日本は治安がよいと長らく言われてきたとおり、世論調査によると、日本は安全、・安心な国だと85.1%が思っている。ところが、同調査では、ここ10年で日本の治安は悪くなったと思っている人が54.5%となった(令和4年3月「治安に関する世論調査」)。ライターの森鷹久氏が、治安の悪化を感じる事件のひとつ「ぶつかり男」被害の深刻さについてレポートする。
【写真】エスカレーターでも「ぶつかり男」が出現している * * * 2022年末、東京・渋谷のセンター街を歩く女性にわざとぶつかっていく男の様子が撮影された映像がSNSで拡散され、話題になった。男は撮影の直後、現場に臨場した警察官によって身柄を確保され、その後逮捕されるとテレビニュースでも取りあげられた。騒動を取材したキー局社会部記者が振り返る。

「逮捕された男は、混雑しているわけでもない通りで、二人で歩いていた女性の片方に急にぶつかっていき、驚いて立ち止まった女性にさらにもう一度体を強くぶつけました。両者に面識はなかったとみられ、男はいわゆる”当たり屋”的な行動をとっていたのではないかと思われます。こういった”ぶつかり男”は、都内のあちこちで目撃されていて、他に複数いるとみられています」(キー局社会部記者) 実際、SNSで検索すると、都内をはじめ、全国の繁華街やターミナル駅などで「ぶつかり男」の被害に遭ったとか、そういう男を見かけたという書き込みが複数散見される。何人かの書き込み主にコンタクトを取ったところ、複数人が匿名を条件に取材に応じた。「私が被害に遭ったのは、JRの新宿駅構内です。まっすぐに歩くのが困難なくらい混雑していたんですが、急に目の前に男性が現れて、思い切り肩をぶつけられました。驚きと痛みでその場に立ち尽くしていたのですが、男性は他の女性にもぶつかっていて、故意なのは明らかでした。すぐ近くの交番に駆け込んだのですが、すでに男性の姿は消えてしまった」 こう話すのは、都内の大手保険会社勤務・辻川ゆかりさん(仮名・30代)。被害にあったのは昨年夏のことだというが、SNSで見たことがあった「ぶつかり男」の被害にまさか自分が遭うとは思わず、それ以降、人混みが怖くなったという。「人混みを避けて遠回りをしたり、できるだけ道の端を歩くようにしていますが、またこの前の男性みたいな人がぶつかってくるんじゃないかと思うと怖くてたまらない。ぶつかってきた男性は小柄でしたが、力はとても強く、一歩間違っていたらケガを負っていたはずです。本当に怖い」(辻川さん) 同じ渋谷区内で駐輪場管理人として働く佐々木晴雄さん(仮名・70代)も、近くの人通りの多い歩道で、ぶつかり男を複数回目撃している。「若い人が歩きスマホをするでしょ? 最初はそれが原因でぶつかる人が多いんだと思っていたんです。ところが、毎日のようにぶつかったぶつかってないとモメている男がいて、どうしたんだと詳しく話を聞くと、その男はどうも”ぶつかり”の常習犯だったらしいんです。歩きスマホの若い女性にぶつかっていって、女性がスマホを落としても知らん顔、女性も歩きスマホだから強く言えなかったようですね。結局男はいつの間にかいなくなったけど、何人もの女の人たちが、それこそ、女子中学生みたいな若い子からおばあさんまで被害に遭っていて、気の毒だと思ったね」(佐々木さん)駅名を見ただけで、怖い思いが頭をよぎる 取材を進めると、都内だけでなく、全国各地に「ぶつかり男」が出没していることも判明。例えば「満員電車の中で、わざと他の客にぶつかる男がいる(愛知県・40代女性)」「デパートのエレベーターの入り口に立ち、降りてくる女性にぶつかっていく男がいる(広島県・20代女性)」、さらに「エスカレーターに止まって乗っていると、駆け上がっていく男性がわざと肩をぶつけてきた」などといった声があるが、全てに共通するのは、ぶつかってくるのは「男性」であり、被害に遭っているのが「女性」である、ということだ。前出のキー局社会部記者が続ける。「ぶつかり男が卑劣なのは、女性を狙い撃ちにしているということです。ぶつかり男は間違っても、男性にはぶつかっていかない。相手が強ければトラブルになっても負けるので、絶対に負けない女性、何も反論して来なさそうな女性を狙うのです。本当に卑劣です」(キー局社会部記者)「ぶつかり」は、力の強い男性が、力の弱い女性を狙った悪質すぎる犯行というわけだが、筆者に情報を寄せてくれた埼玉県在住の女性看護師・Aさん(20代)は、東京23区内の某ターミナル駅構内で「ぶつかり」被害だけでなく、信じられないような経験をしたと、声を震わせながら明かす。