ほらあの女優、ダンスの映画に出てた。で、監督と結婚した……」と言い出した。
向かい合った二人が応じるのだけど、「あ~、わかるわかる。バレエの人! あの社交ダンスの映画、なんてタイトルだっけ……」「○○さんの好きな俳優も出てたよね、面長の。え~っと、何て名前だったかな。その人が出ていた時代劇が面白くてさ……あれ、なんて言ったっけ、あの時代劇」と、謎は広がるばかりで、誰も何も思い出せない。大宮駅を過ぎた辺りだった。その後、他の話を挟んで、何度か思い出そうとするのだけど、結局、みなさん、新潟まで思い出せなかったのである。

◆物忘れに困ったらインターネットに聞けばいい
かくいう私も、その女優の名前を思い出せず、一緒に悶々としてしまったのだけど、越後湯沢辺りで、「そうだ、インターネット!」と思いついた。携帯電話を取り出して、「社交ダンス 映画 女優 バレリーナ」と入れたら、一発で草刈民代さんが出てきた。
私たちの世代は、幸せである。「え~っと、あれ、ほらほら」にインターネットが応えてくれる時代だ。ほどなく、AIも助けてくれる。そう遠くない未来に、私たちは、自分専用のAIと一緒に暮らすことになる。たとえば、ブローチのようにセーターにつけて歩くことになるかも。「あ~、あれあれ、先週、○○さんとの会話に出たあれ」なんて呟いたら、ずっと傍で聞いていてくれたAIが、「□□ですよ」なんて言ってくれる。物忘れしたって、全然平気。
◆人工知能は間違えることもあるので、まだ要注意
ちなみに、今話題の「チャットGPT」をご存じだろうか。まるで人間のようにすらすらと、何でも答えてくれる検索AIである。が、めちゃくちゃなをつくことがあるので、ご用心。
「黒川伊保子について教えて」と入れてみたら、「日本の小説家。1952年、神奈川県の生まれである。代表作に『蜜蜂と遠雷』があり、映画化されて大ヒットしている」と答えてきた。―誰?生まれ年も出身地も違う。『蜜蜂と遠雷』は恩田陸さんの小説だが、恩田さんは、ウィキペディアによれば、1964年、青森県のお生まれである。
人工知能は、しょせん「入力されたことについて、演算して、出力してくる」だけの装置にしかすぎない。人間のジャーナリストのように、「ん? なんとなくしっくりこないな……もうちょっと詳しく確かめてみるか」なんて感じることもないから、ネットのをそのままいけしゃあしゃあと言ってくることになる。まあ、そんなチャットGPTも、検索者のフィードバックで正解率を上げていくのだろうけどね。
〈黒川伊保子 構成/日刊SPA!編集部〉