《写真あり》貧しさゆえに髪型はいつも「ワカメちゃんカット」……少年ジャンプもゴミ置き場で拾った「旧統一教会2世・小川さゆりの少女時代」 から続く
2022年7月8日、安倍晋三元首相が奈良で撃たれた事件を知った宗教2世の小川さゆりさん。最初は犯人に嫌悪感を抱いていた彼女だったが、山上徹也の人生を知るうちに、感情は複雑なものになっていく……。
《特別グラビア》家族で楽しそうに宴会する姿も…亡くなった安倍晋三さんの写真を見る(20枚)
宗教2世という共通項を抱えた彼女が、山上被告に思ったこととは? 彼女の壮絶な半生を綴った初の著書『小川さゆり、宗教2世』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
◆◆◆
2022年7月8日、安倍晋三元首相が奈良で撃たれた事件を知ったとき、私は横浜の自宅で仕事をしていました。生まれたばかりの子どもの世話をしながらだったので、日中はニュースを全く見ていませんでした。
「安倍さんが殺されたみたいだよ」
夕方、帰宅した夫にそう聞いたときは、「えっ」と大きな声が出ました。
亡くなった安倍晋三首相 文藝春秋
でも、私がもっと驚いたのはその日の夜、テレビのニュースを見ていたときです。山上被告が「特定の宗教団体に恨みを持っていた」と語っているという報道を聞いて、息を呑みました。
「これは絶対に統一教会のことだ……」
すぐにそう思ったのは、安倍元首相が韓鶴子総裁に祝電を送っていたということを、私は教会で知っていたからでした。父も「安倍さんは原理を知っている人だから」と言っていました。「原理」とはもちろん『原理講論』のことです。
また、「政治家のなかにも統一教会のみ言(ことば)、原理を知ってる人はいるんだよ」ということは、教会で聞かされていたことでもありました。
2019年の参議院選挙のときには、2世の友人からこんなメッセージが送られてきたこともあります。
「もしまだ投票しに行っていなければ、全国比例で応援してる議員がいて、協力してもらえないかな……?」
友人があげたのは自民党の当時の安倍派議員の名で、「ちなみに、この○○さんは、安倍首相を支える側の人だよ」とメッセージが続きました。
私は「特定の宗教団体に恨みを持っていた」という話を聞くまでは、元首相の命が奪われたというただただ恐ろしい事件が起きたんだと感じ、哀しくて不安な気持ちでいっぱいでした。
安倍元首相が撃たれた瞬間の動画がTwitterに投稿されているのを見て、「日本は安全な国ではなかったの?」と憤(いきどお)りを感じました。
山上被告に対する気持ちも同じです。この日本でこんなテロをするなんて、絶対に許せないと私は思いました。
ところが、「特定の宗教団体への恨み」という言葉を聞き、また山上被告は奈良の人だと報道されているのを見て、不気味な感覚に陥りました。私は統一教会の修練会で奈良の教会に行ったこともあり、他人(ひと)ごとだった事件が急に自分の問題として迫ってくるようでした。 その後、マスメディアでも「統一教会」という名前が具体的に報じられるようになっていくなかで、私の胸には何かが芽生え始めました。 山上の親が1億円を超える多額のお金を統一教会に献金していたこと、それによって彼が極貧生活を強いられ家庭が崩壊したこと、山上の母親が清平に行っていたこと……。 教会との関わりのひとつひとつの話は、私にとって身近に感じられてしまうものでした。 私は一言では言い表わせない複雑な気持ちになりました。テロリストだと思って深く嫌悪したその人は、一方で自分と同じ教会の被害者だったのだと同情し、共感してしまう自分がいる。いったいどう考えればいいのだろう、とひどく混乱しました。Twitterで2世問題を語り始めた理由 私がTwitterで2世問題について語り始めたのは7月13日のことでした。アカウント名は「統一教会の教会長の娘」としました。 Twitterを始めたのは、事件後に統一教会の元2世の人たちの多くが、ネットで声を上げているのを見たからでもありました。 私はそれまで、統一教会のことでこんなに悩んでいるのは自分くらいだ、と思っていました。けれど、私以上につらい思いをしていた人たちがたくさんいたことを知りました。献金で家が貧しくなって、炊飯器に残ったかぴかぴのご飯に味噌を塗って食べていた人、“聖本”を買うために3000万円も献金しないといけないノルマがあったこと──。 統一教会との関係で苦しんだ私は、その気持ちをみんなと共有したいと思ったのです。 最初は、元信者の人と連絡を取ったり、コメントをし合ったりして、「教会にいたときはこうだったよね」という会話をしました。 