大人の社交場・銀座のクラブにホステスとして勤めているみずえちゃんと申します。水商売を始めたのは22歳の頃でした。週5でお酒をあおって、グイグイヨシコイ!とかやっていられた頃はまだ良かったのですが、飲食業界はコロナ禍の影響をモロに受け、私のような下っ端はほとんど出勤さえさせてもらえないありさま。まさに限界ホステスです。 特に緊急事態宣言が発令と解除を繰り返していた2021年の春から秋にかけて悲惨だった記憶があります。現在、歓楽街は少しずつ賑わいを取り戻しつつありますが、その間に「ホステス」の雰囲気もずいぶん変わってきた印象です。今回は実際に私が感じた“変化”をお伝えしたいと思います。
◆1週間に1日も出勤させてもらえないことはザラ 東京で4回目の緊急事態宣言が発令された2021年の夏、とうとう在籍していたお店から「次はいつ出勤させてあげられるかわからない」と告げられました。実質的にはクビ宣言です。とほほ。もちろん食べていくアテなんてないので、その日から手あたり次第に職探しをしていました。 まずはお世話になっているお姉さんに相談して、ホステスを募集しているお店を紹介してもらいました。来る日も来る日も面接を受けますが、年齢や容姿がネックに。 「もうちょっと若かったらねえ」 「今はホステスさんが余っているんだよ……誰もが振り返るような美人ならいいんだけど、あなたはちょっと……」 10軒中10軒がそんな感じで、新橋駅の前で途方に暮れていたときなんか本当にひどかったです。 どこかのお店の黒服さんが声をかけてくださったのですが、 「32歳(当時)なんですけど、働けるところありますか?」 と、たずねたら、彼はそそくさと逃げるように立ち去りました(笑)。せめて何か言ってほしかった。 ◆まずは派遣から再出発 毎日17時から19時まで面接を受けて、お店の方に「後日改めてご連絡いたします」と苦笑いで見送られながら新橋駅から電車に乗るんですけど、そうしているうちに2か月が過ぎて、あっと言う間に季節は秋になってしまいました。 無職でいるわけにもいかないので、その頃からは地方の安キャバで働くように。日払いでお金が欲しかったので、さまざまな店の体験入店で糊口をしのいでいました。
安キャバはノルマがないせいか、女の子がユルいというか、競争意識が低く、とても平和でした。でも、お客様の層が銀座とは全く違って、「この1万円でアレとコレとソレもしたいんだ!」と息まいた男性が、本当にクッチャクチャの1万円札を握りしめてやってくるようなところだったので、辛いこともたくさんありました。 11月になると、お店の繁忙期にあわせて求人を出すお店が増えだします。そのタイミングを見計らって、今度は銀座で派遣ホステスとして働き始めました。
◆コロナ以前の銀座は華やかな世界 派遣先のクラブのお話をする前に、コロナ前の歓楽街についてお話しさせてください。リーマンショック後とはいえ、当時の歓楽街にはまだ好景気の茶殻くらいはかろうじて残っていて、とても華やかなものでした。

ところが、コロナが歓楽街を焼け野原にしてしまったのです。 ◆様変わりした歓楽街 派遣先のクラブは銀座の一等地にあって、内装も超豪華。広い店内にはムーディなジャズが流れていて、お客様も芸能人ばっかり……とまではいかないけれど、どの殿方も素敵な方々でした。 12月になるといよいよ忙しくて、色んなお席に着いて楽しくお酒をいただきました。もちろん、他の女の子と一緒に男性を接待します。
こんなことを言い出すといかにも“お局”なんですけど、最近のホステスさんってちょっとどうなんでしょう。 まず、セットサロンに行っていないホステスさんが多すぎます。水菜の先っちょみたいな痛みきった髪を適当にコテで巻いて出勤している子が普通にいます。それからドレスが、結婚式の二次会や授業参観に着ていくやつみたい。パンストも履いていません。 お客様が煙草をくわえていても、グラスが空になっていてもほったらかし。接客に関してもあからさまに素人です。
◆アルバイト感覚のホステスが増加 でも、無理はありません。これまでは、どのホステスもそれなりに良い日給を貰っていたものですが、ここ最近では時給制のお店がほとんどです。いわゆる“プロ”のホステスがあほらしくなって引退してしまっても不思議ではありません。 素人好きのおじさんにとっては今が狙い目かもしれませんが、普通のOLさんや、主婦さんが「生活費の足しに」程度の感覚でアルバイトをしに来ている状況です。 もちろん、私には縁がないだけで、今も高い格調を保って営業している店はたくさんあります。それにしても、コロナ以前の賑やかで元気な歓楽街の姿が恋しい今日この頃です。
<文/みずえちゃん>