ある人の性に対する好奇心や性欲の強弱は、もって生まれたものなのだろうか。あるいは成長するにしたがって培われていくものなのか。何かの機会さえあれば、誰もが突然、性の魅力にはまってしまうことがあるのだろうか。
【写真を見る】「夫が19歳女子大生と外泊報道」で離婚した女優、離婚の際「僕の財産は全部捧げる」と財産贈与した歌手など【「熟年離婚」した芸能人11人】 そういうことが長年の疑問だったのが、「ずっとまじめに生きてきて、性への好奇心もほとんどなかったのに、ある日突然、ひとりの女性と出会って彼女との性にはまった」という男性がいる。いったい、何がきっかけでそうなったのだろう。興味津々で会いに行くと、スーツ姿の彼はほぼ直角にお辞儀をして「初めまして」と顔を上げた。端正な顔立ちだが、少しだけ垂れた目が人のよさを感じさせる。

「性的な目覚めは遅かった。遅かったというより興味をもたないよう仕向けられたというか…」と幸平さんはいう「ここ1年ほど、底なし沼にはまったような気持ちなんです。自分が自分でないような……」 困惑したような、それでも若干うれしそうな表情で、東上幸平さん(43歳・仮名=以下同)はそう言った。“恋”をしているのだろう。「恋なのかなあ。恋というのは、もっとほんわかしたものだと思っていたけど。自分が自分でいられないんですよ」幸平さんが育った教育ママ家庭 幸平さんが結婚したのは28歳のとき。相手は当時の上司が紹介してくれた、上司の親戚に当たるひとつ年下の美和さんだ。「きっちりした娘さんでした。僕自身、きっちり育ったので彼女となら相性がいいかなと思ったんです。小学校から女子校で、女子大を出て働いていました。仕事はしていきたいけど今の会社にはこだわらない、自分のキャリアより家庭を優先したいと美和は言ったんです。その日は上司立ち会いだったんですが、その1回で結婚を決めました」 上司にそう告げると、美和さんも同じ気持ちだと返事をもらった。結婚式までにふたりきりで会ったのは3回だけ。もちろん手ひとつ握らないまま結婚した。「彼女のお父さんは公務員、お母さんは専業主婦。彼女はひとりっ子ですが、両親ともに『娘は嫁にやるもの』と思って育てたと言っていました。かなり古いタイプですよね。とはいえ、僕自身もそれほど家庭環境は違わない。父はお堅いサラリーマンですが、母はときどきパートもする主婦で、僕は妹のいる長男。両親は見合いで結婚、特に仲がいいわけでもないけど悪いわけでもない。ただ、母がかなりの教育ママでしたね、僕に関しては。母は僕が生まれるまで高校の数学の先生だったんです。どうしてやめたのかわからないけど、母もまたあまりキャリア志向ではなかったんでしょうね」 小中学校は近所の公立だったが、高校は国立に入るよう厳命された。しかも塾には行かせてもらえず、独学を強いられた。ときに母が教えてくれたが、少しでも間違えると30センチの竹の物差しでびしりと足を叩かれることもあった。「今だったら虐待だと言われちゃいますよね。足はけっこう痣ができていましたよ。だけど勉強さえしていれば、母は愛情深かった。おやつは毎日手作り。ドーナツやクッキーがおいしかったなあ。成績が上がると、母の特製のケーキが待っている。母に褒められるためだけに勉強していました」 もともと素直だったのか、そうなるようにある種の“去勢”がなされていたのか、彼はひたすら勉強に励んだ。中学生のときはバスケットボール部に入ったが1年生だけでやめた。ドラマのキスシーンを「下品なもの」と…「ここだけの話ですが、性的な目覚めは遅かったです。遅かったというより興味をもたないように仕向けられたというか。成長過程での夢精はあったんですが、そこから性的な興味を抱くところに進まなかった」 そんな人がいるのかと思ったが、実際にいた。性的なことは悪いことだと彼は、母親から無言の圧力を受けていたと振り返る。あまりテレビは見せてもらえなかったが、それでもごくまれに目にする性的な情報は、母親によって遮断された。「それでも性教育は受けたし、周りの友人たちから情報も入る。だけどそういうことを耳にするたびに『これは聞いてはいけない、受け止めてはいけない』と思うんです。最近、思い出したんですが、小さいころドラマかなんかでキスシーンみたいなものがあって、母が『嫌ねえ、こういう下品なものは見てはダメよ』と本当に嫌そうな顔をしたんですよ。それ以来、たぶん僕は母が不快に思うだろうというものは避けていた。だから漫画も読まなかったし、雑誌なども外で読んで捨てていました。性的な情報は自分でも不快だと思っていた。反抗期さえなかったですからね、完全に母に牛耳られていたんだと思います」 母の期待に添おうとがんばったものの、国立高校受験には失敗。結局、公立高校に入学した。母はがっかりしたが、「国立大学は受かってね」と言っただけだった。だがその一言が彼の高校生活での視野を狭くしたのは想像に難くない。「自分の意志がなかった。母に言われる通り、部活はやらずに学校からすぐに帰って勉強していました。でも結局、どうもたいした能力がなかったようで、最終的には国立大学もどこも通らず、都内の私立大学にひっかかったという感じです」 その時点で母がいっそ突き放してくれればよかったのかもしれない。