「“低俗なワイドショーの名刺はいらない”と偉そうに…」事件レポーターの元祖・東海林のり子(89)が語る“低俗なメディア”だから伝えられる大切なこと から続く
少年犯罪や凶悪事件が起こると、現場に出向いて伝える。被害者の涙に胸を打たれ、時には加害者ともやり合った。45歳から始まった東海林のり子(89)の事件レポーター人生は修羅場の連続だった――。(全2回の2回目/前編を読む)
【画像】若き日の東海林さん。「現場の東海林です」の名文句を生んだ
東海林のり子さん 文藝春秋
――昭和の頃、ワイドショーは被害者の家に赴くだけに留まらず、加害者の自宅も直撃していましたよね。
東海林 怖い目にも遭った。昔の家の造りだと、表に引き戸があって、少し距離を置いて奥に玄関があるでしょ。気合いを入れるため、カメラマンたちと「1、2、3」と声を掛け合って、引き戸を開けたの。そしたら、加害者の親が横で隠れて待ってた。金物のちり取りを振りかざしながら「コラァ!!」と出てきたから、あわててダァーッと逃げたことがあった(笑)。だから、いつもドアを開ける前は緊張したわよ。普通はね、加害者の家には行かないの。
――なぜ、その時は足を運んだのですか。
東海林 事件の記事を読んで、居ても立ってもいられなくなって、「突撃しよう」って自分から提案したの。
――アグレッシブですね。
東海林 男子高校生5人が同級生を殺した事件があった。その時も頭に来て、加害者の5人の家を1つずつ当たって行ったの。1軒だけ、お腹のでっぷりしたお母さんが出てきた。「こんな酷い事件が起きました。おたくの息子さんも参加していますよね」とマイクを向けたら、「いや~私、ホッとしたのよ。ウチの息子だけがやったんじゃなくて」と言ったの。
――リアルな言葉です。東海林 本当に腹が立った。でも、正直な感想かもしれない。現場に出向くと、そういう強烈な一言に当たるのよ。はらわた煮えくり帰って「結構です」と言って帰った。あれはオンエアしなかったはず。私だけが知り得た現実だと思ってる。――人間の隠しきれない本心が露わになったんですね。戸籍なく学校にも行けない子供たち…ワイドショーだけが拾い上げた事件東海林 世の中に埋もれていた事件も、ワイドショーは拾い上げていた。父親が出生届を提出せず、戸籍のない子がいたの。その父親は蒸発した。母親は途中から子育てを放棄して、4人の子供だけでマンションの2階で生活していた。14歳の長男は戸籍がないから学校にも行けないの。――壮絶な状態ですね。東海林 長男が幼い弟や妹たちの面倒を見ていたんだけど、ずっと家にいるから誰かと遊びたくてしょうがない。近所の男の子たちがよく来ていたんだけど、妹がラーメンを食べていたら、その友達たちが取り上げて口にしちゃう。お兄ちゃんは嫌われたくないから、何も言わない。弟や妹は餓死寸前になった。その友達たちは泣き止まない2歳の女の子に暴行を加えて、死亡させていた。――親はどこに行ったんですか。東海林 母親は別の場所で男と住んでいて、長男に生活費として1カ月分のお金を渡していた。あの時も突撃したの。家から母親が男と2人で出てきたから、マイクを向けた。男が「やめてくれよ!!」と大声で怒鳴ってきたわ。『巣鴨子供置き去り事件』というタイトルで放送したと思う(1988年)。――子供たちはどうなったんですか。私だけが見た“放送禁止の現場”東海林 長男は戸籍を登録して中学校に通うようになった。女の子は養護施設に入ったから、取材に行ったの。本当は見せちゃいけないと思うんだけど、施設長が会わせてくれた。命は助かったけど、当時のテレビでも流せないほどガリガリに痩せていた。地獄のような事件だった。私だけが見た“放送禁止の現場”かもしれない。 生涯でおよそ4000件もの現場に赴いた東海林は取材を重ねるうちに、刑事のような勘を身につけた。