「お母さんとあなたの関係は狂気だと思う」裁判長は、被告に向けてこんな言葉を発した。2023年5月、東京地裁で開かれた傷害致死事件の裁判。37歳の被告が問われたのは、55歳の母親に対し殴る蹴るなどの暴行を加え、その後死亡させた罪だ。病気の母親と無職の息子が、生活保護費を頼りに暮らす日々。裁判長が“狂気”と表現した親子に何があったのか。法廷で取材を進めると、被告が小学生の頃から家事全般を担う、いわゆる”ヤングケアラー”だったことが明らかになった。加えて事件の背景には、母親との間にたばこの本数から水を飲む量まで決め事がある、特殊な関係もあった。
【写真を見る】55歳母親を暴行死させた37歳男は”ヤングケアラー”だった 10歳から家事に追われた男と母親の「狂気の関係」「たばこの本数、水を飲む量」に腹を立て母親暴行事件は2022年7月、都内のマンションで起きた。「しつけのつもりで母親に暴力をふるったが、意識を失ってしまった」被告本人からの119番通報で救急隊が駆け付けると、母親は布団の上で意識不明の状態で横たわっていた。顔や体には多数のあざがあり、オムツ姿だった。病院に搬送された母親は、硬膜下血腫などが原因で2か月後に死亡。被告から母親への暴行は約7日間にわたり「50から100回くらい(被告の供述)」繰り返されていた。【被告人質問】ーー暴行の最初のきっかけは?たばこのルールがあったのに(母が)1箱吸ったのが分かり注意した。その時の態度に腹が立った。「たばこは1日3本まで」被告が母親の体調を気遣い、家計も気にして決めたルールだ。糖尿病とうつ病を患う母親は、自分で食事や排泄はできるものの、一日のほとんどを寝て過ごしていたという。被告は高校卒業後、接客のアルバイトや派遣の仕事を転々とした。30歳ごろから一切仕事をせず、母親の生活保護費のみで生計を成り立たせていた。自治体には母親の1人暮らしと偽っていて「不正受給だった(被告の供述)」可能性がある。【被告人質問】ーー次に手を出したのはなぜ?母が水のおかわりをした。飲み物が減ると、不安になるんだと。ーー何かルールがあった?5年ほど前からおねしょをするようになり、水分のとりすぎに気をつけよう、と。1時間に1杯、500mlのコップに1杯のみ、という約束をしていた。被告は1時間おきに、母親が飲む水の量をチェックした。「呼吸するかのように水をおかわりしていて、理解できなかった」ルールだった「1時間に500ml」以上の水を飲んでいる母親に腹を立て、その度に手をあげたのだ。「浴びるように飲酒」母親の代わりに10歳から家事両親が離婚したのは被告が10歳のころだ。その後は、母親、7歳下の妹との3人暮らし。裁判で被告の妹は、当時の暮らしについて証言した。【妹への証人尋問】ーー母親はどんな生活だった?基本的にゴロゴロ、だらけている感じ。浴びるようにお酒を飲んでいた。朝起きると焼酎のボトルがあって、ひっきりなしに飲んでいた。ーー被告人やあなたに対しては?暴力をふるったり、嫌なことを言ったり。高校の制服を破られたこともあった。ーー母親がうつ病で困ったことは?(母が)「1人でいられない、寂しい」と。小学生の時に「1人になりたくないから」と学校に行かせてくれないことや、遊びに行かせてくれないこともあった。ーー家事は?母はできなかったので、兄が積極的にやって、私も手伝っていた。被告は10歳のころから、料理や洗濯、掃除などの家事を全てこなしていたという。妹は「母親の良いところは」と問われると「正直良い思い出がない」と吐露した。【妹への証人尋問】ーー当時、誰かに相談は?できなかったです、そういう力がなかった。みんなバラバラになってしまうと思っていた。幼少期に、兄がいてくれて本当に助かった。6年ほど前、妹が結婚したのを機に実家を出て以降、被告はつきっきりで母親の面倒を見るようになった。小学生15人に1人「ヤングケアラー」成人後も社会から孤立大人の代わりに家事や家族の世話、介護などを日常的に行う子どもは「ヤングケアラー」と呼ばれる。厚労省の調査(2022年公表)では、小学6年生の“15人に1人”が「家族の世話をしている」と回答している。クラスに1~2人の割合で「ヤングケアラー」がいる計算だ。国に先駆けて「ヤングケアラー」の実態調査を行ってきた大阪公立大学の濱島淑恵准教授に話を聞いた。