岸田文雄首相は3月21日、ウクライナを電撃訪問してゼレンスキー大統領と会談した。G7首脳でウクライナ訪問を果たしていないのは岸田文雄首相だけとなり、「どうしても5月のG7広島サミットまでに訪問したい」との首相の思いが実現した格好だが、なかなかの「産みの苦しみ」を感じさせる内容だった。
【写真】「岸田文雄」を料理屋に呼びつけた大物政治家の“長男” ロン毛のコンサル社長は高級車でお見送り「G7の首脳の中でウクライナを訪問していないのは岸田首相だけになっており、いくらかの焦燥があったと思われます。5月のG7広島サミットまでに訪問することは否定しなかったことから、タイミングをいつにするかが課題になっていました」

キーウを訪問して会談した岸田首相とゼレンスキー大統領 と、政治部デスク。足並みを揃えてとにかく現地を訪れるというメンツだけが独り歩きし、その中身にはこだわらないといったスタンスがうかがえた。「少なくとも日本の国民は、それが果たされないからといって首相を批判するということはなかったと思いますがね。首相は割と意固地なところがあって、一度決めたことについてブレない性格だと言われており、その部分が今回も出た印象があります」(同)インド出発前日から「外遊時に国会への事前承認が義務付けられている中で、それを無視して行けば、それこそ議員を除名されたガーシー氏同様、国会軽視と言われかねない状況もありました。まぁそれは警備的な問題を踏まえてと抗弁すれば事足りるとの見立てがあり、実際そのように落ち着きましたね。さすがに野党もウクライナ訪問を事前にオープンにすべきだという非現実的な主張はしていませんでしたし」(同) ウクライナ訪問計画はどれくらい前から具体化して行ったのだろうか?「常に持ち上がっていたのでなかなか判然とはしないのですが、少なくとも1ヶ月以上前からは固まりつつあったと思います。羽田空港から直接ウクライナ方面に向かうのはさすがにバレバレなので、外遊時を生かしての訪問ではないかとも言われていました。その意味では今回のインド外遊も“可能性があるのでは?”と有力視されていたことは事実です。ウチはなかなか掴めませんでしたが(笑)」(同) このデスクの言うように、今回のウクライナ行きはインド訪問の後につなげる形で実行された。「インドに出発する前日くらいから、“もしかしたらここであるかも”といった情報が出回ってはいました」(同)タイミングが良かった説について 各社、ある程度は可能性を察知していたものの、政府関係者や官邸幹部がこれを肯定することはなかったという。「となると人海戦術にならざるを得ず、結果的にNHKが幅広くフォローしていたように感じられました。インドからウクライナに向かうために使ったチャーター便は羽田空港から政府専用機が離陸する約3時間前に飛び立っていたということですが、それもしっかり押さえていましたね。事前情報があってその裏付けを取ろうとしていた流れの中にあったと思います」(同) 結果として、岸田首相のウクライナ訪問は、現地到着の前段階、ポーランドから列車に乗る時点で大きく報じられることとなった。 極秘であるはずの動向に関する情報を守れない政府、また情報を得たからといって無防備に伝えるメディア、双方に批判が寄せられたのは言うまでもない。 折しも国会では、高市早苗経済安保担当相の「捏造発言」に注目が集まり、放送法についての議論が行われていたわけだが、「電撃訪問」情報が到着10時間前からオープンになっているあたりを見る限り、日本には「報道の自由」が十分保障されているようである。官邸は喜ぶかも 幸い、途中で攻撃を受けるといったアクシデントには見舞われず、無事に首都キーウに到着したわけだが、このタイミングでの訪問への評価は二分されているという。ちょうどロシアのプーチン大統領を中国の習近平国家主席が訪ねたタイミングと重なり、これほど好適なものはない、というのは好意的な見方。一方で、WBCが佳境を迎えている時期でもあり、国内にアピールするには「なんと間が悪い」などと指弾する声もあった。「はっきり言えるのは、習氏の訪問もWBCの盛り上がりも想定できるほど直近で訪問のスケジュールが決まっているわけではないということです。わかっていてプランが変更できるならもう少し違ったプレゼンテーションがあったのではないかなと思います。タイミングが良かったと言われれば官邸は喜ぶとは思いますがね(笑)」(同) WBCの盛り上がりの影響で、戦後初めて紛争地に日本の首相が入るという、「画期的」な出来事の報道が盛り上がりに欠けたのは事実だろう。「外交の岸田」アピールで支持率アップを狙っていたとすれば、少し期待外れということになる。首相秘書官の舌禍が また、メディアが盛り上がらなかったのには、別の要因もあるという。「少し前にLGBTへの差別発言が報じられて更迭された荒井勝喜秘書官がいましたね。彼はそれまで政権の影のスポークスマンとして細かなことまでしっかりと説明してきたのですが、あの発言で職を追われることになりました。発言自体、何の申し開きもできないとは思いますが、ああいうことがあると、元々話さなかった政権幹部が余計に“口チャック”してしまいます。今回も荒井さんのような“おしゃべり”がいたらもう少しメディアが友好的に取り上げたかと思いますが、そうはならなかった。困難な訪問を実現したわりには、スルーに近い状況だと言っても良いのではないでしょうか」(同) 帰国した岸田首相はすぐに国会に出席。そこで待っていたのは、ゼレンスキー大統領にお土産で持って行った広島の名産品「必勝しゃもじ」が「不適切」ではないか、という野党からの批判であった。 命がけの戦いが続くウクライナとの緊張感のギャップを感じるのは首相だけではないだろう。デイリー新潮編集部
「G7の首脳の中でウクライナを訪問していないのは岸田首相だけになっており、いくらかの焦燥があったと思われます。5月のG7広島サミットまでに訪問することは否定しなかったことから、タイミングをいつにするかが課題になっていました」
と、政治部デスク。足並みを揃えてとにかく現地を訪れるというメンツだけが独り歩きし、その中身にはこだわらないといったスタンスがうかがえた。
「少なくとも日本の国民は、それが果たされないからといって首相を批判するということはなかったと思いますがね。首相は割と意固地なところがあって、一度決めたことについてブレない性格だと言われており、その部分が今回も出た印象があります」(同)
「外遊時に国会への事前承認が義務付けられている中で、それを無視して行けば、それこそ議員を除名されたガーシー氏同様、国会軽視と言われかねない状況もありました。まぁそれは警備的な問題を踏まえてと抗弁すれば事足りるとの見立てがあり、実際そのように落ち着きましたね。さすがに野党もウクライナ訪問を事前にオープンにすべきだという非現実的な主張はしていませんでしたし」(同)
ウクライナ訪問計画はどれくらい前から具体化して行ったのだろうか?
