谷口功一さん(50)の新刊『日本の水商売 法哲学者、夜の街を歩く』は、コロナ禍を乗り越えた全国各地のスナック経営者たちの「生の声」で綴られたルポである。本業は大学教にして東京都立大学法学部長でもある谷口さんは、中国地方を訪れた時に衝撃的な現場に遭遇する。(前後編の後編)
【写真を見る】一方で流行する「ギャラ飲み」 隙を見て女性が札束を抜き取る瞬間「一見客・県外客、お断り」「その街は大都会に比べれば、なきに等しい感染者しか出していませんでした。しかも、すでに時短や休業などの要請もすべて解かれた時期です。にもかかわらず、ほとんどの店は休業中で、人っ子一人、歩いていない。知人から取材に応じてくれそうな店のリストをもらっていたのですが、一軒も営業していませんでした」

ここまで閉鎖的とは(本書より・著者撮影) 衝撃はそれだけではなかった。「営業しているらしき店もあったのですが、すべての店が『一見客・県外客、お断り』の貼り紙を出していたんです」 谷口教授が撮影した貼り紙の写真を見せていただいた。そのものすごい分量と、強烈なまでに“閉鎖性”を感じさせる文体は、たしかに衝撃としか言いようがなかった。「翌日、特急で20分ほどの、すぐ隣の県の歓楽街に取材に行ったのですが、こちらはそんな貼り紙は1枚もありませんでした。これは明らかな県民性の違いだと思います」 こういった状況を見るにつけ、谷口教授は「心底から、いまの日本では田舎には住みたくない」との思いに至ったという。「これははっきり言いたいです。地方には、いまでもマスクをしてアクリル板の向こうで働いているホステスさんたちがたくさんいるんですよ。いったいどんな思いで仕事をしていることか。彼女たちを責め立てることが、いかに卑しい行為であるか。それこそ戦争中、体制に逆らう人を非国民と責めた、あれと同じじゃないですか」 このように、本書には様々な形でコロナ禍に対応してきたスナックが紹介されている。半町営スナックの衝撃 そのなかで印象に残るのは、北海道のある小さな町の例だ。「そこは『食糧の自給自足率1000%以上』と称されるほど豊かな一帯ですが、町にスナックが8軒あるだけ。そのなかで中心的な1軒が、2018年に経営者の高齢を理由に閉店した。すると、地元の建設会社と町が費用を折半して店を買い取り、2019年8月に新生オープンしたんです」 なんと、この日本には「半町営スナック」があるらしいのだ。谷口教授は、珍しいケースなので開店直後に取材で訪れたという。「こういう土地では、スナックが町民の交流の場、“夜の公民館”として重要なんです。経営に参加した建設会社の社長は『田舎ではスナックが重要な情報交換の場であり、地域活性化には欠かせない』と言っており、町も商工業活性化事業補助金を充てて支援した。その店がコロナ禍をどう乗り切ったのか、気になって再び取材に訪れました」 この店の新生ママさんは当時30歳。以前は町から特急で30分ほどの銀行に勤めるOLだった。もちろん水商売は初めて。たまたま銀行の懇親会で町がスナック支援をする話を聞き、興味をもって立候補して移り住んできたという。 店は開店直後から大盛況だった。ところが、1年と経たずにコロナ禍に襲われる。《二〇二〇年の春から北海道では大規模な感染拡大が進み、まだ住み始めたばかりの町で店を空けることもできず、孤独に過ごす日々もあった。新参の自分が町に迷惑をかけることになってしまってはいけないと、町に一つしかないスーパーの閉店時刻十分前にギリギリで滑り込み、誰もいない店内で急いで買い物をし、誰にも会わないよう律儀に自宅へと直帰するような日々だったという》(引用同書=以下同) そんな日々を過しながらなんとかコロナ禍を乗り越え、いまでは地元商工会青年部の副部長として、スナック経営のかたわら、地域貢献に邁進しているという。見えてきた日本の抱える大きな問題「結局、日本社会が抱える大きな問題は、人口減少と高齢化の2点なんです。特に地方では、スナックのようなコミュニケーションの場が維持されないと、この2点にさらに拍車がかかってしまう」 取材で各地をまわってみると、なんとか乗り切っている店が大半だが、やはり人手不足はどこも大問題となっているようだった。「コロナ禍の時期に従業員を削減した店は、いまはどこも苦境に見舞われています。切られたホステスさんたちは、すでに安定した他店や新たな仕事に移ってしまいましたから。逆に苦しいけれどなんとか給料を払って従業員を守ってきた店は、いまどこも繁盛していますね」 谷口教授によるとその状況は、江戸時代中期の儒学者・荻生徂徠が名著『政談』で綴った通りだという。「徂徠はこう書いています――長くいる奉公人は実に厄介だ。赤ん坊時代の主人のおむつを替えた経験があるなど、家のなかをすべて知っている。