「神奈川のプライドを傷つけてしまった。心からお詫び申し上げたい」
【画像】黒岩氏が知事当選後もA子さんに送っていたメール 神奈川県知事選での4選が確実となった4月9日の夜8時過ぎ。険しい表情で報道陣の前に現われた黒岩祐治知事(68)は、そう頭を下げたのだが……。◆ ◆ ◆知事当選後もA子さんとの関係は続いていた「週刊文春」は4月6日発売号で、黒岩氏と、年下女性A子さんとの“11年不倫”を報道。黒岩氏がA子さんに送った〈生放送の前のナマだよ~!!〉〈セックス線だって! ばっかぁ~っ!〉などの“エロメール”の数々や、「“AVプレイ”を求められた」とするA子さんの証言などを取り上げた。

「黒岩氏は発売日の午前11時半、会見を開き、不倫関係を全面的に認めた。妻を傷つけたことへの反省の弁も述べていました」(会見に出席した記者) 一方で、会見で強調していたのがこの部分だった。「私が知事になって、天地神明、誓って申し上げますが、A子さんだけでなく、どなたとも不適切な関係というのはありません」 だが――。「私と黒岩さんの関係は、彼が知事になってからも間違いなく続いていました」 そう断言するのは、当のA子さんである。「今から向かいます」黒岩氏からメールが「初当選した2011年4月以降、多忙を理由になかなか会えずにいましたが、この年の8月6日、公務の合間を縫って私の家まで来てくれたのです」(同前)4選を果たした直後の険しい表情 彼女の証言を裏付けるのが、古い携帯に残された黒岩氏からのメールだ。11年8月5日夜、こんなメールを送信している。〈明日、次々押し寄せる日程をすべて拒否し続けています。事前のプライベートの約束があると言って…〉 そして、翌6日の夜6時半には、〈今から向かいます。横浜から。19時半頃かな?〉 と連絡しているのだ。事前に「買っておけ」と指示したAVを観て、気分が高まってきたところで… A子さんが振り返る。「この時も、黒岩さんはまず部屋で私が作っておいた料理を食べていた。そして、いつもの通り、事前に『買っておけ』と指示したAVを観て、気分が高まってきたところで私に覆い被さり行為に及びました」 一夜明け、7日午前11時、黒岩氏はA子さんに、〈御馳走さんでした。旨かったです〉 とメールしたのだった。「実際に関係が終わったのは、この年の秋。私が関係を公表すると伝えると、『やっぱり続けよう』と。でも最後は、私の方からお断りしました」(同前)「フジテレビに俺を褒める電話をかけてくれよ」 交際期間中、黒岩氏がA子さんに出していた“指示”は、AVを買うことだけではなかった。「黒岩さんは、番組が終わった後『一視聴者のフリをしてフジテレビに俺を褒める電話をかけてくれよ』と頼んでくるのです。私がそれを実行すると大喜びし、『今日はやったか?』と言って度々やらされるようになりました」(同前) さらに、こんなことも。「04年からはCS放送で『黒岩祐治のメディカルリポート』という医療番組の司会を務めていました。ある時、番組で大病を患う私の母を取り上げたいと提案してきた。でも脈絡なく、“恋人”を登場させられない。それで私に『番組に手紙を書け』と指示してきたのです。実際“やらせ”の手紙を書いたところ、私と母は番組に出演することになった。当時は私も言われた通りにやっていましたが、今思うと、虚しいことばかりですね……。本当に自分勝手な人でした」(同前)本人に事実関係を確認すると… 黒岩氏に4月10日、事実関係を尋ねたところ、主に以下のように回答した。「(11年8月6日の行為については)正確な日にちは確認できませんが、別れ話をしていたA子さんと知事になった後でお会いしているものの、貴誌にある通りその年でA子さんと会うことは無くなりました。(母親が)病院をたらい回しにされるということについてA子さんから相談を受けたことがあります。それは制度的な問題だと考え、問題点を手紙にしてもらい、それに基づいて取材をしたことがあります。(フジへの“電話指示”など)それ以外のご質問はあまりに古い話であり、記憶にはありません」 冒頭のように、4選を果たしたにもかかわらず、カメラの前では終始神妙な面持ちだった黒岩氏。だが部屋を出ると一転、女性支援者に囲まれ、笑顔で記念撮影に応じていたのだった。(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年4月20日号)
神奈川県知事選での4選が確実となった4月9日の夜8時過ぎ。険しい表情で報道陣の前に現われた黒岩祐治知事(68)は、そう頭を下げたのだが……。
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「週刊文春」は4月6日発売号で、黒岩氏と、年下女性A子さんとの“11年不倫”を報道。黒岩氏がA子さんに送った〈生放送の前のナマだよ~!!〉〈セックス線だって! ばっかぁ~っ!〉などの“エロメール”の数々や、「“AVプレイ”を求められた」とするA子さんの証言などを取り上げた。