「常に持ち上がっていたのでなかなか判然とはしないのですが、少なくとも1ヶ月以上前からは固まりつつあったと思います。羽田空港から直接ウクライナ方面に向かうのはさすがにバレバレなので、外遊時を生かしての訪問ではないかとも言われていました。その意味では今回のインド外遊も“可能性があるのでは?”と有力視されていたことは事実です。ウチはなかなか掴めませんでしたが(笑)」(同)
このデスクの言うように、今回のウクライナ行きはインド訪問の後につなげる形で実行された。
「インドに出発する前日くらいから、“もしかしたらここであるかも”といった情報が出回ってはいました」(同)
各社、ある程度は可能性を察知していたものの、政府関係者や官邸幹部がこれを肯定することはなかったという。
「となると人海戦術にならざるを得ず、結果的にNHKが幅広くフォローしていたように感じられました。インドからウクライナに向かうために使ったチャーター便は羽田空港から政府専用機が離陸する約3時間前に飛び立っていたということですが、それもしっかり押さえていましたね。事前情報があってその裏付けを取ろうとしていた流れの中にあったと思います」(同)
結果として、岸田首相のウクライナ訪問は、現地到着の前段階、ポーランドから列車に乗る時点で大きく報じられることとなった。
極秘であるはずの動向に関する情報を守れない政府、また情報を得たからといって無防備に伝えるメディア、双方に批判が寄せられたのは言うまでもない。
折しも国会では、高市早苗経済安保担当相の「捏造発言」に注目が集まり、放送法についての議論が行われていたわけだが、「電撃訪問」情報が到着10時間前からオープンになっているあたりを見る限り、日本には「報道の自由」が十分保障されているようである。
幸い、途中で攻撃を受けるといったアクシデントには見舞われず、無事に首都キーウに到着したわけだが、このタイミングでの訪問への評価は二分されているという。ちょうどロシアのプーチン大統領を中国の習近平国家主席が訪ねたタイミングと重なり、これほど好適なものはない、というのは好意的な見方。一方で、WBCが佳境を迎えている時期でもあり、国内にアピールするには「なんと間が悪い」などと指弾する声もあった。
「はっきり言えるのは、習氏の訪問もWBCの盛り上がりも想定できるほど直近で訪問のスケジュールが決まっているわけではないということです。わかっていてプランが変更できるならもう少し違ったプレゼンテーションがあったのではないかなと思います。タイミングが良かったと言われれば官邸は喜ぶとは思いますがね(笑)」(同)
WBCの盛り上がりの影響で、戦後初めて紛争地に日本の首相が入るという、「画期的」な出来事の報道が盛り上がりに欠けたのは事実だろう。「外交の岸田」アピールで支持率アップを狙っていたとすれば、少し期待外れということになる。
また、メディアが盛り上がらなかったのには、別の要因もあるという。
「少し前にLGBTへの差別発言が報じられて更迭された荒井勝喜秘書官がいましたね。彼はそれまで政権の影のスポークスマンとして細かなことまでしっかりと説明してきたのですが、あの発言で職を追われることになりました。発言自体、何の申し開きもできないとは思いますが、ああいうことがあると、元々話さなかった政権幹部が余計に“口チャック”してしまいます。今回も荒井さんのような“おしゃべり”がいたらもう少しメディアが友好的に取り上げたかと思いますが、そうはならなかった。困難な訪問を実現したわりには、スルーに近い状況だと言っても良いのではないでしょうか」(同)
帰国した岸田首相はすぐに国会に出席。そこで待っていたのは、ゼレンスキー大統領にお土産で持って行った広島の名産品「必勝しゃもじ」が「不適切」ではないか、という野党からの批判であった。
命がけの戦いが続くウクライナとの緊張感のギャップを感じるのは首相だけではないだろう。
デイリー新潮編集部