4月5日、“ムツゴロウさん”の愛称で親しまれた畑正憲氏が、心筋梗塞で亡くなった。享年87。1935年に福岡で生まれた畑氏は、東京大学を卒業後、文筆家として、『ムツゴロウ青春記』や『ムツゴロウの動物交際術』など、人と動物の触れ合いをテーマに描いた著作で人気を博し、その後、北海道に動物と人間が共に暮らす「動物王国」を創設。1980年からは、テレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」(フジテレビ)がスタートし、21年間続く長寿番組となった。小学校で使用するノートの表紙に、「動物王国」の動物の写真が使われていたことをご記憶の向きも多かろう。
【写真を見る】「東京ムツゴロウ王国」最後の日に可愛い犬や猫たちと触れ合うムツゴロウさん。シーナ&ロケッツも駆け付けライブを披露していた 動物番組の先駆者であり、作家・タレントとしてもゆるぎない地位を築いていた畑氏だが、一方で生前、お金に関するトラブルを抱えていた。きっかけは、2004年。北海道にあったムツゴロウ王国を、東京・あきる野市にある「東京サマーランド」内に移転させたのだ。移転から1年が過ぎた2005年7月、ご本人がその理由を週刊新潮に語っていた。犬と触れ合うムツゴロウさん「この三十数年、多くのスタッフと動物を抱えてやってきましたが、やはり北海道はお客さんに来てもらうにはあまりにも遠い」書類送検まで しかも、「スタッフが50人、動物700匹、エサ代だけで月1000万円かかる。毎年が倒産危機でした。気がかりなのは王国の行く末。私がいなくっても、スタッフが路頭に迷わないように、東京への移転を決意したのです」 ところが、経営は順調とはいかず、むしろ苦戦が続く。資金不足は深刻になっていき、2006年には負債を抱え、運営会社が破綻。畑氏の個人プロダクションが後を引き継いだものの、状況は悪化の一途を辿り、07年には閉園。王国は、再び北海道に戻ることになってしまったのだ。さらに、08年には、東京ムツゴロウ王国のスタッフへの給与が未払いだったとして、労働基準法違反の疑いで書類送検までされる始末。 それから3年後の11年、週刊新潮が再びインタビューを試みると、「借金のことはもう、そっとしておいてください……。負債は全部僕がかぶりました。1億、2億じゃききませんよ。今でも残された分を細々と返済しているんだ。今日も大阪で公演を2回もしてきたよ……。借金を返すのに一生懸命で夜も寝ないで頑張っているんだから……。一番ひどい時には10円を惜しむような生活をしていた。だから外食にも行けない。働いても借金の返済に出て行っちゃうから。ほら今晩の夕飯だって……」象に鼻で持ち上げられて そうこぼしながら畑氏が記者に見せたのは、430円のコンビニの蕎麦だった。「東京進出の時は、運営会社に騙されっぱなし。“商品にするからイラストを描いてください。売上の半分を渡す”と言われ、100枚描いて渡したけど、支払いがなく、聞いたら、別の支払いに使ってしまった、と。万事がこの調子で。実は僕、テレビを辞めたら、文学に専念するつもりだった。文章に命を賭けようと。でも忙しくてできない」 おまけに、「身体にもガタがきていてね、胃は(切除して)全部ないし、肩は、象に鼻で持ち上げられて脱臼したし……」 その一方で、この年の9月に、「日本動物学会動物学教育賞」を受賞した。「これは嬉しかった。私は在野で、しかも独学。学問の世界では通用しないんじゃないかという思いがあった。生きていて良かったと思いました。最近はようやく仕事も上がり調子。今は女房と“結婚したころは落ちたものを拾って食っていたじゃないか”“元気なうちは歩けるところまで歩こう”と話しています」 波瀾万丈な人生を、歩ききったムツゴロウさん。ご冥福をお祈りいたします――。デイリー新潮編集部
動物番組の先駆者であり、作家・タレントとしてもゆるぎない地位を築いていた畑氏だが、一方で生前、お金に関するトラブルを抱えていた。きっかけは、2004年。北海道にあったムツゴロウ王国を、東京・あきる野市にある「東京サマーランド」内に移転させたのだ。移転から1年が過ぎた2005年7月、ご本人がその理由を週刊新潮に語っていた。
「この三十数年、多くのスタッフと動物を抱えてやってきましたが、やはり北海道はお客さんに来てもらうにはあまりにも遠い」
しかも、
「スタッフが50人、動物700匹、エサ代だけで月1000万円かかる。毎年が倒産危機でした。気がかりなのは王国の行く末。私がいなくっても、スタッフが路頭に迷わないように、東京への移転を決意したのです」
ところが、経営は順調とはいかず、むしろ苦戦が続く。資金不足は深刻になっていき、2006年には負債を抱え、運営会社が破綻。畑氏の個人プロダクションが後を引き継いだものの、状況は悪化の一途を辿り、07年には閉園。王国は、再び北海道に戻ることになってしまったのだ。さらに、08年には、東京ムツゴロウ王国のスタッフへの給与が未払いだったとして、労働基準法違反の疑いで書類送検までされる始末。
それから3年後の11年、週刊新潮が再びインタビューを試みると、
「借金のことはもう、そっとしておいてください……。負債は全部僕がかぶりました。1億、2億じゃききませんよ。今でも残された分を細々と返済しているんだ。今日も大阪で公演を2回もしてきたよ……。借金を返すのに一生懸命で夜も寝ないで頑張っているんだから……。一番ひどい時には10円を惜しむような生活をしていた。だから外食にも行けない。働いても借金の返済に出て行っちゃうから。ほら今晩の夕飯だって……」
そうこぼしながら畑氏が記者に見せたのは、430円のコンビニの蕎麦だった。
「東京進出の時は、運営会社に騙されっぱなし。“商品にするからイラストを描いてください。売上の半分を渡す”と言われ、100枚描いて渡したけど、支払いがなく、聞いたら、別の支払いに使ってしまった、と。万事がこの調子で。実は僕、テレビを辞めたら、文学に専念するつもりだった。文章に命を賭けようと。でも忙しくてできない」
おまけに、
「身体にもガタがきていてね、胃は(切除して)全部ないし、肩は、象に鼻で持ち上げられて脱臼したし……」
その一方で、この年の9月に、「日本動物学会動物学教育賞」を受賞した。
「これは嬉しかった。私は在野で、しかも独学。学問の世界では通用しないんじゃないかという思いがあった。生きていて良かったと思いました。最近はようやく仕事も上がり調子。今は女房と“結婚したころは落ちたものを拾って食っていたじゃないか”“元気なうちは歩けるところまで歩こう”と話しています」
波瀾万丈な人生を、歩ききったムツゴロウさん。ご冥福をお祈りいたします――。
デイリー新潮編集部