「黒岩氏は発売日の午前11時半、会見を開き、不倫関係を全面的に認めた。妻を傷つけたことへの反省の弁も述べていました」(会見に出席した記者) 一方で、会見で強調していたのがこの部分だった。「私が知事になって、天地神明、誓って申し上げますが、A子さんだけでなく、どなたとも不適切な関係というのはありません」 だが――。「私と黒岩さんの関係は、彼が知事になってからも間違いなく続いていました」 そう断言するのは、当のA子さんである。「今から向かいます」黒岩氏からメールが「初当選した2011年4月以降、多忙を理由になかなか会えずにいましたが、この年の8月6日、公務の合間を縫って私の家まで来てくれたのです」(同前)4選を果たした直後の険しい表情 彼女の証言を裏付けるのが、古い携帯に残された黒岩氏からのメールだ。11年8月5日夜、こんなメールを送信している。〈明日、次々押し寄せる日程をすべて拒否し続けています。事前のプライベートの約束があると言って…〉 そして、翌6日の夜6時半には、〈今から向かいます。横浜から。19時半頃かな?〉 と連絡しているのだ。事前に「買っておけ」と指示したAVを観て、気分が高まってきたところで… A子さんが振り返る。「この時も、黒岩さんはまず部屋で私が作っておいた料理を食べていた。そして、いつもの通り、事前に『買っておけ』と指示したAVを観て、気分が高まってきたところで私に覆い被さり行為に及びました」 一夜明け、7日午前11時、黒岩氏はA子さんに、〈御馳走さんでした。旨かったです〉 とメールしたのだった。「実際に関係が終わったのは、この年の秋。私が関係を公表すると伝えると、『やっぱり続けよう』と。でも最後は、私の方からお断りしました」(同前)「フジテレビに俺を褒める電話をかけてくれよ」 交際期間中、黒岩氏がA子さんに出していた“指示”は、AVを買うことだけではなかった。「黒岩さんは、番組が終わった後『一視聴者のフリをしてフジテレビに俺を褒める電話をかけてくれよ』と頼んでくるのです。私がそれを実行すると大喜びし、『今日はやったか?』と言って度々やらされるようになりました」(同前) さらに、こんなことも。「04年からはCS放送で『黒岩祐治のメディカルリポート』という医療番組の司会を務めていました。ある時、番組で大病を患う私の母を取り上げたいと提案してきた。でも脈絡なく、“恋人”を登場させられない。それで私に『番組に手紙を書け』と指示してきたのです。実際“やらせ”の手紙を書いたところ、私と母は番組に出演することになった。当時は私も言われた通りにやっていましたが、今思うと、虚しいことばかりですね……。本当に自分勝手な人でした」(同前)本人に事実関係を確認すると… 黒岩氏に4月10日、事実関係を尋ねたところ、主に以下のように回答した。「(11年8月6日の行為については)正確な日にちは確認できませんが、別れ話をしていたA子さんと知事になった後でお会いしているものの、貴誌にある通りその年でA子さんと会うことは無くなりました。(母親が)病院をたらい回しにされるということについてA子さんから相談を受けたことがあります。それは制度的な問題だと考え、問題点を手紙にしてもらい、それに基づいて取材をしたことがあります。(フジへの“電話指示”など)それ以外のご質問はあまりに古い話であり、記憶にはありません」 冒頭のように、4選を果たしたにもかかわらず、カメラの前では終始神妙な面持ちだった黒岩氏。だが部屋を出ると一転、女性支援者に囲まれ、笑顔で記念撮影に応じていたのだった。(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年4月20日号)
「黒岩氏は発売日の午前11時半、会見を開き、不倫関係を全面的に認めた。妻を傷つけたことへの反省の弁も述べていました」(会見に出席した記者)
一方で、会見で強調していたのがこの部分だった。
「私が知事になって、天地神明、誓って申し上げますが、A子さんだけでなく、どなたとも不適切な関係というのはありません」
だが――。
「私と黒岩さんの関係は、彼が知事になってからも間違いなく続いていました」
そう断言するのは、当のA子さんである。
「初当選した2011年4月以降、多忙を理由になかなか会えずにいましたが、この年の8月6日、公務の合間を縫って私の家まで来てくれたのです」(同前)
4選を果たした直後の険しい表情
彼女の証言を裏付けるのが、古い携帯に残された黒岩氏からのメールだ。11年8月5日夜、こんなメールを送信している。
〈明日、次々押し寄せる日程をすべて拒否し続けています。事前のプライベートの約束があると言って…〉
そして、翌6日の夜6時半には、
〈今から向かいます。横浜から。19時半頃かな?〉
と連絡しているのだ。
A子さんが振り返る。
「この時も、黒岩さんはまず部屋で私が作っておいた料理を食べていた。そして、いつもの通り、事前に『買っておけ』と指示したAVを観て、気分が高まってきたところで私に覆い被さり行為に及びました」
一夜明け、7日午前11時、黒岩氏はA子さんに、
〈御馳走さんでした。旨かったです〉
とメールしたのだった。
