今年1月、岸田首相は年頭の施政方針演説で、「児童手当など経済支援の強化」「幼児教育・保育など子育てサービス拡充」「働き方改革の推進と制度充実」の3つを軸とする「異次元の少子化対策」を掲げた。「異次元」という言葉からは、今まで見たことのないような施策や想像を超える角度からのアプローチの登場を期待させる。具体的な内容は6月に決定されるとのことだが、それに先立ち国会で話題にあがった「育休中の学び直し」など頻繁にこれらの事象がツイッターなどでトレンド入りし毎回「炎上」といえるほど議論されている。岸田政権が繰り出す少子化対策はことごとく“世間の怒り”を招いている。いったいなぜなのか、摂南大・堀田裕子教授(現代社会学部就任予定)に語ってもらった。
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2005年の合計特殊出生率が過去最低を記録した「1.26ショック」から15年以上が経った現在、出生数は着実に減少傾向にある。人びとの価値観と生き方が多様化し、出産可能な人口数が減少するなかで子どもを増やすということの難しさを政府はどれだけ認識してきたのか。いやそもそも、人口減少時代における少子化対策のあり方を立ち止まって考えるべきなのかもしれない。
■怒りの要因(1):国民の分断と場当たり的な政策
たとえば、第三号被保険者や児童手当をめぐる議論に明らかであるように、とくに女性のライフコースが多様化・複雑化した現代、誰かに恩恵をもたらす政策が、別の誰かを損した気持ちにさせることが頻繁に起こりうるようになった。損すると思う人々は、得するであろう人々を妬みつつその政策を批判し、SNSがこれを顕在化させる。“世間の怒り”が生じる最大の要因はここにあると思う。
しかも、ここ最近は場当たり的な政策が目につく。政府は新たな政策の登場をにおわせて、国民のSNS上の反応を見て判断しているような節もある。こうした場当たり的な政策が、国民の分断をさらに深めているように思われる。
最近の例を見てみる。育児・介護休業法はこの1年で2度改正された。2022年4月から、雇用主に雇用環境整備の義務が課せられ、有期雇用労働者の取得要件が緩和された。同年10月からは、「出生児育児休業(産後パパ育休)」が創設され、育児休業を分割して取得することができるようになった。改正前に出産し、有期雇用で育休が取れなかった女性や配偶者の育児休業が取得できなかった世帯は、今の状況を羨んでいるであろう。また、出産育児一時金は2006年以降、徐々に増額され、児童手当(子ども手当)は2010年以降、年によって金額が異なるだけでなく、所得制限があったりなかったりした。いつ出産したかで受けられる恩恵は異なる。これが損得勘定をもたらし、恩恵を受けた子育て世帯/受けられなかった世帯、という分断を深めているのではないだろうか。分断は、専業主婦/兼業主婦、正規雇用/非正規雇用、さらには子どもの数という軸でも進んでいる。
また、恩恵を受けられなかった世代は、子どもがすでに成人となりサービスの対象外となれば、子育て支援政策に反対する立場に転じる可能性が高い。なぜなら「自分の時にはそんな恩恵は受けられなかった」からであり、自身が収めている税金が使われることになるからだ。だが、こうした分断によって国民は統一した意思を持ちづらくなり、場当たり的な政策がますます登場しやすくなる。
■分断解消のために何が必要か
こうした分断を少しでも解消していくために、まずは、日本の将来設計を示し、矛盾や齟齬(そご)のないよう進めていくという当たり前のことが必要である。たとえば、子育てを巡る議論のなかでおそらく最も根深い分断が生じている、フルタイム共働き子育て世帯とそうでない世帯について。
そもそもフルタイム共働き子育て世帯は、高所得とは限らない(タワマンに住み高級外車を乗り回しているような人はかなり稀である)。仮に高所得であっても、それに応じた税金を納めていることも忘れてはなるまい。また、保育料や高等教育費は応能負担になっていることに加え、時間に余裕のない世帯は食費などもかさみがちで、総じて結構な支出を強いられている。これらを踏まえると、少なくとも子どものための現金給付・現物給付に関しては所得制限を設けるべきではないだろう。
そして、「~万円の壁」を意識しながら働く人びとや専業主婦(夫)の世帯については、岸田政権が提言している、仕事に復帰したい人や新たに仕事を始めたい人のための環境整備を、子育て支援と並行して早急に実施することが必要だろう。現状では、仮にリスキリングで知識と技能を身につけたとしても長年、無職やパート・アルバイトだった人や一定の年齢を超えた人が、正規雇用されるなり安定した職に就くなりすることは難しい。分断された向こう側とこちら側とを行き来できる、リスキリングに意義のある社会を構想していかねばならない。
■怒りの要因(2):政府と国民との感覚のズレ
