息つく暇もなく大いに売れたとしても日に15万円程度――祭りや縁日のときは大盛況のテキヤ稼業だが、実は出費も多く、副業をしないと食っていけない者がほとんどだ。さらに親分クラスになれば、ヤクザとの付き合いにも出費がかさむという……。知られざる「テキヤの金銭事情」とは?
【画像あり】「犬肉」を売る中国の屋台 テキヤ文化に詳しい社会学者の廣末登氏の新刊『テキヤの掟』(角川新書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

副業がなければ食っていけないほど厳しい「テキヤの金銭事情」とは? getty◆◆◆副業がないと厳しい 2020年以降、コロナ禍が世界を覆い、これまでの日常生活は一変した。とりわけ、飛沫感染が問題視された結果、「外出自粛」の要請が行政から出され、飲食店や興行関係は大打撃を受けた。その影響は、テキヤにとっては普通の飲食店よりも甚大であった。何せ、人が集まってはいけない。神社仏閣の縁日や夏の花火大会といったイベントから花見に至るまで自粛の対象であるから、テキヤはバイができないし、テイクアウトの対象にもならないのだ。 このテキヤにとって冬の時代、筆者の地元福岡はどうであったか。福岡における傾向と対策から紹介する。 福岡市の市民的な祭りであり、庭場の一家にとっては1年で一番の書き入れ時、諸国旅人さんの商売に貢献する放生会というお祭りがある。2020年は、新型コロナウイルスが長期化する恐れがあることから、筥崎宮のHPに以下のような案内が出た(2021年にも同様の案内が掲示された)。 放生会大祭期間中、境内の閉門時間は19時迄と致します「博多三大祭放生会」の開催を楽しみにしていた皆様、お祭り等に関わる全ての皆様方には、このような判断になったことは断腸の思いですが、皆様の安全を最優先にした決定に、何卒ご理解をいただき、明年以降の当大祭にご支援とご協力を賜ります様お願い申し上げます。(2020年の「お知らせ」) 東北三大祭りである「青森ねぶた祭」「秋田竿燈まつり」「仙台七夕まつり」なども「密」を避け、感染症の拡大を抑えるという目的で中止や規模縮小を余儀なくされているから、仕方ない仕儀とは思われる。しかし、大正期のインフルエンザ(スペイン風邪)の時でも祭りが開催されていたことを考えれば、2020年、2021年は、テキヤ・神農会の歴史を紐解いても、異例中の異例であったといえる。 テキヤの縄張りは庭場という(ヤクザの縄張りはシマ)。ニワ外に商売に行けば、旅人さんであり、オトモダチである。九州のテキヤは、何も九州内だけで商売をするのではなく、関東あたりまで出向いて三寸を組む。 これは、「どこそこの祭り(タカマチ)まではるばる旅をしてバイをしてきたといえば、彼らの自慢になるんだ」と、業界人に聞いた。 しかし、新型コロナウイルスの影響により、三寸は倉庫に積み上げられて出番がない。縁日の場を奪われた子どもたちの落胆は、察するに余りある。しかし、もっと切実なのはテキヤ稼業の人たちである。 もともと、テキヤは大きく儲かる業態ではない。創意工夫を凝らしたところで、三寸(売台)ひとつあたり、息つく暇もなく大いに売れたとしても日に15万円程度。それも祭りの期間に限られる。場所代など、出ていくカネもバカにならない。祭りの時に出店するテキヤ稼業だけでは、到底食っていけそうにない。ヤクザとの付き合いは出費がかさむ 筆者と共にバイした元若中頭いわく、親分クラスになると、他にも商売をしているとのこと。たとえば、中古車屋や飲み屋などの副業を持っているから、縁日のバイ以外からも収入がある。親分クラスには、テキヤの庭場(ショバ)の地域をシマとするヤクザとの付き合いがある(注釈)。 だから、出費も多いのだと言う。ちなみに、テキヤの若い衆はカタギだが、本家の親分に限っては土地のヤクザの親分と、兄弟分の盃を交わすケースもある。その理由は、「みな組長や一家の代表者が『オツキアイ』は俺一人でという気持で、類を下部に及ぼさないよう防波堤の役を一身に引き受けている」からである(北園忠治『香具師はつらいよ』葦書房、1990年、27頁)。 コロナでバイが出来ないから、ちょっと月のモノを待ってくれと言って、「はい、そうですか」というような訳にはいかない。月のモノとは、互助会費、テキヤの団体に払う会費のことだ。税金や国民健康保険料も取り立てがうるさい。