4月23日に投開票された統一地方選で「史上最年少市長」が誕生した。兵庫県芦屋市の新市長となった高島崚輔氏は、現在26歳。現職市長の伊藤舞氏(53)ら3人を破って当選した裏には、輝かしい経歴の中で得た“強力なバック”の存在があった。【粟野仁雄/ジャーナリスト】
【写真】高級住宅街のイメージと違う?高島氏も開発の遅れを指摘する「JR芦屋駅の南側」の意外な光景市長はカッコいい仕事 午後8時の開票開始時間には既に当確の報が入った。 高島氏は「多くの人に支えていただき感謝しかない。市民の皆さんと対話を重ねながら芦屋を世界一住みたいと思ってもらえるような街にしたい」と話した。史上最年少市長となったことについては「当選したからには若さは関係なく、結果がすべて。期待に応えられるように全力を尽くします」と決意を述べた。

JR芦屋駅前で演説する高島氏(4月22日、撮影・粟野仁雄) 高島氏の経歴を振り返ろう。 高島氏は、芦屋市生まれではない。1997年2月に大阪府箕面市に生まれ育ち、超名門の灘中学校・高等学校(兵庫県神戸市東灘区)に「箕面から1時間半かけて通いました」(本人談)。高校では生徒会長をしていたというから、リーダーシップを持つことには十代の頃から価値を置いていたようだ。 2015年、東京大学に合格したが、半年で中退。同年9月から、米ハーバード大学に進んだ。同大学では大学からは給付型奨学金を受け、ソフトバンクの「孫正義育英財団」の奨学金も受けていた。環境工学を専攻し、昨年卒業した。 学業のかたわら、2016年からは海外留学などを支援するNPO法人「留学フェローシップ」の理事長に就任。文部科学省、ユニクロ社長の柳井正財団、江副(えぞえ)記念リクルート財団と協同して海外留学や進路開拓を支援している。2017年からは外務省・経済産業省のインターンで芦屋市を度々訪れていた。 芦屋市を訪れるたびに「世界一住みやすい環境の街にできると感じていた」という。その頃から、市長選挙に出る準備を進めていた。「学校の試験の前には友達に貸してくれと言われて自分のノートをよく貸していました」というから、人一倍真面目に授業を受けていたのだろう。痩身だが、高校や大学ではラグビーに熱中したという。 政治に関心を持ったきっかけについては、「高1の時に箕面市の30代の市長に会って長く話を聞いた時だった。カッコいい仕事だと思いました」と明かす。 ちなみに、高島氏は3人兄弟の長男で、二男(23)は甲陽学院院高校(西宮市)を卒業して現在、カナダのブリティッシュコロンビア大学に留学中。三男(17)は灘高校の3年生だという。灘高OBらの支援 全国市長会によると、これまでの最年少市長の当選記録は1994年に東京都の武蔵村山市で志々田浩太郎氏が市長に当選した時の27歳11か月。高島氏は、26歳2か月で当選した。 22日の土曜日、JR芦屋駅北側での街頭演説に応援に駆け付けていたのは大阪府の四条畷市長の東修平氏だった。京都大学出身の東氏は、2017年1月に28歳で市長に初当選している。「首長選挙はあまり若いのはマイナスになることが多いですが、私は若いことを強調しました。高島さんとは4年ほど前からの知り合いですが、1年ほど前からは頻繁に会って、(選挙では)若さを強調した方がいいとか、アドバイスしていました。(高島氏は)本当に情熱的で沈滞していた芦屋も変わると思います」(東氏) 東氏の助言通り、街頭演説では「高島崚輔」と名乗った後に、必ず「26歳」を付け加えていた。 緑色のアノラック姿で高島氏の応援のボランティアをしていた年配男性に聞くと「これまでは(現職の)伊藤舞さんを応援していた。彼女は悪いことはせんけど、もう一つ物足りない。思い切って高島君を応援することにした」と話した。 別の男性は「神戸大学の先輩である江崎グリコの社長(勝久氏・昨年4月から会長)から応援を頼まれた」と話す。1984年に大騒ぎになった江崎グリコ社長誘拐事件で誘拐された江崎氏は灘高の出身で、現在は芦屋市の高級住宅街に暮らす。 ロート製薬(本社・大阪市)の山田邦雄社長も高島氏を強く応援している。同社長も灘高の出身で芦屋市に暮らす。 高島氏の大きな強みは、長年、東大合格者数でトップを誇ってきた灘高OBにこうした企業トップや役員らが多いことだろう。もっと芦屋らしい街に 高島氏は、大規模な演説集会をあまり行わなかったが、こまめに少人数の対話集会を繰り返した。その上、TikTokなどSNSを駆使して発信してきたことが支持につながった。 投開票日の前日23日の土曜日に午後から開かれた、南芦屋浜の集会場での対話集会を覗いてみた。高島氏は、JR芦屋駅の北側はよく整備されているが、南側は開発が遅れていることを指摘。 ようやく整備されることになったが、「200億円もかけて11階建てのマンションを二棟建てるだけ。