――ある程度の情報は入るとしても、事件現場はどのように特定したのですか。東海林 徐々に、事件の起こりそうな家の雰囲気がわかるようになったの。子供が虐殺された家に行くと、庭に小さなサンダルが散らばっていたり、ブランコが壊れていたりしている。息子がアルコール依存症のお父さんを殺した事件では、外から家の中をのぞくと、台所に焼酎やビールの瓶が何本も置かれていた。毎週、違う事件を追うんだけど、やっぱり共通点があるのよ。――蓄積された経験から勘が生まれたんですね。東海林 お母さんが子供の教師と不倫して、最終的にその男性を殺した事件があった。女性の住んでいる団地がわかって、車で向かったの。現場に着いたら、ディレクターが「部屋がたくさんあり過ぎて、見当もつきませんね」って言うの。でもよく見たら、一番上の端のベランダのアロエが枯れている。洗濯物のシャツは縮まって埃だらけになってる。「ここよ!」って言ったの。そしたら、当たってた(笑)。――今までの取材がモノをいったんですね。東海林 たぶん、刑事さんたちも同じように学んでいくんだろうなと思った。世田谷で子供が家で鎖に繋がれている事件があった。付近に行った途端、どの家かすぐにわかった。道が両脇にあって、V字型の家があった。窓が3つあったけど、全部小さくて空気の抜けが悪い。「ここだな」とピンと来た。「実体験って忘れないのね」――なぜ、親は子供を鎖に繋いだんですか。東海林 血の繋がっていない母親が男の子にご飯を作ってあげなかった。だから、子供は毎日のようにコンビニでおにぎりを買って食べていたの。父親と母親がそのことに怒って、二段ベッドの下に鎖で繋いだ。救出されたら、足の肉がほとんどない状態だった。――残酷な事件ですね。東海林 近所の人に聞いたら、「あの奥さんは毎日、薔薇に水を上げていますよ」と言うの。繕ってたのよね。家で凶悪な犯罪をしながら、外で優しいお母さんを演じていた。細かい行動に人間の心理って現れるのよ。――克明に覚えていらっしゃいますね。東海林 実体験って忘れないのよね。毎日、そんな勢いで仕事していたから疲れなかった。昼から現場に行って、深夜に局でVTRの構成を相談して、家に帰ると3時ぐらい。7時には会社に行かないといけない。でもね、興奮状態だから眠くないの。リアルに起きた身近な事件はいつも数字が高かった 45歳から事件レポーターを始めた東海林は還暦で退くまで現場に出向いた。一般企業であれば、管理職に収まる年代に朝から晩まで働いていた。――体にガタは来なかったですか。東海林 人生の中で、50代が一番元気だった。ろくに寝てないし、食べてもいないのに、全然辛くなかったわね。北海道で子供への虐待事件が起きた時、昼過ぎに「今から行って」と言われて、飛行機に乗った。――いつも急な指令ですね。東海林 着いたら、真っ暗になっていた。夜、雪道の中を歩きながらレポートする。近所の人は「子供の泣き声なんか聞こえませんでした。優しいお母さんですよ」と驚いている。でも、警察に取材すると、明らかにその家で事件が起きている。北海道は寒さを凌ぐため、家の壁が厚いから音が漏れない。その時初めて、他の地方と建物の造りが違うと知った。――スタジオで単にニュースを読むだけだと、わからない事実ですね。東海林 現場からレポートすると、リアルさが伝わるのよ。夫婦喧嘩して奥さんが旦那さんに灯油を被せた事件があった。すぐ現場に飛んで行って近所の人たちにインタビューした。次の日、毎分の視聴率が出たら、それが一番良かったの。リアルに起きた身近な事件はいつも数字が高かった。――やっぱり、気になるんですね。ワイドショーには現場をレポートしてほしい東海林 世の中はどんどん変わっていく。でも、どこかに置き去りにされたような事件ってあるわけ。ワイドショーはそういう問題を取り上げるべきなの。もちろん、平和で楽しく生きることが一番大事よ。だけど、自分のすぐ近くで悲惨な事件が実際に起こっている。