「その駅の通路は人が多く、風俗店などのキャッチが多いことでも知られており、本当は通るのも嫌でしたが、通らざるを得ない場所でした」(女性看護師・Aさん) Aさんはその日、所用で某ターミナル駅を利用したが、この日もいつものように「お姉さん、夜職どうですか」などと違法なキャッチに声をかけられた。これまでは無視していればそれで良かったが、無視を続けていると、キャッチが「ブス」とか「ババア」とか、Aさんに聞こえるように叫んでくるようになっていたという。通報があったのか、そういった悪質なキャッチの姿が消えた時期もあるが、この一年ほどでまた復活し、今度は罵声を浴びせるだけでなく、女性にぶつかってくるようにもなったという。「怒鳴られるだけでも相当な怖い思いをするのに、いきなり”おらっ”といってぶつかってこられて、腕に打ち身ができました。警察にも相談しましたが、相手が故意かどうかの判別が難しいといわれ、泣き寝入りするしかない。それ以降、あの駅は使っていません。駅名を見ただけで、怖い思いが頭をよぎるんです」(女性看護師・Aさん) 予測ができない「ぶつかり男」の犯行だからこそ、防御のしようも無い。さらに、Aさんが相談した警察に言われたように、事後では故意かどうか判別が難しく、たいていは泣き寝入りするしかない。被害者だけがいつまでも苦しめられる様子は、痴漢被害とよく似ている。 被害者が救われづらい、ぶつかり男被害だが、昨今では、事件の目撃者達が一部始終をスマホで撮影するなどした映像がネット上で拡散される事例が出てきたことで、ぶつかり男優位の状況が一変するかも知れないという期待もある。私刑につながることだけは避けねばならないが、注意喚起になり、犯人の検挙に繋がることもあるだろう。 ぶつかり男の被害に遭うのは、天変地異に遭遇するようなものかもしれない。だから被害者には何の非もない。「そんな危ない場所に行く方が悪い」「夜、出歩くのが悪い」「悪意にとらえる女性がおかしい」など、被害者に非があるかのような言説が少数とはいえ必ず出現するが、それは歪んだ認知なので無視すればよい。ぶつかり男は男性には何もしないという特性が知られるようになったからか、最近は、とっさに被害を邪魔してくれる通りすがりの男性も少なからずいるともいう。理不尽な犯罪の被害者になると、世の中すべてが自分に対して悪意だらけのように感じるときもあるかもしれない。彼女たちが再び笑顔で街を歩けるようになる社会の力が、今の日本にはまだあると思いたい。
* * * 2022年末、東京・渋谷のセンター街を歩く女性にわざとぶつかっていく男の様子が撮影された映像がSNSで拡散され、話題になった。男は撮影の直後、現場に臨場した警察官によって身柄を確保され、その後逮捕されるとテレビニュースでも取りあげられた。騒動を取材したキー局社会部記者が振り返る。
「逮捕された男は、混雑しているわけでもない通りで、二人で歩いていた女性の片方に急にぶつかっていき、驚いて立ち止まった女性にさらにもう一度体を強くぶつけました。両者に面識はなかったとみられ、男はいわゆる”当たり屋”的な行動をとっていたのではないかと思われます。こういった”ぶつかり男”は、都内のあちこちで目撃されていて、他に複数いるとみられています」(キー局社会部記者)
実際、SNSで検索すると、都内をはじめ、全国の繁華街やターミナル駅などで「ぶつかり男」の被害に遭ったとか、そういう男を見かけたという書き込みが複数散見される。何人かの書き込み主にコンタクトを取ったところ、複数人が匿名を条件に取材に応じた。
「私が被害に遭ったのは、JRの新宿駅構内です。まっすぐに歩くのが困難なくらい混雑していたんですが、急に目の前に男性が現れて、思い切り肩をぶつけられました。驚きと痛みでその場に立ち尽くしていたのですが、男性は他の女性にもぶつかっていて、故意なのは明らかでした。すぐ近くの交番に駆け込んだのですが、すでに男性の姿は消えてしまった」
こう話すのは、都内の大手保険会社勤務・辻川ゆかりさん(仮名・30代)。被害にあったのは昨年夏のことだというが、SNSで見たことがあった「ぶつかり男」の被害にまさか自分が遭うとは思わず、それ以降、人混みが怖くなったという。
「人混みを避けて遠回りをしたり、できるだけ道の端を歩くようにしていますが、またこの前の男性みたいな人がぶつかってくるんじゃないかと思うと怖くてたまらない。ぶつかってきた男性は小柄でしたが、力はとても強く、一歩間違っていたらケガを負っていたはずです。本当に怖い」(辻川さん)