関東の由緒あるテキヤ組織の元幹部の大和氏(仮名)によると、年末のバイが終わるタイミングを見計らって、役所の人間が集金に来ていたそうである。 こうした固定経費以外にも付き合いがある。テキヤの庭場があるシマを治めるヤクザの親分の誕生会では30万円、襲名披露式には100万円、お悔やみ事には30万円など、稼業違いとの付き合いにも出費がかさむ。縁日が毎月開かれる訳ではないから、親分クラスの者は、副業を持たなくてはやり繰りできない。 しかし、今回は、モノを売る業界全体がコロナの影響を受け、消費が冷え込んでいることから、随分とテキヤの台所事情は厳しいのではないかと、元若中頭は心配する。彼がテキヤ稼業から足を洗って、サラリーマン生活に移行しても困らなかったのは、蓄えがあったからである。 テキヤと稼業違いのヤクザでも、チャッカリした者は、現役時代から二足の草鞋を履き、引退後の生活に備えてカタギの商売をしている(細君にさせているケースが多い)。一方、「宵越しのカネは持たない」オラオラ系の生き方をしたヤクザは、組織が解散したり、破門で籍を失ったりすると、途端に困窮するのである。縁日以外の営業努力がものを言う テキヤは祭りが無い期間、何をしているのか疑問に思われる人も多いだろう。資金力がある者は、先述したように中古車を売ったり、スナックの経営などはできるが、若い者にそうした器量はない。 そこは、親分や兄貴分の顔がものを言う。元若中頭の言によると、祭りが無い時期は、専らヒラビ(平日)というスタイルで商売をしていたという。神社の境内などで、祭りでもないのにポツンとたこ焼きなど売っているのもテキヤのヒラビだが、彼の場合は、スーパーなどに営業をして、店頭(駐車場の片隅など)に三寸を組んで焼き鳥などを売っていたという。 地元のスーパーに営業をかける以上、会社名が入った名刺と、店長へ献上する菓子折りを持ち、足繁くスーパーに通って出店のお願いをする。そうしたら「一度、店を出していいよ」と、根負けして折れてくれる。そこで売り上げを上げると、系列店にもお願いに行き、数店舗のヒラビが営業できるようになるのである。ちなみに、元若中頭は100円焼き鳥を定期的にヒラビで販売していた。 テキヤの仲間内では、こうしたスタイルのヒラビはネス(素人)のすることで、邪道だという者もいる。しかし、ヒラビは地域密着型のバイであり、1か所あたり毎日3万円ほどの売り上げになる。多い日は7万円くらい稼げるとのこと。しかも、このスタイルで商売した場合、奉納金や上納金を納める必要がない。軒先を借りたスーパーと取り決めた出店料を払えば済むから、ボロい商売である。 元若中頭がヒラビをやっていた頃は、近所のマンションの住民が常連になり、皿を持って買いにきていたそうである。常連客をつくるために、たまにはオマケで数本の焼き鳥を付けてやる。人間関係ができることで、地域の人に喜んでもらえ、祭りが無い時期でも若い衆に給料を払えたと、当時を回想する。 邪道だろうが何だろうが、祭りが開かれないコロナ禍の現在、このような地域密着型のバイをしていないと、テキヤも生き残れない。ドライブスルー形式の台頭も 加えて、元若中頭の場合はヒラビの営業のため、地元のスーパーや自治体のイベント担当者に営業を掛けていた。さらに、売り方を活かす店舗づくりのために、大工の学校で学びなおしをしている。庭場の外で為される既成の枠組みに囚われない様々な挑戦が、今まで馴染みのない未開拓分野における活動が、コロナ禍後のテキヤを存続させる道なのかもしれない。 コロナ禍で都市がマヒしたその年から、キッチンカーやドライブスルー形式のバイが散見されるようになった。この形式は、本書の取材中に関東でも見かけた。高速道路のパーキングエリアなどでは、キッチンカーが並んでバイをしている。九州では、「福岡市のドライブスルー形式のバイを皮切りに、福岡市に近い久留米市や鳥栖市でも開催された」(「西日本新聞」2020年6月9日)。注釈 「確かに暴力団と深い関わりをもつ神農会の会長や一家の長がいることは否定しない。しかし実情はその地方、あるいはその一家の長として地元の露店商はもとより旅かけてはるばる遠方より来た同業者が穏やかなる営業が出来るようにとの願いから関係諸官庁への書類の提出はもとより地元暴力団とのツナギ(話し合い)を取り、表面上は友好関係を結び一般露店商の保護にあたり、暴力常習者などの理不尽な『ユスリ』『タカリ』を抑止するための一種の防波堤の役目を担っているのが真実の姿である」(北園忠治『香具師はつらいよ』葦書房、1990年、26~27頁)。 