それは対岸の火事じゃないと知ってもらいたいの。――東海林さんのような事件レポーターがまた現れるといいですけどね。東海林 今はスタジオで、新聞や文春の記事を元にフリップを作って説明するでしょ。それは自分たちの目で見た情報ではない。テレビ局が現場に行かせないから、レポーターも立ち場がない。個人情報保護法もできたし、いろんな事情があって昔のようにできないとは思う。でも、もう少し身近な事件を取り上げたり、現場でリアルな光景をレポートしたりしてほしい。ワイドショーは自分たちにしかできない役割を追求すべきよ。(岡野 誠/Webオリジナル(特集班))
――リアルな言葉です。
東海林 本当に腹が立った。でも、正直な感想かもしれない。現場に出向くと、そういう強烈な一言に当たるのよ。はらわた煮えくり帰って「結構です」と言って帰った。あれはオンエアしなかったはず。私だけが知り得た現実だと思ってる。
――人間の隠しきれない本心が露わになったんですね。
東海林 世の中に埋もれていた事件も、ワイドショーは拾い上げていた。父親が出生届を提出せず、戸籍のない子がいたの。その父親は蒸発した。母親は途中から子育てを放棄して、4人の子供だけでマンションの2階で生活していた。14歳の長男は戸籍がないから学校にも行けないの。
――壮絶な状態ですね。東海林 長男が幼い弟や妹たちの面倒を見ていたんだけど、ずっと家にいるから誰かと遊びたくてしょうがない。近所の男の子たちがよく来ていたんだけど、妹がラーメンを食べていたら、その友達たちが取り上げて口にしちゃう。お兄ちゃんは嫌われたくないから、何も言わない。弟や妹は餓死寸前になった。その友達たちは泣き止まない2歳の女の子に暴行を加えて、死亡させていた。――親はどこに行ったんですか。東海林 母親は別の場所で男と住んでいて、長男に生活費として1カ月分のお金を渡していた。あの時も突撃したの。家から母親が男と2人で出てきたから、マイクを向けた。男が「やめてくれよ!!」と大声で怒鳴ってきたわ。『巣鴨子供置き去り事件』というタイトルで放送したと思う(1988年)。――子供たちはどうなったんですか。私だけが見た“放送禁止の現場”東海林 長男は戸籍を登録して中学校に通うようになった。女の子は養護施設に入ったから、取材に行ったの。本当は見せちゃいけないと思うんだけど、施設長が会わせてくれた。命は助かったけど、当時のテレビでも流せないほどガリガリに痩せていた。地獄のような事件だった。私だけが見た“放送禁止の現場”かもしれない。 生涯でおよそ4000件もの現場に赴いた東海林は取材を重ねるうちに、刑事のような勘を身につけた。――ある程度の情報は入るとしても、事件現場はどのように特定したのですか。東海林 徐々に、事件の起こりそうな家の雰囲気がわかるようになったの。子供が虐殺された家に行くと、庭に小さなサンダルが散らばっていたり、ブランコが壊れていたりしている。息子がアルコール依存症のお父さんを殺した事件では、外から家の中をのぞくと、台所に焼酎やビールの瓶が何本も置かれていた。毎週、違う事件を追うんだけど、やっぱり共通点があるのよ。――蓄積された経験から勘が生まれたんですね。東海林 お母さんが子供の教師と不倫して、最終的にその男性を殺した事件があった。女性の住んでいる団地がわかって、車で向かったの。現場に着いたら、ディレクターが「部屋がたくさんあり過ぎて、見当もつきませんね」って言うの。でもよく見たら、一番上の端のベランダのアロエが枯れている。洗濯物のシャツは縮まって埃だらけになってる。「ここよ!」って言ったの。そしたら、当たってた(笑)。――今までの取材がモノをいったんですね。東海林 たぶん、刑事さんたちも同じように学んでいくんだろうなと思った。世田谷で子供が家で鎖に繋がれている事件があった。付近に行った途端、どの家かすぐにわかった。