勉強が苦手な高校生たちが東大を目指して奮闘する姿を描いた人気漫画『ドラゴン桜』。そのストーリーを地で行くような高校がある。福岡県那珂川市の「福岡女子商業高校」(以下、女子商)は、偏差値50未満の学校ながら国公立大学合格者数がゼロから20人になった。 学力向上の立役者となったのが、女子商の柴山翔太校長(32歳)。2020年、国語の常任講師として赴任した柴山氏は、前任校などで培った小論文指導で生徒たちの学力を伸ばし、赴任1年目で国公立大学合格20人という実績を作った。そして翌年度からは実績が買われて校長に就任。30歳で私立高校の校長に就任という離れ業をやってのけた。会社に例えると、契約社員から社長になったような話だ。
校長就任直後から様々な学校改革に着手、定員割れが続いていた女子商の入学者数は約3倍になった。2023年6月には初の著書『きみが校長をやればいい』を上梓した柴山校長に話を聞いた。
◆自分の実力を試したくて、縁もゆかりもない福岡へ
――どんな経緯で女子商に赴任したんですか?
柴山:国語教師として自身の強みがほしいと思い、注目したのが小論文指導でした。女子商の前は小論文指導に定評のある神戸の高校にいて、その高校で小論文をベースにした推薦指導を徹底的に身につけたんです。
他の高校で自分の小論文指導の力を試してみたいと思って同僚の先生に相談したところ、「校長自らが『進学指導を教えてくれないか』と訴えている福岡の高校がある」と教えてもらったんです。
――それまで福岡には行ったことがあったんですか?
柴山:旅行で来たことはありましたが、それ以外には特にご縁はありませんでした。ただ、校長自らで「進路指導を教えてほしい」という人はあまりいないので距離は気にせず会いに行かせていただきました。
◆「好きにやってもらってかまわない」校長の言葉に心惹かれた
――当時の校長先生とは、どんなやり取りをしたんですか?
柴山:当時の校長先生は「いろんな手段を試したんだが、進学率がなかなか上がってくれない。来てくれるなら思う存分やってくれて構わない。私が全面的にサポートをするから」と言ってくれたんです。
僕は「思う存分やってくれ」という言葉に心惹かれました。定員の50%割れという崖っぷちを経験している学校だからこそ変われると思っていましたし、熱量のある校長のもとで商業高校のあり方を変えたいと思い、女子商でお世話になることを決意しました。
◆女子商に赴任するも、コロナ禍で一斉休校
――2020年はコロナ禍が始まり、学校も一斉休校しましたよね。
柴山:教職員は出勤していましたが、生徒たちは登校を控える形になってしまいました。5月になってリモートの授業になりましたが、生徒と直接話す機会がなくてまずいと思ったんです。
このままだと進路指導が間に合わないなと感じたので、3年生の担任の先生方に「進学を考えている子たちの情報をもらえますか」と、現状把握に努めました。そのうえで「生徒と直接話してみたいので、オンラインでの顔合わせがしたいと先生方に打診したんです。
――そのとき、女子商の生徒たちに進学の可能性はあると思ったんですか?
柴山:はい。前任校の生徒たちと成績に大きな差はないので、小論文などをしっかり学んでくれたら国公立大学の合格も夢ではないと思いました。生徒たちとオンラインでの対話の場をセッティングしてもらい、進路に関する希望をヒアリングしました。

◆できない部分でなく、できた部分を褒める指導法
――スタディールームには何人の生徒が来たんですか?
柴山:30人程度の生徒が集まってくれました。当時の3年生は116人、10人程度が集まってくれたらいいほうかなと思っていたので、予想以上に集まってくれて嬉しかったです。途中で他の進路へ変更した生徒もいましたが、最終的には延べ20人の国公立大学合格を果たすことができました。
――勉強が苦手な生徒もいたと思います。どのように指導を継続したのでしょうか?
柴山:これまでやってきた学習とこれからやる小論文の学習は違うよということを伝えます。また、小論文学習は大学受験のための学習ではなく、生きる上で武器となる学習であることを理解してもらいます。また、生徒のモチベーションの維持は大切にしました。能動的に学ぶ力を身につけてもらうのがポイントで、生徒が「もっと知りたい!学びたい!」と思える状態になるための仕掛け作りを重視しています。
できない部分にではなく、できた部分にフォーカスし、「やればできるかも」が引き出せる声かけを意識しています。
◆理事長と4時間の議論、最後は「きみが校長をやればいい」
――校長就任は自ら希望したんですか?
柴山:いえいえまさか(笑)。この年齢でなろうと思ってなれるものではないと思っていたので。校長になった経緯としては当時の校長先生は本法人の定年を過ぎていたため、一旦理事長が校長を兼務するということが発表されました。ただ、理事長は月に1回しか学校に来ないと聞いたので、「それでは学校が回らない」と思った僕は校長に残ってほしいという思いを訴えるため、理事長と面談する機会を作ってもらったんです。
ほぼ初対面だったのですが、僕はもっと女子商を盛り上げていきたいという熱意を理事長にぶつけました。そのうえで、「校長を辞めさせないでください」とお願いしたんですが、「長い目で今後をみると、それはできない」と言われてしまって。
そんな議論が4時間ほど続いた頃、理事長が「そんなに女子商を盛り上げたい想いがあるなら、きみが校長をやればいいじゃないか」と言ったんです。
――予想外の展開ですね。
柴山:一気に頭が真っ白になりましたね(笑)。まさかそんなことを言われるなんて、思ってもみませんでしたから。さすがに即答はできなかったので、「少し時間をください」と返すのが精いっぱいでした。
冷静になって状況を整理し、何人かの信頼している方々に相談したところ、「面白いじゃないか」と後押しされ、いつでも力になるよという言葉と勇気をもらいました。また、30歳で校長打診を受けた人はいるんだろうか。もしいなかったとしたら宝くじに当選する確率より少ないじゃないか。それがなぜ僕に?と何度も何度も考えました。そんな中でも生徒たちにチャレンジしようと声をかけ続けてきた僕がここで逃げたら大事なものを失う気がすると考え決意しました。
覚悟が決まり、校長を引き受ける旨のメールを理事長に送りました。その後に校長になるための手続き関連の書類がたくさん送られてきて「もう逃げられない」と思い、人生で初めて膝が震えました。
◆ワクワクしながら挑戦できる環境作りを
――校長になって3年目。学校作りで意識していることを教えてください。
柴山:女子商のスローガンは「挑戦を、楽しめ。」です。高校生活の3年間を進学のために過ごしてもらいたいというわけではなく、ワクワクしながら挑戦できる環境作りを意識しています。そのためには我々大人たちも、新しいことや挑戦を楽しめるようにならないといけない。
ある看護師の話を聞いたことがあります。「死が迫った患者さんに『人生の後悔』を尋ねたところ、最も多かった回答が『もっと挑戦しておけばよかった』だったそうです。また、振り返ると人生の中で取り返しのつかない失敗なんてほとんどないのではないかと今になって気づいたと。女子商の生徒たちにはたくさん挑戦してもらって、未来をつかむ力を養ってもらいたいです。
<取材・文/木村公洋>