昭和59年(1984年)2月、東京都新宿区のホテルで、関東に本拠を持つテキヤ(合同食事会の後に、大同団結して関東神農同志会を結成する)と関東二十日会(博徒系暴力団)の親睦団体が、親睦と友好のために、合同食事会を開催した。神農(テキヤ側)と関東二十日会の代表者60人強が出席したといわれている。以後毎年1回、関東神農同志会と関東二十日会の合同食事会が開催されるようになった。この団結の趣旨も、マチガイ(偶発的な衝突等)を事前に防ぐという意図があったと聞いた。ヤクザとは無関係なのに銀行通帳が作れない…テキヤが“不人気商売”になった2つの理由 へ続く(廣末 登)
テキヤ文化に詳しい社会学者の廣末登氏の新刊『テキヤの掟』(角川新書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
副業がなければ食っていけないほど厳しい「テキヤの金銭事情」とは? getty
◆◆◆
2020年以降、コロナ禍が世界を覆い、これまでの日常生活は一変した。とりわけ、飛沫感染が問題視された結果、「外出自粛」の要請が行政から出され、飲食店や興行関係は大打撃を受けた。その影響は、テキヤにとっては普通の飲食店よりも甚大であった。何せ、人が集まってはいけない。神社仏閣の縁日や夏の花火大会といったイベントから花見に至るまで自粛の対象であるから、テキヤはバイができないし、テイクアウトの対象にもならないのだ。
このテキヤにとって冬の時代、筆者の地元福岡はどうであったか。福岡における傾向と対策から紹介する。
福岡市の市民的な祭りであり、庭場の一家にとっては1年で一番の書き入れ時、諸国旅人さんの商売に貢献する放生会というお祭りがある。2020年は、新型コロナウイルスが長期化する恐れがあることから、筥崎宮のHPに以下のような案内が出た(2021年にも同様の案内が掲示された)。
放生会大祭期間中、境内の閉門時間は19時迄と致します「博多三大祭放生会」の開催を楽しみにしていた皆様、お祭り等に関わる全ての皆様方には、このような判断になったことは断腸の思いですが、皆様の安全を最優先にした決定に、何卒ご理解をいただき、明年以降の当大祭にご支援とご協力を賜ります様お願い申し上げます。(2020年の「お知らせ」)
東北三大祭りである「青森ねぶた祭」「秋田竿燈まつり」「仙台七夕まつり」なども「密」を避け、感染症の拡大を抑えるという目的で中止や規模縮小を余儀なくされているから、仕方ない仕儀とは思われる。しかし、大正期のインフルエンザ(スペイン風邪)の時でも祭りが開催されていたことを考えれば、2020年、2021年は、テキヤ・神農会の歴史を紐解いても、異例中の異例であったといえる。
テキヤの縄張りは庭場という(ヤクザの縄張りはシマ)。ニワ外に商売に行けば、旅人さんであり、オトモダチである。九州のテキヤは、何も九州内だけで商売をするのではなく、関東あたりまで出向いて三寸を組む。
これは、「どこそこの祭り(タカマチ)まではるばる旅をしてバイをしてきたといえば、彼らの自慢になるんだ」と、業界人に聞いた。
しかし、新型コロナウイルスの影響により、三寸は倉庫に積み上げられて出番がない。縁日の場を奪われた子どもたちの落胆は、察するに余りある。しかし、もっと切実なのはテキヤ稼業の人たちである。
もともと、テキヤは大きく儲かる業態ではない。創意工夫を凝らしたところで、三寸(売台)ひとつあたり、息つく暇もなく大いに売れたとしても日に15万円程度。それも祭りの期間に限られる。場所代など、出ていくカネもバカにならない。祭りの時に出店するテキヤ稼業だけでは、到底食っていけそうにない。
筆者と共にバイした元若中頭いわく、親分クラスになると、他にも商売をしているとのこと。たとえば、中古車屋や飲み屋などの副業を持っているから、縁日のバイ以外からも収入がある。親分クラスには、テキヤの庭場(ショバ)の地域をシマとするヤクザとの付き合いがある(注釈)。
だから、出費も多いのだと言う。ちなみに、テキヤの若い衆はカタギだが、本家の親分に限っては土地のヤクザの親分と、兄弟分の盃を交わすケースもある。その理由は、「みな組長や一家の代表者が『オツキアイ』は俺一人でという気持で、類を下部に及ぼさないよう防波堤の役を一身に引き受けている」からである(北園忠治『香具師はつらいよ』葦書房、1990年、27頁)。