道が両脇にあって、V字型の家があった。窓が3つあったけど、全部小さくて空気の抜けが悪い。「ここだな」とピンと来た。「実体験って忘れないのね」――なぜ、親は子供を鎖に繋いだんですか。東海林 血の繋がっていない母親が男の子にご飯を作ってあげなかった。だから、子供は毎日のようにコンビニでおにぎりを買って食べていたの。父親と母親がそのことに怒って、二段ベッドの下に鎖で繋いだ。救出されたら、足の肉がほとんどない状態だった。――残酷な事件ですね。東海林 近所の人に聞いたら、「あの奥さんは毎日、薔薇に水を上げていますよ」と言うの。繕ってたのよね。家で凶悪な犯罪をしながら、外で優しいお母さんを演じていた。細かい行動に人間の心理って現れるのよ。――克明に覚えていらっしゃいますね。東海林 実体験って忘れないのよね。毎日、そんな勢いで仕事していたから疲れなかった。昼から現場に行って、深夜に局でVTRの構成を相談して、家に帰ると3時ぐらい。7時には会社に行かないといけない。でもね、興奮状態だから眠くないの。リアルに起きた身近な事件はいつも数字が高かった 45歳から事件レポーターを始めた東海林は還暦で退くまで現場に出向いた。一般企業であれば、管理職に収まる年代に朝から晩まで働いていた。――体にガタは来なかったですか。東海林 人生の中で、50代が一番元気だった。ろくに寝てないし、食べてもいないのに、全然辛くなかったわね。北海道で子供への虐待事件が起きた時、昼過ぎに「今から行って」と言われて、飛行機に乗った。――いつも急な指令ですね。東海林 着いたら、真っ暗になっていた。夜、雪道の中を歩きながらレポートする。近所の人は「子供の泣き声なんか聞こえませんでした。優しいお母さんですよ」と驚いている。でも、警察に取材すると、明らかにその家で事件が起きている。北海道は寒さを凌ぐため、家の壁が厚いから音が漏れない。その時初めて、他の地方と建物の造りが違うと知った。――スタジオで単にニュースを読むだけだと、わからない事実ですね。東海林 現場からレポートすると、リアルさが伝わるのよ。夫婦喧嘩して奥さんが旦那さんに灯油を被せた事件があった。すぐ現場に飛んで行って近所の人たちにインタビューした。次の日、毎分の視聴率が出たら、それが一番良かったの。リアルに起きた身近な事件はいつも数字が高かった。――やっぱり、気になるんですね。ワイドショーには現場をレポートしてほしい東海林 世の中はどんどん変わっていく。でも、どこかに置き去りにされたような事件ってあるわけ。ワイドショーはそういう問題を取り上げるべきなの。もちろん、平和で楽しく生きることが一番大事よ。だけど、自分のすぐ近くで悲惨な事件が実際に起こっている。それは対岸の火事じゃないと知ってもらいたいの。――東海林さんのような事件レポーターがまた現れるといいですけどね。東海林 今はスタジオで、新聞や文春の記事を元にフリップを作って説明するでしょ。それは自分たちの目で見た情報ではない。テレビ局が現場に行かせないから、レポーターも立ち場がない。個人情報保護法もできたし、いろんな事情があって昔のようにできないとは思う。でも、もう少し身近な事件を取り上げたり、現場でリアルな光景をレポートしたりしてほしい。ワイドショーは自分たちにしかできない役割を追求すべきよ。(岡野 誠/Webオリジナル(特集班))
――壮絶な状態ですね。
東海林 長男が幼い弟や妹たちの面倒を見ていたんだけど、ずっと家にいるから誰かと遊びたくてしょうがない。近所の男の子たちがよく来ていたんだけど、妹がラーメンを食べていたら、その友達たちが取り上げて口にしちゃう。お兄ちゃんは嫌われたくないから、何も言わない。弟や妹は餓死寸前になった。その友達たちは泣き止まない2歳の女の子に暴行を加えて、死亡させていた。
――親はどこに行ったんですか。
