新型コロナウイルスの感染法上の位置づけが、5月8日から季節性インフルエンザなどと同じ5類に移行する。医療体制や行政の対応に加え、感染者数の増加も懸念されている中、コロナ禍で大打撃を受けた観光地や飲食店は、失った顧客を取り戻すべく、懸命の努力を続けている――というわけで、今宵も繰り出そうか、赤い灯、青い灯ともる街角へ。
スナック研究の泰斗である谷口功一さん(50)の新刊『日本の水商売 法哲学者、夜の街を歩く』(PHP研究所)は、コロナ禍を乗り越えた全国各地のスナック経営者たちの「生の声」で綴られたルポである。本業は大学教授にして法哲学者の著者が、なぜ本書を上梓したのか話を聞いた。(前後編の前編)
【写真を見る】一方で流行する「ギャラ飲み」 隙を見て女性が札束を抜き取る瞬間都立大学法学部長が歩く夜の街 高級感が漂うスナックの店内。カウンターでグラスを傾ける品のよい紳士。表紙には『日本の水商売』の書名、オビに《全国の「帰るべき港」を訪ねて》とある。まるで「演歌」の世界である。大打撃を受けた夜の街(写真はイメージ) 本書は全国各地の水商売(スナック)を探訪する盛り場ルポなのだろうか。 ところが副題は『法哲学者、夜の街を歩く』……法哲学者? この紳士がそうなのか? なぜ法哲学者がスナックの探訪記を上梓したのだろうか。 著者の谷口さんは東京都立大学の教授である。この4月から法学部長の重責も担っている。さっそく八王子市にある都立大学・南大沢キャンパスの「法学部長室」で話をうかがった。名刺にはたしかに専門が「法哲学」とある。「そもそも最初は、私ひとりでスナック研究会をやっていたんですよ」 のっけから谷口教授は意外なことを言う。「2015年の時点で、スナックは全国に約10万軒あったんです。これは“一大産業”です。なのに、ちゃんとした研究がないのはおかしいと思い、歴史や名称などの調査研究を始めたのですが、やはりひとりでやるのには限界がありました」 そこで賛同する研究者を募り、2015年からサントリー文化財団の研究助成を得て正式に「スナック研究会」を発足させた。「その研究結果をまとめたのが、2017年に刊行された『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』(谷口功一・スナック研究会編著、白水社)でした」 これが話題となり、谷口教授は、その後もスナック研究を続けることになる。スナック廃業問題と日本国憲法「実は、日本にスナックが誕生したのは1964年、前回の東京五輪の年なんです。そこで2度目の東京五輪が開催されることになった2020年を機に、その間の日本のスナック文化の変遷を振り返る研究を予定していました」 しかし、五輪はコロナ禍で1年延期される。「そのうえ飲食業への営業時短や休業要請が出て、スナック研究どころではなくなってしまった。しかし、これらの規制はいったい何が根拠なのか。コロナ禍が本格的になった2020年春以降の1年余で、少なく見積もっても全国で8000軒以上のスナックが廃業に追い込まれました。なぜ中小事業者がこんな目にあわなければならないのか。彼らに“営業の自由”はないのか。20時で強制的に閉店させられたり、換気を徹底しているパチンコ屋がダメな理由は何なのか。あまりに説明のつかないことばかりでした」「法哲学」とは「法とは何か」を考える学問だという。「そんな学問は普段は役に立ちません。数学の問題を解くときに『数とは何か?』なんていちいち考えないのと同じです。ところがこのコロナ禍で、憲法22条(居住、移転・職業選択の自由)から導出され確立しているはずの権利(営業の自由)についての議論がまったくないまま、日本中が規制の要請に従った。これこそ同調圧力ではないか。これは法哲学者が初めて直面した事態であり、いろいろと考えさせられることになりました」 谷口教授はその疑問を『「夜の街」の憲法論』と題する論考にまとめ、雑誌「Voice」(PHP研究所)の2021年7月号に発表した(本書の終章に再録)。「雑誌発表時はそれほどでもなかったのですが、『飲食店は自粛要請に従うべきなのか』の副題を付けてウェブ上で公開したら、爆発的な反響を呼びました。私がいままでに発表した文章で、これほど多くの人に読まれたものはありません。それこそ一日中、コメントやリツイートが滝のように流れていく状況でした」 そこで谷口教授は、この論考への反響を実際に確かめてみようと、コロナ禍を体験した全国の夜の街を訪ね歩くことにする。「2021年の10月から札幌・すすきのを皮切りに、ほぼ1年をかけて全国15カ所の夜の街を訪ねました。たまたま2022年度はサバティカル(研究休暇)で時間的に余裕があったのと、再びサントリー文化財団の研究助成を得られたことも幸いしました」 その結果をまとめたのが本書だったのだ。