子どもを虐待してしまう親の中には、児童相談所で「虐待なんかしていません」と自分の行為を認められず、子どものための話し合いもままならない人もいるという。そうした親と「対話」し、困難を抱える親と子が親子関係を再構築するための支援を行っているのが、元児童相談所の職員で、現在は認定NPO法人チャイルド・リソース・センター代表理事を務める宮口智恵氏だ。
【写真】この記事の写真を見る(2枚) ここでは、宮口氏の著書『虐待したことを否定する親たち 孤立する親と子を再びつなげる』(PHP新書)より一部を抜粋。宮口氏が親子への支援が必要と考える理由を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

※本記事に登場する事例は、複数の事例を参考にして作成した架空ケースです。写真はイメージ AFLO◆◆◆今日、誰を頼りにしたらいいの? 私は現在、NPO法人で、困難を抱える親と子に、親子関係を再構築するための支援を行っています。このNPO法人を始める前には、児童相談所の児童福祉司として働いていました。 児童相談所は虐待のほか、不登校、非行、障がいなど、子どもに関するあらゆる相談に対応する行政機関です。児童福祉法に基づいて設置が義務付けられ、全国に229ヵ所(2022年、7月1日現在)あります。 児童相談所についてよく知られているのは「一時保護」ではないでしょうか。児童相談所では虐待など子どもが危険な状況だと判断した時に、子どもの安全を守るために、親から分離し一時保護する必要があります。 このようにして一時保護された子どもは、一時保護所という児童相談所に併設されている専門施設、または乳児院、児童養護施設や里親などに一時保護を委託されて過ごします。子どもは全く知らない場所である一時保護所や委託先の施設で、他の子どもたちとの共同の生活を送ることになります。 私は過去児童相談所で、「親子が分離される場面」に多く立ち会ってきました。そして、現在はNPOで分離後の「親子がやり直していく」お手伝いをしています。児相とNPOで働いた年数が今年でちょうど同じ15年になりました。これまで合わせて1000人以上の親子に出会っています。 そして今思うことは、『目の前の1組の親子をしっかり見ること』 が、親子支援の原点だということです。 児童相談所で勤務していた頃、常時、1人の児童福祉司が80~100件ほどケースを担当している状況でした。とにかく毎日起こる緊急な出来事を最優先していかないと1日が終わりません。「1組の親子を丁寧に支援している余裕なんてない。そんな悠長なことは言わないで」。当時の私からの反論の声が聞こえます。でも、その当時の私に言ってあげたい。 だからこそ、まずは目の前の1組の親子を見ることからだ、と。「今日、ボク(ワタシ)は誰を頼りにしたらいいの?」 今もなお、虐待を受けた子どもたちの声が聴こえてきます。「子ども虐待は、関係性という文脈で起こる事象である」(酒井 2021)と言われています。親自身の個人的要因、子どもの特性などの要因、そして親子の関係のあり方、貧困やその親子を取り巻く周囲の環境の要因が複合的に重なった時に、虐待が起こります。その時、子どもは最も頼るべき親に、守ってもらうどころか、逆に恐怖を覚えています。 そして、その恐怖を与えている親自身も、実は恐怖を抱えているのです。親にも子どもにも頼れる人が周りに誰もいません。親自身も「今、自分は誰を頼りにしたらいいの?」なのです。「もう、疲れた、無理……」 次の場面は、施設入所中の子どもと親に向けたCRCがつくった親子関係再構築のプログ ラム“ふぁり”を、ある親子が開始して、5カ月経った頃のプログラムの一場面です。〈〈2歳の春くんとお母さんの静香さん〉 静香さんは、久しぶりの春くんとの面会にドキドキしながら児相の待合室に向かいました。待合室で遊んでいた春くんは静香さんの顔を一瞬見ると顔を背け、一緒に来た担当保育士さんにしがみつきます。静香さんは肩を落としつつ、ちらっとこちらを見て、春くんに手を伸ばします。「イヤーっ」 と、春くんはさらに静香さんから顔を背けます。