今年2月、タイで性別適合手術を行った元男性(21)がいる。幼少期から心と身体の不一致に悩み、15歳で故郷を離れ上京。高校時代にカミングアウトし、卒業と同時にトランスジェンダーユニットとして活動している“ぷうたん”だ。手術から約3ヵ月。「最初のアフターケアは痛みで気絶寸前だった」と語る彼女に、知られざる性別適合手術の実態と、幼少期からの夢を叶えた術後の想いを聞いた。
【写真】術後のすっぴんに幼少期、私服姿も“ぷうたん”貴重ショット■朝と晩1時間、冷や汗をかきながら続ける激痛のアフターケア

――術後3ヵ月ですが、現在の体調などはいかがですか。【ぷうたん】 アフターケアのダイレーション(膣拡張)がやっぱり大変ですね。術後、きちんとケアしないとふさがってしまうので、定期的に棒状の器具を挿入するんです。術後、約1年間は特にちゃんとしないといけないんですが、これがすごく痛くて…。朝と晩1時間ずつ、冷や汗をかきながら続けています。――1時間も…【ぷうたん】 挿入後はしばらくそのままにしていないといけなくて。ただもうひたすら耐えてますね。――SNSやライブでは元気な笑顔を拝見していましたが、実際はまだまだ…【ぷうたん】 そうですね。歩きすぎたり、ライブをやって踊りすぎると腫れたりもするので、気は抜けない感じです。――性別適合手術はいくつか方法があると聞きますが、どの術式でもアフターケアには激痛が伴うんでしょうか?【ぷうたん】 術式によって違うと聞いています。それに痛みの感じ方は個々で異なるので、術後すぐに患部が痛い方、後日の抜糸が痛い方、私のようにアフターケアが痛い方…本当に人それぞれだと思います。私は“新しい術式”とされる方法で行って、もともと痛みに強いタイプと言うのもあったんですが、直後も抜糸も「まあ、痛いけどこんなもんか」と思っていたんです。そうしたら最初のダイレーションで気絶しそうになりました。痛いなんて言葉じゃ表せないです…。後日知り合ったアテンド会社の方に、私が選んだ術式は“ダイレーションが大変で根性と覚悟がないと乗り切れない術式で、ウチではすすめていない”と聞きました。――アテンド会社の方というのは。【ぷうたん】 タイで性別適合手術をする際にサポートしてくれる会社があるんです。渡航手続きやホテルの手配、入院中のケアなどすべてをお願いできるのですが、会社によって違いがあるので、よく選んでほしいと思います。実は私、色々あって、入院中にアテンド会社を変更してるんです。アドバイスしてくれたのは、変更後のスタッフの方でした。――それにしても、術後に“大変な術式”と判明したのは大変でしたね…【ぷうたん】 本当に! 術式は手術前にメリットやデメリットを比較して自分自身で選びましたし、毎日夜中の3時ぐらいまで手術の動画を観て、手術前後の過ごし方やメンタル状態についてもイメトレをしてたんですけど…。さすがに“ウチではすすめてない”と言われて落ち込みましたね。 でも、やってしまったからには現実を認めるしかないし、自分に対する試練だと思って。乗り越えた先に、今までになかったような何かが待っていると気持ちを切り替えてがんばりました。■手術自体は6~7時間、術後2日目から歩行練習が始まった――性別適合手術までの流れをうかがえますか。【ぷうたん】 私の場合は、まずは日本の精神科に、自分の家庭環境や今までの生き方についてまとめたレポートを持って行きました。どれだけ女性になりたいかということを理解していただいた上で、性同一性障害の診断書と、現地の病院用の英文の推薦状をもらって。あとは、アテンド会社におまかせした感じです。――日本ではなく、タイで手術をすることに決めた理由は?【ぷうたん】 周りの方からの話と、術例の多さを考えたときに、タイの病院がいいかなと。昔からこの先生にお願いしたいと思える先生もいたので、病院選びは迷わなかったですね。――タイでの入院生活はどのようなスケジュールでしたか。【ぷうたん】 手術の3日前から病院に入院しました。翌日にメディカルチェックと診察、腸内洗浄をして、翌々日に手術。手術自体は6~7時間ぐらいかかったんですけど、麻酔も効いていたので当日は痛みもあまりなく、お腹が張ってるような痛みを感じるくらいでした。術後2日目から消毒、歩行練習がはじまって、術後6日で退院。病院近くのホテルから抜糸やアフターケアのため11日間通院しました。――入院中に辛かったことはダイレーション以外にもありましたか?【ぷうたん】 膀胱炎になったのも大変でしたね。術後しばらくはカテーテルで排泄ですが、カテーテルを抜いたあとに膀胱炎になってしまって。トイレの度にタオルを握りしめながら耐えました…。でも、女の子になったからこそだと思えば、それすらも幸せに感じました。――性別適合手術は心身ともにとても大きな決断だったと思います。不安や緊張などは。【ぷうたん】 普段は弱虫で泣き虫なんですけど、変なところがタフなんですよね。小さい頃から女性になりたくて、いつかは…と願っていたし、とっくに覚悟は決めていたので不安はほとんどありませんでした。