東海林 母親は別の場所で男と住んでいて、長男に生活費として1カ月分のお金を渡していた。あの時も突撃したの。家から母親が男と2人で出てきたから、マイクを向けた。男が「やめてくれよ!!」と大声で怒鳴ってきたわ。『巣鴨子供置き去り事件』というタイトルで放送したと思う(1988年)。
――子供たちはどうなったんですか。私だけが見た“放送禁止の現場”東海林 長男は戸籍を登録して中学校に通うようになった。女の子は養護施設に入ったから、取材に行ったの。本当は見せちゃいけないと思うんだけど、施設長が会わせてくれた。命は助かったけど、当時のテレビでも流せないほどガリガリに痩せていた。地獄のような事件だった。私だけが見た“放送禁止の現場”かもしれない。 生涯でおよそ4000件もの現場に赴いた東海林は取材を重ねるうちに、刑事のような勘を身につけた。――ある程度の情報は入るとしても、事件現場はどのように特定したのですか。東海林 徐々に、事件の起こりそうな家の雰囲気がわかるようになったの。子供が虐殺された家に行くと、庭に小さなサンダルが散らばっていたり、ブランコが壊れていたりしている。息子がアルコール依存症のお父さんを殺した事件では、外から家の中をのぞくと、台所に焼酎やビールの瓶が何本も置かれていた。毎週、違う事件を追うんだけど、やっぱり共通点があるのよ。――蓄積された経験から勘が生まれたんですね。東海林 お母さんが子供の教師と不倫して、最終的にその男性を殺した事件があった。女性の住んでいる団地がわかって、車で向かったの。現場に着いたら、ディレクターが「部屋がたくさんあり過ぎて、見当もつきませんね」って言うの。でもよく見たら、一番上の端のベランダのアロエが枯れている。洗濯物のシャツは縮まって埃だらけになってる。「ここよ!」って言ったの。そしたら、当たってた(笑)。――今までの取材がモノをいったんですね。東海林 たぶん、刑事さんたちも同じように学んでいくんだろうなと思った。世田谷で子供が家で鎖に繋がれている事件があった。付近に行った途端、どの家かすぐにわかった。道が両脇にあって、V字型の家があった。窓が3つあったけど、全部小さくて空気の抜けが悪い。「ここだな」とピンと来た。「実体験って忘れないのね」――なぜ、親は子供を鎖に繋いだんですか。東海林 血の繋がっていない母親が男の子にご飯を作ってあげなかった。だから、子供は毎日のようにコンビニでおにぎりを買って食べていたの。父親と母親がそのことに怒って、二段ベッドの下に鎖で繋いだ。救出されたら、足の肉がほとんどない状態だった。――残酷な事件ですね。東海林 近所の人に聞いたら、「あの奥さんは毎日、薔薇に水を上げていますよ」と言うの。繕ってたのよね。家で凶悪な犯罪をしながら、外で優しいお母さんを演じていた。細かい行動に人間の心理って現れるのよ。――克明に覚えていらっしゃいますね。東海林 実体験って忘れないのよね。毎日、そんな勢いで仕事していたから疲れなかった。昼から現場に行って、深夜に局でVTRの構成を相談して、家に帰ると3時ぐらい。7時には会社に行かないといけない。でもね、興奮状態だから眠くないの。リアルに起きた身近な事件はいつも数字が高かった 45歳から事件レポーターを始めた東海林は還暦で退くまで現場に出向いた。一般企業であれば、管理職に収まる年代に朝から晩まで働いていた。――体にガタは来なかったですか。東海林 人生の中で、50代が一番元気だった。ろくに寝てないし、食べてもいないのに、全然辛くなかったわね。北海道で子供への虐待事件が起きた時、昼過ぎに「今から行って」と言われて、飛行機に乗った。――いつも急な指令ですね。東海林 着いたら、真っ暗になっていた。夜、雪道の中を歩きながらレポートする。近所の人は「子供の泣き声なんか聞こえませんでした。優しいお母さんですよ」と驚いている。でも、警察に取材すると、明らかにその家で事件が起きている。