彼女は一瞬、眉をひそめて再びこちらを見ます。ですが静香さんは頷いたのち、今度は覚悟をもって春くんのほうに体を向けました。「春くん、ママ、会いに来たよ。久しぶりだもんね。びっくりしたね。ママと一緒に遊ぼうね」 と春くんをしっかりと抱きかかえます。でも、春くんは泣き続けます。 静香さんは泣きじゃくる春くんの背中を、優しくとんとんと叩き、「春くん……」とわが子の名を呼びます。すると、春くんが顔を上げて“あっ”という表情をして、「ママ」と小さい声でつぶやきます。彼女はその顔をじっと見て、「そうだよ、ママよ、思い出した?」 と顔をほころばせます。再び静香さんを見た春くんは彼女にぎゅっと自分からしがみつきます。今度は“これだ”という確信に満ちた顔で。「春くん、ママよ!」静香さんの口元が緩み、こちらを向きます。〈見てた?〉という視線に思わず、スタッフは大きく頷きます。〉 春くんはこの1年ほど前に一時保護され、ある施設に入所しました。理由は身体的虐待。静香さんがずっと泣き止まない春くんを叩き、思わず布団をかぶせてしまったのです。その 時、静香さんは自分から保健師さんに電話しました。「もう、疲れた、無理……」 保健師さんは「お母さん、少し休息したほうがいいです」と言って児童相談所に連絡し、やがて子どもが保護されることになったと静香さんは語りました。何かがプツンと切れた瞬間 生まれたての春くんを病院から自宅に連れ帰った時も、静香さんは1人でした。夫は宅配 の仕事の残業が続き、大切なその日も不在でした。 自宅に帰ってからは1人での子育てが始まります。春くんは敏感な性格で、ちょっとした物音がしただけで泣いてしまいます。そしてミルクも上手に飲んでくれません。やっと飲んでくれたと思ったら、吐いてしまったり……。彼女は嘔吐物にまみれたベビー服を脱がせようとしますが、春くんは嫌がります。「この子は私に嫌がらせをしている」 という思いを拭うことができず、静香さんは涙が止まりませんでした。どうしたらいいのかわからず、途方に暮れる静香さん。しかし、自分の親に相談することは絶対にできません。相談しても「あなたがちゃんとしていないから」「そもそも結婚に反対だった」と父母に怒られるだけです。 春くんと2人だけで家にいることが怖くなり、日中はショッピングモールをウロウロすることが多くなりました。春くんは、ベビーカーの中では寝てくれるのです。それに外にいれ ば、あまり孤独も感じずに済みます。 しかし、12月のある日のことでした。その日は特に寒い日で、ずっと外にいることはできませんでした。ショッピングモールから帰り、玄関に入って2人きりになった途端、春くんの「大泣き」が始まったのです。そして夫からの「何時に帰れるかわからない」とのLINE。静香さんの中の何かがプツンと切れ、激しい気持ちが一挙に春くんに向かいました。 気がつくと布団をかぶせていました。 プログラム開始当初、静香さんは春くんに大泣きされ、「この子は自分じゃなくて施設の先生がいいんだ……」と涙しました。 前述の場面はプログラムでの親子交流時間や面会を重ねた末の瞬間でした。春くんと静香さんの人生にとって、1つの転機になった1コマだといえます。そして私たちはこの1コマの証人になりました。「今日、誰を頼りにしたらいいの?」 実は静香さんも、子ども時代にはそんな思いを抱えていました。良き「親」のモデルを、両親から学ぶことができなかったのです。しかし今、彼女は「春くんの話を聴いてあげられる親になりたい」と語ります。虐待=犯罪者? 虐待による死亡事件は、その残酷さが強調され、センセーショナルに扱われます。加害者である親を糾弾し、保護機関である児童相談所や市町村が対応を怠ったとし責任追及する構図がお決まりのものになっています。そして「犯罪」としての虐待の事実のみがクローズアップされます。 多くの人は児童虐待の報道に接した時、虐待の内容があまりに残虐で、被害にあった子どもの日常を想像するだけで苦しくなり、目を背けたくなります。そして、これらの事件は自分とは違う世界のことと見なし、「世の中にはこんなひどい親がいるんだ」と眉をひそめ、それ以上そのニュースと関わろうとはしません。