手術への不安や恐怖よりも、手術の3週間前から、いつも打っているホルモン注射をストップしなくてはいけなかったので、精神的に不安定にならないか心配でした。普段は2週間に1度ぐらいの頻度で打っていたので…。結果、大丈夫だったのでよかったです。■心と身体の不一致でも「性別適合手術=幸せじゃない」――改めて、20歳の今、性別適合手術を決めた理由をうかがえますか。【ぷうたん】 長く自分のことを愛せてなかったんです。でも、外見を磨く努力をしたり、ありのままの自分を愛してくれる人たちと出会ったことで自己肯定感が生まれて、自分自身を愛せるようになったんですよね。今だったら、どんな自分でも愛せる確信が持てたので、手術することに決めました。――心は女性で身体は男性というご自身を受け入れることができたから次のステップに?【ぷうたん】 そう。性別適合手術をしたって言うと、男性の身体を受け入れられなかったから?って思うかもしれないけど、そうじゃないんです。もちろん、心と違うことに違和感はあったし、悩んだ時期もあったけど、それも全部受け入れて、まわりに何を言われても、揺るぎない気持ちが持てたから、次に進む決心をしたというか。LGBTQでも性別適合手術=幸せじゃないし、自分自身の軸を固めてからやらないと、女の子になったところで、自分を愛してあげられないなと思ったので。――高校時代にカミングアウトされて、すでにご家族にとっては“大切な娘”だったとのことですが、手術についての反応はいかがでしたか?【ぷうたん】 いつかはすると思っていたけど、こんなに早いと思わなかったって驚かれました。手術をするのも、海外に行くのも人生で初めてだったので、両親はやっぱり不安だったみたいです。大げさかもしれないですけど、「手術は危険も伴うだろうし、もし何かあったらどうしよう」と泣かれてしまって…。これまでもたくさん心配をさせていたのに、また心配かけちゃったので、私もすごく苦しかったです。――最終的にはご両親も理解してくださった?【ぷうたん】 はい。タイに行く1週間前に実家に帰って“20年間、男の子として育ててくれてありがとう。あなたたちの子どもに生まれたから、今生きているし、たくさんの方に愛してもらえて感謝してる”と伝えたんです。そうしたら「あなたの人生だし、もう二十歳で大人だから自分が決めることだけど、私たちは親だから、おせっかいかもしれないけど、ずっと心配はする。でも、やることに関しては何ごとも応援したいと思ってる」と言ってくれました。お母さんからは「男の子に生んでしまって申し訳ないと思った時もあった」と打ち明けられたんですけど、それについても「男とか女じゃなくて、私で生んでくれてありがとう」と直接言えたので、手術の前に話せて本当によかったです。 これから戸籍変更もするんですけど、今後生きていく名前も親に決めてもらいたくてお願いしたら、1ヵ月ぐらいかけていろいろ考えてくれたんです。本名でたくさんの方に愛してもらったからって、同じ画数で考えてくれました。――女性になって喜びを感じるのはどのような瞬間でしょうか。【ぷうたん】 一番実感するのは、お洋服を選ばずに着られるようになったことですかね。かわいい下着もはけるようになったし、肉づきもよくなって。一緒に活動している“ぎんしゃむ”や、周りの方からも、「雰囲気が柔らかくなったね」ってよく言われます。毎日うれしい気持ちがあって、この気持ちはずっと忘れないようにしたいなと思っています。――性別適合手術を検討している方、悩まれている方にアドバイスはありますか?【ぷうたん】 すごく繊細な問題ですし、手術をしたから幸せになれるっていうことではないと思うんです。もちろん背中を押すことはいくらでもできるけど、決めるのは自分自身。だから私から言えるのは、あなたの人生だから、好きなように生きたらいいんじゃないかなってことですかね。より自分らしく生きられる道が手術することなら、迷わずしたらいいと思う。でも、手術しても自分は自分だから。周りにどう言われたからじゃなくて、自分がどうしたいかが一番大事だと思います。(取材・文/辻内史佳)
■朝と晩1時間、冷や汗をかきながら続ける激痛のアフターケア
――術後3ヵ月ですが、現在の体調などはいかがですか。
【ぷうたん】 アフターケアのダイレーション(膣拡張)がやっぱり大変ですね。術後、きちんとケアしないとふさがってしまうので、定期的に棒状の器具を挿入するんです。術後、約1年間は特にちゃんとしないといけないんですが、これがすごく痛くて…。朝と晩1時間ずつ、冷や汗をかきながら続けています。
――1時間も…
【ぷうたん】 挿入後はしばらくそのままにしていないといけなくて。ただもうひたすら耐えてますね。
――SNSやライブでは元気な笑顔を拝見していましたが、実際はまだまだ…
【ぷうたん】 そうですね。歩きすぎたり、ライブをやって踊りすぎると腫れたりもするので、気は抜けない感じです。
――性別適合手術はいくつか方法があると聞きますが、どの術式でもアフターケアには激痛が伴うんでしょうか?