同じ渋谷区内で駐輪場管理人として働く佐々木晴雄さん(仮名・70代)も、近くの人通りの多い歩道で、ぶつかり男を複数回目撃している。
「若い人が歩きスマホをするでしょ? 最初はそれが原因でぶつかる人が多いんだと思っていたんです。ところが、毎日のようにぶつかったぶつかってないとモメている男がいて、どうしたんだと詳しく話を聞くと、その男はどうも”ぶつかり”の常習犯だったらしいんです。歩きスマホの若い女性にぶつかっていって、女性がスマホを落としても知らん顔、女性も歩きスマホだから強く言えなかったようですね。結局男はいつの間にかいなくなったけど、何人もの女の人たちが、それこそ、女子中学生みたいな若い子からおばあさんまで被害に遭っていて、気の毒だと思ったね」(佐々木さん)
取材を進めると、都内だけでなく、全国各地に「ぶつかり男」が出没していることも判明。例えば「満員電車の中で、わざと他の客にぶつかる男がいる(愛知県・40代女性)」「デパートのエレベーターの入り口に立ち、降りてくる女性にぶつかっていく男がいる(広島県・20代女性)」、さらに「エスカレーターに止まって乗っていると、駆け上がっていく男性がわざと肩をぶつけてきた」などといった声があるが、全てに共通するのは、ぶつかってくるのは「男性」であり、被害に遭っているのが「女性」である、ということだ。前出のキー局社会部記者が続ける。
「ぶつかり男が卑劣なのは、女性を狙い撃ちにしているということです。ぶつかり男は間違っても、男性にはぶつかっていかない。相手が強ければトラブルになっても負けるので、絶対に負けない女性、何も反論して来なさそうな女性を狙うのです。本当に卑劣です」(キー局社会部記者)
「ぶつかり」は、力の強い男性が、力の弱い女性を狙った悪質すぎる犯行というわけだが、筆者に情報を寄せてくれた埼玉県在住の女性看護師・Aさん(20代)は、東京23区内の某ターミナル駅構内で「ぶつかり」被害だけでなく、信じられないような経験をしたと、声を震わせながら明かす。
「その駅の通路は人が多く、風俗店などのキャッチが多いことでも知られており、本当は通るのも嫌でしたが、通らざるを得ない場所でした」(女性看護師・Aさん)
Aさんはその日、所用で某ターミナル駅を利用したが、この日もいつものように「お姉さん、夜職どうですか」などと違法なキャッチに声をかけられた。これまでは無視していればそれで良かったが、無視を続けていると、キャッチが「ブス」とか「ババア」とか、Aさんに聞こえるように叫んでくるようになっていたという。通報があったのか、そういった悪質なキャッチの姿が消えた時期もあるが、この一年ほどでまた復活し、今度は罵声を浴びせるだけでなく、女性にぶつかってくるようにもなったという。
「怒鳴られるだけでも相当な怖い思いをするのに、いきなり”おらっ”といってぶつかってこられて、腕に打ち身ができました。警察にも相談しましたが、相手が故意かどうかの判別が難しいといわれ、泣き寝入りするしかない。それ以降、あの駅は使っていません。駅名を見ただけで、怖い思いが頭をよぎるんです」(女性看護師・Aさん)
予測ができない「ぶつかり男」の犯行だからこそ、防御のしようも無い。さらに、Aさんが相談した警察に言われたように、事後では故意かどうか判別が難しく、たいていは泣き寝入りするしかない。被害者だけがいつまでも苦しめられる様子は、痴漢被害とよく似ている。
被害者が救われづらい、ぶつかり男被害だが、昨今では、事件の目撃者達が一部始終をスマホで撮影するなどした映像がネット上で拡散される事例が出てきたことで、ぶつかり男優位の状況が一変するかも知れないという期待もある。私刑につながることだけは避けねばならないが、注意喚起になり、犯人の検挙に繋がることもあるだろう。
ぶつかり男の被害に遭うのは、天変地異に遭遇するようなものかもしれない。だから被害者には何の非もない。「そんな危ない場所に行く方が悪い」「夜、出歩くのが悪い」「悪意にとらえる女性がおかしい」など、被害者に非があるかのような言説が少数とはいえ必ず出現するが、それは歪んだ認知なので無視すればよい。ぶつかり男は男性には何もしないという特性が知られるようになったからか、最近は、とっさに被害を邪魔してくれる通りすがりの男性も少なからずいるともいう。理不尽な犯罪の被害者になると、世の中すべてが自分に対して悪意だらけのように感じるときもあるかもしれない。彼女たちが再び笑顔で街を歩けるようになる社会の力が、今の日本にはまだあると思いたい。