3月20日に長崎県壱岐市の海岸で見つかった遺体が、県立壱岐高校2年生の椎名隼都さん(17才)であることが確認された。隼都さんは茨城県出身で、長崎県の「離島留学制度」を使い、中学2年生のときから里親Aさん宅でほかの留学生たちと共同生活をおくっていた。3月1日の午後4時半ごろに里親宅で姿を確認されたのを最後に行方がわからず、17日から長崎県警による公開捜査が行われていた。
【写真】里親留学先の室内の様子など『週刊文春』は15日、里親Aさんの虐待疑惑を報じ、ほかの里親による「隼都さんはAさん夫妻から日常的に叩かれたり、怒鳴られていた」という証言などを取り上げた。渦中のAさんは、NEWSポストセブンの取材に対して、約50分間にわたって回答した。Aさんを「お父さん」と呼んでいた 取材当日は、公開捜査が始まった翌日のタイミングだった。隼都さんが家を出たのは今回が初めてではないという。「高校1年生のとき、子どもたちとのやり取りの中で『僕なんていなくていいんだ』としょげて、うちの敷地内にある裏山に隠れたことがありました。そのときは2時間くらいで出てきました」(Aさん、以下同) 隼都さんがいなくなった理由をどのように考えているか。「『どうしてだろう』と、ずっと考えています。でも私たち夫妻が、隼都くんの気持ちの変化に気づけなかったのが大きいと思います。 私のことを『お父さん』と呼んでくれていた、うちの里子では一番長くいる子です。よく家事の手伝いをしてくれて、自分が手がけている地元のイベントの手伝いもしてくれたりして、たくさんの時間を過ごしてきました。うちでは一番長い子だからわが子同然。彼ならばわかってくれるというところに慢心していたのかもしれません」 今から思えば、最近、気になる点はあったという。もともと隼都さんは「依存してしまうから」とスマホをAさん夫妻に自主的に預けており、21時までの使用というルールになっていた。しかしスマホ依存の傾向が強くなり、2月には話し合いの場を設けた。「それまでの隼都くんは話し合いが終われば気持ちをリセットできていたのに、引きずってしまっているような印象を受けました。『そんなに落ち込むな』と伝えながら様子を見ていたのが、ここ1か月ほどの話です」 日常的に体罰を与えていたようなことは「ありません」と断言する。ただ、隼都さんに手を上げたことが一度だけあると語った。「隼都くんは中3のときに不安定な状態になり、『僕はどうせひとりぼっち』のようなことを言ったり、自分の頭を叩くなど自傷行為をするようになりました。ついに『自殺したい』とまで言い出したので、『そんなことを言うな。目を覚ませ』と両肩をつかみビンタしたことがあります。でもその一度だけで、ほかの子に対しても日常的に手を上げていたようなことはありません」『週刊文春』では、“台風の中、隼都さんを含めた留学生たちを罰として外で正座させた”という証言もあった。「正座ではなく、あぐらをかいて輪になって話したというか……。スマホの使い方に関することで、うちの実子も一緒に叱りました。最後は『台風には自然の力強さがある』という話になり、みんなで自然を味わった後、談笑しながら家に戻りました。それからコーンスープを飲んで、順番にシャワーを浴びましたよ。 たぶん隼都くんが『こういう出来事があったよ』と誰かに話したことがマスコミに歪んで伝わっているようで、そんな話になっているのかと私もびっくりしています」 子どもたちの日頃の様子や、叱ったことなどは実親たちにも共有している。隼都さんに手を上げたことや台風の日のことも、当時、彼の父親に報告したという。食事のおかずが少ない疑惑 隼都さんはAさんに月8万円(補助金があり、自己負担は4万円)を支払っていた。Aさんは7人の留学生を抱えているため、月に56万円のホームステイ料を受け取っていたことになる。「妻には『子どもたちにはたくさん食べさせてあげてよ』と伝えていましたが、『これだけの人数がいると大変なんだよ』と叱られちゃったりもして、8万円でやりくりするんだから苦労をかけるよなという思いでいました。 文春では“おかずが少ない”という話も出ていましたが、たとえばミートボールが25個あるとして、『みんな3つずつだけど、足りなければパンがあるよ』とか『どうしてもミートボールがもっと食べたいなら分けるよ』というふうにやり取りして調整していくのがうちの食卓です。その輪に加わらず、『ゲームがしたいから』とすぐ部屋に戻るような子も過去にはいましたが、私自身は『好きなだけ食べろ』という方針でした」 Aさんは壱岐島の出身だ。地元で何かできないかと考えたとき、里親制度について知り、「島で成長する子どもたちのお父さん、お母さんになりたい」という気持ちが湧いた。壱岐市で里親制度を始めると聞いて真っ先に手を上げ、2017年頃から今まで16人の子どもを預かってきたという。「里親をやってよかったとは、今でも感じます」 隼都くんがいなくなり、Aさんは警察や児童相談所から聞き取りを受けている。「子ども(里子)たちは『僕たちが守るから』と言ってくれています。ただ、周りの人たちが理解してくれても、どんどんニュースが拡散され、学校や教育委員会や壱岐市長、ほかの里親さん、里親制度自体にも問題が広がっていて申し訳ないです。『こんなふうに話題になってしまった自分が里親を続けることは、もう世間が許さないよな』と、妻とも話をしていました」 Aさん宅には今も小中学生の里子たちが身を寄せている。管轄する壱岐市に問い合わせたところ、「里親の虐待疑惑については、教育長自ら当該里親への聴き取りを実施し、そのような事実は確認しておりません」との回答だった。 隼都さんはどんな思いでAさんのもとを去ったのか──。