【ぷうたん】 術式によって違うと聞いています。それに痛みの感じ方は個々で異なるので、術後すぐに患部が痛い方、後日の抜糸が痛い方、私のようにアフターケアが痛い方…本当に人それぞれだと思います。私は“新しい術式”とされる方法で行って、もともと痛みに強いタイプと言うのもあったんですが、直後も抜糸も「まあ、痛いけどこんなもんか」と思っていたんです。そうしたら最初のダイレーションで気絶しそうになりました。痛いなんて言葉じゃ表せないです…。後日知り合ったアテンド会社の方に、私が選んだ術式は“ダイレーションが大変で根性と覚悟がないと乗り切れない術式で、ウチではすすめていない”と聞きました。
――アテンド会社の方というのは。
【ぷうたん】 タイで性別適合手術をする際にサポートしてくれる会社があるんです。渡航手続きやホテルの手配、入院中のケアなどすべてをお願いできるのですが、会社によって違いがあるので、よく選んでほしいと思います。実は私、色々あって、入院中にアテンド会社を変更してるんです。アドバイスしてくれたのは、変更後のスタッフの方でした。
――それにしても、術後に“大変な術式”と判明したのは大変でしたね…
【ぷうたん】 本当に! 術式は手術前にメリットやデメリットを比較して自分自身で選びましたし、毎日夜中の3時ぐらいまで手術の動画を観て、手術前後の過ごし方やメンタル状態についてもイメトレをしてたんですけど…。さすがに“ウチではすすめてない”と言われて落ち込みましたね。
でも、やってしまったからには現実を認めるしかないし、自分に対する試練だと思って。乗り越えた先に、今までになかったような何かが待っていると気持ちを切り替えてがんばりました。
■手術自体は6~7時間、術後2日目から歩行練習が始まった
――性別適合手術までの流れをうかがえますか。
【ぷうたん】 私の場合は、まずは日本の精神科に、自分の家庭環境や今までの生き方についてまとめたレポートを持って行きました。どれだけ女性になりたいかということを理解していただいた上で、性同一性障害の診断書と、現地の病院用の英文の推薦状をもらって。あとは、アテンド会社におまかせした感じです。
――日本ではなく、タイで手術をすることに決めた理由は?
【ぷうたん】 周りの方からの話と、術例の多さを考えたときに、タイの病院がいいかなと。昔からこの先生にお願いしたいと思える先生もいたので、病院選びは迷わなかったですね。
――タイでの入院生活はどのようなスケジュールでしたか。
【ぷうたん】 手術の3日前から病院に入院しました。翌日にメディカルチェックと診察、腸内洗浄をして、翌々日に手術。手術自体は6~7時間ぐらいかかったんですけど、麻酔も効いていたので当日は痛みもあまりなく、お腹が張ってるような痛みを感じるくらいでした。術後2日目から消毒、歩行練習がはじまって、術後6日で退院。病院近くのホテルから抜糸やアフターケアのため11日間通院しました。
――入院中に辛かったことはダイレーション以外にもありましたか?
