共働き家庭の一般化や、少子化が進んだ昨今。
子どもに無関心過ぎる親、過放任な親、過保護・過干渉な親が散見される一方、下の子や老親の世話、手伝いの範疇を超えた家事労働を強要する親が目につく。こうしたケースの中には、親の意識の有無に関わらず、「子どもは親の所有物」と勘違いしている場合もある。
「あなたは子どもの子どもたる時間や居場所を奪っていませんか」
中部地方在住の大森愛子さん(40代・既婚)の戦前生まれの父親は、この地方の田舎育ち。県内のトップ高校を卒業後、国立大学を出て地方公務員となった。母親は短大を卒業した後、産休などで休む職員の代わりの臨時職員として入った役所の仕事で父親と出会い、約2年の交際を経て、父親29歳、母親23歳のときに結婚。6年後に大森さんを出産し、その3年後に弟を出産した。
当時は母方の祖父母宅の同じ敷地内で暮らしていた大森さん家族。大森さんが物心ついた頃には、母親は育児をせず、産休などで休む職員が出ると、「私は仕事があるから」と言って臨時職員として働く。第一子である大森さんのことはもちろん、幼い弟の世話まで母方祖母に丸投げ。祖母は育児も家事も一人でテキパキとこなしてくれていた。
やがて5歳下に妹が生まれ、家が手狭になると、大森さんが小学校に上がる前に、それまで暮らしていた母方の祖母宅から徒歩10分ほどのところにある分譲マンションに引っ越しをし、母親は専業主婦に。大森さんが、母親の異常さに気付き始めたのは、母方の祖父母と離れて暮らすようになったこの頃からだった。
小学校入学後、大森さんに友だちができ、「友だちに誕生日のプレゼントを贈りたい」と言ったり、バレンタインデーには「バレンタインチョコを贈り合いたい」と母親に言うと、母親は、誕生日プレゼントを贈ることやバレンタインチョコの交換することを禁止するように、担任の先生に電話。
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また、大森さんの友だちに、英語教室に通う友だちが多く、大森さんも「通いたい」と言ったところ、母親は「お金がない」「月謝が高いからダメ」と取り付く島もなかった。父親は公務員、母親も、空きが出る度に臨時職員として働いていたはずだが、なぜそんなに「お金がない」のだろうか。「本当のところはよくわからないのですが、父の実家が老朽化したのを立て直したのとマンション購入と時期が重なり、ダブルで支払いがあって苦しかったのかもしれません。父の実家は車で2時間ほどの田舎で、祖父は私が生まれる前に亡くなっており、一人で暮らす祖母が心配で、父はよく様子を見に行っていました」学歴やお金に異常に執着、理不尽を繰り返す両親大森さんが中学に入学すると、両親揃って地域のトップ高校に入ることを執拗に求めてくる。「勉強以外のことに興味を持つな」と言われ、午後8時以降のテレビは禁止。一方で「お金がない」を口癖のように繰り返し、「塾や通信教育は高いからダメ」「自分でなんとかしろ」。身なりにお金をかけてもらえず、中学になっても、理美容院には行かせてもらえない。髪の毛は母親が切っており、下手くそだったため前髪はガタガタで、素人が切ったことがバレバレ。次第に仲間外れやイジメの原因となる。 さらに、大森さんに月経が訪れても、生理用ナプキンを使わせてもらえず、中学2年生になっても、3年生になってもブラジャーを買ってもらえない。にも関わらず、経血が下着や制服に着くと、母親に烈火のごとく怒られた。しかも、大森さんの交友関係に目を光らせ、届いた年賀状は全チェック。流行していたテレビ番組を観ることや音楽を聴くことも禁止されていたため、クラスメイトと話が合わず、友だちも離れていく。帰宅時には、同じ通学路の男子2人組に、後ろからいつも、「ほんとブスだよな」などと悪口を聞かされ続けた。