北海道は寒さを凌ぐため、家の壁が厚いから音が漏れない。その時初めて、他の地方と建物の造りが違うと知った。――スタジオで単にニュースを読むだけだと、わからない事実ですね。東海林 現場からレポートすると、リアルさが伝わるのよ。夫婦喧嘩して奥さんが旦那さんに灯油を被せた事件があった。すぐ現場に飛んで行って近所の人たちにインタビューした。次の日、毎分の視聴率が出たら、それが一番良かったの。リアルに起きた身近な事件はいつも数字が高かった。――やっぱり、気になるんですね。ワイドショーには現場をレポートしてほしい東海林 世の中はどんどん変わっていく。でも、どこかに置き去りにされたような事件ってあるわけ。ワイドショーはそういう問題を取り上げるべきなの。もちろん、平和で楽しく生きることが一番大事よ。だけど、自分のすぐ近くで悲惨な事件が実際に起こっている。それは対岸の火事じゃないと知ってもらいたいの。――東海林さんのような事件レポーターがまた現れるといいですけどね。東海林 今はスタジオで、新聞や文春の記事を元にフリップを作って説明するでしょ。それは自分たちの目で見た情報ではない。テレビ局が現場に行かせないから、レポーターも立ち場がない。個人情報保護法もできたし、いろんな事情があって昔のようにできないとは思う。でも、もう少し身近な事件を取り上げたり、現場でリアルな光景をレポートしたりしてほしい。ワイドショーは自分たちにしかできない役割を追求すべきよ。(岡野 誠/Webオリジナル(特集班))
――子供たちはどうなったんですか。
東海林 長男は戸籍を登録して中学校に通うようになった。女の子は養護施設に入ったから、取材に行ったの。本当は見せちゃいけないと思うんだけど、施設長が会わせてくれた。命は助かったけど、当時のテレビでも流せないほどガリガリに痩せていた。地獄のような事件だった。私だけが見た“放送禁止の現場”かもしれない。
生涯でおよそ4000件もの現場に赴いた東海林は取材を重ねるうちに、刑事のような勘を身につけた。
――ある程度の情報は入るとしても、事件現場はどのように特定したのですか。
東海林 徐々に、事件の起こりそうな家の雰囲気がわかるようになったの。子供が虐殺された家に行くと、庭に小さなサンダルが散らばっていたり、ブランコが壊れていたりしている。息子がアルコール依存症のお父さんを殺した事件では、外から家の中をのぞくと、台所に焼酎やビールの瓶が何本も置かれていた。毎週、違う事件を追うんだけど、やっぱり共通点があるのよ。
――蓄積された経験から勘が生まれたんですね。
東海林 お母さんが子供の教師と不倫して、最終的にその男性を殺した事件があった。女性の住んでいる団地がわかって、車で向かったの。現場に着いたら、ディレクターが「部屋がたくさんあり過ぎて、見当もつきませんね」って言うの。でもよく見たら、一番上の端のベランダのアロエが枯れている。洗濯物のシャツは縮まって埃だらけになってる。「ここよ!」って言ったの。そしたら、当たってた(笑)。
――今までの取材がモノをいったんですね。東海林 たぶん、刑事さんたちも同じように学んでいくんだろうなと思った。世田谷で子供が家で鎖に繋がれている事件があった。付近に行った途端、どの家かすぐにわかった。道が両脇にあって、V字型の家があった。窓が3つあったけど、全部小さくて空気の抜けが悪い。「ここだな」とピンと来た。「実体験って忘れないのね」――なぜ、親は子供を鎖に繋いだんですか。東海林 血の繋がっていない母親が男の子にご飯を作ってあげなかった。だから、子供は毎日のようにコンビニでおにぎりを買って食べていたの。父親と母親がそのことに怒って、二段ベッドの下に鎖で繋いだ。救出されたら、足の肉がほとんどない状態だった。――残酷な事件ですね。東海林 近所の人に聞いたら、「あの奥さんは毎日、薔薇に水を上げていますよ」と言うの。