だが母は愛情深い目で彼を見つめ、「就職はがんばってね。お父さんよりいい会社に行って」とささやいた。 だからやはり反抗することもできず、彼は大学の講義をきちんと受け、母にアルバイト先を告げ、不明な行動をとらないようにした。「母は、いわゆる過保護なわけではないんです。どういうアルバイトをしていて何時に帰ってくるというのがわかれば別に文句は言わない。ただ、ときどきじっと僕を見て『就職のこと、忘れないで』と言うんです。今思えば、妙な母子関係だったと思います。妹は、さっさと遠方の大学を選んで家を出て行きました。あとで『お母さんってヘンな人だったよね』と妹が言っていたので、やはりちょっと変わった人だったのかもしれません」いなくても解けない「縛り」 その母は、彼の就職が決まるのを待たずに亡くなった。調子が悪いと病院に行って検査入院をしたら、2週間足らずで逝ってしまったのだ。逝ったその日に悪性リンパ腫という病名がわかった。あまりにあっけなかったので家族は呆然とするしかなかった。「特に父の落胆は見ていられないほどでした。それほど仲がいいようには見えなかったけど、夫婦にしかわからない何かがあったのかもしれません。母が亡くなったからといって、母の倫理観みたいなものは僕の中から消えなかった。むしろ性的なことに興味をもってはいけないと自ら思い込んでしまったようなところがあります。母がいなくなったからこそ、母の教えを守らなければいけない、と。若くて純情だったんでしょうね」 幸平さんはそうやって自分を縛って生きていった。大学時代もデートひとつしたことがなかった。理工系だったため女性が少なかったのもあるが、学生の分際で女の子とデートするなんて甚だ不謹慎だと思っていたと彼は笑った。 就職は母が望むような大企業に滑り込んだ。やっと母の願いを叶えたのに母はいない。もしいたら、「これからはどんどん出世してね」というかもしれないが。常に彼に先の目標を押しつけてくる母だったのだ。彼はそれに気づいたが、反発しようにも反論しようにもすでに母はいないのだ。だからその価値観から逃れられなくなっていた。「結婚するまで僕は女性を知らなかったんです。女子校育ちでしっかりした美和も、もちろん男性を知っているわけがないと思っていた。ところが彼女は初めてではなかった。しかもうまくできなかった僕を誘導してくれたんです。なんだかね……ショックでした。そのショックがあまりに大きくて、それから僕はできなくなってしまった」 妻は子どもを望んでいた。わかっていながら、彼は妻を避ける日が続いた。後編【亡くなった父親の日記を読んで知った“本当の夫婦関係”に衝撃… 不倫で悦びを知った43歳夫の述懐】へつづく亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。デイリー新潮編集部
そういうことが長年の疑問だったのが、「ずっとまじめに生きてきて、性への好奇心もほとんどなかったのに、ある日突然、ひとりの女性と出会って彼女との性にはまった」という男性がいる。いったい、何がきっかけでそうなったのだろう。興味津々で会いに行くと、スーツ姿の彼はほぼ直角にお辞儀をして「初めまして」と顔を上げた。端正な顔立ちだが、少しだけ垂れた目が人のよさを感じさせる。
「ここ1年ほど、底なし沼にはまったような気持ちなんです。自分が自分でないような……」
困惑したような、それでも若干うれしそうな表情で、東上幸平さん(43歳・仮名=以下同)はそう言った。“恋”をしているのだろう。
「恋なのかなあ。恋というのは、もっとほんわかしたものだと思っていたけど。自分が自分でいられないんですよ」
幸平さんが結婚したのは28歳のとき。相手は当時の上司が紹介してくれた、上司の親戚に当たるひとつ年下の美和さんだ。
「きっちりした娘さんでした。僕自身、きっちり育ったので彼女となら相性がいいかなと思ったんです。小学校から女子校で、女子大を出て働いていました。仕事はしていきたいけど今の会社にはこだわらない、自分のキャリアより家庭を優先したいと美和は言ったんです。その日は上司立ち会いだったんですが、その1回で結婚を決めました」
上司にそう告げると、美和さんも同じ気持ちだと返事をもらった。結婚式までにふたりきりで会ったのは3回だけ。もちろん手ひとつ握らないまま結婚した。
「彼女のお父さんは公務員、お母さんは専業主婦。彼女はひとりっ子ですが、両親ともに『娘は嫁にやるもの』と思って育てたと言っていました。かなり古いタイプですよね。とはいえ、僕自身もそれほど家庭環境は違わない。父はお堅いサラリーマンですが、母はときどきパートもする主婦で、僕は妹のいる長男。両親は見合いで結婚、特に仲がいいわけでもないけど悪いわけでもない。ただ、母がかなりの教育ママでしたね、僕に関しては。母は僕が生まれるまで高校の数学の先生だったんです。どうしてやめたのかわからないけど、母もまたあまりキャリア志向ではなかったんでしょうね」
小中学校は近所の公立だったが、高校は国立に入るよう厳命された。しかも塾には行かせてもらえず、独学を強いられた。ときに母が教えてくれたが、少しでも間違えると30センチの竹の物差しでびしりと足を叩かれることもあった。