もしくは激しい憎悪を抱き、親だけでなく、命を守れなかった行政も強く糾弾します。 報道された後、児相への苦情の電話が鳴りやまず、児相での日常業務がたちゆかなくなったという事例もよく聞かれます。 2018年に東京都目黒区で起きた結愛ちゃんの虐待死事件の後、新聞の読者投稿欄で「あんなひどい親たちに育てられるくらいなら、私が育ててあげたかった。あの親には罰を与えて……」という内容の投稿を読んだ記憶があります。 子どもを殺め、傷つけた親を「厳しく罰したい」という強烈な処罰感情、「許せない」という思いは誰もが当然持つ感情でしょう。しかし、それだけでは、真実が見えません。その子の死も浮かばれません。 この家族には、父から母へのDVがあり、母は結愛ちゃんを守りたかったのに守れない状況にありました。 報告されている虐待死亡事例は年間約66件(第18次報告)です。虐待の年間相談対応件数が20万件とした場合、その割合は0.03%程度と推定されます。 しかし、怖いのは報道される死亡事件により「虐待」のイメージが固定化されてしまうことです。虐待通告などにより、児相と関係を持つようになった親たちも、自身がまるですでに「犯罪者」のレッテルを貼られているように感じます。しかし、子どもにとっては、大切な親であり続ける人たちなのです。その後も子どもと親の人生が続いていくのです。親を罰するだけでは、何も始まらない 先に書いた春くんの親子もそうでした。静香さんは、自分が犯罪者のような虐待者だと社会から見られているのではないかと傷ついていました。そして、子どもを傷つけたことはあるけれど、自分自身を「虐待をした親」とは思っていませんでした。みなさんは静香さんを「加害者」として糾弾したくなるでしょうか。 子どもの安心安全を守るために、子どもに危害を与える親から、子どもを引き離す選択は間違ってはいません。しかし、果たしてそれだけで子どもは幸せになれるでしょうか。 親を罰するだけでは、何も始まりません。「自分だけはこの子の味方でいたい」「皆に可愛がってもらえたら」「優しい子に育ってほしい」「私みたいにならないで」 これらはこれまで私が出会った「虐待した」親たちの願いです。虐待を理由に子どもを保護された親たちは、実は「こんな親になりたい」、「こんな子どもに育ってほしい」という願いを持っているのです。しかし、外からその願いはなかなか見えません。実は、この願いこそ、親として育つための「種」です。 種を見つけ、それを一緒に育てる。 改めてこう書くと気づきます。種だけでは育たないことに。種を見つけ、「一緒」に育てる誰かが要るのです。 最初から子どもを傷つけようと思う親はいません。前述の親の中にある「種」を育てるために、分離することになった親と子に対して、離れた瞬間から親子関係再構築への支援が必要なのです。春くん親子のように。 この子どもと親に、いったい何があったのか。 まず、目の前の1組の親子を知る。そこからがスタートです。(#2に続く)「避妊をしなかった父親は不在」「罪に問われるのは母親のみ」後を絶たない“乳児遺棄事件”の本質的な問題とは へ続く(宮口 智恵/Webオリジナル(外部転載))
ここでは、宮口氏の著書『虐待したことを否定する親たち 孤立する親と子を再びつなげる』(PHP新書)より一部を抜粋。宮口氏が親子への支援が必要と考える理由を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
※本記事に登場する事例は、複数の事例を参考にして作成した架空ケースです。
写真はイメージ AFLO
◆◆◆
私は現在、NPO法人で、困難を抱える親と子に、親子関係を再構築するための支援を行っています。このNPO法人を始める前には、児童相談所の児童福祉司として働いていました。
児童相談所は虐待のほか、不登校、非行、障がいなど、子どもに関するあらゆる相談に対応する行政機関です。児童福祉法に基づいて設置が義務付けられ、全国に229ヵ所(2022年、7月1日現在)あります。