訪ねてみて分かった夜の街の惨状 全国15カ所の夜の街は、それぞれ異なった状況にさらされていた。なかでも保健所との攻防は、弱小事業者であるスナックにとってまさに“戦い”だった。 まず本書から紹介するのは、国内最大級のクラスターを発生させた東北のあるスナックのケースである(本書では地名・店名・人名などすべて実名)。 そのスナックでは、発熱を訴える従業員が出たので保健所に問い合わせたが、PCR検査はなされず、健康観察を指示されるだけ。その結果、191人もが感染する大規模クラスターの発端となってしまう。すると、《これまで放ったらかしだった保健所からは突然「今日中に来客名簿を全員出さなければ店名を公表する」と告げられた》(引用同書=以下同) 結局この店は、店名を公表され、《根も葉もない酷い噂が流され続けた。曰く、〇〇さんと娘が連れ立って東京のホストクラブに行って感染してきた、曰く、数百枚の招待状を送ってコロナ禍のなかで誕生パーティをした、などと。(略)新聞やテレビを通じて全国的に連日報道され、七十代の感染者の死亡ニュースが流れた際には、それが〇〇さんだという「死亡説」さえ、まことしやかに流された》 同じくクラスターを発生させた東海地方のあるスナック。《店は丸一ヵ月休業することとなったが、感染経路の把握などのため保健所から「店名を公表させてくれ」と頼まれた。〇〇さんは「公表するなら、私たちを守ってほしい」と伝えたのに対し「全力で守るので」と言われたのだが、結果は悲惨だった》 罵倒の電話、店の写真を撮りに来る者、さらには、従業員の個人情報や子供と一緒の写真までもがSNS上にさらされた。《店では〇〇市からの要請に真面目に応え、市からも「客をしっかり特定できる名簿があり、非常に優良な協力店」とされていた挙げ句の結果が、これだったのである》 谷口教授は、この店のママさんの話が忘れられないという。「本書にも書きましたが、それでも彼女は保健所を責める気になれないと言っていました。保健所にも『店名を公表しろ』とのクレーム電話が連日殺到し、その圧力に負けての公表だったのです」 その結果、ママさんは、《夜中の二時、三時まで職場に残り状況報告をし合っていた保健所の職員たちとは、お互いに励まし合い、感極まって泣いてしまったこともあったと言う。当時を振り返って「戦争中の日本ってこんな感じだったのかな。いま戦っている相手はコロナのはずなのに、人が人と戦っちゃってますよね」と〇〇さんは嘆いていた》 だが、こうやって“戦う店”ばかりではなかった。中国地方のある歓楽街を訪れた谷口教授は、あまりにも衝撃的な光景を目撃することになる。(後編に続く)森重良太(もりしげ・りょうた)1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。デイリー新潮編集部
高級感が漂うスナックの店内。カウンターでグラスを傾ける品のよい紳士。表紙には『日本の水商売』の書名、オビに《全国の「帰るべき港」を訪ねて》とある。まるで「演歌」の世界である。
本書は全国各地の水商売(スナック)を探訪する盛り場ルポなのだろうか。
ところが副題は『法哲学者、夜の街を歩く』……法哲学者? この紳士がそうなのか? なぜ法哲学者がスナックの探訪記を上梓したのだろうか。
著者の谷口さんは東京都立大学の教授である。この4月から法学部長の重責も担っている。さっそく八王子市にある都立大学・南大沢キャンパスの「法学部長室」で話をうかがった。名刺にはたしかに専門が「法哲学」とある。
「そもそも最初は、私ひとりでスナック研究会をやっていたんですよ」
のっけから谷口教授は意外なことを言う。
「2015年の時点で、スナックは全国に約10万軒あったんです。これは“一大産業”です。なのに、ちゃんとした研究がないのはおかしいと思い、歴史や名称などの調査研究を始めたのですが、やはりひとりでやるのには限界がありました」
そこで賛同する研究者を募り、2015年からサントリー文化財団の研究助成を得て正式に「スナック研究会」を発足させた。
「その研究結果をまとめたのが、2017年に刊行された『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』(谷口功一・スナック研究会編著、白水社)でした」
これが話題となり、谷口教授は、その後もスナック研究を続けることになる。
「実は、日本にスナックが誕生したのは1964年、前回の東京五輪の年なんです。そこで2度目の東京五輪が開催されることになった2020年を機に、その間の日本のスナック文化の変遷を振り返る研究を予定していました」
しかし、五輪はコロナ禍で1年延期される。