それから、私はTwitterに自分の2世としての思いを綴り始めました。教会や両親に身バレする覚悟で顔出しを決意 私が「小川さゆり」と名乗るようになったのは、2世の現状を伝えるメディアの取材を受けたことがきっかけでした。 マスクはしていても、顔を出すのは勇気が必要でした。でも、自分のことをよく知ってもらうためには、顔を隠したり声を変えたりしないほうがいいと思いました。 子どもがいるひとりの女性として顔を出して発言することで、そういう生身の人間が被害にあっていたということを知ってもらえば、問題の深刻さが世の中により伝わると考えました。 仮名にしたのは、いまは夫の名字なので、教会と関係ない夫の家族を巻き込むわけにはいかないと思ったこと、また子どものことを考えたからです。 マスクをしているとはいえ、教会や両親にはすぐに私だとわかると覚悟はしていました。政治家に2世信者が利用されると思ったけど… それからテレビや新聞、雑誌から取材の依頼が入るようになり、じきに野党のヒアリングに呼ばれることも増えました。 最初に政治家の人から声をかけられたときは、「ちょっと怖いな……」と感じました。2世信者の味方をして支持率を上げたいだけなのではないか、と考えてしまう気持ちがあったからです。 けれど、一度話を聞きに行くと、その印象は変わりました。「この問題にいままで取り組んでこなくて申し訳なかった。被害の大きさを知って何とかしたいと思っている。やはりこの件には法律が必要です」 そう率直にお話しになられたからです。 現行の法では悪質な献金そのものを規制する法律がなく、私たちも新しい法律が必要だと考えていました。 私が特に訴えたかったのは、「子どもには罪がない」ということと、「悪質な団体を規制する必要がある(被害者救済法や反セクト法など)」ということです。 親は騙されたり強引に勧誘されたのでなく、自分の責任と選択で宗教を信じ、献金をすることもあるでしょう。ですが、その子どもには何の選択肢もありませんでした。生まれた頃から「神の子」と勝手に言われ、世の中はサタンだと教えられ、人間の本能である恋愛も禁じられました。そして生活費や教育費を切り詰め、子どものことよりも教会に目を向けている親に育てられた2世たちの悲痛な叫びを聞きました。 いまこの日本で被害を受けている子どもたちは、声を上げることもできないでいるでしょう。親元にいるから、身元がばれるわけには絶対いかないからです。夫に支えてもらいながら初めての会見に臨む また、統一教会がこうした被害を認めないせいで、世間からの目も厳しくなっていて、それは何の罪もない信者の子どもたちへの差別にもつながりかねません。 子どもたちを救うことは私にとって最優先のことでした。 そんな子どもの被害を訴える場所として考えたのが、あの日本外国特派員協会での記者会見でした。 10月からの臨時国会で2世問題が議論されなければ、事件によって注目を浴びるようになったこの問題も、法律が作られることなく忘れ去られてしまうのではないか、という危機感がありました。 私は夫と一緒に会見に出ました。夫は仕事をしながら、会見の資料作成を手伝ってくれました。 私は法律の専門家ではありませんが、元2世信者として顔を出して話すことは自分にしかできません。夫に支えてもらいながら、私は初めての会見に臨みました。 そして会見が始まって45分ほどたった頃、あの両親の署名が入ったFAXを確認することになったのです。「私が正しいと思ってくださるなら、どうかこの団体を解散させてください」という私の発言は、思わず口に出たものです。内心では私は激しく動揺していました。会見の動画はYouTubeで700万回以上再生されることに 私がいた頃の統一教会には、良い思い出もたくさんありました。私は両親との関係がこじれて脱会したけれど、教会にはいい人もたくさんいたし、教会の「異様さ」をまだ私は実感しきれずにいたところもあったと思います。 でも、あのFAXを見た瞬間、そうした思いはついに消えました。その意味で、統一教会と本当に決別した瞬間だったと思っています。 ただ、特派員協会での会見は後から、統一教会問題の風向きを大きく変えるものだとさまざまな方に言ってもらえました。そこから取材の依頼が増え、テレビでも盛んに放送され、YouTubeでも700万回以上再生されることになりました。風向きが変わった その後、風向きは次第に変わっていきました。 10月17日に、私も呼びかけ人のひとりとして「統一教会の宗教法人解散」を求める署名活動を署名サイト「Change.org」で始めました。同じ日、岸田文雄総理は永岡桂子文部科学相に対して、宗教法人法に規定されている「質問権」の行使による調査を指示しました。 