これでは普通の街にしかならない。もっと芦屋らしい街にしなければ。今ならまだ市は契約を結んでいないから間に合う」などと訴えた。 後半は参加者の意見に熱心に耳を傾ける姿が印象的だった。「芦屋の市役所の職員で芦屋市に住んでいる人は2割しかいないんですよ。そんなことで市民のことがわかるはずがない」と訴える女性もいた。また、「娘が小学校1年生の時に担任が3人も変わったんですよ」と訴える子連れの母親も。 とはいえ、集会はそれほど多くの人が来ていた様子ではなく参加者は十数人だった。 終了後、筆者が「若い人が政治家になりたいのなら普通は市議などから始めるのでは?」と聞くと、高島氏は「市議会議員と市長はやることが全く違います。市議が市長のためのステップではありません。市長として芦屋のための政策を打ち出していきたい」と話していた。高級住宅街のイメージも高齢化の問題 芦屋市は、東京の田園調布(大田区)などと並び称せられ、昔から、阪神間の高級住宅街の代名詞のような存在で、面積は狭いが六甲山麓から海まで南北に伸びる。昔から大阪で成功した大企業の社長、役員などが芦屋に居を構えることが多かった。芦屋に住むことは阪神間の住民の憧れでもありブランドでもあった。 それを十分に意識した市は、パチンコ店の出店や、飲食店や商業施設などの派手な看板を禁じるなどして「高級住宅街」のブランドを守らんと様々な政策を 打ち出していた。2006年頃には、六麓荘(ろくろくそう)という芦屋市屈指の高級住宅街の自治会が「環境が悪くなる」との理由で400平方メートル以下の土地の売却を禁じたりしたことが話題になった。 ブランド化は成功したかもしれないが、実際には急速な高齢化の問題に直面している。また、2018年9月には台風による高潮で芦屋浜の住宅街が軒並み浸水するなど思わぬ災害にも見舞われ、災害対策も急務になっている。 高島氏もこう指摘する。「この6年で30代、40代の人は5000人も減っているんです。芦屋市は高齢化が急速に進んでいるのに30代や40代の介護関係者はみんな大阪などに出てしまうんですよ。原因は彼らの待遇が悪いからなんです」(高島氏) そして、市長としての夢をこう語る。「市政が一番、政治を身近に感じることができるし、それを実行するのが市長の立場です。芦屋を世界一住みやすい国際文化住宅都市にしていきます」 芦屋市は、1991年に全国初の女性市長(北村春江さん・故人)を誕生させた先駆的な市でもある。史上最年少市長が、30歳までの一期で何を実現させるかが問われる。粟野仁雄(あわの・まさお)ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。デイリー新潮編集部
午後8時の開票開始時間には既に当確の報が入った。
高島氏は「多くの人に支えていただき感謝しかない。市民の皆さんと対話を重ねながら芦屋を世界一住みたいと思ってもらえるような街にしたい」と話した。史上最年少市長となったことについては「当選したからには若さは関係なく、結果がすべて。期待に応えられるように全力を尽くします」と決意を述べた。
高島氏の経歴を振り返ろう。
高島氏は、芦屋市生まれではない。1997年2月に大阪府箕面市に生まれ育ち、超名門の灘中学校・高等学校(兵庫県神戸市東灘区)に「箕面から1時間半かけて通いました」(本人談)。高校では生徒会長をしていたというから、リーダーシップを持つことには十代の頃から価値を置いていたようだ。
2015年、東京大学に合格したが、半年で中退。同年9月から、米ハーバード大学に進んだ。同大学では大学からは給付型奨学金を受け、ソフトバンクの「孫正義育英財団」の奨学金も受けていた。環境工学を専攻し、昨年卒業した。
学業のかたわら、2016年からは海外留学などを支援するNPO法人「留学フェローシップ」の理事長に就任。文部科学省、ユニクロ社長の柳井正財団、江副(えぞえ)記念リクルート財団と協同して海外留学や進路開拓を支援している。2017年からは外務省・経済産業省のインターンで芦屋市を度々訪れていた。
芦屋市を訪れるたびに「世界一住みやすい環境の街にできると感じていた」という。その頃から、市長選挙に出る準備を進めていた。
「学校の試験の前には友達に貸してくれと言われて自分のノートをよく貸していました」というから、人一倍真面目に授業を受けていたのだろう。痩身だが、高校や大学ではラグビーに熱中したという。
政治に関心を持ったきっかけについては、「高1の時に箕面市の30代の市長に会って長く話を聞いた時だった。カッコいい仕事だと思いました」と明かす。
ちなみに、高島氏は3人兄弟の長男で、二男(23)は甲陽学院院高校(西宮市)を卒業して現在、カナダのブリティッシュコロンビア大学に留学中。三男(17)は灘高校の3年生だという。
