「『あっ』と思ったら記憶がぷつんと途切れた」登山中の61歳男性に雷が直撃…槍ヶ岳で起きた“衝撃事故”の一部始終 から続く
壮大な山の自然を感じられる登山やキャンプがブームになって久しい。しかし山では、「まさかこんなことが起こるなんて!」といった予想だにしないアクシデントが起こることもあるのだ。
【画像】槍ヶ岳の落雷直撃現場の様子
ここでは、そんな“山のリスク”の実例や対処法を綴った羽根田治氏の著書『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(幻冬舎新書)から一部を抜粋。槍ヶ岳を登山中の男性、越中美津雄(こしなかみつお・61歳)さんに雷が直撃した。一命を取り留めて長野県警のヘリに救助されたが――。(全2回の2回目/1回目から続く)
写真はイメージ iStock.com
◆ ◆ ◆
県警ヘリで救助された越中は、午後3時50分に松本市内の病院に運び込まれ、検査と治療を受けた。越中の仲間8人はヒュッテ大槍に泊まり、翌日、槍ヶ岳には登らず槍沢を経由して上高地に下山した。
越中が落雷によって受けたダメージは、脳内出血、左鼓膜の破裂、中耳出血、蝸牛(かぎゅう)損傷、背中・尻・足の火傷など。病院には4日間入院して8月22日に退院したが、入院中は胸と腕に筋肉痛のような痛みがあり、あまり眠れなかった。 また、飲み込む力が落ちていたようで、食事をとるときに食べ物や飲み物が喉に突っかかるような感じがしばらく続いた。 体の火傷や衣類の焦げ跡、ザックや登山靴に開いた穴などから、落雷は左側頭部を直撃し、電流は左の中耳を破壊して首筋から脊柱へ走り、いったんは背中から抜けてザックを通ったのち、再び尻から体内に入って下肢へ向かい、両足から靴を突き破り外へ流れ出たものと推測された。化繊のアンダーウェアは、雷電流により溶けてしまってワカメのようにくしゃくしゃになっていた。崖に転落して命を落とす可能性も 雷に直撃されたにもかかわらず、奇跡的に損傷が少なかったことに、担当した医師は驚いていた。彼の見解によると、「雨でザックがびしょびしょに濡れていたから、雷電流がそちらのほうへ向かったのでしょう。心臓のほうに流れていたら助かっていなかったと思います」とのことであった。 事故後、越中が本で調べてみたら、ほとんどの落雷事故では強い電流が体を通るため、被害者は高い確率で死亡するということがわかった。「直撃被害者の死亡率は80%だそうです。例外として、雷電流の一部が体外へ抜けたことで体内電流の割合が減少し、死亡を免れることがあるらしいです。たぶんこれでしょう。強運だったのかもしれませんね」 越中が雷に打たれて倒れた場所のすぐ横は、低いハイマツに覆われた崖になっていて、体の一部がハイマツに引っ掛かって転落を免れていた。もしもっと崖側に倒れ込んでいたら、雷電流が心臓を通っていなかったとしても、転落によって命を落としていた可能性もある。そういう意味ではたしかに強運だったのだろう。「逃げ場はありませんでした」 越中は若いころにも一度、雷で怖い思いをしたことがある。夏に妻と2人で谷川岳の沢を登っていたときに、日暮れが迫るなかで大雨に見舞われ、ビバークすることになった。沢から高台に上がったササ藪(やぶ)のなかでテントを張る準備をしていたら、突如としてバーンという轟音が鳴り響き、2人の3メートルほど先に雷が落ちた。そこは周囲と変わらないただのササ藪で、なんでその場所に雷が落ちたのか、まったくわからなかった。 そんな経験があるだけに、雷の怖さは理解していたつもりだが、まさか自分が被雷するとは思ってもいなかった。「早めに昼食を切り上げて出発したけど、間に合いませんでした。『あー、ヤバいな』と思っているうちに、あっという間に雷雲に取り囲まれてしまっていました。ほんとうに早かったです。判断は難しかったけど、あとから考えれば、開けた場所に出る手前の岩陰とか藪のなかで待機していたほうがよかったのかもしれません。あと、小屋に逃げ込むときに、姿勢を低くして這うようにして向かえばよかったのかなと。それは失敗したかなと思っています。ただ、あれだけ雷がバリバリしていたなかでは、どこにいてもいっしょだったかも。