10月21日には被害者救済法案を検討する与野党協議会が開始され、その1週間後に私はふたりの2世信者と共同記者会見を行ない、今国会での法整備を求める要望書を総理に提出することを発表します。 そんななか、11月になると与野党協議会のなかで、これまで法案に後ろ向きだった自民党が、一転して救済法案の成立に向けて動き始めました。 私が自民党から2回目のヒアリングを受けたのは、11月2日のことでした。「霊感商法による被害防止や救済策を検討する小委員会」の会合が党本部で開かれ、そこで話を聞いてもらえることになったのです。 私は、「未成年も巻き込まれているという意味でも、責任を持って早く対応してほしい」と、救済法成立を求めました。(小川 さゆり/Webオリジナル(外部転載))
ところが、「特定の宗教団体への恨み」という言葉を聞き、また山上被告は奈良の人だと報道されているのを見て、不気味な感覚に陥りました。私は統一教会の修練会で奈良の教会に行ったこともあり、他人(ひと)ごとだった事件が急に自分の問題として迫ってくるようでした。
その後、マスメディアでも「統一教会」という名前が具体的に報じられるようになっていくなかで、私の胸には何かが芽生え始めました。
山上の親が1億円を超える多額のお金を統一教会に献金していたこと、それによって彼が極貧生活を強いられ家庭が崩壊したこと、山上の母親が清平に行っていたこと……。
教会との関わりのひとつひとつの話は、私にとって身近に感じられてしまうものでした。
私は一言では言い表わせない複雑な気持ちになりました。テロリストだと思って深く嫌悪したその人は、一方で自分と同じ教会の被害者だったのだと同情し、共感してしまう自分がいる。いったいどう考えればいいのだろう、とひどく混乱しました。
私がTwitterで2世問題について語り始めたのは7月13日のことでした。アカウント名は「統一教会の教会長の娘」としました。
Twitterを始めたのは、事件後に統一教会の元2世の人たちの多くが、ネットで声を上げているのを見たからでもありました。
私はそれまで、統一教会のことでこんなに悩んでいるのは自分くらいだ、と思っていました。けれど、私以上につらい思いをしていた人たちがたくさんいたことを知りました。献金で家が貧しくなって、炊飯器に残ったかぴかぴのご飯に味噌を塗って食べていた人、“聖本”を買うために3000万円も献金しないといけないノルマがあったこと──。
統一教会との関係で苦しんだ私は、その気持ちをみんなと共有したいと思ったのです。
最初は、元信者の人と連絡を取ったり、コメントをし合ったりして、「教会にいたときはこうだったよね」という会話をしました。
それから、私はTwitterに自分の2世としての思いを綴り始めました。
私が「小川さゆり」と名乗るようになったのは、2世の現状を伝えるメディアの取材を受けたことがきっかけでした。
マスクはしていても、顔を出すのは勇気が必要でした。でも、自分のことをよく知ってもらうためには、顔を隠したり声を変えたりしないほうがいいと思いました。
子どもがいるひとりの女性として顔を出して発言することで、そういう生身の人間が被害にあっていたということを知ってもらえば、問題の深刻さが世の中により伝わると考えました。
仮名にしたのは、いまは夫の名字なので、教会と関係ない夫の家族を巻き込むわけにはいかないと思ったこと、また子どものことを考えたからです。
マスクをしているとはいえ、教会や両親にはすぐに私だとわかると覚悟はしていました。
それからテレビや新聞、雑誌から取材の依頼が入るようになり、じきに野党のヒアリングに呼ばれることも増えました。
最初に政治家の人から声をかけられたときは、「ちょっと怖いな……」と感じました。2世信者の味方をして支持率を上げたいだけなのではないか、と考えてしまう気持ちがあったからです。
けれど、一度話を聞きに行くと、その印象は変わりました。
「この問題にいままで取り組んでこなくて申し訳なかった。被害の大きさを知って何とかしたいと思っている。やはりこの件には法律が必要です」
そう率直にお話しになられたからです。
現行の法では悪質な献金そのものを規制する法律がなく、私たちも新しい法律が必要だと考えていました。
私が特に訴えたかったのは、「子どもには罪がない」ということと、「悪質な団体を規制する必要がある(被害者救済法や反セクト法など)」ということです。
親は騙されたり強引に勧誘されたのでなく、自分の責任と選択で宗教を信じ、献金をすることもあるでしょう。ですが、その子どもには何の選択肢もありませんでした。生まれた頃から「神の子」と勝手に言われ、世の中はサタンだと教えられ、人間の本能である恋愛も禁じられました。そして生活費や教育費を切り詰め、子どものことよりも教会に目を向けている親に育てられた2世たちの悲痛な叫びを聞きました。