次々と繰り出される少子化対策に対して“世間の怒り”が生じるもうひとつの大きな要因は、少子化対策をめぐる政権内部の人々と一般の人々との感覚のズレだと思う。
たとえば、国の政策方針と人々の生活感覚とのズレ。少子化対策や女性活躍推進といった形で、子育てを応援し共働きを推奨する方針とは裏腹に、実際にそれを実現している人々は「子育て罰」「働き損」といった実感を持っている。女性に限らず、どんな立場の人にも、産まなければよかった、働かなければよかったなどと決して思わせない社会をつねに構想していかなければならない。
また、子を産むことをめぐる時間感覚もズレている。人々にとって、子を産むことは年単位どころか月単位、週単位で考えなければならない重大なライフイベントだが、国家にとっては中長期的な目標にすぎない。1.26ショックからすでに15年以上が経過し、政府がのらりくらりと対策を考え場当たり的な政策を繰り出している間に、個々の置かれている状況は刻々と変わっている。今の状況だったら産みたかった、もう少し後になってから産めばよかった、などというタイミングの問題とともに損得勘定ももたらしうる。
そして、日本の未来予想図についてもズレがあるように思う。若者が高齢者を支える図に象徴的であるように、「少子高齢化社会」という枠組のなかで考えれば、少子化対策は超高齢社会を支えるための、いわば国を支える頭数を揃えるための政策である。ところが、将来的にはAIやロボットが台頭し、人間の仕事の大半がなくなるのではないかと言われており、我が子が大人になった時に仕事に就くことができるのかと不安に思っている親も少なくない。
■男女共同参画が遅れている国、日本
こうしたズレが起こる背景には、以前もコメントした、他者の生に対する想像力の欠如がある。政治家も同じ、あるいはそれ以上だ。想像できないのならせめて経験者に聞けばいいのだが、そもそも日本では政策立案の場に女性が非常に少ない。
世界の女性国会議員比率(IPU、2022年1月1日時点、下院ベース)は26.1%であるのに対し、日本はその平均をはるかに下回る9.7%で、G7中最下位、188か国中165位である。もちろん、ただ一定数いればいいということではないが、一定数いなければ優秀な議員も現れにくいだろう。ちなみに、世界の女性管理職比率(ILO,2018年)は27.1%であるのに対し、こちらも日本は平均をはるかに下回る12%で、やはりG7中最下位、189か国中173位である(2019年推計値では、14.7%、167位)。2015年に「女性活躍推進法」が成立してから7年が過ぎたが、女性は人口の半数以上を占めているにもかかわらず、そのほとんどが国や会社を動かす立場にないのだ。
加えて、“一般人”の感覚を持った女性の存在が重要である。2016年に話題になった「保育園落ちた日本死ね」という匿名の声は、女性議員が”一般人”の感覚に耳を傾け国会で取り上げたことで問題解決の道を拓いた好例である。
一般の人々の生活感覚、時間感覚、そして金銭感覚を踏まえた政策が繰り出されなければ、この不満と怒りのループはSNSによって増幅されていくだろう。
■「少子化対策」よりも「子育て支援」や「子ども応援」を
どんな親も、「少子化対策」として子どもを産むわけではない。そして、将来的に人口が減少し人間の仕事も減少するのではないかと言われているなか、“一般的な”親は、自分の子どもが将来、生活に困らないか、仕事に就くことができるかを案じている。子どもを安心して産むためには、手当などによる目先の対策以上に、雇用・労働問題への対策が為されており、年金制度や税制などに関する具体的で安定的な制度設計がされた、明るい未来予想図が必要なのである。
また、「子育て支援」というと、どうしても子育てする親および世帯を支援するという意味合いになるが、支援されるべきはまず子どもであるはずだ。ましてや「子育ての社会化」を目指すのであれば、支援は親や世帯に対してではなく、子どもに対して行うんだという意識を持つべきであろう。
たとえば、愛知県の豊山町は「子ども応援課」という名称を用い、まさに社会で子どもを育てるという理念に基づいて事業を進めている。為政者は、こうした子育てについての強く明確な理念と信念を持つべきだと思う。
政府には「少子化対策」に含まれるさまざまなズレに目を瞑らないでほしい。そして、産もうと決めたタイミングで産めるわけではないということ、また、誰でも希望する子ども数を産めるわけではないという当たり前のことにも。
◆堀田 裕子(ほった・ゆうこ) 摂南大教授(現代社会学部就任予定)。東京外国語大卒業後、名古屋大国際開発研究科で修士(学術)、同大学人間情報学研究科で博士(学術)の学位取得。専門社会調査士。愛知学泉大学現代マネジメント学部教授などを経て現職。専門は身体の社会学、ジェンダー研究、ビデオ・エスノグラフィー。