「そのうえ飲食業への営業時短や休業要請が出て、スナック研究どころではなくなってしまった。しかし、これらの規制はいったい何が根拠なのか。コロナ禍が本格的になった2020年春以降の1年余で、少なく見積もっても全国で8000軒以上のスナックが廃業に追い込まれました。なぜ中小事業者がこんな目にあわなければならないのか。彼らに“営業の自由”はないのか。20時で強制的に閉店させられたり、換気を徹底しているパチンコ屋がダメな理由は何なのか。あまりに説明のつかないことばかりでした」
「法哲学」とは「法とは何か」を考える学問だという。
「そんな学問は普段は役に立ちません。数学の問題を解くときに『数とは何か?』なんていちいち考えないのと同じです。ところがこのコロナ禍で、憲法22条(居住、移転・職業選択の自由)から導出され確立しているはずの権利(営業の自由)についての議論がまったくないまま、日本中が規制の要請に従った。これこそ同調圧力ではないか。これは法哲学者が初めて直面した事態であり、いろいろと考えさせられることになりました」
谷口教授はその疑問を『「夜の街」の憲法論』と題する論考にまとめ、雑誌「Voice」(PHP研究所)の2021年7月号に発表した(本書の終章に再録)。
「雑誌発表時はそれほどでもなかったのですが、『飲食店は自粛要請に従うべきなのか』の副題を付けてウェブ上で公開したら、爆発的な反響を呼びました。私がいままでに発表した文章で、これほど多くの人に読まれたものはありません。それこそ一日中、コメントやリツイートが滝のように流れていく状況でした」
そこで谷口教授は、この論考への反響を実際に確かめてみようと、コロナ禍を体験した全国の夜の街を訪ね歩くことにする。
「2021年の10月から札幌・すすきのを皮切りに、ほぼ1年をかけて全国15カ所の夜の街を訪ねました。たまたま2022年度はサバティカル(研究休暇)で時間的に余裕があったのと、再びサントリー文化財団の研究助成を得られたことも幸いしました」
その結果をまとめたのが本書だったのだ。
全国15カ所の夜の街は、それぞれ異なった状況にさらされていた。なかでも保健所との攻防は、弱小事業者であるスナックにとってまさに“戦い”だった。
まず本書から紹介するのは、国内最大級のクラスターを発生させた東北のあるスナックのケースである(本書では地名・店名・人名などすべて実名)。
そのスナックでは、発熱を訴える従業員が出たので保健所に問い合わせたが、PCR検査はなされず、健康観察を指示されるだけ。その結果、191人もが感染する大規模クラスターの発端となってしまう。すると、
《これまで放ったらかしだった保健所からは突然「今日中に来客名簿を全員出さなければ店名を公表する」と告げられた》(引用同書=以下同)
結局この店は、店名を公表され、
《根も葉もない酷い噂が流され続けた。曰く、〇〇さんと娘が連れ立って東京のホストクラブに行って感染してきた、曰く、数百枚の招待状を送ってコロナ禍のなかで誕生パーティをした、などと。(略)新聞やテレビを通じて全国的に連日報道され、七十代の感染者の死亡ニュースが流れた際には、それが〇〇さんだという「死亡説」さえ、まことしやかに流された》
同じくクラスターを発生させた東海地方のあるスナック。
《店は丸一ヵ月休業することとなったが、感染経路の把握などのため保健所から「店名を公表させてくれ」と頼まれた。〇〇さんは「公表するなら、私たちを守ってほしい」と伝えたのに対し「全力で守るので」と言われたのだが、結果は悲惨だった》
罵倒の電話、店の写真を撮りに来る者、さらには、従業員の個人情報や子供と一緒の写真までもがSNS上にさらされた。
《店では〇〇市からの要請に真面目に応え、市からも「客をしっかり特定できる名簿があり、非常に優良な協力店」とされていた挙げ句の結果が、これだったのである》
谷口教授は、この店のママさんの話が忘れられないという。
「本書にも書きましたが、それでも彼女は保健所を責める気になれないと言っていました。保健所にも『店名を公表しろ』とのクレーム電話が連日殺到し、その圧力に負けての公表だったのです」
その結果、ママさんは、
《夜中の二時、三時まで職場に残り状況報告をし合っていた保健所の職員たちとは、お互いに励まし合い、感極まって泣いてしまったこともあったと言う。当時を振り返って「戦争中の日本ってこんな感じだったのかな。いま戦っている相手はコロナのはずなのに、人が人と戦っちゃってますよね」と〇〇さんは嘆いていた》
だが、こうやって“戦う店”ばかりではなかった。中国地方のある歓楽街を訪れた谷口教授は、あまりにも衝撃的な光景を目撃することになる。(後編に続く)
森重良太(もりしげ・りょうた)1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。
デイリー新潮編集部