コロナでバイが出来ないから、ちょっと月のモノを待ってくれと言って、「はい、そうですか」というような訳にはいかない。月のモノとは、互助会費、テキヤの団体に払う会費のことだ。税金や国民健康保険料も取り立てがうるさい。関東の由緒あるテキヤ組織の元幹部の大和氏(仮名)によると、年末のバイが終わるタイミングを見計らって、役所の人間が集金に来ていたそうである。
こうした固定経費以外にも付き合いがある。テキヤの庭場があるシマを治めるヤクザの親分の誕生会では30万円、襲名披露式には100万円、お悔やみ事には30万円など、稼業違いとの付き合いにも出費がかさむ。縁日が毎月開かれる訳ではないから、親分クラスの者は、副業を持たなくてはやり繰りできない。
しかし、今回は、モノを売る業界全体がコロナの影響を受け、消費が冷え込んでいることから、随分とテキヤの台所事情は厳しいのではないかと、元若中頭は心配する。彼がテキヤ稼業から足を洗って、サラリーマン生活に移行しても困らなかったのは、蓄えがあったからである。
テキヤと稼業違いのヤクザでも、チャッカリした者は、現役時代から二足の草鞋を履き、引退後の生活に備えてカタギの商売をしている(細君にさせているケースが多い)。一方、「宵越しのカネは持たない」オラオラ系の生き方をしたヤクザは、組織が解散したり、破門で籍を失ったりすると、途端に困窮するのである。
テキヤは祭りが無い期間、何をしているのか疑問に思われる人も多いだろう。資金力がある者は、先述したように中古車を売ったり、スナックの経営などはできるが、若い者にそうした器量はない。
そこは、親分や兄貴分の顔がものを言う。元若中頭の言によると、祭りが無い時期は、専らヒラビ(平日)というスタイルで商売をしていたという。神社の境内などで、祭りでもないのにポツンとたこ焼きなど売っているのもテキヤのヒラビだが、彼の場合は、スーパーなどに営業をして、店頭(駐車場の片隅など)に三寸を組んで焼き鳥などを売っていたという。
地元のスーパーに営業をかける以上、会社名が入った名刺と、店長へ献上する菓子折りを持ち、足繁くスーパーに通って出店のお願いをする。そうしたら「一度、店を出していいよ」と、根負けして折れてくれる。そこで売り上げを上げると、系列店にもお願いに行き、数店舗のヒラビが営業できるようになるのである。ちなみに、元若中頭は100円焼き鳥を定期的にヒラビで販売していた。 テキヤの仲間内では、こうしたスタイルのヒラビはネス(素人)のすることで、邪道だという者もいる。しかし、ヒラビは地域密着型のバイであり、1か所あたり毎日3万円ほどの売り上げになる。多い日は7万円くらい稼げるとのこと。しかも、このスタイルで商売した場合、奉納金や上納金を納める必要がない。軒先を借りたスーパーと取り決めた出店料を払えば済むから、ボロい商売である。 元若中頭がヒラビをやっていた頃は、近所のマンションの住民が常連になり、皿を持って買いにきていたそうである。常連客をつくるために、たまにはオマケで数本の焼き鳥を付けてやる。人間関係ができることで、地域の人に喜んでもらえ、祭りが無い時期でも若い衆に給料を払えたと、当時を回想する。 邪道だろうが何だろうが、祭りが開かれないコロナ禍の現在、このような地域密着型のバイをしていないと、テキヤも生き残れない。ドライブスルー形式の台頭も 加えて、元若中頭の場合はヒラビの営業のため、地元のスーパーや自治体のイベント担当者に営業を掛けていた。さらに、売り方を活かす店舗づくりのために、大工の学校で学びなおしをしている。庭場の外で為される既成の枠組みに囚われない様々な挑戦が、今まで馴染みのない未開拓分野における活動が、コロナ禍後のテキヤを存続させる道なのかもしれない。 コロナ禍で都市がマヒしたその年から、キッチンカーやドライブスルー形式のバイが散見されるようになった。この形式は、本書の取材中に関東でも見かけた。高速道路のパーキングエリアなどでは、キッチンカーが並んでバイをしている。九州では、「福岡市のドライブスルー形式のバイを皮切りに、福岡市に近い久留米市や鳥栖市でも開催された」(「西日本新聞」2020年6月9日)。注釈 「確かに暴力団と深い関わりをもつ神農会の会長や一家の長がいることは否定しない。