逃げ場はありませんでした」あずまやへの避難は危険! 死傷者11人の事故も 落雷を要因とする山での遭難者数は年間0~数人程度で、割合的には非常に少ないといってもいい。しかし、それを以(もっ)て山での落雷事故のリスクは低いと考えるのは早計である。 雷は大気の状態が不安定なときに、積雲が発達して積乱雲(雷雲)ができることによって起こる。とくに夏季の山沿いでは、強い日差しに熱せられた空気の層が山の斜面に沿って上昇するため、積乱雲が発達しやすい。つまり夏山では気象的にも地形的にも雷雲が発生しやすく、大気の状態によっては何日も続いて雷が発生することも珍しくない。 また、雷には高いものに落ちるという特性がある。高いものの代表的存在ともいえる山は雷の恰好のターゲットであり、山頂や尾根、樹木などには雷が落ちやすい。そのわりに落雷事故が少ないのは、たまたま登山者がいないときに雷が落ちているからだろう。山頂に祀られている祠(ほこら)が壊れていたり、立木が裂けて倒れていたりするのは、雷が落ちた痕跡と思っていい。 ところで雷は基本的に一雷一殺といわれており、被害を受けるのは直撃を受けたひとりにかぎられる。だが、ごくまれに一発の雷で複数の被害者が出ることもある。 たとえば1967(昭和42)年8月1日、松本深志高校の生徒と教員計46人が西穂高岳を集団登山中に起きた落雷事故では、11人が死亡し、13人が重軽傷を負うという大惨事となった。これだけ多くの死傷者が出たのは、独標(独立標高点)と呼ばれる岩峰のピークに落ちた雷の電流が、地中に染み込んでいかず、雨を媒介として岩伝いに流れていったためと考えられている。 また、1992(平成4)年11月1日には、神奈川県にある丹沢の大山でハイカーが雨宿りをしていたあずまやに雷が落ち、ひとりが死亡し、10人が重軽傷を負うという事故も起きている。それまでは、雷に対して建造物内にいれば安全だと思われていたが、避雷設備のないあずまやのような建造物の場合は、この限りではないということを知らしめた事故だった。「早発早着」を徹底し、夏の午後は行動を避ける 山で雷が恐ろしいのは、雷雲の位置次第でどこにでも落ちる可能性があるうえ、安全地帯といえるのが山小屋ぐらいしかなく、ほかに逃げ場所がないからだ。そこで山に登るときには、できるだけ早めに雷の発生を予知し、遭遇する前に安全な場所へ避難することが重要になってくる。 そのためには、山に行く数日前から天気予報で、大気の不安定な状態が続いていないか、雷雨の予報や雷注意報が出されていないかをチェックする必要がある。もし雷のリスクが高そうな場合は、行動時間が短くなるよう計画を練り直す、登る山を変えるなどして、なるべくリスクを低減させるようにすべきだろう。 夏山で雷雲が現れるのは、たいてい午後になってからなので、登山の原則である「早発早着」を実践し、なるべく朝早くから行動を開始し、午後の早いうちにその日の目的地に到着するように計画を立てることも大事だ。 ここで取り上げた事例では、通常よりも早い昼前に雷雲が発生したが、越中のパーティは当初の計画よりも30分ほど遅れてその日の行動を開始していた。もし計画どおりに出発していたら、無事ヒュッテ大槍に逃げ込めていたかもしれない。たった30分の時間差が生死を分けることにもなりうるのが、山の怖さでもある。雷情報をこまめに入手することが回避に役立つ さらに行動中は雲の様子にも注意を払うことが必要である。積雲が発達して積乱雲になると、雷雨に見舞われる可能性が高い。積乱雲との距離が近い場合は、早急に最寄りの山小屋に避難すべきだ。かすかに雷鳴が聞こえる、アラレがパラパラと降ってくるなど兆候が現れたら、雷の危険がすぐ身近に迫っており、一刻の猶予もない。 今は山の中にいてもスマートフォンなどで気象情報サイトをチェックできる時代なので、これを予知に活用するのも有効な手段だ。雷情報をこまめに入手することが回避に役立つ。 なお、ラジオのAM放送は約50キロメートル離れた雷からの電波雑音を受信することができる。