あるとき、大森さんは意を決して「こんなのおかしい!厳しすぎる!」と母親に抗議する。しかし母親は、「世の中にはもっと大変な人がいる」「よそはよそ、うちはうち」と言い、シングルマザー家庭を引き合いに出され、大森さんは口をつぐむしかなくなる。「母は、『よそはよそ、うちはうち』と言う割には、他の子と比べて私を下げる行為がひどく、容姿に関しても、『ダンスやバレエをやってみたい』と言った私に対し、『そんな顔か』と一蹴されました」当時、大森さんが通っていた中学校は、1学年が400人以上のマンモス校。校則が厳しく、登下校時はもちろん、学校生活のほとんどの時間、クラスと出席番号と苗字が書かれたゼッケン付きのジャージで過ごさねばならなかった。そのうえ、卵が先か鶏が先かではないが、素行の悪い生徒が多く、学校内が荒れていたため、容姿にお金をかけてもらえず、流行に疎く、真面目で勉強ばかりさせられていた大森さんのような生徒は目立ち、いじめの標的にされた。母方の祖父母を頼ろうにも、祖父母と同居している叔父(母の弟)が結婚したため、叔父の妻に遠慮し、足が遠のいていた。「国公立以外はダメ、浪人もダメ」、夢を口にすると「お前には無理」大森さんの話によると、大森さんが生まれ育った地域では、当時、高校合格者が新聞に掲載されていたという。大森さんはそれが嫌だった。両親から「私立には行かせない」と言われていたこともあり、2ランクほど下げて、確実に合格できる高校を受験し、無事合格。すると今度は、「国立大しか許さない」と両親に言われるも、これまで同様、「塾や通信教材は高いからダメ」。大森さんは自力学習に勤しむしかなかった。 ところが、父方祖母が高齢になり、心配した父親は、冬の間は祖母をマンションに呼び寄せ、一緒に暮らすように。3LDKのマンションに、父方の祖母と両親と子ども3人の合計6人。受験勉強など、まともにできる環境ではなかった。やがて高校3年になると、もともとランクを下げて受験したこともあり、担任から指定校推薦で、都内の一流私立大学を勧められる。しかし両親の答えは「NO」。「とにかく国公立以外はダメ。浪人もダメ。ダメと言われてもどうすればいいのかわからず、自分のやりたいことや夢もわからず、何か口にすれば、『お前には無理』の一点張り。理数系が得意だったので、国立大の薬学部をぼんやりと考えていましたが、無課金ではとても無理と断念しました」最終的に大森さんは、隣の県にある国立大の工学部の推薦入学を見つけ、合格。大森さんは生まれてからこれまでの40数年の人生で、両親に褒められたのはこのときの1回だけだという。優秀な近所の子や従兄弟とずっと理不尽に比較されるまだ比較的子どもが多かった当時は、同じマンションに同じ年頃の子どもがたくさん住んでいた。大森さんのマンションには1人、とても優秀だと有名な同学年の男の子がいた。国立大付属小学校に通い、高校は県内のトップ校。その後都内の一流私立大学に入学したという男の子で、大森さんの母親は、何かに付けてその子と大森さんを比較した。 「おそらくその子の母親が自慢する人だったのもあると思いますが、最高に意味がわからなかったのが、その子が帰省するときに、親に負担をかけたくないから在来線を乗り継いでくるとか……。その子と私の比較は社会人になった後も続き、その子から旅行をプレゼントされたとか、25歳頃には結婚したとか、家を建てたとか、孫ができたとか、かなりの間続き、正直辛かったです」一方、父親は従兄弟と比較してきた。「『〇〇はスポーツやコンクールで優勝したのにお前は……』といった感じで常に比較され、私は運動会や参観日に褒められたくて頑張るのですが、父の求めるレベルには足らなかったのか、いつも機嫌が悪くなりました」大森さんは大学に進学。初めての一人暮らしが始まった。念願の国立大学に合格し、ようやく親の呪縛から開放されるか……と思いきや、全くそんなことはなく、大森さんにとって、なお一層辛い日々が待ち受けていた。大学を卒業し、就職した大森さんは、この先どのように生きていくのだろうか。後編『「大学卒業後、実家へ毎月8万の支払いを強要」「公務員の夫はギャンブル、モラハラ、DVに走る」…毒親に育てられた人が「依存的」になりやすい理由』では、その後の大森さんと両親、弟や妹との関係の変化や、結婚後の大森さんの心情を追いたい。