大阪公立大学 濱島淑恵准教授(社会福祉学)「毎日の家事、家族の感情面のサポートなどに追われて、勉強や就職、友達づくりを諦めざるを得ないヤングケアラーも多い」濱島准教授は、被告の事件について「特異なケースとは思えない」と語る。ヤングケアラーや元ケアラーから「一歩間違っていたら、事件の当事者になっていたかもしれない」という声をよく聞くという。「ヤングケアラー」をめぐっては、4月に発足したこども家庭庁が司令塔となり課題解決に取り組むとされている。だが、濱島准教授は「子どもの支援のみに留めてほしくない」と訴える。濱島准教授「ヤングケアラーは20代、30代以降も続く問題。成人すると、家族の世話も“当たり前”と見られ、より一層孤立してしまうこともある。当事者が経験を共有し交流できる場を作るなど、社会全体でサポートすることが重要だ」「恨みや憎しみはなかった」被告に懲役5年「無職であることに負い目を感じ、友達との関係も絶った」被告は携帯電話も持っていなかった。裁判長は、こう尋ねた。【被告人質問】ーーお母さんとあなたとの関係、狂気だと思うが、どう思う?母は普通じゃない人間だったが、自分も普通じゃないことばかりをやった。後悔しています。ーー暴力をふるわれたお母さんの気持ちは?自分の息子から無慈悲な暴力をふるわれて、とても苦しかっただろうと思います。「母親への復讐だったのか」と問われると「恨みや憎しみはなかった」と否定した。検察側は懲役7年を求刑した。傍聴席では、被告の妹が幼い子どもと一緒に、その様子を見守っていた。【最終意見陳述】被告「私の身勝手な行動で母に取り返しのつかないことをしてしまった。母には孫がいて、孫が生きがいで生活していたのに、奪ってしまい、謝っても謝りきれない」5月19日、懲役5年の実刑判決が言い渡された。裁判長は「執拗な暴行で被害者の尊い生命が奪われた」と非難する一方で、「酌むことができる事情」として次のように述べた。裁判長「幼い時から家事全般を担当し、1人を寂しがる被害者に寄り添い、外部との関わりをあまり持たず、基本的に2人で相互依存するような関係で長らく暮らしてきたことが、被告人を歪んだ心理状況に陥らせた」言い渡し後、裁判長は、法廷で証言した妹らが「あなたの帰りを待っている」と伝えた。裁判長「お母さんは、あなたが処罰を受けることを望んでいないかもしれない。ただ、今回のことを重く受け止めて下さい。あなたにしっかりしてほしい、それがお母さんの望みかもしれないので忘れないでね。罪と向き合って、あなたらしくやり直してほしい」被告は「はい…はい」と繰り返し答え、頭を深く下げた。(TBSテレビ社会部 司法記者クラブ 高橋史子)
事件は2022年7月、都内のマンションで起きた。
「しつけのつもりで母親に暴力をふるったが、意識を失ってしまった」
被告本人からの119番通報で救急隊が駆け付けると、母親は布団の上で意識不明の状態で横たわっていた。顔や体には多数のあざがあり、オムツ姿だった。病院に搬送された母親は、硬膜下血腫などが原因で2か月後に死亡。被告から母親への暴行は約7日間にわたり「50から100回くらい(被告の供述)」繰り返されていた。
【被告人質問】ーー暴行の最初のきっかけは?たばこのルールがあったのに(母が)1箱吸ったのが分かり注意した。その時の態度に腹が立った。
「たばこは1日3本まで」
被告が母親の体調を気遣い、家計も気にして決めたルールだ。糖尿病とうつ病を患う母親は、自分で食事や排泄はできるものの、一日のほとんどを寝て過ごしていたという。被告は高校卒業後、接客のアルバイトや派遣の仕事を転々とした。30歳ごろから一切仕事をせず、母親の生活保護費のみで生計を成り立たせていた。自治体には母親の1人暮らしと偽っていて「不正受給だった(被告の供述)」可能性がある。
【被告人質問】ーー次に手を出したのはなぜ?母が水のおかわりをした。飲み物が減ると、不安になるんだと。ーー何かルールがあった?5年ほど前からおねしょをするようになり、水分のとりすぎに気をつけよう、と。1時間に1杯、500mlのコップに1杯のみ、という約束をしていた。
被告は1時間おきに、母親が飲む水の量をチェックした。「呼吸するかのように水をおかわりしていて、理解できなかった」ルールだった「1時間に500ml」以上の水を飲んでいる母親に腹を立て、その度に手をあげたのだ。