もし携帯ラジオを所持していて、なおかつ雷のリスクがありそうなときは、ラジオをつけながら行動し、激しい雑音が入ってきたら、ただちに避難を開始するようにしたい。木の下に逃げるのは意外に高リスク 近くに逃げ込める山小屋がない場所で、不幸にも雷に遭遇してしまったら、なるべく低い体勢で窪地や谷筋、ハイマツ帯のなかなどに移動し、しゃがんで姿勢を低くしたまま雷雲が去っていくのを待つしかない(結果論であるが、それをしなかったことを、越中は悔やんでいた)。 とくに雷が落ちやすい山頂や岩場などにいるときは、できるだけ早急にその場を離れるべきだ。背負っているザックが頭よりも上に飛び出していたら、ザックを手で抱え、やはり姿勢を低く保って避難する。傘は絶対にさしてはならず、ザックに付けたテントのポールやストックなども頭より上に突き出ないようにしておく。 ちなみに昔は「金属類を身につけていると危険」といわれていたが、これは迷信である。身につけている時計やネックレスなどの金属類をわざわざ外す必要はない。 雷は雨を伴うことが多く、“寄らば大樹の陰”で心理的に大きな木の下に逃げ込みたくなるものだが、雷が木に落ちたときにそばにいると、木に落ちた雷の電流が人に飛び移ってくる「側撃(そくげき)雷」が起こる。木の下は決して安全ではなく、逆にリスクは高くなってしまう。 2019(令和元)年のゴールデンウィークには、丹沢の鍋割山で落雷による死亡事故が起きたが、亡くなった登山者は降り出した雨を避けようとして木の下に移動したところで雷に打たれたという。詳しい状況はわかっていないが、側撃雷だった可能性は高い。 ただし、高さ5メートル以上30メートル以内の木や鉄塔などの周囲には「保護範囲」と呼ばれる安全地帯が生じる。保護範囲とは、すべての幹や枝先(あるいは鉄塔など)から4メートル以上離れ、木や鉄塔などの頂点を45度以上の角度で見上げる範囲のことで、そのなかで低い姿勢を保っていれば、比較的安全だといわれている(安全性は100%ではない)。雷が鳴っているときに山頂に登るのは自殺行為 また、雷雲が通り過ぎ、かすかに雷鳴が聞こえる程度まで遠ざかったとしても、決して油断してはならない。雷はときに10キロメートル以上離れた場所に落ちることもあり、遠くで「ゴロッ」と聞こえた次の瞬間に、自分の頭の上に落ちている可能性もある。越中の事故と同じ日に槍ヶ岳で起きた死亡事故は、その典型的な例だろう。 まして、天に向かって屹立する槍ヶ岳の岩峰は、さながら避雷針のようなものであり、遠雷とはいえまだ雷が鳴っているときにその山頂に登るのは、自殺行為に等しかったといっても言い過ぎではない。 事故後、越中は何人もの人から「山はやめないんですか」と聞かれたが、やめるつもりはまったくない。たまたま命が助かってよかったとは思っているが、ただそれだけのことだ。「そもそも山自体が危ないところであり、なにがあってもおかしくはない」 越中は山をそう捉えている。(羽根田 治/Webオリジナル(外部転載))
越中が落雷によって受けたダメージは、脳内出血、左鼓膜の破裂、中耳出血、蝸牛(かぎゅう)損傷、背中・尻・足の火傷など。病院には4日間入院して8月22日に退院したが、入院中は胸と腕に筋肉痛のような痛みがあり、あまり眠れなかった。
また、飲み込む力が落ちていたようで、食事をとるときに食べ物や飲み物が喉に突っかかるような感じがしばらく続いた。
体の火傷や衣類の焦げ跡、ザックや登山靴に開いた穴などから、落雷は左側頭部を直撃し、電流は左の中耳を破壊して首筋から脊柱へ走り、いったんは背中から抜けてザックを通ったのち、再び尻から体内に入って下肢へ向かい、両足から靴を突き破り外へ流れ出たものと推測された。化繊のアンダーウェアは、雷電流により溶けてしまってワカメのようにくしゃくしゃになっていた。
雷に直撃されたにもかかわらず、奇跡的に損傷が少なかったことに、担当した医師は驚いていた。彼の見解によると、「雨でザックがびしょびしょに濡れていたから、雷電流がそちらのほうへ向かったのでしょう。心臓のほうに流れていたら助かっていなかったと思います」とのことであった。
事故後、越中が本で調べてみたら、ほとんどの落雷事故では強い電流が体を通るため、被害者は高い確率で死亡するということがわかった。