児童相談所についてよく知られているのは「一時保護」ではないでしょうか。児童相談所では虐待など子どもが危険な状況だと判断した時に、子どもの安全を守るために、親から分離し一時保護する必要があります。
このようにして一時保護された子どもは、一時保護所という児童相談所に併設されている専門施設、または乳児院、児童養護施設や里親などに一時保護を委託されて過ごします。子どもは全く知らない場所である一時保護所や委託先の施設で、他の子どもたちとの共同の生活を送ることになります。
私は過去児童相談所で、「親子が分離される場面」に多く立ち会ってきました。そして、現在はNPOで分離後の「親子がやり直していく」お手伝いをしています。児相とNPOで働いた年数が今年でちょうど同じ15年になりました。これまで合わせて1000人以上の親子に出会っています。
そして今思うことは、
『目の前の1組の親子をしっかり見ること』
が、親子支援の原点だということです。
児童相談所で勤務していた頃、常時、1人の児童福祉司が80~100件ほどケースを担当している状況でした。とにかく毎日起こる緊急な出来事を最優先していかないと1日が終わりません。「1組の親子を丁寧に支援している余裕なんてない。そんな悠長なことは言わないで」。当時の私からの反論の声が聞こえます。でも、その当時の私に言ってあげたい。
だからこそ、まずは目の前の1組の親子を見ることからだ、と。
「今日、ボク(ワタシ)は誰を頼りにしたらいいの?」
今もなお、虐待を受けた子どもたちの声が聴こえてきます。「子ども虐待は、関係性という文脈で起こる事象である」(酒井 2021)と言われています。親自身の個人的要因、子どもの特性などの要因、そして親子の関係のあり方、貧困やその親子を取り巻く周囲の環境の要因が複合的に重なった時に、虐待が起こります。その時、子どもは最も頼るべき親に、守ってもらうどころか、逆に恐怖を覚えています。
そして、その恐怖を与えている親自身も、実は恐怖を抱えているのです。親にも子どもにも頼れる人が周りに誰もいません。親自身も「今、自分は誰を頼りにしたらいいの?」なのです。
次の場面は、施設入所中の子どもと親に向けたCRCがつくった親子関係再構築のプログ ラム“ふぁり”を、ある親子が開始して、5カ月経った頃のプログラムの一場面です。
〈〈2歳の春くんとお母さんの静香さん〉

静香さんは、久しぶりの春くんとの面会にドキドキしながら児相の待合室に向かいました。待合室で遊んでいた春くんは静香さんの顔を一瞬見ると顔を背け、一緒に来た担当保育士さんにしがみつきます。静香さんは肩を落としつつ、ちらっとこちらを見て、春くんに手を伸ばします。

「イヤーっ」

と、春くんはさらに静香さんから顔を背けます。彼女は一瞬、眉をひそめて再びこちらを見ます。ですが静香さんは頷いたのち、今度は覚悟をもって春くんのほうに体を向けました。

「春くん、ママ、会いに来たよ。久しぶりだもんね。びっくりしたね。ママと一緒に遊ぼうね」
と春くんをしっかりと抱きかかえます。でも、春くんは泣き続けます。 静香さんは泣きじゃくる春くんの背中を、優しくとんとんと叩き、「春くん……」とわが子の名を呼びます。すると、春くんが顔を上げて“あっ”という表情をして、「ママ」と小さい声でつぶやきます。彼女はその顔をじっと見て、「そうだよ、ママよ、思い出した?」 と顔をほころばせます。再び静香さんを見た春くんは彼女にぎゅっと自分からしがみつきます。今度は“これだ”という確信に満ちた顔で。「春くん、ママよ!」静香さんの口元が緩み、こちらを向きます。〈見てた?〉という視線に思わず、スタッフは大きく頷きます。〉
と春くんをしっかりと抱きかかえます。でも、春くんは泣き続けます。

静香さんは泣きじゃくる春くんの背中を、優しくとんとんと叩き、「春くん……」とわが子の名を呼びます。すると、春くんが顔を上げて“あっ”という表情をして、「ママ」と小さい声でつぶやきます。彼女はその顔をじっと見て、

「そうだよ、ママよ、思い出した?」

と顔をほころばせます。再び静香さんを見た春くんは彼女にぎゅっと自分からしがみつきます。今度は“これだ”という確信に満ちた顔で。「春くん、ママよ!」静香さんの口元が緩み、こちらを向きます。〈見てた?〉という視線に思わず、スタッフは大きく頷きます。〉