そういう奉公人を、多くの主人はある時期に解雇しようとする。ところが、いざ戦(いくさ)となったとき、命を捨てて最後まで従ってくれるのは、その種の古い奉公人だ――そんな主旨です。まさに、荻生徂徠が述べた通りの光景が、21世紀の日本で展開しているのです」 そして谷口教授は、本書のきっかけとなった論考『「夜の街」の憲法論』を発表した当時を回想する。「発表直後、飲食店グループの大手、グローバル・ダイニング社(GD社)の代理人・倉持麟太郎弁護士から意見を求められたことがあるんです」 GD社は東京都の時短・休業要請に一切応じないばかりか、「営業の自由を保障した憲法に違反する」として都に損害賠償を求める訴訟を起こしたことで話題となっていた。「そのとき私は『とても勝てないと思います』との主旨で意見を申し上げました。国や自治体が相手の訴訟は大変難しい。ましてやこれだけ広範な規制で、ほとんどの店が応じていましたからね。ところが、GD社は勝訴した。控訴審で、東京都の命令を違法とする第一審判決が確定したんです。不明を恥じました」 日本の水商売=夜の街は、決して弱くなかった。大手グループも街の小さなスナックも、あるときは行政と戦い、あるときは共闘し、コロナ禍を乗り越えてきた。 谷口教授は「法哲学者」の立場で、その現場をつぶさに見て回った。 本書のなかに感動的なエピソードがある。北海道のある都市の老舗スナックのマスターが、谷口教授の講演を聞いて前著を読み、業界誌にこう寄稿したという、《私は頭を殴られた気がしました。そして泣きました。(略)地域コミュニティの場としての公共性や(略)犯罪の抑止効果など、自分が人生の半分の時間を費やして頑張ってきたこの商売が、こんなにも大事な社会的役割を担っていたとは、まったく気付きませんでした》 これを読んだ谷口教授も、自分の研究の重要性にあらためて気づき、《同じように衝撃を受け、そして少し泣いた》と記している。《私ほどスナックをはじめとする夜の街を全国にわたって実地で知り、そして、飲食店を苦しめた営業規制の是非について法的な観点から根本的に論じることのできる人間はほかにいなかったのである》 この章の最後の方で、谷口教授はこう述べている。《そうか、自分はこのためにスナック、そして夜の街の研究を始めたのかと、私は天による召命に近いものを感じたのだった》 本書の副題『法哲学者、夜の街を歩く』は、単なる盛り場ルポを意味するものではなかったのである。森重良太(もりしげ・りょうた)1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。デイリー新潮編集部
「その街は大都会に比べれば、なきに等しい感染者しか出していませんでした。しかも、すでに時短や休業などの要請もすべて解かれた時期です。にもかかわらず、ほとんどの店は休業中で、人っ子一人、歩いていない。知人から取材に応じてくれそうな店のリストをもらっていたのですが、一軒も営業していませんでした」
衝撃はそれだけではなかった。
「営業しているらしき店もあったのですが、すべての店が『一見客・県外客、お断り』の貼り紙を出していたんです」
谷口教授が撮影した貼り紙の写真を見せていただいた。そのものすごい分量と、強烈なまでに“閉鎖性”を感じさせる文体は、たしかに衝撃としか言いようがなかった。
「翌日、特急で20分ほどの、すぐ隣の県の歓楽街に取材に行ったのですが、こちらはそんな貼り紙は1枚もありませんでした。これは明らかな県民性の違いだと思います」
こういった状況を見るにつけ、谷口教授は「心底から、いまの日本では田舎には住みたくない」との思いに至ったという。
「これははっきり言いたいです。地方には、いまでもマスクをしてアクリル板の向こうで働いているホステスさんたちがたくさんいるんですよ。いったいどんな思いで仕事をしていることか。彼女たちを責め立てることが、いかに卑しい行為であるか。それこそ戦争中、体制に逆らう人を非国民と責めた、あれと同じじゃないですか」
このように、本書には様々な形でコロナ禍に対応してきたスナックが紹介されている。
そのなかで印象に残るのは、北海道のある小さな町の例だ。
「そこは『食糧の自給自足率1000%以上』と称されるほど豊かな一帯ですが、町にスナックが8軒あるだけ。そのなかで中心的な1軒が、2018年に経営者の高齢を理由に閉店した。すると、地元の建設会社と町が費用を折半して店を買い取り、2019年8月に新生オープンしたんです」
なんと、この日本には「半町営スナック」があるらしいのだ。谷口教授は、珍しいケースなので開店直後に取材で訪れたという。