「直撃被害者の死亡率は80%だそうです。例外として、雷電流の一部が体外へ抜けたことで体内電流の割合が減少し、死亡を免れることがあるらしいです。たぶんこれでしょう。強運だったのかもしれませんね」
越中が雷に打たれて倒れた場所のすぐ横は、低いハイマツに覆われた崖になっていて、体の一部がハイマツに引っ掛かって転落を免れていた。もしもっと崖側に倒れ込んでいたら、雷電流が心臓を通っていなかったとしても、転落によって命を落としていた可能性もある。そういう意味ではたしかに強運だったのだろう。
越中は若いころにも一度、雷で怖い思いをしたことがある。夏に妻と2人で谷川岳の沢を登っていたときに、日暮れが迫るなかで大雨に見舞われ、ビバークすることになった。沢から高台に上がったササ藪(やぶ)のなかでテントを張る準備をしていたら、突如としてバーンという轟音が鳴り響き、2人の3メートルほど先に雷が落ちた。そこは周囲と変わらないただのササ藪で、なんでその場所に雷が落ちたのか、まったくわからなかった。
そんな経験があるだけに、雷の怖さは理解していたつもりだが、まさか自分が被雷するとは思ってもいなかった。
「早めに昼食を切り上げて出発したけど、間に合いませんでした。『あー、ヤバいな』と思っているうちに、あっという間に雷雲に取り囲まれてしまっていました。ほんとうに早かったです。判断は難しかったけど、あとから考えれば、開けた場所に出る手前の岩陰とか藪のなかで待機していたほうがよかったのかもしれません。あと、小屋に逃げ込むときに、姿勢を低くして這うようにして向かえばよかったのかなと。それは失敗したかなと思っています。ただ、あれだけ雷がバリバリしていたなかでは、どこにいてもいっしょだったかも。逃げ場はありませんでした」
あずまやへの避難は危険! 死傷者11人の事故も 落雷を要因とする山での遭難者数は年間0~数人程度で、割合的には非常に少ないといってもいい。しかし、それを以(もっ)て山での落雷事故のリスクは低いと考えるのは早計である。 雷は大気の状態が不安定なときに、積雲が発達して積乱雲(雷雲)ができることによって起こる。とくに夏季の山沿いでは、強い日差しに熱せられた空気の層が山の斜面に沿って上昇するため、積乱雲が発達しやすい。つまり夏山では気象的にも地形的にも雷雲が発生しやすく、大気の状態によっては何日も続いて雷が発生することも珍しくない。 また、雷には高いものに落ちるという特性がある。高いものの代表的存在ともいえる山は雷の恰好のターゲットであり、山頂や尾根、樹木などには雷が落ちやすい。そのわりに落雷事故が少ないのは、たまたま登山者がいないときに雷が落ちているからだろう。山頂に祀られている祠(ほこら)が壊れていたり、立木が裂けて倒れていたりするのは、雷が落ちた痕跡と思っていい。 ところで雷は基本的に一雷一殺といわれており、被害を受けるのは直撃を受けたひとりにかぎられる。だが、ごくまれに一発の雷で複数の被害者が出ることもある。 たとえば1967(昭和42)年8月1日、松本深志高校の生徒と教員計46人が西穂高岳を集団登山中に起きた落雷事故では、11人が死亡し、13人が重軽傷を負うという大惨事となった。これだけ多くの死傷者が出たのは、独標(独立標高点)と呼ばれる岩峰のピークに落ちた雷の電流が、地中に染み込んでいかず、雨を媒介として岩伝いに流れていったためと考えられている。 また、1992(平成4)年11月1日には、神奈川県にある丹沢の大山でハイカーが雨宿りをしていたあずまやに雷が落ち、ひとりが死亡し、10人が重軽傷を負うという事故も起きている。それまでは、雷に対して建造物内にいれば安全だと思われていたが、避雷設備のないあずまやのような建造物の場合は、この限りではないということを知らしめた事故だった。「早発早着」を徹底し、夏の午後は行動を避ける 山で雷が恐ろしいのは、雷雲の位置次第でどこにでも落ちる可能性があるうえ、安全地帯といえるのが山小屋ぐらいしかなく、ほかに逃げ場所がないからだ。そこで山に登るときには、できるだけ早めに雷の発生を予知し、遭遇する前に安全な場所へ避難することが重要になってくる。 