両親が離婚したのは被告が10歳のころだ。その後は、母親、7歳下の妹との3人暮らし。裁判で被告の妹は、当時の暮らしについて証言した。
【妹への証人尋問】ーー母親はどんな生活だった?基本的にゴロゴロ、だらけている感じ。浴びるようにお酒を飲んでいた。朝起きると焼酎のボトルがあって、ひっきりなしに飲んでいた。ーー被告人やあなたに対しては?暴力をふるったり、嫌なことを言ったり。高校の制服を破られたこともあった。ーー母親がうつ病で困ったことは?(母が)「1人でいられない、寂しい」と。小学生の時に「1人になりたくないから」と学校に行かせてくれないことや、遊びに行かせてくれないこともあった。ーー家事は?母はできなかったので、兄が積極的にやって、私も手伝っていた。
被告は10歳のころから、料理や洗濯、掃除などの家事を全てこなしていたという。妹は「母親の良いところは」と問われると「正直良い思い出がない」と吐露した。
【妹への証人尋問】ーー当時、誰かに相談は?できなかったです、そういう力がなかった。みんなバラバラになってしまうと思っていた。幼少期に、兄がいてくれて本当に助かった。
6年ほど前、妹が結婚したのを機に実家を出て以降、被告はつきっきりで母親の面倒を見るようになった。
大人の代わりに家事や家族の世話、介護などを日常的に行う子どもは「ヤングケアラー」と呼ばれる。厚労省の調査(2022年公表)では、小学6年生の“15人に1人”が「家族の世話をしている」と回答している。クラスに1~2人の割合で「ヤングケアラー」がいる計算だ。国に先駆けて「ヤングケアラー」の実態調査を行ってきた大阪公立大学の濱島淑恵准教授に話を聞いた。
大阪公立大学 濱島淑恵准教授(社会福祉学)「毎日の家事、家族の感情面のサポートなどに追われて、勉強や就職、友達づくりを諦めざるを得ないヤングケアラーも多い」
濱島准教授は、被告の事件について「特異なケースとは思えない」と語る。ヤングケアラーや元ケアラーから「一歩間違っていたら、事件の当事者になっていたかもしれない」という声をよく聞くという。「ヤングケアラー」をめぐっては、4月に発足したこども家庭庁が司令塔となり課題解決に取り組むとされている。だが、濱島准教授は「子どもの支援のみに留めてほしくない」と訴える。
濱島准教授「ヤングケアラーは20代、30代以降も続く問題。成人すると、家族の世話も“当たり前”と見られ、より一層孤立してしまうこともある。当事者が経験を共有し交流できる場を作るなど、社会全体でサポートすることが重要だ」
「無職であることに負い目を感じ、友達との関係も絶った」被告は携帯電話も持っていなかった。裁判長は、こう尋ねた。
【被告人質問】ーーお母さんとあなたとの関係、狂気だと思うが、どう思う?母は普通じゃない人間だったが、自分も普通じゃないことばかりをやった。後悔しています。ーー暴力をふるわれたお母さんの気持ちは?自分の息子から無慈悲な暴力をふるわれて、とても苦しかっただろうと思います。
「母親への復讐だったのか」と問われると「恨みや憎しみはなかった」と否定した。検察側は懲役7年を求刑した。傍聴席では、被告の妹が幼い子どもと一緒に、その様子を見守っていた。
【最終意見陳述】被告「私の身勝手な行動で母に取り返しのつかないことをしてしまった。母には孫がいて、孫が生きがいで生活していたのに、奪ってしまい、謝っても謝りきれない」
5月19日、懲役5年の実刑判決が言い渡された。裁判長は「執拗な暴行で被害者の尊い生命が奪われた」と非難する一方で、「酌むことができる事情」として次のように述べた。
裁判長「幼い時から家事全般を担当し、1人を寂しがる被害者に寄り添い、外部との関わりをあまり持たず、基本的に2人で相互依存するような関係で長らく暮らしてきたことが、被告人を歪んだ心理状況に陥らせた」
言い渡し後、裁判長は、法廷で証言した妹らが「あなたの帰りを待っている」と伝えた。
裁判長「お母さんは、あなたが処罰を受けることを望んでいないかもしれない。ただ、今回のことを重く受け止めて下さい。あなたにしっかりしてほしい、それがお母さんの望みかもしれないので忘れないでね。罪と向き合って、あなたらしくやり直してほしい」
被告は「はい…はい」と繰り返し答え、頭を深く下げた。
(TBSテレビ社会部 司法記者クラブ 高橋史子)