また、大森さんの友だちに、英語教室に通う友だちが多く、大森さんも「通いたい」と言ったところ、母親は「お金がない」「月謝が高いからダメ」と取り付く島もなかった。
父親は公務員、母親も、空きが出る度に臨時職員として働いていたはずだが、なぜそんなに「お金がない」のだろうか。
「本当のところはよくわからないのですが、父の実家が老朽化したのを立て直したのとマンション購入と時期が重なり、ダブルで支払いがあって苦しかったのかもしれません。父の実家は車で2時間ほどの田舎で、祖父は私が生まれる前に亡くなっており、一人で暮らす祖母が心配で、父はよく様子を見に行っていました」
大森さんが中学に入学すると、両親揃って地域のトップ高校に入ることを執拗に求めてくる。「勉強以外のことに興味を持つな」と言われ、午後8時以降のテレビは禁止。
一方で「お金がない」を口癖のように繰り返し、「塾や通信教育は高いからダメ」「自分でなんとかしろ」。
身なりにお金をかけてもらえず、中学になっても、理美容院には行かせてもらえない。髪の毛は母親が切っており、下手くそだったため前髪はガタガタで、素人が切ったことがバレバレ。次第に仲間外れやイジメの原因となる。
さらに、大森さんに月経が訪れても、生理用ナプキンを使わせてもらえず、中学2年生になっても、3年生になってもブラジャーを買ってもらえない。にも関わらず、経血が下着や制服に着くと、母親に烈火のごとく怒られた。しかも、大森さんの交友関係に目を光らせ、届いた年賀状は全チェック。流行していたテレビ番組を観ることや音楽を聴くことも禁止されていたため、クラスメイトと話が合わず、友だちも離れていく。帰宅時には、同じ通学路の男子2人組に、後ろからいつも、「ほんとブスだよな」などと悪口を聞かされ続けた。あるとき、大森さんは意を決して「こんなのおかしい!厳しすぎる!」と母親に抗議する。しかし母親は、「世の中にはもっと大変な人がいる」「よそはよそ、うちはうち」と言い、シングルマザー家庭を引き合いに出され、大森さんは口をつぐむしかなくなる。「母は、『よそはよそ、うちはうち』と言う割には、他の子と比べて私を下げる行為がひどく、容姿に関しても、『ダンスやバレエをやってみたい』と言った私に対し、『そんな顔か』と一蹴されました」当時、大森さんが通っていた中学校は、1学年が400人以上のマンモス校。校則が厳しく、登下校時はもちろん、学校生活のほとんどの時間、クラスと出席番号と苗字が書かれたゼッケン付きのジャージで過ごさねばならなかった。そのうえ、卵が先か鶏が先かではないが、素行の悪い生徒が多く、学校内が荒れていたため、容姿にお金をかけてもらえず、流行に疎く、真面目で勉強ばかりさせられていた大森さんのような生徒は目立ち、いじめの標的にされた。母方の祖父母を頼ろうにも、祖父母と同居している叔父(母の弟)が結婚したため、叔父の妻に遠慮し、足が遠のいていた。「国公立以外はダメ、浪人もダメ」、夢を口にすると「お前には無理」大森さんの話によると、大森さんが生まれ育った地域では、当時、高校合格者が新聞に掲載されていたという。大森さんはそれが嫌だった。両親から「私立には行かせない」と言われていたこともあり、2ランクほど下げて、確実に合格できる高校を受験し、無事合格。すると今度は、「国立大しか許さない」と両親に言われるも、これまで同様、「塾や通信教材は高いからダメ」。