そのためには、山に行く数日前から天気予報で、大気の不安定な状態が続いていないか、雷雨の予報や雷注意報が出されていないかをチェックする必要がある。もし雷のリスクが高そうな場合は、行動時間が短くなるよう計画を練り直す、登る山を変えるなどして、なるべくリスクを低減させるようにすべきだろう。 夏山で雷雲が現れるのは、たいてい午後になってからなので、登山の原則である「早発早着」を実践し、なるべく朝早くから行動を開始し、午後の早いうちにその日の目的地に到着するように計画を立てることも大事だ。 ここで取り上げた事例では、通常よりも早い昼前に雷雲が発生したが、越中のパーティは当初の計画よりも30分ほど遅れてその日の行動を開始していた。もし計画どおりに出発していたら、無事ヒュッテ大槍に逃げ込めていたかもしれない。たった30分の時間差が生死を分けることにもなりうるのが、山の怖さでもある。雷情報をこまめに入手することが回避に役立つ さらに行動中は雲の様子にも注意を払うことが必要である。積雲が発達して積乱雲になると、雷雨に見舞われる可能性が高い。積乱雲との距離が近い場合は、早急に最寄りの山小屋に避難すべきだ。かすかに雷鳴が聞こえる、アラレがパラパラと降ってくるなど兆候が現れたら、雷の危険がすぐ身近に迫っており、一刻の猶予もない。 今は山の中にいてもスマートフォンなどで気象情報サイトをチェックできる時代なので、これを予知に活用するのも有効な手段だ。雷情報をこまめに入手することが回避に役立つ。 なお、ラジオのAM放送は約50キロメートル離れた雷からの電波雑音を受信することができる。もし携帯ラジオを所持していて、なおかつ雷のリスクがありそうなときは、ラジオをつけながら行動し、激しい雑音が入ってきたら、ただちに避難を開始するようにしたい。木の下に逃げるのは意外に高リスク 近くに逃げ込める山小屋がない場所で、不幸にも雷に遭遇してしまったら、なるべく低い体勢で窪地や谷筋、ハイマツ帯のなかなどに移動し、しゃがんで姿勢を低くしたまま雷雲が去っていくのを待つしかない(結果論であるが、それをしなかったことを、越中は悔やんでいた)。 とくに雷が落ちやすい山頂や岩場などにいるときは、できるだけ早急にその場を離れるべきだ。背負っているザックが頭よりも上に飛び出していたら、ザックを手で抱え、やはり姿勢を低く保って避難する。傘は絶対にさしてはならず、ザックに付けたテントのポールやストックなども頭より上に突き出ないようにしておく。 ちなみに昔は「金属類を身につけていると危険」といわれていたが、これは迷信である。身につけている時計やネックレスなどの金属類をわざわざ外す必要はない。 雷は雨を伴うことが多く、“寄らば大樹の陰”で心理的に大きな木の下に逃げ込みたくなるものだが、雷が木に落ちたときにそばにいると、木に落ちた雷の電流が人に飛び移ってくる「側撃(そくげき)雷」が起こる。木の下は決して安全ではなく、逆にリスクは高くなってしまう。 2019(令和元)年のゴールデンウィークには、丹沢の鍋割山で落雷による死亡事故が起きたが、亡くなった登山者は降り出した雨を避けようとして木の下に移動したところで雷に打たれたという。詳しい状況はわかっていないが、側撃雷だった可能性は高い。 ただし、高さ5メートル以上30メートル以内の木や鉄塔などの周囲には「保護範囲」と呼ばれる安全地帯が生じる。保護範囲とは、すべての幹や枝先(あるいは鉄塔など)から4メートル以上離れ、木や鉄塔などの頂点を45度以上の角度で見上げる範囲のことで、そのなかで低い姿勢を保っていれば、比較的安全だといわれている(安全性は100%ではない)。雷が鳴っているときに山頂に登るのは自殺行為 また、雷雲が通り過ぎ、かすかに雷鳴が聞こえる程度まで遠ざかったとしても、決して油断してはならない。雷はときに10キロメートル以上離れた場所に落ちることもあり、遠くで「ゴロッ」と聞こえた次の瞬間に、自分の頭の上に落ちている可能性もある。越中の事故と同じ日に槍ヶ岳で起きた死亡事故は、その典型的な例だろう。 まして、天に向かって屹立する槍ヶ岳の岩峰は、さながら避雷針のようなものであり、遠雷とはいえまだ雷が鳴っているときにその山頂に登るのは、自殺行為に等しかったといっても言い過ぎではない。 事故後、越中は何人もの人から「山はやめないんですか」と聞かれたが、やめるつもりはまったくない。たまたま命が助かってよかったとは思っているが、ただそれだけのことだ。「そもそも山自体が危ないところであり、なにがあってもおかしくはない」 越中は山をそう捉えている。(羽根田 治/Webオリジナル(外部転載))