「今だったら虐待だと言われちゃいますよね。足はけっこう痣ができていましたよ。だけど勉強さえしていれば、母は愛情深かった。おやつは毎日手作り。ドーナツやクッキーがおいしかったなあ。成績が上がると、母の特製のケーキが待っている。母に褒められるためだけに勉強していました」
もともと素直だったのか、そうなるようにある種の“去勢”がなされていたのか、彼はひたすら勉強に励んだ。中学生のときはバスケットボール部に入ったが1年生だけでやめた。
「ここだけの話ですが、性的な目覚めは遅かったです。遅かったというより興味をもたないように仕向けられたというか。成長過程での夢精はあったんですが、そこから性的な興味を抱くところに進まなかった」
そんな人がいるのかと思ったが、実際にいた。性的なことは悪いことだと彼は、母親から無言の圧力を受けていたと振り返る。あまりテレビは見せてもらえなかったが、それでもごくまれに目にする性的な情報は、母親によって遮断された。
「それでも性教育は受けたし、周りの友人たちから情報も入る。だけどそういうことを耳にするたびに『これは聞いてはいけない、受け止めてはいけない』と思うんです。最近、思い出したんですが、小さいころドラマかなんかでキスシーンみたいなものがあって、母が『嫌ねえ、こういう下品なものは見てはダメよ』と本当に嫌そうな顔をしたんですよ。それ以来、たぶん僕は母が不快に思うだろうというものは避けていた。だから漫画も読まなかったし、雑誌なども外で読んで捨てていました。性的な情報は自分でも不快だと思っていた。反抗期さえなかったですからね、完全に母に牛耳られていたんだと思います」
母の期待に添おうとがんばったものの、国立高校受験には失敗。結局、公立高校に入学した。母はがっかりしたが、「国立大学は受かってね」と言っただけだった。だがその一言が彼の高校生活での視野を狭くしたのは想像に難くない。
「自分の意志がなかった。母に言われる通り、部活はやらずに学校からすぐに帰って勉強していました。でも結局、どうもたいした能力がなかったようで、最終的には国立大学もどこも通らず、都内の私立大学にひっかかったという感じです」
その時点で母がいっそ突き放してくれればよかったのかもしれない。だが母は愛情深い目で彼を見つめ、「就職はがんばってね。お父さんよりいい会社に行って」とささやいた。
だからやはり反抗することもできず、彼は大学の講義をきちんと受け、母にアルバイト先を告げ、不明な行動をとらないようにした。
「母は、いわゆる過保護なわけではないんです。どういうアルバイトをしていて何時に帰ってくるというのがわかれば別に文句は言わない。ただ、ときどきじっと僕を見て『就職のこと、忘れないで』と言うんです。今思えば、妙な母子関係だったと思います。妹は、さっさと遠方の大学を選んで家を出て行きました。あとで『お母さんってヘンな人だったよね』と妹が言っていたので、やはりちょっと変わった人だったのかもしれません」
その母は、彼の就職が決まるのを待たずに亡くなった。調子が悪いと病院に行って検査入院をしたら、2週間足らずで逝ってしまったのだ。逝ったその日に悪性リンパ腫という病名がわかった。あまりにあっけなかったので家族は呆然とするしかなかった。
「特に父の落胆は見ていられないほどでした。それほど仲がいいようには見えなかったけど、夫婦にしかわからない何かがあったのかもしれません。母が亡くなったからといって、母の倫理観みたいなものは僕の中から消えなかった。むしろ性的なことに興味をもってはいけないと自ら思い込んでしまったようなところがあります。母がいなくなったからこそ、母の教えを守らなければいけない、と。若くて純情だったんでしょうね」
幸平さんはそうやって自分を縛って生きていった。大学時代もデートひとつしたことがなかった。理工系だったため女性が少なかったのもあるが、学生の分際で女の子とデートするなんて甚だ不謹慎だと思っていたと彼は笑った。
就職は母が望むような大企業に滑り込んだ。やっと母の願いを叶えたのに母はいない。もしいたら、「これからはどんどん出世してね」というかもしれないが。常に彼に先の目標を押しつけてくる母だったのだ。彼はそれに気づいたが、反発しようにも反論しようにもすでに母はいないのだ。だからその価値観から逃れられなくなっていた。
「結婚するまで僕は女性を知らなかったんです。女子校育ちでしっかりした美和も、もちろん男性を知っているわけがないと思っていた。ところが彼女は初めてではなかった。しかもうまくできなかった僕を誘導してくれたんです。なんだかね……ショックでした。そのショックがあまりに大きくて、それから僕はできなくなってしまった」
妻は子どもを望んでいた。わかっていながら、彼は妻を避ける日が続いた。
後編【亡くなった父親の日記を読んで知った“本当の夫婦関係”に衝撃… 不倫で悦びを知った43歳夫の述懐】へつづく
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部