大森さんは自力学習に勤しむしかなかった。 ところが、父方祖母が高齢になり、心配した父親は、冬の間は祖母をマンションに呼び寄せ、一緒に暮らすように。3LDKのマンションに、父方の祖母と両親と子ども3人の合計6人。受験勉強など、まともにできる環境ではなかった。やがて高校3年になると、もともとランクを下げて受験したこともあり、担任から指定校推薦で、都内の一流私立大学を勧められる。しかし両親の答えは「NO」。「とにかく国公立以外はダメ。浪人もダメ。ダメと言われてもどうすればいいのかわからず、自分のやりたいことや夢もわからず、何か口にすれば、『お前には無理』の一点張り。理数系が得意だったので、国立大の薬学部をぼんやりと考えていましたが、無課金ではとても無理と断念しました」最終的に大森さんは、隣の県にある国立大の工学部の推薦入学を見つけ、合格。大森さんは生まれてからこれまでの40数年の人生で、両親に褒められたのはこのときの1回だけだという。優秀な近所の子や従兄弟とずっと理不尽に比較されるまだ比較的子どもが多かった当時は、同じマンションに同じ年頃の子どもがたくさん住んでいた。大森さんのマンションには1人、とても優秀だと有名な同学年の男の子がいた。国立大付属小学校に通い、高校は県内のトップ校。その後都内の一流私立大学に入学したという男の子で、大森さんの母親は、何かに付けてその子と大森さんを比較した。 「おそらくその子の母親が自慢する人だったのもあると思いますが、最高に意味がわからなかったのが、その子が帰省するときに、親に負担をかけたくないから在来線を乗り継いでくるとか……。その子と私の比較は社会人になった後も続き、その子から旅行をプレゼントされたとか、25歳頃には結婚したとか、家を建てたとか、孫ができたとか、かなりの間続き、正直辛かったです」一方、父親は従兄弟と比較してきた。「『〇〇はスポーツやコンクールで優勝したのにお前は……』といった感じで常に比較され、私は運動会や参観日に褒められたくて頑張るのですが、父の求めるレベルには足らなかったのか、いつも機嫌が悪くなりました」大森さんは大学に進学。初めての一人暮らしが始まった。念願の国立大学に合格し、ようやく親の呪縛から開放されるか……と思いきや、全くそんなことはなく、大森さんにとって、なお一層辛い日々が待ち受けていた。大学を卒業し、就職した大森さんは、この先どのように生きていくのだろうか。後編『「大学卒業後、実家へ毎月8万の支払いを強要」「公務員の夫はギャンブル、モラハラ、DVに走る」…毒親に育てられた人が「依存的」になりやすい理由』では、その後の大森さんと両親、弟や妹との関係の変化や、結婚後の大森さんの心情を追いたい。
さらに、大森さんに月経が訪れても、生理用ナプキンを使わせてもらえず、中学2年生になっても、3年生になってもブラジャーを買ってもらえない。にも関わらず、経血が下着や制服に着くと、母親に烈火のごとく怒られた。
しかも、大森さんの交友関係に目を光らせ、届いた年賀状は全チェック。流行していたテレビ番組を観ることや音楽を聴くことも禁止されていたため、クラスメイトと話が合わず、友だちも離れていく。帰宅時には、同じ通学路の男子2人組に、後ろからいつも、「ほんとブスだよな」などと悪口を聞かされ続けた。
あるとき、大森さんは意を決して「こんなのおかしい!厳しすぎる!」と母親に抗議する。しかし母親は、「世の中にはもっと大変な人がいる」「よそはよそ、うちはうち」と言い、シングルマザー家庭を引き合いに出され、大森さんは口をつぐむしかなくなる。
「母は、『よそはよそ、うちはうち』と言う割には、他の子と比べて私を下げる行為がひどく、容姿に関しても、『ダンスやバレエをやってみたい』と言った私に対し、『そんな顔か』と一蹴されました」