落雷を要因とする山での遭難者数は年間0~数人程度で、割合的には非常に少ないといってもいい。しかし、それを以(もっ)て山での落雷事故のリスクは低いと考えるのは早計である。
雷は大気の状態が不安定なときに、積雲が発達して積乱雲(雷雲)ができることによって起こる。とくに夏季の山沿いでは、強い日差しに熱せられた空気の層が山の斜面に沿って上昇するため、積乱雲が発達しやすい。つまり夏山では気象的にも地形的にも雷雲が発生しやすく、大気の状態によっては何日も続いて雷が発生することも珍しくない。
また、雷には高いものに落ちるという特性がある。高いものの代表的存在ともいえる山は雷の恰好のターゲットであり、山頂や尾根、樹木などには雷が落ちやすい。そのわりに落雷事故が少ないのは、たまたま登山者がいないときに雷が落ちているからだろう。山頂に祀られている祠(ほこら)が壊れていたり、立木が裂けて倒れていたりするのは、雷が落ちた痕跡と思っていい。
ところで雷は基本的に一雷一殺といわれており、被害を受けるのは直撃を受けたひとりにかぎられる。だが、ごくまれに一発の雷で複数の被害者が出ることもある。
たとえば1967(昭和42)年8月1日、松本深志高校の生徒と教員計46人が西穂高岳を集団登山中に起きた落雷事故では、11人が死亡し、13人が重軽傷を負うという大惨事となった。これだけ多くの死傷者が出たのは、独標(独立標高点)と呼ばれる岩峰のピークに落ちた雷の電流が、地中に染み込んでいかず、雨を媒介として岩伝いに流れていったためと考えられている。
また、1992(平成4)年11月1日には、神奈川県にある丹沢の大山でハイカーが雨宿りをしていたあずまやに雷が落ち、ひとりが死亡し、10人が重軽傷を負うという事故も起きている。それまでは、雷に対して建造物内にいれば安全だと思われていたが、避雷設備のないあずまやのような建造物の場合は、この限りではないということを知らしめた事故だった。
山で雷が恐ろしいのは、雷雲の位置次第でどこにでも落ちる可能性があるうえ、安全地帯といえるのが山小屋ぐらいしかなく、ほかに逃げ場所がないからだ。そこで山に登るときには、できるだけ早めに雷の発生を予知し、遭遇する前に安全な場所へ避難することが重要になってくる。
そのためには、山に行く数日前から天気予報で、大気の不安定な状態が続いていないか、雷雨の予報や雷注意報が出されていないかをチェックする必要がある。もし雷のリスクが高そうな場合は、行動時間が短くなるよう計画を練り直す、登る山を変えるなどして、なるべくリスクを低減させるようにすべきだろう。
夏山で雷雲が現れるのは、たいてい午後になってからなので、登山の原則である「早発早着」を実践し、なるべく朝早くから行動を開始し、午後の早いうちにその日の目的地に到着するように計画を立てることも大事だ。
ここで取り上げた事例では、通常よりも早い昼前に雷雲が発生したが、越中のパーティは当初の計画よりも30分ほど遅れてその日の行動を開始していた。もし計画どおりに出発していたら、無事ヒュッテ大槍に逃げ込めていたかもしれない。たった30分の時間差が生死を分けることにもなりうるのが、山の怖さでもある。
さらに行動中は雲の様子にも注意を払うことが必要である。積雲が発達して積乱雲になると、雷雨に見舞われる可能性が高い。積乱雲との距離が近い場合は、早急に最寄りの山小屋に避難すべきだ。かすかに雷鳴が聞こえる、アラレがパラパラと降ってくるなど兆候が現れたら、雷の危険がすぐ身近に迫っており、一刻の猶予もない。