春くんはこの1年ほど前に一時保護され、ある施設に入所しました。理由は身体的虐待。静香さんがずっと泣き止まない春くんを叩き、思わず布団をかぶせてしまったのです。その 時、静香さんは自分から保健師さんに電話しました。
「もう、疲れた、無理……」
保健師さんは「お母さん、少し休息したほうがいいです」と言って児童相談所に連絡し、やがて子どもが保護されることになったと静香さんは語りました。
生まれたての春くんを病院から自宅に連れ帰った時も、静香さんは1人でした。夫は宅配 の仕事の残業が続き、大切なその日も不在でした。
自宅に帰ってからは1人での子育てが始まります。春くんは敏感な性格で、ちょっとした物音がしただけで泣いてしまいます。そしてミルクも上手に飲んでくれません。やっと飲んでくれたと思ったら、吐いてしまったり……。彼女は嘔吐物にまみれたベビー服を脱がせようとしますが、春くんは嫌がります。
「この子は私に嫌がらせをしている」
という思いを拭うことができず、静香さんは涙が止まりませんでした。どうしたらいいのかわからず、途方に暮れる静香さん。しかし、自分の親に相談することは絶対にできません。相談しても「あなたがちゃんとしていないから」「そもそも結婚に反対だった」と父母に怒られるだけです。
春くんと2人だけで家にいることが怖くなり、日中はショッピングモールをウロウロすることが多くなりました。春くんは、ベビーカーの中では寝てくれるのです。それに外にいれ ば、あまり孤独も感じずに済みます。
しかし、12月のある日のことでした。その日は特に寒い日で、ずっと外にいることはできませんでした。ショッピングモールから帰り、玄関に入って2人きりになった途端、春くんの「大泣き」が始まったのです。そして夫からの「何時に帰れるかわからない」とのLINE。静香さんの中の何かがプツンと切れ、激しい気持ちが一挙に春くんに向かいました。
気がつくと布団をかぶせていました。
プログラム開始当初、静香さんは春くんに大泣きされ、「この子は自分じゃなくて施設の先生がいいんだ……」と涙しました。
前述の場面はプログラムでの親子交流時間や面会を重ねた末の瞬間でした。春くんと静香さんの人生にとって、1つの転機になった1コマだといえます。そして私たちはこの1コマの証人になりました。
「今日、誰を頼りにしたらいいの?」
実は静香さんも、子ども時代にはそんな思いを抱えていました。良き「親」のモデルを、両親から学ぶことができなかったのです。しかし今、彼女は「春くんの話を聴いてあげられる親になりたい」と語ります。
虐待による死亡事件は、その残酷さが強調され、センセーショナルに扱われます。加害者である親を糾弾し、保護機関である児童相談所や市町村が対応を怠ったとし責任追及する構図がお決まりのものになっています。そして「犯罪」としての虐待の事実のみがクローズアップされます。
多くの人は児童虐待の報道に接した時、虐待の内容があまりに残虐で、被害にあった子どもの日常を想像するだけで苦しくなり、目を背けたくなります。そして、これらの事件は自分とは違う世界のことと見なし、「世の中にはこんなひどい親がいるんだ」と眉をひそめ、それ以上そのニュースと関わろうとはしません。もしくは激しい憎悪を抱き、親だけでなく、命を守れなかった行政も強く糾弾します。
報道された後、児相への苦情の電話が鳴りやまず、児相での日常業務がたちゆかなくなったという事例もよく聞かれます。
2018年に東京都目黒区で起きた結愛ちゃんの虐待死事件の後、新聞の読者投稿欄で「あんなひどい親たちに育てられるくらいなら、私が育ててあげたかった。あの親には罰を与えて……」という内容の投稿を読んだ記憶があります。
子どもを殺め、傷つけた親を「厳しく罰したい」という強烈な処罰感情、「許せない」という思いは誰もが当然持つ感情でしょう。しかし、それだけでは、真実が見えません。その子の死も浮かばれません。
この家族には、父から母へのDVがあり、母は結愛ちゃんを守りたかったのに守れない状況にありました。