当時、大森さんが通っていた中学校は、1学年が400人以上のマンモス校。校則が厳しく、登下校時はもちろん、学校生活のほとんどの時間、クラスと出席番号と苗字が書かれたゼッケン付きのジャージで過ごさねばならなかった。
そのうえ、卵が先か鶏が先かではないが、素行の悪い生徒が多く、学校内が荒れていたため、容姿にお金をかけてもらえず、流行に疎く、真面目で勉強ばかりさせられていた大森さんのような生徒は目立ち、いじめの標的にされた。
母方の祖父母を頼ろうにも、祖父母と同居している叔父(母の弟)が結婚したため、叔父の妻に遠慮し、足が遠のいていた。
大森さんの話によると、大森さんが生まれ育った地域では、当時、高校合格者が新聞に掲載されていたという。大森さんはそれが嫌だった。
両親から「私立には行かせない」と言われていたこともあり、2ランクほど下げて、確実に合格できる高校を受験し、無事合格。すると今度は、「国立大しか許さない」と両親に言われるも、これまで同様、「塾や通信教材は高いからダメ」。大森さんは自力学習に勤しむしかなかった。
ところが、父方祖母が高齢になり、心配した父親は、冬の間は祖母をマンションに呼び寄せ、一緒に暮らすように。3LDKのマンションに、父方の祖母と両親と子ども3人の合計6人。受験勉強など、まともにできる環境ではなかった。やがて高校3年になると、もともとランクを下げて受験したこともあり、担任から指定校推薦で、都内の一流私立大学を勧められる。しかし両親の答えは「NO」。「とにかく国公立以外はダメ。浪人もダメ。ダメと言われてもどうすればいいのかわからず、自分のやりたいことや夢もわからず、何か口にすれば、『お前には無理』の一点張り。理数系が得意だったので、国立大の薬学部をぼんやりと考えていましたが、無課金ではとても無理と断念しました」最終的に大森さんは、隣の県にある国立大の工学部の推薦入学を見つけ、合格。大森さんは生まれてからこれまでの40数年の人生で、両親に褒められたのはこのときの1回だけだという。優秀な近所の子や従兄弟とずっと理不尽に比較されるまだ比較的子どもが多かった当時は、同じマンションに同じ年頃の子どもがたくさん住んでいた。大森さんのマンションには1人、とても優秀だと有名な同学年の男の子がいた。国立大付属小学校に通い、高校は県内のトップ校。その後都内の一流私立大学に入学したという男の子で、大森さんの母親は、何かに付けてその子と大森さんを比較した。 「おそらくその子の母親が自慢する人だったのもあると思いますが、最高に意味がわからなかったのが、その子が帰省するときに、親に負担をかけたくないから在来線を乗り継いでくるとか……。その子と私の比較は社会人になった後も続き、その子から旅行をプレゼントされたとか、25歳頃には結婚したとか、家を建てたとか、孫ができたとか、かなりの間続き、正直辛かったです」一方、父親は従兄弟と比較してきた。「『〇〇はスポーツやコンクールで優勝したのにお前は……』といった感じで常に比較され、私は運動会や参観日に褒められたくて頑張るのですが、父の求めるレベルには足らなかったのか、いつも機嫌が悪くなりました」大森さんは大学に進学。初めての一人暮らしが始まった。念願の国立大学に合格し、ようやく親の呪縛から開放されるか……と思いきや、全くそんなことはなく、大森さんにとって、なお一層辛い日々が待ち受けていた。大学を卒業し、就職した大森さんは、この先どのように生きていくのだろうか。後編『「大学卒業後、実家へ毎月8万の支払いを強要」「公務員の夫はギャンブル、モラハラ、DVに走る」…毒親に育てられた人が「依存的」になりやすい理由』では、その後の大森さんと両親、弟や妹との関係の変化や、結婚後の大森さんの心情を追いたい。