繕ってたのよね。家で凶悪な犯罪をしながら、外で優しいお母さんを演じていた。細かい行動に人間の心理って現れるのよ。――克明に覚えていらっしゃいますね。東海林 実体験って忘れないのよね。毎日、そんな勢いで仕事していたから疲れなかった。昼から現場に行って、深夜に局でVTRの構成を相談して、家に帰ると3時ぐらい。7時には会社に行かないといけない。でもね、興奮状態だから眠くないの。リアルに起きた身近な事件はいつも数字が高かった 45歳から事件レポーターを始めた東海林は還暦で退くまで現場に出向いた。一般企業であれば、管理職に収まる年代に朝から晩まで働いていた。――体にガタは来なかったですか。東海林 人生の中で、50代が一番元気だった。ろくに寝てないし、食べてもいないのに、全然辛くなかったわね。北海道で子供への虐待事件が起きた時、昼過ぎに「今から行って」と言われて、飛行機に乗った。――いつも急な指令ですね。東海林 着いたら、真っ暗になっていた。夜、雪道の中を歩きながらレポートする。近所の人は「子供の泣き声なんか聞こえませんでした。優しいお母さんですよ」と驚いている。でも、警察に取材すると、明らかにその家で事件が起きている。北海道は寒さを凌ぐため、家の壁が厚いから音が漏れない。その時初めて、他の地方と建物の造りが違うと知った。――スタジオで単にニュースを読むだけだと、わからない事実ですね。東海林 現場からレポートすると、リアルさが伝わるのよ。夫婦喧嘩して奥さんが旦那さんに灯油を被せた事件があった。すぐ現場に飛んで行って近所の人たちにインタビューした。次の日、毎分の視聴率が出たら、それが一番良かったの。リアルに起きた身近な事件はいつも数字が高かった。――やっぱり、気になるんですね。ワイドショーには現場をレポートしてほしい東海林 世の中はどんどん変わっていく。でも、どこかに置き去りにされたような事件ってあるわけ。ワイドショーはそういう問題を取り上げるべきなの。もちろん、平和で楽しく生きることが一番大事よ。だけど、自分のすぐ近くで悲惨な事件が実際に起こっている。それは対岸の火事じゃないと知ってもらいたいの。――東海林さんのような事件レポーターがまた現れるといいですけどね。東海林 今はスタジオで、新聞や文春の記事を元にフリップを作って説明するでしょ。それは自分たちの目で見た情報ではない。テレビ局が現場に行かせないから、レポーターも立ち場がない。個人情報保護法もできたし、いろんな事情があって昔のようにできないとは思う。でも、もう少し身近な事件を取り上げたり、現場でリアルな光景をレポートしたりしてほしい。ワイドショーは自分たちにしかできない役割を追求すべきよ。(岡野 誠/Webオリジナル(特集班))
――今までの取材がモノをいったんですね。
東海林 たぶん、刑事さんたちも同じように学んでいくんだろうなと思った。世田谷で子供が家で鎖に繋がれている事件があった。付近に行った途端、どの家かすぐにわかった。道が両脇にあって、V字型の家があった。窓が3つあったけど、全部小さくて空気の抜けが悪い。「ここだな」とピンと来た。
――なぜ、親は子供を鎖に繋いだんですか。
東海林 血の繋がっていない母親が男の子にご飯を作ってあげなかった。だから、子供は毎日のようにコンビニでおにぎりを買って食べていたの。父親と母親がそのことに怒って、二段ベッドの下に鎖で繋いだ。救出されたら、足の肉がほとんどない状態だった。
――残酷な事件ですね。
東海林 近所の人に聞いたら、「あの奥さんは毎日、薔薇に水を上げていますよ」と言うの。繕ってたのよね。家で凶悪な犯罪をしながら、外で優しいお母さんを演じていた。細かい行動に人間の心理って現れるのよ。
――克明に覚えていらっしゃいますね。