全国市長会によると、これまでの最年少市長の当選記録は1994年に東京都の武蔵村山市で志々田浩太郎氏が市長に当選した時の27歳11か月。高島氏は、26歳2か月で当選した。
22日の土曜日、JR芦屋駅北側での街頭演説に応援に駆け付けていたのは大阪府の四条畷市長の東修平氏だった。京都大学出身の東氏は、2017年1月に28歳で市長に初当選している。
「首長選挙はあまり若いのはマイナスになることが多いですが、私は若いことを強調しました。高島さんとは4年ほど前からの知り合いですが、1年ほど前からは頻繁に会って、(選挙では)若さを強調した方がいいとか、アドバイスしていました。(高島氏は)本当に情熱的で沈滞していた芦屋も変わると思います」(東氏)
東氏の助言通り、街頭演説では「高島崚輔」と名乗った後に、必ず「26歳」を付け加えていた。
緑色のアノラック姿で高島氏の応援のボランティアをしていた年配男性に聞くと「これまでは(現職の)伊藤舞さんを応援していた。彼女は悪いことはせんけど、もう一つ物足りない。思い切って高島君を応援することにした」と話した。
別の男性は「神戸大学の先輩である江崎グリコの社長(勝久氏・昨年4月から会長)から応援を頼まれた」と話す。1984年に大騒ぎになった江崎グリコ社長誘拐事件で誘拐された江崎氏は灘高の出身で、現在は芦屋市の高級住宅街に暮らす。
ロート製薬(本社・大阪市)の山田邦雄社長も高島氏を強く応援している。同社長も灘高の出身で芦屋市に暮らす。
高島氏の大きな強みは、長年、東大合格者数でトップを誇ってきた灘高OBにこうした企業トップや役員らが多いことだろう。
高島氏は、大規模な演説集会をあまり行わなかったが、こまめに少人数の対話集会を繰り返した。その上、TikTokなどSNSを駆使して発信してきたことが支持につながった。
投開票日の前日23日の土曜日に午後から開かれた、南芦屋浜の集会場での対話集会を覗いてみた。高島氏は、JR芦屋駅の北側はよく整備されているが、南側は開発が遅れていることを指摘。
ようやく整備されることになったが、「200億円もかけて11階建てのマンションを二棟建てるだけ。これでは普通の街にしかならない。もっと芦屋らしい街にしなければ。今ならまだ市は契約を結んでいないから間に合う」などと訴えた。
後半は参加者の意見に熱心に耳を傾ける姿が印象的だった。
「芦屋の市役所の職員で芦屋市に住んでいる人は2割しかいないんですよ。そんなことで市民のことがわかるはずがない」と訴える女性もいた。また、「娘が小学校1年生の時に担任が3人も変わったんですよ」と訴える子連れの母親も。
とはいえ、集会はそれほど多くの人が来ていた様子ではなく参加者は十数人だった。
終了後、筆者が「若い人が政治家になりたいのなら普通は市議などから始めるのでは?」と聞くと、高島氏は「市議会議員と市長はやることが全く違います。市議が市長のためのステップではありません。市長として芦屋のための政策を打ち出していきたい」と話していた。
芦屋市は、東京の田園調布(大田区)などと並び称せられ、昔から、阪神間の高級住宅街の代名詞のような存在で、面積は狭いが六甲山麓から海まで南北に伸びる。昔から大阪で成功した大企業の社長、役員などが芦屋に居を構えることが多かった。芦屋に住むことは阪神間の住民の憧れでもありブランドでもあった。
それを十分に意識した市は、パチンコ店の出店や、飲食店や商業施設などの派手な看板を禁じるなどして「高級住宅街」のブランドを守らんと様々な政策を 打ち出していた。2006年頃には、六麓荘(ろくろくそう)という芦屋市屈指の高級住宅街の自治会が「環境が悪くなる」との理由で400平方メートル以下の土地の売却を禁じたりしたことが話題になった。
ブランド化は成功したかもしれないが、実際には急速な高齢化の問題に直面している。また、2018年9月には台風による高潮で芦屋浜の住宅街が軒並み浸水するなど思わぬ災害にも見舞われ、災害対策も急務になっている。
高島氏もこう指摘する。
「この6年で30代、40代の人は5000人も減っているんです。芦屋市は高齢化が急速に進んでいるのに30代や40代の介護関係者はみんな大阪などに出てしまうんですよ。原因は彼らの待遇が悪いからなんです」(高島氏)
そして、市長としての夢をこう語る。
「市政が一番、政治を身近に感じることができるし、それを実行するのが市長の立場です。芦屋を世界一住みやすい国際文化住宅都市にしていきます」
芦屋市は、1991年に全国初の女性市長(北村春江さん・故人)を誕生させた先駆的な市でもある。史上最年少市長が、30歳までの一期で何を実現させるかが問われる。
粟野仁雄(あわの・まさお)ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。
デイリー新潮編集部