ところが、父方祖母が高齢になり、心配した父親は、冬の間は祖母をマンションに呼び寄せ、一緒に暮らすように。3LDKのマンションに、父方の祖母と両親と子ども3人の合計6人。受験勉強など、まともにできる環境ではなかった。
やがて高校3年になると、もともとランクを下げて受験したこともあり、担任から指定校推薦で、都内の一流私立大学を勧められる。しかし両親の答えは「NO」。
「とにかく国公立以外はダメ。浪人もダメ。ダメと言われてもどうすればいいのかわからず、自分のやりたいことや夢もわからず、何か口にすれば、『お前には無理』の一点張り。理数系が得意だったので、国立大の薬学部をぼんやりと考えていましたが、無課金ではとても無理と断念しました」
最終的に大森さんは、隣の県にある国立大の工学部の推薦入学を見つけ、合格。大森さんは生まれてからこれまでの40数年の人生で、両親に褒められたのはこのときの1回だけだという。
まだ比較的子どもが多かった当時は、同じマンションに同じ年頃の子どもがたくさん住んでいた。
大森さんのマンションには1人、とても優秀だと有名な同学年の男の子がいた。国立大付属小学校に通い、高校は県内のトップ校。その後都内の一流私立大学に入学したという男の子で、大森さんの母親は、何かに付けてその子と大森さんを比較した。
「おそらくその子の母親が自慢する人だったのもあると思いますが、最高に意味がわからなかったのが、その子が帰省するときに、親に負担をかけたくないから在来線を乗り継いでくるとか……。その子と私の比較は社会人になった後も続き、その子から旅行をプレゼントされたとか、25歳頃には結婚したとか、家を建てたとか、孫ができたとか、かなりの間続き、正直辛かったです」一方、父親は従兄弟と比較してきた。「『〇〇はスポーツやコンクールで優勝したのにお前は……』といった感じで常に比較され、私は運動会や参観日に褒められたくて頑張るのですが、父の求めるレベルには足らなかったのか、いつも機嫌が悪くなりました」大森さんは大学に進学。初めての一人暮らしが始まった。念願の国立大学に合格し、ようやく親の呪縛から開放されるか……と思いきや、全くそんなことはなく、大森さんにとって、なお一層辛い日々が待ち受けていた。大学を卒業し、就職した大森さんは、この先どのように生きていくのだろうか。後編『「大学卒業後、実家へ毎月8万の支払いを強要」「公務員の夫はギャンブル、モラハラ、DVに走る」…毒親に育てられた人が「依存的」になりやすい理由』では、その後の大森さんと両親、弟や妹との関係の変化や、結婚後の大森さんの心情を追いたい。
「おそらくその子の母親が自慢する人だったのもあると思いますが、最高に意味がわからなかったのが、その子が帰省するときに、親に負担をかけたくないから在来線を乗り継いでくるとか……。
その子と私の比較は社会人になった後も続き、その子から旅行をプレゼントされたとか、25歳頃には結婚したとか、家を建てたとか、孫ができたとか、かなりの間続き、正直辛かったです」
一方、父親は従兄弟と比較してきた。
「『〇〇はスポーツやコンクールで優勝したのにお前は……』といった感じで常に比較され、私は運動会や参観日に褒められたくて頑張るのですが、父の求めるレベルには足らなかったのか、いつも機嫌が悪くなりました」
大森さんは大学に進学。初めての一人暮らしが始まった。
念願の国立大学に合格し、ようやく親の呪縛から開放されるか……と思いきや、全くそんなことはなく、大森さんにとって、なお一層辛い日々が待ち受けていた。大学を卒業し、就職した大森さんは、この先どのように生きていくのだろうか。
後編『「大学卒業後、実家へ毎月8万の支払いを強要」「公務員の夫はギャンブル、モラハラ、DVに走る」…毒親に育てられた人が「依存的」になりやすい理由』では、その後の大森さんと両親、弟や妹との関係の変化や、結婚後の大森さんの心情を追いたい。