東海林 実体験って忘れないのよね。毎日、そんな勢いで仕事していたから疲れなかった。昼から現場に行って、深夜に局でVTRの構成を相談して、家に帰ると3時ぐらい。7時には会社に行かないといけない。でもね、興奮状態だから眠くないの。
45歳から事件レポーターを始めた東海林は還暦で退くまで現場に出向いた。一般企業であれば、管理職に収まる年代に朝から晩まで働いていた。
――体にガタは来なかったですか。
東海林 人生の中で、50代が一番元気だった。ろくに寝てないし、食べてもいないのに、全然辛くなかったわね。北海道で子供への虐待事件が起きた時、昼過ぎに「今から行って」と言われて、飛行機に乗った。
――いつも急な指令ですね。
東海林 着いたら、真っ暗になっていた。夜、雪道の中を歩きながらレポートする。近所の人は「子供の泣き声なんか聞こえませんでした。優しいお母さんですよ」と驚いている。でも、警察に取材すると、明らかにその家で事件が起きている。北海道は寒さを凌ぐため、家の壁が厚いから音が漏れない。その時初めて、他の地方と建物の造りが違うと知った。
――スタジオで単にニュースを読むだけだと、わからない事実ですね。東海林 現場からレポートすると、リアルさが伝わるのよ。夫婦喧嘩して奥さんが旦那さんに灯油を被せた事件があった。すぐ現場に飛んで行って近所の人たちにインタビューした。次の日、毎分の視聴率が出たら、それが一番良かったの。リアルに起きた身近な事件はいつも数字が高かった。――やっぱり、気になるんですね。ワイドショーには現場をレポートしてほしい東海林 世の中はどんどん変わっていく。でも、どこかに置き去りにされたような事件ってあるわけ。ワイドショーはそういう問題を取り上げるべきなの。もちろん、平和で楽しく生きることが一番大事よ。だけど、自分のすぐ近くで悲惨な事件が実際に起こっている。それは対岸の火事じゃないと知ってもらいたいの。――東海林さんのような事件レポーターがまた現れるといいですけどね。東海林 今はスタジオで、新聞や文春の記事を元にフリップを作って説明するでしょ。それは自分たちの目で見た情報ではない。テレビ局が現場に行かせないから、レポーターも立ち場がない。個人情報保護法もできたし、いろんな事情があって昔のようにできないとは思う。でも、もう少し身近な事件を取り上げたり、現場でリアルな光景をレポートしたりしてほしい。ワイドショーは自分たちにしかできない役割を追求すべきよ。(岡野 誠/Webオリジナル(特集班))
――スタジオで単にニュースを読むだけだと、わからない事実ですね。
東海林 現場からレポートすると、リアルさが伝わるのよ。夫婦喧嘩して奥さんが旦那さんに灯油を被せた事件があった。すぐ現場に飛んで行って近所の人たちにインタビューした。次の日、毎分の視聴率が出たら、それが一番良かったの。リアルに起きた身近な事件はいつも数字が高かった。
――やっぱり、気になるんですね。
東海林 世の中はどんどん変わっていく。でも、どこかに置き去りにされたような事件ってあるわけ。ワイドショーはそういう問題を取り上げるべきなの。もちろん、平和で楽しく生きることが一番大事よ。だけど、自分のすぐ近くで悲惨な事件が実際に起こっている。それは対岸の火事じゃないと知ってもらいたいの。
――東海林さんのような事件レポーターがまた現れるといいですけどね。
東海林 今はスタジオで、新聞や文春の記事を元にフリップを作って説明するでしょ。それは自分たちの目で見た情報ではない。テレビ局が現場に行かせないから、レポーターも立ち場がない。個人情報保護法もできたし、いろんな事情があって昔のようにできないとは思う。でも、もう少し身近な事件を取り上げたり、現場でリアルな光景をレポートしたりしてほしい。ワイドショーは自分たちにしかできない役割を追求すべきよ。
(岡野 誠/Webオリジナル(特集班))
(岡野 誠/Webオリジナル(特集班))