【ぷうたん】 膀胱炎になったのも大変でしたね。術後しばらくはカテーテルで排泄ですが、カテーテルを抜いたあとに膀胱炎になってしまって。トイレの度にタオルを握りしめながら耐えました…。でも、女の子になったからこそだと思えば、それすらも幸せに感じました。
――性別適合手術は心身ともにとても大きな決断だったと思います。不安や緊張などは。
【ぷうたん】 普段は弱虫で泣き虫なんですけど、変なところがタフなんですよね。小さい頃から女性になりたくて、いつかは…と願っていたし、とっくに覚悟は決めていたので不安はほとんどありませんでした。
手術への不安や恐怖よりも、手術の3週間前から、いつも打っているホルモン注射をストップしなくてはいけなかったので、精神的に不安定にならないか心配でした。普段は2週間に1度ぐらいの頻度で打っていたので…。結果、大丈夫だったのでよかったです。
■心と身体の不一致でも「性別適合手術=幸せじゃない」
――改めて、20歳の今、性別適合手術を決めた理由をうかがえますか。
【ぷうたん】 長く自分のことを愛せてなかったんです。でも、外見を磨く努力をしたり、ありのままの自分を愛してくれる人たちと出会ったことで自己肯定感が生まれて、自分自身を愛せるようになったんですよね。今だったら、どんな自分でも愛せる確信が持てたので、手術することに決めました。
――心は女性で身体は男性というご自身を受け入れることができたから次のステップに?
【ぷうたん】 そう。性別適合手術をしたって言うと、男性の身体を受け入れられなかったから?って思うかもしれないけど、そうじゃないんです。もちろん、心と違うことに違和感はあったし、悩んだ時期もあったけど、それも全部受け入れて、まわりに何を言われても、揺るぎない気持ちが持てたから、次に進む決心をしたというか。LGBTQでも性別適合手術=幸せじゃないし、自分自身の軸を固めてからやらないと、女の子になったところで、自分を愛してあげられないなと思ったので。
――高校時代にカミングアウトされて、すでにご家族にとっては“大切な娘”だったとのことですが、手術についての反応はいかがでしたか?
【ぷうたん】 いつかはすると思っていたけど、こんなに早いと思わなかったって驚かれました。手術をするのも、海外に行くのも人生で初めてだったので、両親はやっぱり不安だったみたいです。大げさかもしれないですけど、「手術は危険も伴うだろうし、もし何かあったらどうしよう」と泣かれてしまって…。これまでもたくさん心配をさせていたのに、また心配かけちゃったので、私もすごく苦しかったです。
――最終的にはご両親も理解してくださった?
【ぷうたん】 はい。タイに行く1週間前に実家に帰って“20年間、男の子として育ててくれてありがとう。あなたたちの子どもに生まれたから、今生きているし、たくさんの方に愛してもらえて感謝してる”と伝えたんです。そうしたら「あなたの人生だし、もう二十歳で大人だから自分が決めることだけど、私たちは親だから、おせっかいかもしれないけど、ずっと心配はする。でも、やることに関しては何ごとも応援したいと思ってる」と言ってくれました。
お母さんからは「男の子に生んでしまって申し訳ないと思った時もあった」と打ち明けられたんですけど、それについても「男とか女じゃなくて、私で生んでくれてありがとう」と直接言えたので、手術の前に話せて本当によかったです。
これから戸籍変更もするんですけど、今後生きていく名前も親に決めてもらいたくてお願いしたら、1ヵ月ぐらいかけていろいろ考えてくれたんです。本名でたくさんの方に愛してもらったからって、同じ画数で考えてくれました。
――女性になって喜びを感じるのはどのような瞬間でしょうか。
【ぷうたん】 一番実感するのは、お洋服を選ばずに着られるようになったことですかね。かわいい下着もはけるようになったし、肉づきもよくなって。一緒に活動している“ぎんしゃむ”や、周りの方からも、「雰囲気が柔らかくなったね」ってよく言われます。毎日うれしい気持ちがあって、この気持ちはずっと忘れないようにしたいなと思っています。
――性別適合手術を検討している方、悩まれている方にアドバイスはありますか?
【ぷうたん】 すごく繊細な問題ですし、手術をしたから幸せになれるっていうことではないと思うんです。もちろん背中を押すことはいくらでもできるけど、決めるのは自分自身。だから私から言えるのは、あなたの人生だから、好きなように生きたらいいんじゃないかなってことですかね。より自分らしく生きられる道が手術することなら、迷わずしたらいいと思う。でも、手術しても自分は自分だから。周りにどう言われたからじゃなくて、自分がどうしたいかが一番大事だと思います。
(取材・文/辻内史佳)