いまこの日本で被害を受けている子どもたちは、声を上げることもできないでいるでしょう。親元にいるから、身元がばれるわけには絶対いかないからです。
また、統一教会がこうした被害を認めないせいで、世間からの目も厳しくなっていて、それは何の罪もない信者の子どもたちへの差別にもつながりかねません。
子どもたちを救うことは私にとって最優先のことでした。
そんな子どもの被害を訴える場所として考えたのが、あの日本外国特派員協会での記者会見でした。
10月からの臨時国会で2世問題が議論されなければ、事件によって注目を浴びるようになったこの問題も、法律が作られることなく忘れ去られてしまうのではないか、という危機感がありました。
私は夫と一緒に会見に出ました。夫は仕事をしながら、会見の資料作成を手伝ってくれました。
私は法律の専門家ではありませんが、元2世信者として顔を出して話すことは自分にしかできません。夫に支えてもらいながら、私は初めての会見に臨みました。
そして会見が始まって45分ほどたった頃、あの両親の署名が入ったFAXを確認することになったのです。
「私が正しいと思ってくださるなら、どうかこの団体を解散させてください」という私の発言は、思わず口に出たものです。内心では私は激しく動揺していました。
私がいた頃の統一教会には、良い思い出もたくさんありました。私は両親との関係がこじれて脱会したけれど、教会にはいい人もたくさんいたし、教会の「異様さ」をまだ私は実感しきれずにいたところもあったと思います。
でも、あのFAXを見た瞬間、そうした思いはついに消えました。その意味で、統一教会と本当に決別した瞬間だったと思っています。
ただ、特派員協会での会見は後から、統一教会問題の風向きを大きく変えるものだとさまざまな方に言ってもらえました。そこから取材の依頼が増え、テレビでも盛んに放送され、YouTubeでも700万回以上再生されることになりました。風向きが変わった その後、風向きは次第に変わっていきました。 10月17日に、私も呼びかけ人のひとりとして「統一教会の宗教法人解散」を求める署名活動を署名サイト「Change.org」で始めました。同じ日、岸田文雄総理は永岡桂子文部科学相に対して、宗教法人法に規定されている「質問権」の行使による調査を指示しました。 10月21日には被害者救済法案を検討する与野党協議会が開始され、その1週間後に私はふたりの2世信者と共同記者会見を行ない、今国会での法整備を求める要望書を総理に提出することを発表します。 そんななか、11月になると与野党協議会のなかで、これまで法案に後ろ向きだった自民党が、一転して救済法案の成立に向けて動き始めました。 私が自民党から2回目のヒアリングを受けたのは、11月2日のことでした。「霊感商法による被害防止や救済策を検討する小委員会」の会合が党本部で開かれ、そこで話を聞いてもらえることになったのです。 私は、「未成年も巻き込まれているという意味でも、責任を持って早く対応してほしい」と、救済法成立を求めました。(小川 さゆり/Webオリジナル(外部転載))
ただ、特派員協会での会見は後から、統一教会問題の風向きを大きく変えるものだとさまざまな方に言ってもらえました。そこから取材の依頼が増え、テレビでも盛んに放送され、YouTubeでも700万回以上再生されることになりました。
その後、風向きは次第に変わっていきました。
10月17日に、私も呼びかけ人のひとりとして「統一教会の宗教法人解散」を求める署名活動を署名サイト「Change.org」で始めました。同じ日、岸田文雄総理は永岡桂子文部科学相に対して、宗教法人法に規定されている「質問権」の行使による調査を指示しました。
10月21日には被害者救済法案を検討する与野党協議会が開始され、その1週間後に私はふたりの2世信者と共同記者会見を行ない、今国会での法整備を求める要望書を総理に提出することを発表します。
そんななか、11月になると与野党協議会のなかで、これまで法案に後ろ向きだった自民党が、一転して救済法案の成立に向けて動き始めました。
私が自民党から2回目のヒアリングを受けたのは、11月2日のことでした。「霊感商法による被害防止や救済策を検討する小委員会」の会合が党本部で開かれ、そこで話を聞いてもらえることになったのです。
私は、「未成年も巻き込まれているという意味でも、責任を持って早く対応してほしい」と、救済法成立を求めました。
(小川 さゆり/Webオリジナル(外部転載))