第2次世界大戦中に外交官の杉原千畝氏(1900~86年)が発給した「命のビザ」によりナチス・ドイツの迫害から逃れ、神戸市に一時滞在したユダヤ人のマーセル・ウェイランドさん(95)が2月末、82年ぶりに同市を訪れた。
「ずっとありがとうと言いたかった。心からありがとう」。ウェイランドさんは地元住民らに感謝の言葉を繰り返した。
リトアニア・カウナスで日本領事代理を務めていた杉原氏は大戦中、外務省の方針に背き、迫害を受けたユダヤ人に日本を通過するためのビザを発給した。ウェイランドさんは、このビザで命を救われた1人だ。
ウェイランドさんはポーランド出身。ドイツが同国に侵攻した1939年、家族と共にリトアニアに逃れた。一家はリトアニアで杉原氏のビザを受け取り、旧ソ連のウラジオストクを経て福井県の敦賀港に上陸し、41年春に神戸市に到着した。同市には半年余り滞在し、中国・上海へ旅立った。ウェイランドさんは戦後、オーストラリアに渡り、今も暮らしている。
神戸市での思い出は、同市の百貨店「大丸」で焼きそばを食べたことだという。当時の大丸の写真を見せると、「とっても好きだった」と笑顔で話した。熱い銭湯の湯を浴びたり、宝塚で歌劇を見たり、「幸せだった」と振り返った。
神戸市などによると、当時は「神戸ユダヤ共同体」と呼ばれるユダヤ人組織が避難民の受け入れを担い、食料や衣服などを援助していた。住居はホテルや空き家が使われ、地元住民との交流もあったという。この共同体の建物は大戦末期の米軍の空襲で失われたが、学校法人「コンピュータ総合学園」(同市)の敷地内に石垣だけが残っている。ウェイランドさんは手で石垣に触れ、「心が動かされる」とつぶやいた。
少年時代まで過ごした欧州では現在、ロシアによるウクライナ侵攻が続いている。「多くの難民が生まれ、苦しんでいることに胸を痛めている」。かつての自分に重ね合わせ、悲しそうな表情で話した。