「こういう土地では、スナックが町民の交流の場、“夜の公民館”として重要なんです。経営に参加した建設会社の社長は『田舎ではスナックが重要な情報交換の場であり、地域活性化には欠かせない』と言っており、町も商工業活性化事業補助金を充てて支援した。その店がコロナ禍をどう乗り切ったのか、気になって再び取材に訪れました」
この店の新生ママさんは当時30歳。以前は町から特急で30分ほどの銀行に勤めるOLだった。もちろん水商売は初めて。たまたま銀行の懇親会で町がスナック支援をする話を聞き、興味をもって立候補して移り住んできたという。
店は開店直後から大盛況だった。ところが、1年と経たずにコロナ禍に襲われる。
《二〇二〇年の春から北海道では大規模な感染拡大が進み、まだ住み始めたばかりの町で店を空けることもできず、孤独に過ごす日々もあった。新参の自分が町に迷惑をかけることになってしまってはいけないと、町に一つしかないスーパーの閉店時刻十分前にギリギリで滑り込み、誰もいない店内で急いで買い物をし、誰にも会わないよう律儀に自宅へと直帰するような日々だったという》(引用同書=以下同)
そんな日々を過しながらなんとかコロナ禍を乗り越え、いまでは地元商工会青年部の副部長として、スナック経営のかたわら、地域貢献に邁進しているという。
「結局、日本社会が抱える大きな問題は、人口減少と高齢化の2点なんです。特に地方では、スナックのようなコミュニケーションの場が維持されないと、この2点にさらに拍車がかかってしまう」
取材で各地をまわってみると、なんとか乗り切っている店が大半だが、やはり人手不足はどこも大問題となっているようだった。
「コロナ禍の時期に従業員を削減した店は、いまはどこも苦境に見舞われています。切られたホステスさんたちは、すでに安定した他店や新たな仕事に移ってしまいましたから。逆に苦しいけれどなんとか給料を払って従業員を守ってきた店は、いまどこも繁盛していますね」
谷口教授によるとその状況は、江戸時代中期の儒学者・荻生徂徠が名著『政談』で綴った通りだという。
「徂徠はこう書いています――長くいる奉公人は実に厄介だ。赤ん坊時代の主人のおむつを替えた経験があるなど、家のなかをすべて知っている。そういう奉公人を、多くの主人はある時期に解雇しようとする。ところが、いざ戦(いくさ)となったとき、命を捨てて最後まで従ってくれるのは、その種の古い奉公人だ――そんな主旨です。まさに、荻生徂徠が述べた通りの光景が、21世紀の日本で展開しているのです」
そして谷口教授は、本書のきっかけとなった論考『「夜の街」の憲法論』を発表した当時を回想する。
「発表直後、飲食店グループの大手、グローバル・ダイニング社(GD社)の代理人・倉持麟太郎弁護士から意見を求められたことがあるんです」
GD社は東京都の時短・休業要請に一切応じないばかりか、「営業の自由を保障した憲法に違反する」として都に損害賠償を求める訴訟を起こしたことで話題となっていた。
「そのとき私は『とても勝てないと思います』との主旨で意見を申し上げました。国や自治体が相手の訴訟は大変難しい。ましてやこれだけ広範な規制で、ほとんどの店が応じていましたからね。ところが、GD社は勝訴した。控訴審で、東京都の命令を違法とする第一審判決が確定したんです。不明を恥じました」
日本の水商売=夜の街は、決して弱くなかった。大手グループも街の小さなスナックも、あるときは行政と戦い、あるときは共闘し、コロナ禍を乗り越えてきた。
谷口教授は「法哲学者」の立場で、その現場をつぶさに見て回った。
本書のなかに感動的なエピソードがある。北海道のある都市の老舗スナックのマスターが、谷口教授の講演を聞いて前著を読み、業界誌にこう寄稿したという、
《私は頭を殴られた気がしました。そして泣きました。(略)地域コミュニティの場としての公共性や(略)犯罪の抑止効果など、自分が人生の半分の時間を費やして頑張ってきたこの商売が、こんなにも大事な社会的役割を担っていたとは、まったく気付きませんでした》
これを読んだ谷口教授も、自分の研究の重要性にあらためて気づき、《同じように衝撃を受け、そして少し泣いた》と記している。
《私ほどスナックをはじめとする夜の街を全国にわたって実地で知り、そして、飲食店を苦しめた営業規制の是非について法的な観点から根本的に論じることのできる人間はほかにいなかったのである》
この章の最後の方で、谷口教授はこう述べている。
《そうか、自分はこのためにスナック、そして夜の街の研究を始めたのかと、私は天による召命に近いものを感じたのだった》
本書の副題『法哲学者、夜の街を歩く』は、単なる盛り場ルポを意味するものではなかったのである。
森重良太(もりしげ・りょうた)1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。
デイリー新潮編集部