「実際に関係が終わったのは、この年の秋。私が関係を公表すると伝えると、『やっぱり続けよう』と。でも最後は、私の方からお断りしました」(同前)「フジテレビに俺を褒める電話をかけてくれよ」 交際期間中、黒岩氏がA子さんに出していた“指示”は、AVを買うことだけではなかった。「黒岩さんは、番組が終わった後『一視聴者のフリをしてフジテレビに俺を褒める電話をかけてくれよ』と頼んでくるのです。私がそれを実行すると大喜びし、『今日はやったか?』と言って度々やらされるようになりました」(同前) さらに、こんなことも。「04年からはCS放送で『黒岩祐治のメディカルリポート』という医療番組の司会を務めていました。ある時、番組で大病を患う私の母を取り上げたいと提案してきた。でも脈絡なく、“恋人”を登場させられない。それで私に『番組に手紙を書け』と指示してきたのです。実際“やらせ”の手紙を書いたところ、私と母は番組に出演することになった。当時は私も言われた通りにやっていましたが、今思うと、虚しいことばかりですね……。本当に自分勝手な人でした」(同前)本人に事実関係を確認すると… 黒岩氏に4月10日、事実関係を尋ねたところ、主に以下のように回答した。「(11年8月6日の行為については)正確な日にちは確認できませんが、別れ話をしていたA子さんと知事になった後でお会いしているものの、貴誌にある通りその年でA子さんと会うことは無くなりました。(母親が)病院をたらい回しにされるということについてA子さんから相談を受けたことがあります。それは制度的な問題だと考え、問題点を手紙にしてもらい、それに基づいて取材をしたことがあります。(フジへの“電話指示”など)それ以外のご質問はあまりに古い話であり、記憶にはありません」 冒頭のように、4選を果たしたにもかかわらず、カメラの前では終始神妙な面持ちだった黒岩氏。だが部屋を出ると一転、女性支援者に囲まれ、笑顔で記念撮影に応じていたのだった。(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年4月20日号)
「実際に関係が終わったのは、この年の秋。私が関係を公表すると伝えると、『やっぱり続けよう』と。でも最後は、私の方からお断りしました」(同前)
交際期間中、黒岩氏がA子さんに出していた“指示”は、AVを買うことだけではなかった。
「黒岩さんは、番組が終わった後『一視聴者のフリをしてフジテレビに俺を褒める電話をかけてくれよ』と頼んでくるのです。私がそれを実行すると大喜びし、『今日はやったか?』と言って度々やらされるようになりました」(同前)
さらに、こんなことも。「04年からはCS放送で『黒岩祐治のメディカルリポート』という医療番組の司会を務めていました。ある時、番組で大病を患う私の母を取り上げたいと提案してきた。でも脈絡なく、“恋人”を登場させられない。それで私に『番組に手紙を書け』と指示してきたのです。実際“やらせ”の手紙を書いたところ、私と母は番組に出演することになった。当時は私も言われた通りにやっていましたが、今思うと、虚しいことばかりですね……。本当に自分勝手な人でした」(同前)本人に事実関係を確認すると… 黒岩氏に4月10日、事実関係を尋ねたところ、主に以下のように回答した。「(11年8月6日の行為については)正確な日にちは確認できませんが、別れ話をしていたA子さんと知事になった後でお会いしているものの、貴誌にある通りその年でA子さんと会うことは無くなりました。(母親が)病院をたらい回しにされるということについてA子さんから相談を受けたことがあります。それは制度的な問題だと考え、問題点を手紙にしてもらい、それに基づいて取材をしたことがあります。(フジへの“電話指示”など)それ以外のご質問はあまりに古い話であり、記憶にはありません」 冒頭のように、4選を果たしたにもかかわらず、カメラの前では終始神妙な面持ちだった黒岩氏。だが部屋を出ると一転、女性支援者に囲まれ、笑顔で記念撮影に応じていたのだった。(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年4月20日号)
さらに、こんなことも。
「04年からはCS放送で『黒岩祐治のメディカルリポート』という医療番組の司会を務めていました。ある時、番組で大病を患う私の母を取り上げたいと提案してきた。でも脈絡なく、“恋人”を登場させられない。それで私に『番組に手紙を書け』と指示してきたのです。実際“やらせ”の手紙を書いたところ、私と母は番組に出演することになった。当時は私も言われた通りにやっていましたが、今思うと、虚しいことばかりですね……。本当に自分勝手な人でした」(同前)
黒岩氏に4月10日、事実関係を尋ねたところ、主に以下のように回答した。
「(11年8月6日の行為については)正確な日にちは確認できませんが、別れ話をしていたA子さんと知事になった後でお会いしているものの、貴誌にある通りその年でA子さんと会うことは無くなりました。
(母親が)病院をたらい回しにされるということについてA子さんから相談を受けたことがあります。それは制度的な問題だと考え、問題点を手紙にしてもらい、それに基づいて取材をしたことがあります。
(フジへの“電話指示”など)それ以外のご質問はあまりに古い話であり、記憶にはありません」
冒頭のように、4選を果たしたにもかかわらず、カメラの前では終始神妙な面持ちだった黒岩氏。だが部屋を出ると一転、女性支援者に囲まれ、笑顔で記念撮影に応じていたのだった。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年4月20日号)