今は山の中にいてもスマートフォンなどで気象情報サイトをチェックできる時代なので、これを予知に活用するのも有効な手段だ。雷情報をこまめに入手することが回避に役立つ。
なお、ラジオのAM放送は約50キロメートル離れた雷からの電波雑音を受信することができる。もし携帯ラジオを所持していて、なおかつ雷のリスクがありそうなときは、ラジオをつけながら行動し、激しい雑音が入ってきたら、ただちに避難を開始するようにしたい。
近くに逃げ込める山小屋がない場所で、不幸にも雷に遭遇してしまったら、なるべく低い体勢で窪地や谷筋、ハイマツ帯のなかなどに移動し、しゃがんで姿勢を低くしたまま雷雲が去っていくのを待つしかない(結果論であるが、それをしなかったことを、越中は悔やんでいた)。
とくに雷が落ちやすい山頂や岩場などにいるときは、できるだけ早急にその場を離れるべきだ。背負っているザックが頭よりも上に飛び出していたら、ザックを手で抱え、やはり姿勢を低く保って避難する。傘は絶対にさしてはならず、ザックに付けたテントのポールやストックなども頭より上に突き出ないようにしておく。
ちなみに昔は「金属類を身につけていると危険」といわれていたが、これは迷信である。身につけている時計やネックレスなどの金属類をわざわざ外す必要はない。
雷は雨を伴うことが多く、“寄らば大樹の陰”で心理的に大きな木の下に逃げ込みたくなるものだが、雷が木に落ちたときにそばにいると、木に落ちた雷の電流が人に飛び移ってくる「側撃(そくげき)雷」が起こる。木の下は決して安全ではなく、逆にリスクは高くなってしまう。
2019(令和元)年のゴールデンウィークには、丹沢の鍋割山で落雷による死亡事故が起きたが、亡くなった登山者は降り出した雨を避けようとして木の下に移動したところで雷に打たれたという。詳しい状況はわかっていないが、側撃雷だった可能性は高い。
ただし、高さ5メートル以上30メートル以内の木や鉄塔などの周囲には「保護範囲」と呼ばれる安全地帯が生じる。保護範囲とは、すべての幹や枝先(あるいは鉄塔など)から4メートル以上離れ、木や鉄塔などの頂点を45度以上の角度で見上げる範囲のことで、そのなかで低い姿勢を保っていれば、比較的安全だといわれている(安全性は100%ではない)。
雷が鳴っているときに山頂に登るのは自殺行為 また、雷雲が通り過ぎ、かすかに雷鳴が聞こえる程度まで遠ざかったとしても、決して油断してはならない。雷はときに10キロメートル以上離れた場所に落ちることもあり、遠くで「ゴロッ」と聞こえた次の瞬間に、自分の頭の上に落ちている可能性もある。越中の事故と同じ日に槍ヶ岳で起きた死亡事故は、その典型的な例だろう。 まして、天に向かって屹立する槍ヶ岳の岩峰は、さながら避雷針のようなものであり、遠雷とはいえまだ雷が鳴っているときにその山頂に登るのは、自殺行為に等しかったといっても言い過ぎではない。 事故後、越中は何人もの人から「山はやめないんですか」と聞かれたが、やめるつもりはまったくない。たまたま命が助かってよかったとは思っているが、ただそれだけのことだ。「そもそも山自体が危ないところであり、なにがあってもおかしくはない」 越中は山をそう捉えている。(羽根田 治/Webオリジナル(外部転載))
また、雷雲が通り過ぎ、かすかに雷鳴が聞こえる程度まで遠ざかったとしても、決して油断してはならない。雷はときに10キロメートル以上離れた場所に落ちることもあり、遠くで「ゴロッ」と聞こえた次の瞬間に、自分の頭の上に落ちている可能性もある。越中の事故と同じ日に槍ヶ岳で起きた死亡事故は、その典型的な例だろう。
まして、天に向かって屹立する槍ヶ岳の岩峰は、さながら避雷針のようなものであり、遠雷とはいえまだ雷が鳴っているときにその山頂に登るのは、自殺行為に等しかったといっても言い過ぎではない。
事故後、越中は何人もの人から「山はやめないんですか」と聞かれたが、やめるつもりはまったくない。たまたま命が助かってよかったとは思っているが、ただそれだけのことだ。
「そもそも山自体が危ないところであり、なにがあってもおかしくはない」
越中は山をそう捉えている。
(羽根田 治/Webオリジナル(外部転載))