報告されている虐待死亡事例は年間約66件(第18次報告)です。虐待の年間相談対応件数が20万件とした場合、その割合は0.03%程度と推定されます。
しかし、怖いのは報道される死亡事件により「虐待」のイメージが固定化されてしまうことです。虐待通告などにより、児相と関係を持つようになった親たちも、自身がまるですでに「犯罪者」のレッテルを貼られているように感じます。しかし、子どもにとっては、大切な親であり続ける人たちなのです。その後も子どもと親の人生が続いていくのです。
親を罰するだけでは、何も始まらない 先に書いた春くんの親子もそうでした。静香さんは、自分が犯罪者のような虐待者だと社会から見られているのではないかと傷ついていました。そして、子どもを傷つけたことはあるけれど、自分自身を「虐待をした親」とは思っていませんでした。みなさんは静香さんを「加害者」として糾弾したくなるでしょうか。 子どもの安心安全を守るために、子どもに危害を与える親から、子どもを引き離す選択は間違ってはいません。しかし、果たしてそれだけで子どもは幸せになれるでしょうか。 親を罰するだけでは、何も始まりません。「自分だけはこの子の味方でいたい」「皆に可愛がってもらえたら」「優しい子に育ってほしい」「私みたいにならないで」 これらはこれまで私が出会った「虐待した」親たちの願いです。虐待を理由に子どもを保護された親たちは、実は「こんな親になりたい」、「こんな子どもに育ってほしい」という願いを持っているのです。しかし、外からその願いはなかなか見えません。実は、この願いこそ、親として育つための「種」です。 種を見つけ、それを一緒に育てる。 改めてこう書くと気づきます。種だけでは育たないことに。種を見つけ、「一緒」に育てる誰かが要るのです。 最初から子どもを傷つけようと思う親はいません。前述の親の中にある「種」を育てるために、分離することになった親と子に対して、離れた瞬間から親子関係再構築への支援が必要なのです。春くん親子のように。 この子どもと親に、いったい何があったのか。 まず、目の前の1組の親子を知る。そこからがスタートです。(#2に続く)「避妊をしなかった父親は不在」「罪に問われるのは母親のみ」後を絶たない“乳児遺棄事件”の本質的な問題とは へ続く(宮口 智恵/Webオリジナル(外部転載))
先に書いた春くんの親子もそうでした。静香さんは、自分が犯罪者のような虐待者だと社会から見られているのではないかと傷ついていました。そして、子どもを傷つけたことはあるけれど、自分自身を「虐待をした親」とは思っていませんでした。みなさんは静香さんを「加害者」として糾弾したくなるでしょうか。
子どもの安心安全を守るために、子どもに危害を与える親から、子どもを引き離す選択は間違ってはいません。しかし、果たしてそれだけで子どもは幸せになれるでしょうか。
親を罰するだけでは、何も始まりません。
「自分だけはこの子の味方でいたい」
「皆に可愛がってもらえたら」
「優しい子に育ってほしい」
「私みたいにならないで」
これらはこれまで私が出会った「虐待した」親たちの願いです。虐待を理由に子どもを保護された親たちは、実は「こんな親になりたい」、「こんな子どもに育ってほしい」という願いを持っているのです。しかし、外からその願いはなかなか見えません。実は、この願いこそ、親として育つための「種」です。
種を見つけ、それを一緒に育てる。
改めてこう書くと気づきます。種だけでは育たないことに。種を見つけ、「一緒」に育てる誰かが要るのです。
最初から子どもを傷つけようと思う親はいません。前述の親の中にある「種」を育てるために、分離することになった親と子に対して、離れた瞬間から親子関係再構築への支援が必要なのです。春くん親子のように。
この子どもと親に、いったい何があったのか。
まず、目の前の1組の親子を知る。そこからがスタートです。(#2に続く)
「避妊をしなかった父親は不在」「罪に問われるのは母親のみ」後を絶たない“乳児遺棄事件”の本質的な問題とは へ続く
(宮口 智恵/Webオリジナル(外部転載))