しかし実情はその地方、あるいはその一家の長として地元の露店商はもとより旅かけてはるばる遠方より来た同業者が穏やかなる営業が出来るようにとの願いから関係諸官庁への書類の提出はもとより地元暴力団とのツナギ(話し合い)を取り、表面上は友好関係を結び一般露店商の保護にあたり、暴力常習者などの理不尽な『ユスリ』『タカリ』を抑止するための一種の防波堤の役目を担っているのが真実の姿である」(北園忠治『香具師はつらいよ』葦書房、1990年、26~27頁)。 昭和59年(1984年)2月、東京都新宿区のホテルで、関東に本拠を持つテキヤ(合同食事会の後に、大同団結して関東神農同志会を結成する)と関東二十日会(博徒系暴力団)の親睦団体が、親睦と友好のために、合同食事会を開催した。神農(テキヤ側)と関東二十日会の代表者60人強が出席したといわれている。以後毎年1回、関東神農同志会と関東二十日会の合同食事会が開催されるようになった。この団結の趣旨も、マチガイ(偶発的な衝突等)を事前に防ぐという意図があったと聞いた。ヤクザとは無関係なのに銀行通帳が作れない…テキヤが“不人気商売”になった2つの理由 へ続く(廣末 登)
地元のスーパーに営業をかける以上、会社名が入った名刺と、店長へ献上する菓子折りを持ち、足繁くスーパーに通って出店のお願いをする。そうしたら「一度、店を出していいよ」と、根負けして折れてくれる。そこで売り上げを上げると、系列店にもお願いに行き、数店舗のヒラビが営業できるようになるのである。ちなみに、元若中頭は100円焼き鳥を定期的にヒラビで販売していた。
テキヤの仲間内では、こうしたスタイルのヒラビはネス(素人)のすることで、邪道だという者もいる。しかし、ヒラビは地域密着型のバイであり、1か所あたり毎日3万円ほどの売り上げになる。多い日は7万円くらい稼げるとのこと。しかも、このスタイルで商売した場合、奉納金や上納金を納める必要がない。軒先を借りたスーパーと取り決めた出店料を払えば済むから、ボロい商売である。
元若中頭がヒラビをやっていた頃は、近所のマンションの住民が常連になり、皿を持って買いにきていたそうである。常連客をつくるために、たまにはオマケで数本の焼き鳥を付けてやる。人間関係ができることで、地域の人に喜んでもらえ、祭りが無い時期でも若い衆に給料を払えたと、当時を回想する。
邪道だろうが何だろうが、祭りが開かれないコロナ禍の現在、このような地域密着型のバイをしていないと、テキヤも生き残れない。
加えて、元若中頭の場合はヒラビの営業のため、地元のスーパーや自治体のイベント担当者に営業を掛けていた。さらに、売り方を活かす店舗づくりのために、大工の学校で学びなおしをしている。庭場の外で為される既成の枠組みに囚われない様々な挑戦が、今まで馴染みのない未開拓分野における活動が、コロナ禍後のテキヤを存続させる道なのかもしれない。
コロナ禍で都市がマヒしたその年から、キッチンカーやドライブスルー形式のバイが散見されるようになった。この形式は、本書の取材中に関東でも見かけた。高速道路のパーキングエリアなどでは、キッチンカーが並んでバイをしている。九州では、「福岡市のドライブスルー形式のバイを皮切りに、福岡市に近い久留米市や鳥栖市でも開催された」(「西日本新聞」2020年6月9日)。
注釈 「確かに暴力団と深い関わりをもつ神農会の会長や一家の長がいることは否定しない。しかし実情はその地方、あるいはその一家の長として地元の露店商はもとより旅かけてはるばる遠方より来た同業者が穏やかなる営業が出来るようにとの願いから関係諸官庁への書類の提出はもとより地元暴力団とのツナギ(話し合い)を取り、表面上は友好関係を結び一般露店商の保護にあたり、暴力常習者などの理不尽な『ユスリ』『タカリ』を抑止するための一種の防波堤の役目を担っているのが真実の姿である」(北園忠治『香具師はつらいよ』葦書房、1990年、26~27頁)。

昭和59年(1984年)2月、東京都新宿区のホテルで、関東に本拠を持つテキヤ(合同食事会の後に、大同団結して関東神農同志会を結成する)と関東二十日会(博徒系暴力団)の親睦団体が、親睦と友好のために、合同食事会を開催した。神農(テキヤ側)と関東二十日会の代表者60人強が出席したといわれている。以後毎年1回、関東神農同志会と関東二十日会の合同食事会が開催されるようになった。この団結の趣旨も、マチガイ(偶発的な衝突等)を事前に防ぐという意図があったと聞いた。
ヤクザとは無関係なのに銀行通帳が作れない…テキヤが“不人気商売”になった2つの理由 へ続く
(廣末 登)