『週刊文春』は15日、里親Aさんの虐待疑惑を報じ、ほかの里親による「隼都さんはAさん夫妻から日常的に叩かれたり、怒鳴られていた」という証言などを取り上げた。渦中のAさんは、NEWSポストセブンの取材に対して、約50分間にわたって回答した。
取材当日は、公開捜査が始まった翌日のタイミングだった。隼都さんが家を出たのは今回が初めてではないという。
「高校1年生のとき、子どもたちとのやり取りの中で『僕なんていなくていいんだ』としょげて、うちの敷地内にある裏山に隠れたことがありました。そのときは2時間くらいで出てきました」(Aさん、以下同)
隼都さんがいなくなった理由をどのように考えているか。
「『どうしてだろう』と、ずっと考えています。でも私たち夫妻が、隼都くんの気持ちの変化に気づけなかったのが大きいと思います。
私のことを『お父さん』と呼んでくれていた、うちの里子では一番長くいる子です。よく家事の手伝いをしてくれて、自分が手がけている地元のイベントの手伝いもしてくれたりして、たくさんの時間を過ごしてきました。うちでは一番長い子だからわが子同然。彼ならばわかってくれるというところに慢心していたのかもしれません」
今から思えば、最近、気になる点はあったという。もともと隼都さんは「依存してしまうから」とスマホをAさん夫妻に自主的に預けており、21時までの使用というルールになっていた。しかしスマホ依存の傾向が強くなり、2月には話し合いの場を設けた。
「それまでの隼都くんは話し合いが終われば気持ちをリセットできていたのに、引きずってしまっているような印象を受けました。『そんなに落ち込むな』と伝えながら様子を見ていたのが、ここ1か月ほどの話です」
日常的に体罰を与えていたようなことは「ありません」と断言する。ただ、隼都さんに手を上げたことが一度だけあると語った。
「隼都くんは中3のときに不安定な状態になり、『僕はどうせひとりぼっち』のようなことを言ったり、自分の頭を叩くなど自傷行為をするようになりました。ついに『自殺したい』とまで言い出したので、『そんなことを言うな。目を覚ませ』と両肩をつかみビンタしたことがあります。でもその一度だけで、ほかの子に対しても日常的に手を上げていたようなことはありません」
『週刊文春』では、“台風の中、隼都さんを含めた留学生たちを罰として外で正座させた”という証言もあった。
「正座ではなく、あぐらをかいて輪になって話したというか……。スマホの使い方に関することで、うちの実子も一緒に叱りました。最後は『台風には自然の力強さがある』という話になり、みんなで自然を味わった後、談笑しながら家に戻りました。それからコーンスープを飲んで、順番にシャワーを浴びましたよ。
たぶん隼都くんが『こういう出来事があったよ』と誰かに話したことがマスコミに歪んで伝わっているようで、そんな話になっているのかと私もびっくりしています」
子どもたちの日頃の様子や、叱ったことなどは実親たちにも共有している。隼都さんに手を上げたことや台風の日のことも、当時、彼の父親に報告したという。
隼都さんはAさんに月8万円(補助金があり、自己負担は4万円)を支払っていた。Aさんは7人の留学生を抱えているため、月に56万円のホームステイ料を受け取っていたことになる。
「妻には『子どもたちにはたくさん食べさせてあげてよ』と伝えていましたが、『これだけの人数がいると大変なんだよ』と叱られちゃったりもして、8万円でやりくりするんだから苦労をかけるよなという思いでいました。
文春では“おかずが少ない”という話も出ていましたが、たとえばミートボールが25個あるとして、『みんな3つずつだけど、足りなければパンがあるよ』とか『どうしてもミートボールがもっと食べたいなら分けるよ』というふうにやり取りして調整していくのがうちの食卓です。その輪に加わらず、『ゲームがしたいから』とすぐ部屋に戻るような子も過去にはいましたが、私自身は『好きなだけ食べろ』という方針でした」
Aさんは壱岐島の出身だ。地元で何かできないかと考えたとき、里親制度について知り、「島で成長する子どもたちのお父さん、お母さんになりたい」という気持ちが湧いた。壱岐市で里親制度を始めると聞いて真っ先に手を上げ、2017年頃から今まで16人の子どもを預かってきたという。
「里親をやってよかったとは、今でも感じます」
隼都くんがいなくなり、Aさんは警察や児童相談所から聞き取りを受けている。
「子ども(里子)たちは『僕たちが守るから』と言ってくれています。ただ、周りの人たちが理解してくれても、どんどんニュースが拡散され、学校や教育委員会や壱岐市長、ほかの里親さん、里親制度自体にも問題が広がっていて申し訳ないです。『こんなふうに話題になってしまった自分が里親を続けることは、もう世間が許さないよな』と、妻とも話をしていました」
Aさん宅には今も小中学生の里子たちが身を寄せている。管轄する壱岐市に問い合わせたところ、「里親の虐待疑惑については、教育長自ら当該里親への聴き取りを実施し、そのような事実は確認しておりません」との回答だった。
隼都さんはどんな思いでAさんのもとを去ったのか──。